やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「香織、それはもうなしでしょ?」

 

 二人の間には、僅かな隙間があった。テーブル席に腰掛けて、くっつかなくてはいけないほどソファー席は狭くははないのだから、その隙間は当然に存在する。ただ俺は、何となく考え事をしながらその隙間から覗くパステルカラーをじっと見つめていた。

 小笠原先輩が香織先輩の名前を呼んだのはそんなときだった。飾り気のない彼女はしゅんと背中を丸めることもなく、しっかりと彼女の隣に並ぶ双の目を見つめて言葉を続けていく。

 

 「頼り切りにしないって決めたじゃん」

 

 「……うん」

 

 「あすかが勝手に戻ってくるって言うのは、もう諦めよう。私たちでやらなくちゃ」

 

 「……そうだけど!私はあすかと一緒に吹きたいの!」

 

 「流石、あすか派」

 

 「っ!もしかして晴香、怒ってる?」

 

 「ううん。そんなことない」

 

 「……じゃあ」

 

 「違うよ。私たちで連れ戻すの」

 

 「え?」

 

 小笠原先輩の瞳に俺と中川先輩が写った。澄んだ綺麗な瞳をしている。

優子先輩に見つめられているときのようだ。それだけで俺は、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

 

 「こうして後輩達も助けてくれてる。そうだよね?」

 

 「香織先輩、私たちだってあすか先輩に戻ってきて欲しいってのは同じです。去年、余計な事言って部活に居辛くなった私を、あの人が取り持ってくれました。去年までの部活はテキトーだったし、あすか先輩への恩はあっても部活なんて辞めても良いと思っていたけど、滝先生が来てからは部活に残ってて良かったなって思います」

 

 「……正直、俺はあの人にそんな恩はないですけど」

 

 「そう言えば、比企谷君はどうしてあすかを部活に戻すのに協力してくれるの?もしかして優子ちゃん?それとも川島さん?」

 

 「いや、二人は関係なくて。……本当に個人的な理由です」

 

 「理由はともかく、比企谷はやるときはやるやつなんで」

 

 「正確にはやれと言われれば心の中で文句を言いながらも、黙々と作業を行います」

 

 「はいはい。面倒くさい」

 

 「とにかく、ね、香織。私たちでやってみよう?」

 

 「……晴香、最近なんかちょっと変わったよね」

 

 「な、何急に?」

 

 「何かね、今日のコンサートでソロ吹いてるときに、後ろから晴香を見てて思ったんだ。あすかが部長やれば良かったのにって悩んでた晴香が、もう頼りなさげなんかじゃ全然なくなった」

 

 香織先輩の言葉に小笠原先輩は頷かず、少しだけ寂しそうに目を細めた。

 

 「ううん。そんなことない。本当は私も、あすかには特別でいて欲しいって思ってる。今だって駅ビルを自分たちだけでやりきったら後は、あすか、どうにかしてくれるんじゃないかって。自分で何とかしちゃって帰ってきてくれるんじゃないかって期待してる。そんな甘えた私もいるよ」

 

 「……」

 

 部長の告白で、俺の耳には四方八方から聞こえてくるサイゼの喧噪しか届かなくなった。

 中川先輩が机の下で、ソファーから伸びる脚をぶつけてきた。何だと疑問と濁りを込めた目で中川先輩を見やれば、『おい、何とかしろ』と告げている。と、思う。違ったら恥ずい。きっと二人に置いてけぼりの状態に耐えかねているようだ。

 ただなー。この人だっておわかりの通り、俺にはこうなったときの選択肢は逃げるかエスケープか逃避行以外の選択肢がねえからなあ。つうか誰だってそうだろ。特に四人でいるときに自分以外の二人が気まずくなった時の女子。大体、一人は電話来たとかトイレ行くとか言ってお前らそんなに早く動けるなら、放課後も教室でだらだらしてないでもっと早く帰れよってくらい速攻でグループから消える。そして取り残された一人は、逃げることができずに生け贄としてそこに残らざるを得ないという。

 あれ?そう考えたら、俺この場をすぐにでも去って、全てのこの卓の気まずいを中川先輩になすりつけるべきなんじゃ……。そうこうくだらないことを考えている内にも、中川先輩の攻撃は徐々にバージョンアップしていく。最初は軽くハムストリングをぶつけてくるだけだったのに、今はつま先で定期的にぽーんぽーんと。除夜の鐘か。百八回俺の脚を突くの?ちなみに俺の煩悩は、百八なんて軽く上回る。

 

 「……不思議だなあ」

 

 俺と中川先輩が香織先輩と小笠原先輩から見えない机の下でわちゃわちゃしているうちに、香織先輩がぽつりと話し始めた。それに、ここだとばかりに中川先輩が食いつく。

 

 「何がですか?」

 

 「うん。なんか晴香がこうやって不安そうにしてると、私も何とかしなくちゃって思えてくるの」

 

 「ちょっとそれどういう意味?」

 

 「そのまんまの意味だよ」

 

 悪戯をしている子どものように笑う香織先輩に、小笠原先輩は少しだけ頬を膨らませた。

 

 「ひどいよ。私だって頑張ろうって思ってるのに、それを見て頑張ってない方がいいってさー」

 

 「あーでも、なんかちょっと香織先輩が言いたいこと分かる気がします」

 

 「夏紀ちゃんもー?」

 

 「あはは。だよね。何でだろうね?」

 

 「でも困り顔って男には人気ありますよ?困り顔、アヒル口、上目使い。この三つはモテる女子の三大変顔です。ソースは俺」

 

 「知らないよ。しかも三大変顔って……」

 

 ちなみにこの三つを使いこなす女は危ない。ソースは俺。中学の時、これにやられて踏んだ轍は数知れず。

 

 「はぁ。本当にみんな、私の覚悟をそうやって……。もういいや。とにかく私は頼りないから、あすかを連れ戻すのは皆で頑張ろう」

 

 小笠原先輩は呆れた様にふにゃりと笑った。香織先輩だけでなく後輩達にまでからかわれて、少し力が抜けたのかも知れない。

 

 「そうですね。それじゃあ考えましょうか。私たちで……うーん。なんか良い作戦名前ないですかね……」

 

 「あすか連れ戻すぞ大作戦!」

 

 「あはは。シンプルですね、香織先輩」

 

 「わかりやすくて良いでしょう?」

 

 「で、ですね」

 

 「じゃあ改めて『あすか先輩連れ戻すぞ大作戦』!頑張ろう。香織、夏紀ちゃん、比企谷君!」

 


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