やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「はぁ。どうせ一緒に帰るなら校門で待ってないで、パートの教室から二人で出てくれば良かったのに。もう友恵にバレちゃったんでしょ?あと夏紀にも」
優子先輩が校門から出てきて、俺は寄りかかっていた背中を離した。
そうは言うものの、こうして優子先輩が微笑むのを見ると、待つのが嫌いでも好きでもないはずの俺も待つのが好きになっちゃいそう。だからこうしてここで待っているのはあながち嫌いでもない。
「逆に言えばまだ二人にしかバレてないじゃないですか」
「昨日、自分で電話しながら話してたじゃん?時間の問題なのかもしれませんねって」
「だからって自分からバレに行くような真似はすることないでしょ?しかも人は自分で答えを見つけ出すのが好きなもんですからね。俺たちが二人で毎日、音楽室から帰るところを目撃されて、噂が広まってバレるみたいなのは避けたいです」
「でもさ、こうやってここで待ち合わせて帰るのだって、私たちと同じ方面の部員だっているんだからさー」
まあいいんだけどね、と優子先輩は少しだけ恨めし気な目線を寄越してから歩き出した。スクールバッグを肩にかけ直して、優子先輩の隣に並んで歩く。
いつもなら引いて帰る自転車はない。最近はもう、自転車で通学するのをやめようかと思っている。
登下校を基本的に優子先輩と一緒にしていると、自転車は邪魔なのだ。それでも優子先輩と帰らない日もあるわけで、そんな時にいち早く帰宅するためにと言うのと、中学の時から通学で使っている愛車を少し手放すのが寂しい気持ちで学校に持っていってはいても、ほとんどの日にはただの荷物置きみたいな扱いになっている。
「駅ビルコンサートまであと少しですね」
「うん」
「今日滝先生が練習で、小笠原先輩のソロがあるって言ってたじゃないですか。どうなるんですかね?」
「何それ?どういうこと?」
「バリサクってどうも、トランペットとかアルトサックスほどソロに向かないイメージがあるんですよね。俺が通ってた中学でもバリサクやってたやつは、重いしでかいのに地味だし、リードの値段が高いって文句ばっか言ってました」
「そんなことないわよ。派手ではないけど、伴奏も主旋律もできる楽器で演奏を豊かにする楽器よ。でも、確かにバリサクは、アルトサックスほどは目立たない楽器だけど。駅ビルで私たちが吹く『宝島』のソロも本当はアルトサックスだしね」
「知らなかったです」
「実は私もこないだ調べて知ったんだけど」
「あ、そうだ。さっき滝野先輩に聞いたんですけど、写真係は駅ビルの当日も皆の写真撮って回らなくちゃいけないみたいで忙しいらしいっすよ。来年から学校のホームページでも吹部をピックアップしてくれるみたいですけど、アップするための写真が必要だから撮る写真や構図も指示されてるんですって」
「へえ」
「カメラも良いやつを学校から借りてるけど、そのせいで普通に写真撮るのが下手だと松本先生に怒られるからって気合い入れてやらなくちゃいけなくて大変だって話してました」
「写真係に限ったことじゃないでしょ?合宿係も去年と比べて、時間分けとか綿密だったりやること多すぎて大変そうだったし」
「俺は来年、絶対に賞状係希望するって決めてます」
「賞状係とか、来年なくなると思う。今年も係決めの時は楽だからって人気あったけど、そんなに仕事ないから他の係に変わるんじゃない?それに男子はどうせ楽器運搬よ」
「来年なんか、忙しそうに聞こえるけど楽な係が誕生しないかなー。楽器運搬指示とか超楽そう。というか楽」
「うーん。雑務とか?」
「雑務って不思議で、字面は仕事なさそうで甘美なのに、実際は雑用がひたすら回ってくる一番大変な仕事じゃありません?やったことないですけど」
