やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
『続きまして、北宇治高校吹奏楽部です』
アナウンスと共に、俺たちの前で靴紐を結んでいた滝先生がゆっくりと立ち上がった。
「本来、音楽とはライバルに己の実力を見せつけるためにあるものではありません。ですが今ここにいる多くの他校の生徒や観客は、未だ北宇治の実力を知りません。ですから今日はそれを知って貰う良い機会だと、先生は思います」
俺たちに向かって微笑む滝先生。その手がスタート地点へと向けられる。
「さあ。北宇治の実力見せつけてきなさい!」
「「「……はい!」」」
相変わらず、乗せるのが上手い。
だが、その通りだ。洛秋と立華に挟まれていることなんて関係ない。俺達の演奏を伝え、実力を見せつける。緊張なんてしなくていい。ただそれだけでいいのだ。
田中先輩がホイッスルを吹き、シンバルを叩く。
行進は左足から。歩幅は大丈夫。もう何度も練習してきた!
マーチングが始まった瞬間に、スタート付近にいた観客が俺たちに視線を向けたことに気がついた。立華に奪われていた視線と興味をこちらに向けさせる。そして、後に続く洛秋の演奏の後でも忘れないような印象づけられるマーチングを。
『あれ、かっこいいね』
『結構上手いじゃん』
『どこだっけ、ここ?』
観客の驚愕の声はモチべーションになった。立華や後に続く洛秋が浴びるような歓声ではないけれど、今の俺たちが求めている物は彼らと同じではない。
笑顔で手を振る田中先輩が見える。それと引き替えに演奏には疲れが見えていた。きっと表情には疲れが垣間見えているだろう。
それでも全力で吹く。この脚と演奏は止まらないし、妥協もしない。
『へえ、やるなあ』
『おい、みたかドラムメジャー すごい美人じゃね?』
半分に差し掛かったかというところまで来ても、俺たちへの驚きの声は続いていた。
『知ってるこの高校?』
『知らない。調べてみよ……。嘘、北宇治?』
『こんなにうまかったっけ』
『へえ北宇治ねえ』
今年の北宇治は違うという印象は十分に与えられただろうか。本番と言うこともあり、最初から飛ばしすぎたせいか割と限界に近い。もうきついかも。
「お兄ちゃーん、頑張れー!」
そんな時、聞き慣れた高い声が聞こえてきた。
ちらりと見れば、そこには飼い猫のかまくらを抱えた小町がいる。
こら。外はウイルスとか感染症になる危険があるから、あんま外出しちゃダメって言ってるでしょ。それにかまくらは家大好きだから、外出たがらないし。
でも楽しそうに俺に向かって手を振る小町と、その小町の腕の中で相変わらず気怠そうに目を細めているかまくらを見て少し元気が出た。
ゴールまでは残りわずか。らしくないけど、最愛の妹が応援してくれてるのなら仕方ないから頑張ろう。
「お。お疲れさん」
「……ああ。お疲れ」
帰りのバス。一人で窓際の席に座っていると、隣に腰をかけたのは今朝の楽器運搬で話した塚本だった。
周りにはすでに目を閉じて寝ている人もいる。みんな今日まで気を張っていたし、身体的にも疲れたのだろう。
「俺たちの演奏、どうだったんだろうな?ちゃんと周りの学校ぎゃふんと言わせるような演奏できたのかな?」
「さあな。でも見てた観客は驚いていた人が多かったんじゃないの。今年の北宇治はいつもと違うって聞こえてきたし」
「そっか。吹くのに必死で、あんま周りの声を聞いてる余裕がなかった」
なら練習した甲斐もあったのかな、なんて口角を緩める塚本。こういうへにゃりとした表情は異性からは好感が持たれるとは良くテレビで見るが、俺は何だか毒気が抜かれた。
「それに、俺の妹も北宇治凄いって感心してた」
「へえ。妹見に来てくれてたんだな。似てるの?」
「いや全然全くこれっぽっちも」
「そんなに否定するほど似てないのか……」
「特に、目はな……」
「ああ……。それは妹さん、よかったな」
そんな話をしているとバスが出発した。俺たちはこれから北宇治に帰り、また練習付けの日々が待っている。
次に控えるのはいよいよコンクールだ。
「きっとコンクールも、一筋縄では行かないんだろうな」
「そりゃそうだろ。お前だって、中学校から吹奏楽部だったなら知ってるだろ?大体、コンクール前のメンバー選考はどろどろするもん。そうでなくっちゃ吹奏楽部じゃないまである」
「ああ、わかる。嫌だなー……」
塚本の顔が急に老けたように見える。どこの中学高校であれ、コンクール前のメンバー選考の陰湿な雰囲気はまるで、夏を飛ばして秋になるかのよう。そしてその次には秋を飛ばして冬のような冷たい人間関係が構築される。大分早くて長い冬の訪れである。
「でもさ、もっと上手くなって……全国、行きたいよな」
全国に行きたい。
高坂がいつか言っていた言葉。特別になりたいと願う彼女が口にしたそれを、また一人口にした者がいる。
部内が変わり始めている。近い立場にいるからか、そんな事にも気がついていなかった。俺は一体、どうだろう?目を瞑ると頭をよぎる中学生の頃の記憶。それを忘れたくて、返事もせずに俺は眠ることにした。