やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「私は全然、その言葉が酷いだなんて思えないけど。自分のせいだって思いすぎなんじゃない?」

 

 「そんなことないですよ。俺だって他に掛ける言葉は見つからなかったし、もしあの時、別の言葉をかけていたら陽乃ちゃんとの関係が今とは変わっていた。そんな買い被りはしていません。でも、せめて陽乃ちゃんの手を掴むべきだった。それで……」

 

 ……話していて、整理してみれば俺の後悔は一つだけだ。

 陽乃ちゃんと過ごした時間は俺にとって大切な一年間だったけど、その時間はもし俺が陽乃ちゃんの手を掴んでいたとしても、あれ以上続けることができただなんて思えない。陽乃ちゃんですらどうすることもできないと諦めていた家庭の柵を、余所者で捻くれているだけの俺なんかの言葉一つでどうこうできるはずもないのだから。高校生になった今だって、あの時かけるべきだった言葉の答えはわからないし、何を言ったってゲームオーバーだとさえ思っている。きっと答えなんてそもそもないのだ。だから優子先輩が言うように、こうやって自分の陽乃ちゃんとの関係の幕切れを自分のせいにするのは間違っているのかもしれない。

 ただ、それでもあの時、小学生だった俺が陽乃ちゃんの手を掴もうとした理由は――。

 

 「……まあ陽乃ちゃんっていう子のことを、八幡がどう思っているのか少し分かった」

 

 「こんな話、小町にもしたことないですよ」

 

 「それ、本当?だったら嬉しいかも」

 

 白い歯を覗かせて微笑んだ優子先輩に、思わず目を奪われた。小町が知らない俺のことを知れたという事実に喜んでいるのに、少しだけ子どもっぽいなんて思ってしまう。

でもまあ、誰も知らないクラスメイトの秘密とか知ったら誰だって嬉しいものか。その秘密を黙っていても謎の背徳感で心が躍るものだし、誰かに言ったら言ったらで共通の話題を影で馬鹿に出来る。俺自身、中学の時は普段は人の通らない階段に腰掛けて昼食を取っていたら、妙にいきっているクラスメイトが電話で親をママと呼んでいるのを聞いたときは心の中で死ぬほど馬鹿にしてやったもんなあ。

 と、そんな冗談で誤魔化してないと、優子先輩がそんなことで喜んでくれていると言うことが妙に恥ずかしかった。こんな可愛くていい人が、本当に何で俺なんかとつつつつ付き合ってくれているのん?

 顔に出ているかはわからないが、少なくとも心の中で照れていると、優子先輩は何か決意した様子で言葉を続けた。

 

 「八幡は昔、陽乃ちゃんにかけてあげる言葉を間違えちゃったこととか、寂しい別れ方をしちゃったことを後悔してるんだよね。でもさ、それならやっぱり、八幡はあすか先輩が戻ってくるのに尚更協力してあげて欲しい」

 

 「だからさっきも話しましたけど、俺に出来ることなんて」

 

 「きっとあると思う。それにもし戻って来られなかったとしても、八幡のせいでは絶対にないんだし」

 

 「そもそも俺が協力する理由がないですよ」

 

 「まあ確かになー」

 

 優子先輩は繋いでいない手を力なく、へろーっと下ろした。

 

 「八幡はあすか先輩とそんなに関わりがあったわけでもないしね。私たち二年以上、というか特に三年生はあの人にたくさん助けてもらったからどうにかしたい気持ちが強いけど、特に一年でしかも他のパートの先輩だから」

 

 それどころか、なんなら俺、どっちかって言うとあの人のこと苦手なまである。どことなく陽乃ちゃんを思わせる完璧超人のような態度や、眼鏡の下の何もかも見透かしたような瞳に俺は幾度となく心を揺さぶられた。

 

 「去年までいた三年生との架け橋にもなってくれてたし。あの人がいなかったら、今の二年は希美についていく形で辞めていった人がもっと多かったと思う」

 

 「さっきも話してましたけど、優子先輩はやっぱり香織先輩や中川先輩が心配なんですか?」

 

 「だから夏紀はどうでも良いんだってば!それに香織先輩が心配って言うのも間違いなくあるんだけど……うーん、言わない」

 

 「なぜに?さっきまで散々俺に話したくなかったこと言わせたくせに、ここで自分は言わないなんて」

 

 「うっ」

 

 「汚い先輩だなぁ」

 

 じーっと優子先輩を流し見る。それが見つめるような形になったからか、優子先輩は『み、見ないで』とぽしょりと呟いた後にきょろきょろと視線を彷徨わせ、けれど最終的には俺の目を少しだけ照れながら見つめた。

 

 「……汚い……」

 

 「え、な、何が……?」

 

 「あ、違うから!さっき私のこと汚い先輩とか言ってたけど、八幡のジト目の方が汚いなって思っただけで」

 