「私だってやったことないから知らないわよ」
今日は中々会話が広がらない。
そもそも、いつもなら基本的に話し始めたり話題を振って広げるのは優子先輩なのに、練習しているときからどこか上の空だった。俺から話し掛けても心ここにあらずと言った感じで、俺としては振る話が悪かったのかと心中穏やかではない。
一体何に引っかかっているのだろう。今日の優子先輩を順に振り返っていく。
朝は普通だった。次に会ったのは放課後だけれど、練習が始まるまでも全然普通だったともうんだよな。加部先輩といつも通り話してたし。
もうダメ。わからんもんはわからん。何も原因を探ること、聞き出すことだけが解決の糸口ではない。世の大人達が上司に何故怒られてるのか分からない時どうするか。
低姿勢、敬意を持っているフリ、ご機嫌取り。これぞ、社会人のTKG!ちなみにTKGにはバター。異論は認めん。
「はい」
優子先輩に手を差し出す。今日は自転車がないから、いつもは当たり前のように俺の自転車の籠に入れている鞄を自分で持っている。だからその鞄を持たせて頂くことでご機嫌を取りたいで候。
侮るなかれ。俺はそこんじょそこらの一般ピーポーじゃないぜ。出来るお兄ちゃんだ。
小町と二人で夕飯の買い物に行ったときに、『女の子が荷物を持っていたら、どんなに軽い荷物でも持ってあげなくちゃダメだよ』と、容赦なくディナーの食材に加えて、1.5リットルの飲み物が数本入った買い物袋を持たされても文句は言わないくらいには鍛え上げられている。
「ほら」
「え、えええぇぇぇ!?は、早くない!?私たち、付き合ってまだ二週間経ってない位なのに…」
「え?」
どういうこと?荷物持つのに、付き合った日数とか関係なくね?いつもしてることを、俺の自転車の籠に入れるか、俺が持つかだけの差でしょ?
脳内キャパシティーを疑問符が占拠しているお陰で、固まって動けない俺とは対照的だに、優子先輩はほんの数秒前の雰囲気とは打って変わって、顔を真っ赤にしながら自分の手と俺の手を交互に見てはあわあわと慌てていた。
「え、えっと、はい!」
「……お手?」
「わんっ!……じゃないわよ、ばかっ!」
おぉ。キレッキレのノリツッコミ。ころころと変わる表情に、にやけそうになるが我慢する。……我慢できてる?
「何やってるんですか?鞄ですよ」
「あ、ああ。手を出したのってそういうことだったの。ちゃんと言ってよ」
「いつも俺の自転車の籠に入れてるから持った方が良いかなって」
「そんなの気にしなくていいから」
「そっすか。分かりました」
「うん」
……会話終了。だが、おかしい。
「あの、優子先輩?」
「な、なあに?」
「手…」
「……」
「…離さないのかよ……」
何なんだこいつら。部活が終わった後に男女で帰るだけに飽き足らず、初々しく手を繋いでやがって。これだからリア充は……爆発しろっ!……って俺なの!?
こんな時だからなのか、男の俺とは違う優子先輩の真っ白い掌の柔らかさと温かさがまるで他人事の様に感じる。繋がった手だけでなく、上目使いでちらちらと俺を見る視線もたまに交差するのも同じように。ただ、身体の中が痒くなるような感覚と、どうすることもできずにベタベタと張り付くような手汗でこれが自分の事じゃないと認識した。
まさか俺にこんな日が来るなんて。こういうことしてる奴らに恨みを向けてばかりいたが、いざそれを自分がしていると思うと…、過去の自分が見たら『爆ぜろリアル!』と叫びながら殺しに来るんじゃないか。
茹で蛸のように、とは頬に赤みが差すことを例える際にしばしば使われるが、今の優子先輩はまさにその言葉がピッタリだった。明らかに照れていて、そこにはもうついさっきまでの茫然とした様子はない。手汗をかいていることなんて気にせずに、俺の手を優しく、けれど離すまいと絡めた指を引いて歩き出した。