やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「おーい。比企谷ー」

 

 いよいよ、北宇治高校の出番が近付いている。そんなときにどこか気の抜けたような声で話し掛けてきたのは中川先輩だった。

 

 「あのさ、今日の駅ビルコンサートの後のことなんだけど」

 

 先日、優子先輩と二人で帰った日の翌日。俺は改めて中川先輩に田中先輩の事を協力すると言う旨を伝えた。

 とは言え、具体的に田中先輩を復帰させるために何をするか方向性が決まったわけではない。中川先輩も実際はかなり突然、自分がいなくなるかもしれない、と田中先輩に伝えられパートを任されたというだけで、先輩の現状についてあまり深く知っている訳ではなかった。家庭の事情が関わっている上に、田中先輩がこうして部活に来れなくなるほど切羽詰まった状態の中で、余計な気を遣わせたくなかったらしい。だから二つ返事でパートの引き継ぎは受けたし、細かな事情までは聞くことをしなかったそうだ。

 だからまずは何とかして情報を集めるところから。それが俺たちの出した結論だった。

 だが、田中先輩の騒動がありながらも、今日の駅ビルコンサートは刻一刻と近付いていく。コンサートが近付けば当然のように休日は返上し、放課後だって遅い時間まで練習がある。そんな中で幸いにも今日のコンサート後の時間が空くと言うことで、その時間は打ち合わせをしようとアポイントメントを取っていた。

 

 「あ、はい。なんか先輩は余裕そうですね?」

 

 「余裕って今からの演奏が?」

 

 「はい」

 

 周りの部員達は笑っている人もいる中で、かなり緊張した様子の部員も多い。AのメンバーもBメンバーと比べれば大勢の前での演奏をした回数こそ多いものの、今回の駅ビルコンサートは立華と清良がいる。その二校と比べられるということに緊張している人が多いというのを、誰かが話している声が聞こえて来て知った。

 

 「そんなことないよ。こう見えて結構緊張してる」

 

 散っている前髪の隙間から覗く吊り目がちの瞳はどこか弱々しかった。確かに嘘ではないらしい。

 

 「ただあれほどではないけどね」

 

 そう言って中川先輩は、自身の後ろにいるパートの後輩を指さした。集合場所に来るまで話していた加藤は本番を前にさっきよりもずっと緊張した様子で、そんな加藤の肩を掴んで川島が励ましていた。いや、励ましてるのか……?なんか今、加藤、川島にチョップされてたぞ?いいな。体力回復しそう。

 その後ろには高坂もいる。加藤と川島をじっと見つめていて、けれどその表情はいつもの無表情とは違って思いの外柔らかい。

 

 「それでさっきの続きなんだけどさ、今日終わった後二人も来ることになったから」

 

 「二人?誰ですか?」

 

 「部長と香織先輩」

 

 えぇーっ、と驚きの声を出す前に、小笠原先輩と香織先輩が俺たちの元にちょうどやってきた。手を振りながら近付いてきた二人に、つい頭を下げてしまう。

 いや、確かに田中先輩についての情報を集めるためにはこの二人から話を聞くのが一番なのは間違いないと思うけれど。何がビックリってこの二人と放課後過ごすかもしれないという事実だ。

 俗に言うハーレムを楽しめるのはリア充だけだ。よく、『女子校の中に男子は、俺だけー!』みたいな謳い文句のハーレム作品をネット中心に見る機会があるが、吹奏楽部に所属していた俺から言わせれば、そんなの攻撃対象になるために敵の領地に入っていくようなもんだし、それ故に女子しかいない空間に放り込まれれば、普通に吐きそうになる。

 それが毎日いる音楽室で女子が多いために肩身が狭いというくらいであれば、慣れ親しんだ場所と言うこともあるし、最悪トランペット片手に『俺は真面目にやってるんだから誰も話し掛けないでよねっ!』という空気感バリバリ出してまだどうとでもなる。しかしそれ以外の場所で女子に囲まれていればスーパー地蔵タイム間違いなし。変に気を遣われた暁には脇汗どころか口からナイアガラである。それが俺の求める吹奏楽部男子のあるべき理想像。

 

 「比企谷君。今日の放課後はよろしくね?」

 

 「は、はぁ」

 

 香織先輩によろしくとは言われたものの、一体何をしろと。この三人の中では一番後輩だし、どっか予約しとけとか?俺だって、つい今知ったばかり何ですけど?

