やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 幸せに溢れた家族の金曜日のご褒美だったり、主婦と呼ぶには若すぎる少し歳のいったお母様方のお昼の集会場としてだったり。今や多くの国民に愛されているファミレスではあるが、どれだけ集客が多いと言えども、限られた全体の収益の中でどれだけのシェアを得られるか。

 そのためにこの業界のお偉いさん方は今日も必死に、他のファミレスに負けない自社だけの強みを探したり、メニューやレイアウトなど、どこで個性を出していくか研究を重ねている。そう。何と言っても、この厳しい業界を勝ち抜く上で重要なのは自分たちらしさが世間に認められるかである。

 では、今俺たちが来ているサイゼリヤと言えば?比企谷八幡のアンサー一つ目。ミラノ風ドリア。異論は認める。マルゲリータや辛味チキンと言った魅力的なメニューの数々が他にもあるからね。けれど、比企谷八幡のアンサー二つ目。難易度が異常に高い間違い探しに関しては異論は認めない。絵柄だけはファンシーな子ども泣かせの並んでいる二つの絵は、他のどのファミレスにもないサイゼだけの特色に他ならない。

 うんうんと唸る俺の隣で、中川先輩はスマホを弄りながら頬をついている。少しは協力して欲しい。残り二つが見つからなくて、間違いが十あるというのがまず間違いなのではないかと疑っているのだ。

 

 「あすか、今日のコンサート来れてよかった」

 

 「もう、本当に急なんだから。来れるなら来れるって言っといてくれないと。一応あすかの譜面、持って行っといてあげて良かったよ」

 

 「流石晴香。用意周到で偉いね」

 

 間違い探しと睨めっこしながら頭の片隅で考える。まさか、今日の本番に来るとは思わなかった。

 トランペットとユーフォは演奏時の席位置が遠かったけれど、演奏全体に悪い影響を与えるようなことはなく、田中先輩はそつなく最後まで吹いてみせた。普段の練習は来ないのに、こうして本番で合わせられるとか流石すぎる。家で練習でもしてるのか?でも家庭の問題で練習に来られないと言うことだったのに、部活には来ないで家でやるとかわざわざ敵地で拭いてるようなもんではないのか。

 俺と同じ疑問を持っていたのか、中川先輩があすか先輩の事を目の前の三年生二人に聞いた。

 

 「あすか先輩、今日を契機に部活に戻ってくるって事はなさそうなんですかね?そしたら私たち、今日なんで集まってるのかわからないですけど」

 

 「晴香、何か聞いてる?」

 

 「ううん。ほとんど話す時間なかった。あすか、私たちの演奏終わったら、用事があるからって先に帰っちゃったじゃない」

 

 「あっという間でした。私も話そうと思ってたのに、その時にはもういなくなってましたもん」

 

 あははと苦笑している中川先輩に対して、香織先輩は寂しそうで小笠原先輩はぷりぷりと怒っている。三者三様の反応は雨の日のアパートの一室のような湿った空気を運んできた。

 多くの部員も今日の本番前に田中先輩が来たときには安堵していたものの、三人と同じように明日からもう部活に戻ってこれるのかと不安に思い、疑念に駆られているだろう。疑念に駆られる……そう疑念に駆られることは大切だ。サイゼリヤの地中海風ピラフだってパエリアだしね!

 サイゼリヤのことが大好きだから、ここにいるとサイゼリヤのことばっかり考えてしまう。集中しなくては。

 俺は手に持っていた未だ正解の見つからないままの間違い探しをメニュー立てに戻して、三人に向き合った。すぐに小笠原先輩が俺に話題を振ってくれる。

 

 「滝先生が夏紀ちゃんにコンクールの出場、あすかの代わりにお願いしたって話は聞いてる?」

 

 「こないだ中川先輩から聞きました。それに放課後、傘木先輩と空き教室で自由曲の練習してるのも見るし」

 

 「希美と練習してるの知ってたんだ?」

 

 「私も知ってるよ。夏紀ちゃん、すっごい上手になった」

 

 「香織先輩に褒められると照れますね。ありがとうございます」

 

