やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 自己紹介の日から数日後。入部届を持って訪れた放課後の音楽室。久しぶりの音楽室という空間は、違う学校の音楽室であるはずなのにどこか懐かしかった。

 部活の見学に行くことはなかった。吹奏楽がやりたいというよりは、他に入りたい部活がなかったという理由も大きい。専業主夫希望の俺としては帰宅部も捨て難いものの、帰宅部はダメだって小町がうるさいから。もしかしたら嫁に頭が上がらない夫ってこういうことなのかな。

 

 吹奏楽部の入部者は思ったよりも多い。20人近く、下手したらもう少しいるかもしれない。やっぱり女子が多いなあ。ハーレムハーレムなんて浮かれられるのは吹奏楽部以外の人間だ。実際は吹奏楽部の男子に人権なんてない。男子はまさによそ者のような扱いを受ける。女子が着替えるときは何も言わずに粛々と教室から去り、コンサートの際にはチューバや打楽器、コンバスのような重たい楽器を率先して運ぶ。これのどこがハーレムだというのだろう。女尊男卑だったと言われてる、江戸時代の武家屋敷じゃないんだぞ。

 新入生達はどこか居心地が悪そうに、そわそわしながら上級生の前に立っていた。

 何人かの新入生は元から同じ中学校だったのであろう、先輩に挨拶をしているやつもいる。だが、基本的に新入生が変に緊張しないための配慮だからだろうか。あまり先輩達が新入生に話しかける様子はない。

 そんな中周りを見渡してみると、高坂麗奈がいることに気がついた。おー、自己紹介での宣言通り、吹奏楽部に入部を決めたようで。一人で先輩達の指示を待っている姿は自己紹介をしていたときから何も変わらず、真っ直ぐ芯が通っているようだ。

 まだ出会って間もないが、高嶺の花というか取っつきにくそうな印象を受ける。俺と同じで。もしかしたら高坂も、『放課後みんなで遊ぼうぜー!え、比企谷?いいよいいよ!あいついるとほら、なんかしらけるじゃん!』を経験した人間かもしれない。

 俺が勝手に高坂にイメージを押しつけていると、教室のドアが開き、目つきが鋭く厳しそうな女性が入ってきた。

 

 「静かに。私は吹奏楽部の副顧問の松本美知恵だ。音楽の授業を担当している」

 

 ほー。この人が副顧問なんですねえ。なんか顧問って言うよりも、軍曹みたいな印象を受けたけれども。年齢は40を超えているのではないだろうか。そう言えば一年のどこかのクラスの担任だった気がする。あんまり他のクラスとか興味ないから曖昧なのだが。

 部活についての簡単な説明や、高校生としての責任だとか、高校生からしてみればどうでも良いような話を真面目に部員が聞いているのは、先生の雰囲気というか威圧感によるものだろう。先ほどまで所々から聞こえていた話し声もぴしゃりと止まっている。

 

 「新しい顧問になる滝先生が明日からいらっしゃるので、詳しいことはその時に聞くように。以上だ」

 

 そう言って背筋を伸ばして教室を去って行く。それと同時に緊張の糸が解け、部員達からは一つ、歎声があがった。

 なんだか嵐のような人。最後まで毅然とした態度だった。少しでもなめた態度とか、捻くれた態度なんて取ったらお説教。みっちーなんて呼んだ暁には、拳骨でも入るんじゃなかろうか。あれ、もしかして俺の天敵か…。

 

 「はーい。それでは、楽器の振り分けに入ります」

 

 松本先生が先ほどまでいた場所に立ったのは物腰が柔らかそうな女性だった。髪をサイドで結んでいて、落ち着いているイメージを受ける。

 

 「部長の小笠原晴香です。担当はバリトンサックスなので、サックスパートの人は関わることも多いと思います」

 

 「はい。はーい!低音やりたい人!」

 

 部長の小笠原先輩が話を進めていると、隣にいた女の先輩が割って入った。

 おそらく低音パートのリーダーと思われるその人はクールな先輩だ。黒く艶やかな髪は高坂と似ているが、完全に幼さが抜けきっていて大人のような雰囲気であるところが大きく異なる。よく似合った細身の赤い眼鏡が大人びた雰囲気を助長させていた。

 『はいはい、楽器紹介はまだ後』という部長とのやり取りに、新入生を含めて、部員達の間からは小さな笑いが起こった。

 

 「じゃあ初心者もいると思うので、まずは楽器の紹介から。その後各自、希望の楽器の所へ集まって下さい。ただし希望の多い楽器は選抜テストとなります」

 

 きたきた。吹奏楽部恒例の楽器決め。

 新入部員に襲いかかる最初の試練であるこの一大イベントは笑いあり、悔しさあり、喜びあり、涙あり、涙あり、涙あり、涙あり、涙涙涙のイベントである。こればっかりは実際に経験した人間にしかわからないだろうが、華々しいというイメージとは裏腹に、思っているよりずっと悲惨なイベントであることは、経験したことがない人にもし伝えることがあれば伝えたい。

 毎年、第一希望に決まらなくてテンションを落とす子や泣いて訴える子、下手したら辞めてしまう子さえいる。とは言え、野球で言えばマンガ読んで、『ピッチャーってかっけえなあ、俺もこうなりてえ』と思った矢先で外野になるようなものだ。中学校の時もいたなー、フルート希望からチューバになって絶望していた子。一週間ずっと泣いてたらしいから先生も困っていた。

 俺自身も中学の時は一番人気と言っても過言ではないトランペットに決まったからか、呪いの手紙が下駄箱に入っていたし。ラブレターかと思ってドキドキしちゃった一瞬の期待を返して!

 それに吹奏楽部は女子が多い。女子が多いと言うことはそれだけ水面下での争いは増える。楽器決めの時点で醜い争いは始まっているのだ。三人で同じ楽器を希望して、一人あぶれた人。同学年の二人しか同じパートにいないのに、嫌いなやつとなってしまった人。ここまで楽器決めで人間関係がこじれたり、問題が絶えないのは女子が圧倒的に多いから、というのは間違いなく理由として挙げられるだろう。

 だからもし、にっこにっこにーでこのイベントを終えることができた人は相当運が良かったと思っていい。スピリチュアルなお姉さんから、ラッキービームが注入されてたんじゃないですかね。はーい、ぷしゅ。

 意外と希望していなかった楽器であっても、現実を受け入れて練習すればその楽器が楽しくなって、それから先ずっと付き合っていく運命の楽器になることも良くあるという。トロンボーンが人気だからやれなくて他の金管やることになった人とかは、トロンボーンは吹き方が独特だから戻れなくて、決まった楽器で長く続ける人も多いと聞くし。人生何事も諦めと妥協。素晴らしい教訓ですね。


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