やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「さて、それじゃ私の家はこっちだから。今日は比企谷君も一緒に帰れて楽しかった!また一緒に帰ろう?」

 

 「あ……待って下さい、香織先輩」

 

 「ん?どうしたの優子ちゃん?」

 

 「……あの、私やっぱりずっと気になってて……」

 

 「……比企谷君の事でしょ?」

 

 「……」

 

 「あのね、比企谷君。比企谷君が個人練で教室出た後、優子ちゃんずっと気にしてたの。やっぱり中学生の時コンクール出てなかったって言うのが気になるって。納得いかないって」

 

 「え!そんな、ずっとなんて気にしてないです!」

 

 「そう?追いかけて謝ろうとしてたじゃない。みんなに言われて、昔コンクールに出てたのかだけ聞けば良かったのに、余計なことまで聞いちゃったって」

 

 かあ、と優子先輩の頬が夕焼けに負けない程に赤くなった。

 

 「吹奏楽部ってやっぱり人間関係とか色々面倒くさいこともあるからさ。今もオーディションとか、これからも何かごたごたもあるかもしれない。それに、もしかしたら比企谷君にも何か中学生のときに言いたくないようなことがあったのかもしれない。でもね、もし比企谷君が話してもいいって思ったらでいいの。そう思ったら、優子ちゃんには教えてあげて欲しいな。これからも二年間一緒に同じパートでやっていく仲間だからさ」

 

 「……はい」

 

 「それじゃあ私は帰るね。お疲れ様」

 

 老子曰く、他者を知ることは知恵。自分を知ることは悟りであると言う。

 しかし俺はそうは思わない。なぜなら自己と他者の間には明確な区切りがあって、決して表裏一体な関係ではないからだ。心の奥底にしまい込んだ過去の感情を知っているのは自分だけ。誰かが話した過去を知った気になって、その人の判断で付けた感情は他者を悟った気になっているだけに他ならない。自分以外の誰かの過去を知ることの本質は知恵などではなく、自分の興味を満たしたいという欲求。それだけだ。

 

 「って言っても、本当にさっき話した通りの話なんですけどね」

 

 それでも、優子先輩に話しても良いと思ってしまったのは、中世古先輩が心配してくれたのかもしれないなどと勘違いも甚だしいことを感じてしまって、何より優子先輩の真っ直ぐな目線に負けてしまったからだろう。

 

 「歩きながらで良いですか?」

 

 「勿論!」

 

 優子先輩は立ち止まって、俺が隣に並ぶのを待った。

 

 

 

 「俺の周りがたまたまそうだったのかわかんないんですけど、小学校の時から吹奏楽やってる人ってそんなに多くないじゃないですか?吹奏楽を小学生からやってた生徒って、俺の中学の部内には片手で数えるほどしかいなかったんですよね。だからトランペットパートにおいて、正直俺は三年間誰よりも上手かったと思っています」

 

 「言い切るわね」

 

 「はい。前も言いましたけど、俺の通っていた中学は弱かったんで。練習もほとんどやっていないような奴らばっかりでした」

 

 だけど呼ばれなかったのだ。

 三年間ただの一度だって、俺の名は呼ばれなかった。

 俺の中学のコンクールメンバーの選定は、パトリが決めて、その決定されたメンバーを顧問が確認し許可して提出するというやり方だった。顧問が確認とは言うが、実際は部員が決めたメンバーに、顧問は一切口出ししない。強くなるとか全国とか目標があるわけでもなければ、楽しむとかそういう訳でもなく、ただ押しつつ蹴られたような形で顧問をやっている。それがうちの顧問だった。

 

 『井上。折本。伊達。富沢。馬場。以上が、今年のトランペットパートのメンバーよ』

 

 今年は一年だから先輩に出場枠を譲って欲しい、と部長に言われた。吹奏楽とは音を合わせて楽しむ部活だと、そういう説明も受けた。

 だけど、同じ一年で今年からメンバーに選ばれていたやつがいたのは知っている。

 

 『秋山。石田。一色。折本。富沢。以上が今年のトランペットパートのメンバー』

 

 二年目も同じ説明を受けた。

 一年なのに、メンバーに入っているやつがいた。顧問には来年こそは頑張ればきっと出場できる、そんなことを言われた。

 

 『秋山。石田。一色。折本。山本。以上が今年のメンバー』

 

 三年目は理由さえ言われることはなかった。

 だけど別段ショックを受けることはない。半ばメンバー入りはしないだろうと思っていたから。俺はパートのメンバーが一時間も練習をせずに、早く練習を切り上げて遊びに行くのにも参加せずに部室に残ってトランペットを吹いていたし、イベント後にやたら理由を付けてやりたがる打ち上げには呼ばれさえしなかった。

 

 「今の北宇治ではコンクールメンバーにはシンプルに実力が求められてますけど、俺の中学は違った。部員との協調性とかそういうことの方が求められていたから、俺は選ばれなかった。去年は理由言われなかったからわかんないけど、そんなとこだと思ってます」

 

 「協調性って……。ちゃんと比企谷が練習してるとこ、みんな見ていたんじゃないの?」

 

 「そんなの関係ないですよ。社会もそうじゃないですか。基本的に評価されるのは仕事ができるかどうか。けれど例えば、風通しの良い企業とか笑顔で働きやすい企業とかそういう理念を謳っていれば、そこに新しく人間性や協調性という判断基準も出てくる。そういった判断は仕事と違って数字で測れるものでないから、人事とか上司の判断で決めざるを得ない」

 

 風通しが良いとか、冬とか超寒いから。風超冷たいから。無理して上とも下とも同期とも仲良しごっこして風通し良くしても、今度は寒さを我慢しなくちゃいけないとか何なの。

 

 「何よそれ!ムカつく!」

 

 「でも去年までの北宇治だって同じでしょう?実力よりも、先輩とか他に優先されるものがあって。先輩だってそういう環境でやってきたでしょ?」

 

 「だからムカつくの!私、去年までの北宇治のやり方に納得してた訳じゃないもん!どうしてあんたはそんなに平気そうにしてるの?」

 

 「そりゃ、俺は納得してますから」

 

 「はあ?なんで?努力してたのにコンクールさえ出られないとか悔しいじゃない」

 

 「いや。だから仕方ないんですって。求められている能力がなかった。ただそれだけです」

 

 「………そっか。やっと分かった」

 

 「……何がですか?」

 

 「……香織先輩の演奏ってね、私にとっては特別なの。前も話したけど、部活辞めようとしてたときに香織先輩が止めてくれた。香織先輩は私たち一年を少しでも引き留めるためにコンクールの出場を辞退したけど、ずっと一人で練習してて、その時の音と顔が忘れられない」

 

 「急にどうしたんですか?」

 

 「最初からずっと思ってたんだけど、比企谷の演奏、香織先輩に似てる」

 

 それは勘違いじゃないですか。

 その言葉は喉で突っかかって出てこない。言葉と一緒に向けた視線は行き場をなくして、何となく二つの鞄が入った籠を見つめるしかなかった。

 隣を歩く優子先輩を俺を見る目が少し潤んでいる。だけど、それはきっと勘違いだ。


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