 「そのことなんだけどさ、私この間練習メニューを持って行ったときに美知恵先生に聞いたんだけど、滝先生が夏紀ちゃんにお願いしたのはあすか本人からの申し出があったみたい。このままメンバーに含まれていても迷惑が掛かるからって。滝先生はあすかのお母さんが職員室に乗り込んできたこともあって、本人の意思で決めた訳じゃないって認めるつもりはなかったみたいだけど」

 

 「そう、なんだ」

 

 「……私、あすか先輩と二年間同じパートでやってきましたけど、あんまり普段の話とかしたくなさそうでした。だからプライベートの話ってほとんどしたことなかったんです。あすか先輩のお母さんってどんな人なんですか?あすか先輩、勉強も出来るから部活と勉強の両立も出来てるのに、なんで部活辞めさせたがるんだろうって」

 

 「……私たちにもあすかが家の話をすることはほとんどなかったよ。あすかがお母さんと二人で暮らしてるって事くらいしか知らない」

 

 「あすかのお母さんが職員室で滝先生と揉めてたって聞いてすぐにね、私と晴香はあすかと話したの。でも、大丈夫だから家のことには関わらないでって」

 

 「まあ、家庭の問題ってのは誰だって余所に口出されたくないもんじゃないですか?ただ田中先輩が部活に来られない原因が田中先輩のお母さんにあるのだとして、部活に来られる時間が限られているのだとしたら一つ根本的な問題がありますよね」

 

 「演奏の技術が落ちてくこと?」

 

 「いや、そうじゃなくて。何ならコンクールで演奏する二曲よりもずっと練習した時間が少なかったはずの宝島をそつなく吹いてて、流石だなって思いました。とは言え、三日月の舞と比べれば難易度が低かったから比較対象になるかはわからないですし、欠席が重なっていている以上、中川先輩が言った通り本番の日に以前の高いパフォーマンスで演奏出来るかどうかも怪しいですけど」

 

 「じゃあ何?」

 

 「今日の駅ビルコンサートでさえ時間はギリギリで、演奏直前に来て直後に帰ったんです。全国の舞台は名古屋ですよ?前泊含めて二日間は家を空けることになる全国には来れるんですかね?もし今日も親に内緒で来ていたとかだったなら、全国はどうやったって隠しきれるわけがない」

 

 「そりゃそっかー」

 

 「だけど、あすかならきっと……」

 

 香織先輩が長い眉を下げて、祈るように呟いた。

 仕方がないのかもしれない。圧倒的な存在がいなくなった後に残るのは圧倒的な誰かがいなくなったという心の空白。圧倒的な存在感しか残らないのだから。

 染みついた社風はそう簡単に変わることはない。小笠原先輩は以前、音楽室の壇上から部員全員に向かって、田中先輩がいつ帰ってきてもいいようにあの人無しでも部活を守っていこうと言った。今度は私たちが支えようと。しかし、現状としてまだ本番までには帰ってこれるはずだという思考が、どこもかしこも抜けきらずにいる。だから、田中先輩が帰って来ない可能性から目を逸らしてばかり。

 本当に考えるべき事は違う。話している通り、家庭の事情なんて余所者でどうこうできる話な訳がない。そして、帰ってこれる保証どころか、帰って来れそうな気配さえない。故に考えるべき事は、田中あすかがいなくなった後処理。

 そもそも、田中先輩が部活に来なくても許されているのは、これまでの貢献度が高く、部員達から慕われているのが最大の理由だ。演奏面に関しても、滝先生は評価しているだろうが、何にせよ他の誰かなら同じ事をして許されることは絶対にないと言い切れる。

フルメンバーで練習出来ないことは演奏全体の完成度を下げることにもなるわけだし、部員達の士気を下げている。なあなあな状態だ。

 その状態をどう解決していくか。部員達の意識を全国に向けさせて、田中先輩がいなくても滞りなく進む運営体制を再構築する。

 きっといつもの俺ならなんとかして、その田中先輩が復帰してこない道を選んだ。田中先輩を連れ戻すという、ほとんど不可能に近い選択よりはずっと、実現可能性も掛かる負担も少ない選択肢だから。


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