やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「あ、いた!香織!比企谷君!」
香織先輩と二人で小笠原先輩と中川先輩を探して歩き回っていたが、当の部長に呼ばれて振り返る。登り途中だった階段の数段下には中川先輩もいた。
大方、練習で使われていそうな場所は回ったのに、どちらも見つからなかったこと疑問を感じていたが、向こうも二人セットで俺たちのことを探していたみたいだから、入れ違いになっていたのかも。両手はポケットに突っ込んだまま、香織先輩の少し後ろを歩いて、二人の元に向かった。
「良かった。晴香と夏紀ちゃんのこと探してたんだ。二人は一緒にいたの?」
「はい。職員室に呼ばれてて」
「そっか。それじゃ見つからなかったね」
流石に職員室に二人でいるだなんて思わない。完全にノーマークだった。見つからなくても仕方なかった、とそんなような意味を込めて笑いかけてきた香織先輩に、俺は曖昧に頷いてみる。
「比企谷君が良い報告を持ってきてくれたの。二人にも伝えようと思って」
「良い報告ですか?」
「うん。あのね」
「あー待って待って、香織!」
小笠原先輩はぱたぱたと手を振りながら香織先輩の言葉を止めた。
「実は私たちからも二人に報告があって……」
「……悪い報告ですか?」
「えっと、まあ……」
「うん。良くないこと」
言い淀んでいた小笠原先輩に代わって、中川先輩はマイナスであると言い切った。
「さっき職員室で、滝先生に言われたんだけど――」
「田中さんが今週末までに部活を続けていく確証を得られなかった場合、全国大会の本番は中川さんに出て貰うことにします」
翌日の練習の終わりに滝先生が告げた言葉に、部員達はざわざわと声を出すことはしなかった。
誰もが分かっていた。その可能性を予測していなかった訳ではない。だから、それを受け入れなくてはいけないことはわかっているのだ。
どこか呆然としながら、教壇から降りて音楽室を出て行く滝先生を、部員達はただ見つめている。俺も昨日、小笠原先輩と中川先輩から聞いていなければ、同じ反応をしていたかもしれない。
「皆、あすかのことでビックリしたかもしれないけど、今は私たちが出来ることをするしかないよ。明日の連絡をして、今日の部活を終わりにします」
代わって教壇に立った小笠原先輩が話をしても、どこか上の空な雰囲気。ちらりと隣を見てみれば、優子先輩はじっと中川先輩を見つめていた。
滝先生の宣告は田中先輩を連れ戻すのに時間がない。そしてそれはつまるところ、田中先輩に呼ばれた黄前が、実質俺たちにとってのラストチャンスであることを意味している。
黄前が田中先輩を説得する、もしくは何らかの情報を得て解決策を見つける。それが出来なければ、少なくとも俺たちがこれ以上に何かをすることはできない。あの人が家庭の事情を自らで解決しなければ、もう戻ってくることはないのだろう。
分の悪いベットをして、後はただ祈るだけ。崖っぷちの時こそ賭けの目?違う。賭けざるを得ないだけだ。黄前が成すために、俺たちは何かをする訳ではない。昨日の放課後に四人で集まって話してみても、黄前をフォローする具体的な案はもう出てくることはなかった。
「さっき滝先生が言ってた、あすか先輩の来週までの期限。本人も了承してるらしいよ」
「……ほう。別に聞いてないんですけどね」
「興味なかったら聞き流して構わないけど、気にしてそうだったから」
「なにお前、もしかして俺のこと心配してくれてるの?」
急に話し掛けてきて。意外といいやつだもんな、こいつ。
「別に。ただ腐った目で久美子のこと見てたから。やめて。久美子が呪われる」
訂正。なんだ、こいつ。
普段は無表情なくせに、少しだけ口角を上げている高坂さん。誰もが認める美少女が楽しそうで何よりです。けっ。
「黄前なんて見てねえ。中川先輩見てたんだよ」
「中川先輩の楽譜見た?あすか先輩から凄いアドバイス受けてたみたい」
「見てねえし、さっきからなんでお前そんな詳しいわけ?」
「楽器管理係の仕事してたときに、一年生のホルンの子があすか先輩のこと色々教えてくれた」
