やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「まあいいけど。今日はもう帰るの?一緒に帰りましょうよ?」
「いや確認したいとこがあるんで残って練習します」
しょぼんと落ち込む優子先輩に、なんとなく心苦しさを覚えてさらに言い訳のように言葉を続けた。
「それにほら。俺だと中世古先輩の代わりにはなれないですし」
「そんなの当たり前じゃない。天使とヒキガエル比べるもんじゃないでしょ?」
「ねえ?なんで俺の小学生の時のあだ名知ってるのねえ?」
つかさっきだって、絶対俺のこと気持ち悪いって言っただろ。誤魔化したけど絶対そう。
「それじゃ練習頑張りなさいね。また明日……ちっ」
今度は舌打ちをしたが、俺に対してではない。教室の出入り口を見てである。
そこには低音パートの面々がいた。ユーフォを持っている二年生のポニーテールの先輩に、確か久美子と呼ばれる女子。それに加藤と川島。…っておい、まさか今、川島に舌打ちしたんじゃねえだろうな!加藤はまだ良い、許せる。でも川島はダメだ。
ズケズケと近付いていく優子先輩。いつになく不運なことが重なって、不機嫌の頂点にまで至った先輩にこれ以上触発しないで欲しいというのは、俺の勝手すぎる願いだが。
「そこ、邪魔なんですけど?」
「避けていけば良いでしょう?」
きっと優子先輩がポニーテールの先輩を睨む。あのポニーテールの先輩は、確かいつか優子先輩が言っていた。同じ中学校の同級生だったはずだ。
「御免遊ばせ!ふん!」
「わっ!おい、何すんの!」
うわー、嫌な先輩だなー…。思いっきりわざとぶつかってったぞ。これからも中世古先輩と帰れなかった日の優子先輩には近付かないようにしよ。
優子先輩を追いかけていったポニーテールの先輩を目線で追うと、廊下を歩きながらまだガミガミやり合っている。
「露骨に仲悪いんだな…」
「あの二人、前からあんななの」
「うおっ!」
「あ、ごめんね。ビックリした?」
全く申し訳なさそうに謝ってきたのは、さっき優子先輩が中世古先輩に一緒に帰ろうと声を掛けていたときに、優子先輩の隣にいた黄色いハート型のヘアクリップがトレードマーク加部先輩だ。
優子先輩と良く一緒にいて仲の良い先輩が言うのなら間違いないのだろう。だけど俺が驚いたのは、急に話しかけられたからじゃない。普段同じパートでもほとんど話さない先輩に話しかけられたからだ。
落ち着いて八幡。毎日顔合わせてはいるんだから、普通に話すだけで良いの。
「あ、ちなみにあのポニーテールの子はユーフォの二年ね。中川夏紀って言うの」
「へえ。前ちょっと中川先輩のこと、優子先輩に話聞いたことあるんですけど、…あの二人って何かあったんですか?」
「何かって?」
「なんであんな仲悪いのかなって」
「あー。最初のきっかけはどうでも良いことだったらしいよ。学食でコロッケパン買おうとして譲ってもらえなかったからとかなんとか」
「え、えぇー……。くだらねぇー…」
「でも喧嘩みたいにしてるけど、実際はそこそこ仲良いんだけどね。犬猿の仲だけどホントは違う、みたいな?」
それなら犬猿の仲とは言わない気がするんですけど。
加部先輩はそんなことよりさ、と言葉を続けた。
「比企谷って優子と仲良いじゃん?」
「……いや、そんなことないですけど。先輩達の方が仲良くないですか?」
「うーん。まあどうだろう。きっとそうだろうけど」
そうなのかよ。心の中で突っ込む。
「それでも優子に気に入られてるのは間違いないでしょ?帰りもよく一緒って話聞くしさ」
「はあ」
「うん。まあ比企谷がどう思ってるのかはこの際置いといて、本題はね。優子のことよろしくねって話」
「は?」
正直、意味が分からなかった。
優子先輩が何かしたのだろうか。それに俺によろしくって任されるような覚えもない。
「あ、違う違う。別に優子がね、なんかしたって訳じゃないんだよ。ただほら。今の見ててもわかったでしょ?優子って自分の感情に素直で一直線って感じだからさ」
「まあ何となく言いたいことはわかります」
「うん。それでね、これからオーディションもあるし、その後はいよいよコンクールが控えてて、香織先輩が最後の一年だから優子もいろいろあると思うんだ。そんな時は少しで良いの。無理とかしないで、自分優先でいいから優子のこと支えてあげて」
「わかりました…けど。…先輩でいいじゃないですか?何で俺にそんなことお願いしたんですか?」
「それはさ…きっとすぐ側には、私はいられないから」
「え…?」
「…勿論、出来るだけ頑張るけどね。比企谷は頭が良いって優子が言ってたよ。だから今のでわかるでしょ?」
それじゃあね。少しだけイタズラな笑顔で、しかしその裏には確実に悲しみを孕んで、加部先輩は教室を出て行った。
すぐ側にはいられない、か。きっと加部先輩は冷静に、客観的に、鳥瞰的に精査し討究したのだ。自分はオーディションには受からないことを。だから近くにはいられない、なんて言葉を置いていった。
オーディションがどうなるのかなんて、俺だって分からないのに。その言葉はまるで俺が受かると決めつけられているようで、どこか痛々しささえ感じてしまった。