 「全くフォローになってないですからね。辛いよ?じっと見られてる恥ずかしさに耐えかねてキョロキョロしてるのかと思ってたのに、それが俺の視線がぞわっとする程汚くて逃げるためだったとか超辛いよ?」

 

 「目を逸らしちゃったのは恥ずかしかったからだけど。ま、まあとにかくちゃんと話す。今の私の一番の理由は八幡」

 

 「は?俺?」

 

 「うん。八幡。でも、私の勝手な我儘でもあるんだけどね」

 

 「どういうことですか?」

 

 「いつまでも昔の女に振り回されていないで欲しいなって」

 

 「またメンヘラみたいなことを」

 

 「メンヘラなんかじゃないし」

 

 「どういうことですか?陽乃ちゃんと田中先輩、全然関係ないでしょう?」

 

 「さっきも言ったけど、私、あんたが陽乃ちゃんの事を思い出してるときの顔嫌いなの。あんまり頭良くないから、上手く言葉では説明できないんだけど、とにかくすっごい未練たらたらって感じの顔。寂しそうだし、辛そうだし……なんか見てらんない。あんまり自覚ないかもだけどさ」

 

 校門で合流してから少しずつゆっくりになっていった俺たちだったが、気が付けばお互いの家へと向かう分かれ道にまで来ていた。歩き慣れた道の途中で、どちらともなく立ち止まる。

 京都の雰囲気は、やっぱり何処か千葉とは違う。京都に来てすぐに北宇治に入学したときに感じたそれを、こうして立ち止まってふと思い出した。もし千葉に残っていたとしたら、こうやって亜麻色の髪の少女を前にして話すことなどあったのだろうか。

 

 「陽乃ちゃんの事、そんな簡単に吹っ切れることができる思い出だなんて思わないけど、もう終わっちゃったことはどうしようもないじゃない?」

 

 「待って下さい。答えになってないですよ。だからってなんで俺が」

 

 「八幡は変わった。昔のままなんかじゃないんだって。またいなくなっちゃおうとしてるあすか先輩を止める事で、少しでもあんたがそう思えたらなって」

 

 優子先輩は陽乃ちゃんではないものの、どこかその面影を感じさせる田中先輩を部活に残すことで俺が変わったと証明しろという。その証明は俺を救うから、と。

 だが、それを証明したとして俺が救われる事なんてないのだろう。なぜなら、俺は誰かに手を伸ばせなかったことを後悔しているのではない。陽乃ちゃんに手を伸ばせなかったことを後悔しているのだ。他の誰かじゃ意味なんてない。誰かを救うことに快感を覚えるヒーローではないし、どっちかと言えば他人の不幸が面白い。そんな人間だ。

 そして、それ以上に根本的な話、俺はあの時から何一つ変わっていない。だからこそ俺は、今回田中先輩を部活に留めるために何をしたらいいのかがわからず、昨日中川先輩からの申出に素直に協力すると言えなかったのだ。

 『無理ですよ』。その短い言葉が、自分でも驚くくらいすんなりと出て来ることはなかった。香織先輩の落ち込む姿が頭をよぎったからか、中川先輩が自分がコンクールに出られなくたって田中先輩に部活に戻ってきて欲しいと言った決意に答えられない自分が申し訳ないからか。

 

 「大丈夫」

 

 もしかしたら、今も俺を真っ直ぐに見つめて話し掛けてくれる。この人の期待に応えて見せたい。そう思ったからかもしれない。

 

 「どうしたら良いのか分からなかったら、話くらいは聞いてあげる。失敗しちゃったって傍にいて慰める。頑張りすぎてて『あー、やばそうだなー』って思ったら、今みたいに手を引いて止める。だからやれるだけやってみたらいいじゃん?」

 

 この人はいつだって、俺を引っ張ってくれる。この学校に来て、付き合う前からずっとそうだった。

 真っ直ぐな言葉があんまりにも優子先輩らしくって少しだけ笑ってしまった。

 

 「なんで笑ったのよ?」

 

 「いや。止められるときは手を引かれるとかじゃなくて、鎧塚先輩の時みたいに頬を引っ叩かれるんじゃないかって」

 

 「別にそれがいいならそれでもいいけど。このドMっ」

 

 優子先輩が鎧塚先輩を勢いで倒したときはそれどころではなかったが、すげえ事やったからな、この人。間違いなく緊迫した場面だったのに、ポカンとした顔の鎧塚先輩と、それとは対象的に必死な表情をしていた優子先輩がアンマッチで、思い返して見ると妙におかしい。

 『そういうことは早く忘れなさいよ』。怒ったように頬を膨らませた優子先輩だったが、俺が笑っているのを見て、困ったように笑い出した。しばらく二人で笑い合って、優子先輩は思い出したように口を開いた。

 

 「そうそう。最後に一つだけ」

 

 「何ですか?」

 

 「協力するにしたって、前みたいに自分が嫌われるみたいなやり方は辞めてよね?」


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