「ああ。あの、聞いちゃいましたのやつ?」
「わかんないけど、多分その子」
今となっては懐かしい思い出がフラッシュバックする。高坂が滝先生と以前から親交があったらしいと言う噂をしていた彼女を、優子先輩が半ば強制的に話をさせたんだっけ。あの人、怖かったなあ。
「ねえ、比企谷」
「あん、なんだよ?」
「私は滝先生の判断、正しいと思う。不確定要素を抱えたままコンクールに臨むべきじゃない」
「そうだな」
「それでも戻ってこれたらいいけど。前も話したよね」
「ああ。そういやそんな事もあったわ。勝手に解決して戻ってくりゃ良いってやつだっけ?」
あの時はまだ、田中先輩が練習に顔を出さなくなってすぐだった。駅ビルコンサートに参加したことや、あの人自身の心配はかけないという言葉もあって、ここまで大事になるなんて思っていた部員はそう多くなかったのではないだろうか。
小笠原先輩の連絡事項が終わり、今日の練習はとりあえず終わった。とりあえず。
合奏練が終わった後も、個人練習を残ってするため帰宅する部員はいない。強いて言えば、三年生は受験が控えているためにどうしても塾に行かなくてはいけない人もいるかもしれないけれど、今、楽器を持って音楽室を冴えない表情で出て行った部員達もどこかで練習をしているのだろう。
普段は少なくともパートのメンバーでは一番に立ち上がって、音楽室を出て行く高坂はトランペットを持ったまま動こうとする気配はない。まだ俺との会話を続けるつもりみたいなので、仕方なく付き合ってやることにする。
「久美子、最近色々と悩んでるみたいだから。その一つがあすか先輩の事。同じパートだし、コンクールだってあすか先輩が戻ってくるかどうかで、夏紀先輩とどっちが隣に座るか変わってくる訳だから気になるのは当たり前だけど」
「さっきから久美子久美子って……。お前さっきからそればっかだな。あいつ、お前にとっての何なの?」
「ふふっ」
……意味深。
まるであいつのことなら何でも知ってるぜ、みたいな勝ち気な表情で笑っている高坂は、どこか挑発的にも見えた。いいぜ。それならその勝負、乗ってやろうじゃねえか!
「なあ、黄前ってどんな奴なんだ?」
「塚本の幼馴染」
「その俺でも知ってる情報じゃなくって」
「性格悪い」
「へ?お前、急に俺の悪口言うの辞めろよな。軽い気持ちの一言で、帰り道に車道に飛び出すことになる」
『比企谷……死んだ方が良いんじゃない?』。
これでもかという位、見下されて放たれた言葉。死ねとか言うな。ミミズだってオケラだってアメンボだってみんな生きてるんだぞ。声に出すことはなくても、せめて内心でふざけていないと、切れ味抜群のナイフに涙しそうになった。
中学の時のことを思い出して心の中で涙を流す俺に構わず、高坂は黄前の話を続ける。
「中学生の時だけど、私がコンクールの結果発表が終わって落ち込んでたら、本気で全国行けると思ってたのって。一番痛いときにぽろっと言葉になって出てくる」
「ほー」
「それに普通のフリして、どっか見透かされてる。気付いてなさそうで気付いてる。久美子ってそういう人。だから私はいつか、その皮を剥がしてあげたいの」
「あのさ、俺が言うのも変な話なんだけど、その友情関係歪みきってない?ねえ?」
「普通よりはいいでしょ?」
「どうだか。それにしたって、お前から入ってきた情報が比較的マイナスな話しかないんだけど。本当、なんでそんな奴と付き合ってんの?」
「ううん。久美子はいい子だよ。本性が悪いだけで。それに自分のことMだとは思わないけど、痛いのは嫌いじゃないし」
やめてぇ。急に謎のDV気質見せつけてこないでぇ。どう反応して良いかわかんないから。
口をもごもごと動かしている俺の隣で、高坂の瞳が静かに俺を捉えた。しばらくじっと見つめられて、無言の後に高坂が口を開く。
「思えば久美子って、比企谷とは真逆みたいな人かもしれないね」
自分の言葉にしっくりきているのか、高坂にしてはかなり珍しく何度か首を縦に振っている。
「黄前、いいやつなんだろ?それじゃ俺は悪いやつじゃねえか」
「真逆な部分もあるって話。性格というか、内面の部分でね。多分、比企谷は久美子と仲良くはなれない気がする」