 改めて、まさかこんな話しになっているなんて。恨みを込めて中川先輩を見やる。俺の視線にすぐに気が付いた中川先輩は口角をにやりと上げた。

 

 「あれー?比企谷には合宿の時に同じ事やられたと思うんだけどなー?」

 

 「ぐっ」

 

 ニヤニヤと笑っている中川先輩の顔を見て、無理して上げた口角がひくつく。合宿の夜に中川先輩には何も言わずに、優子先輩を呼んで傘木先輩の事について話した。この人、意外と根に持つタイプなのか。

 溜め息を一つ。溜め息を吐くと幸せが逃げていくと言うが、何なら北宇治吹奏楽部のマドンナである香織先輩と放課後遊ぶ約束をしたとか、本当はもはや幸せめちゃくちゃやってきてるんだけどな。

 

 「それに、別に私は比企谷と二人ってのもいいけど、流石にあいつに悪いしね」

 

 「……」

 

 あいつとは、まず間違いなく優子先輩の事だろう。そう言われてしまえば、俺はもう何も言えない。

 

 「私と香織は駅ビルコンサートが終わった後、ちょっと雑務で残ることになってるから二人にはちょっと待ってて貰うことになっちゃう。ごめんね」

 

 「いえ。何か私と比企谷に手伝えることがあったら言って下さい」

 

 「うん。ありがとうね、夏紀ちゃん」

 

 「そんなに遅くはならないと思う。とりあえず連絡は入れるから」

 

 「わかりました」

 

 この人、なんだかんだで気が利くんだよな。ヤンキーみたいな見た目なのに。

優子先輩が田中先輩がいなくなったとしたら、低音パートを纏めるのは中川先輩になると話していたが、確かにこうしていると適任だという見立ては間違いないのかもしれない。

 しばらく俺以外の三人は話していたが、ふと香織先輩が気が付いた。

 

 「清良女子……」

 

 それに反応して、ばっと見やる。ずっと探していた、憧れの吹奏楽部。中学の時、彼女達の演奏を一体何度聞いていたものか。

余計な雑談やよそ見など一切せず、ただ前をみて歩く姿はもはや天使の行進かとさえ思える。

 

 「うっ……うぅ……」

 

 「うわっ!泣いてる……」

 

 「アーメン……」

 

 「比企谷君、大丈夫!?」

 

 今なら大好きなジャニーズが目の前を横切っただけで感動して泣いてしまうジャニオタや、見られてもないのに見つめられたことにして勝手に感動してるドルオタの気持ちがわかる。

 あんまりにも腐りきった目から涙を流している俺が見苦しいからか、中川先輩がどこかから取り出したハンカチで俺の涙を拭ってくれた。優しい……。中学生の時どころか、優子先輩と付き合う前の俺なら百パーセントに好きになってた。

 

 「流石全国常連だけあって堂々としてるね」

 

 「もう、比企谷君も香織も。私たちも全国出場だよ?」

 

 「……そうだね」

 

 小笠原先輩の言葉にはっとする。

 そうだ。俺たちはもう、彼女たちを画面越しに見ているだけではない。同じ舞台の上で競い合うことになるライバルなのだ。でも、感動するものはしちゃうよね。溢れんばかりの涙でナイアガラの滝みたいになっちゃうのも致し方ないと思うの。

 

 「そのとーり」

 

 えっ?その声に流れたいた涙はぴしゃりと止まり、顔を上げる。

 俺と同じように部員達は皆、あまりの衝撃に口を開けながらその声の主を見つめていた。低音パートのメンバーを中心に続々と駆け寄ってくる。

 

 「あすかっ!」

 

 「何よー?お化けを見るような顔して」

 

 「来れたんだね」

 

 「言ったでしょう?迷惑はかけないって」

 

 もう十分にかけてるんだよなぁ。田中先輩だって、わかってるんだろうけど。

 ただ、一番迷惑をかけられているはずだし、心配だってしている小笠原先輩と香織先輩がそれを言わなかった。低音パートのメンバーが向かってきているのに巻き込まれると、トランペットパートの俺は浮いている感じになるので、再開に浸る三年生の元をすっと離れる。

 

 「あすか先輩っ!」

 「先輩、心配したんですよー」

 

 すぐにパートの後輩達に囲まれた田中先輩は、部活に来ることが出来なくなったときとは何も変わらずに後輩と話していた。それを見て、何も解決なんてしていないのに、パートの違う部員達もどこか安心している様に思える。

 結局の所、田中先輩が部活に与える影響というものは計り知れないのだ。今も尚、精神的支柱の一人。

 

 「あすか」

 

 それでも、少しずつその影響は変わっていくはずだ。

 小笠原先輩がこないだ俺たちの前で話した通り、北宇治高校吹奏楽部の中に田中あすかという人間がいるのだ。決して俺たちは、この人がいなくては演奏が出来ないままでなんていられない。

 

 「私、ソロ吹くことになったから」

 

 だから、これは小笠原先輩の宣言。

 もう以前のように何もかもを頼りっきりにはしない。勝手に特別な人間だと持ち上げて、重たいものは全て持たせっきりだった。彼女なら大丈夫、大丈夫と。

 でもこれからはそうじゃない。頼った分頼られたい。今まで前に立たせて引っ張ってきて貰った分、今度は自分たちが変わりに前に立って引っ張ってみせる。

 小笠原先輩の手にしていた田中先輩の譜面は、部長から副部長へと渡された。

 

 「今度は私の演奏を、しっかり支えてね?」

 

 「……勿論!」

 


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