やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「今注意した点を重点的に、パート練習を進めてください」

 

「「「はい」」」

 

「先生、クラなんですけど」

 

「はい。この後来て下さい」

 

「フルートもお願いします」

 

「はい」

 

県祭りが終わりオーディションが近付くと共に明らかに各パート、そして個人個人の練習に熱が入っていた。他のパートの足を引っ張らないようにと、パート練ではリーダーを中心に合わせた後には反省点が上がることが増えたし、個人練では何かに追われるかのように楽譜を前に楽器を吹く時間が長くなっていく。

そんな中、トランペットパートでも全員がすぐに気が付くほどの変化が起きていた。

 

「すいません。私、個人練いきます」

 

「あ、うん。頑張って」

 

「はい。ありがとうございます」

 

全員の視線が高坂に向いている。高坂が個人練に行くのなんて、別に珍しいことでもないのにこうして見つめているのにはやはり理由がある。お嬢様を使用人が送り出しているわけでもない。

高坂が教室の扉を閉めたのを確認してから、優子先輩が口を開いた。

 

「…ねえ、比企谷。やっぱりどう考えても、高坂変わったわよね……?」

 

「優子先輩。もうそれ、今日六回目……」

 

どんだけ気になるんだよ。確かに明らかに変わったし、パートの全員気が付いて目を丸くしていたけど。俺もその一人。

 

「なんで?急にあんな上達するなんて…」

 

オーディションの直前にして、高坂麗奈の謎の上達。急に演奏に色が出た。

元から俺たちの中でも技術面は圧倒的にレベルが高く、今回の課題曲自由曲にしろハイクオリティで吹いてはいた。しかし、そこにこれまでの演奏にはなかった表情が加わった。その理由が何なのか。気になっていない人間はいないだろう。

そのせいもあってか、逆に他のメンバーの演奏はいまいち光らない。優子先輩は今もそうだがどこか焦っている感じがするし、中世古先輩は穏やかに笑ってはいるが、その美しい笑顔の下に何か隠しているようでその表情はいつか見た表情と同じだ。

 

「もしかして、恋とか…!」

 

加部先輩がぽっとつぶやいた言葉に、今度は全員の視線が加部先輩に集まった。

 

「いや。いやいや。いやいやいやいや」

 

「で、でもでも。恋すると人は変わるっていうし、演奏だって!中世古先輩もそう思いません!?」

 

「え、私?うーん。私は誰かと付き合ったこととかないからわかんないよー」

 

「うー。気になるなー。他にどんな可能性あるかな?」

 

「あ、お祭りでイケメンにナンパされたところを助けられたとかは?」

 

「いや先輩、それなんの少女マンガですか?」

 

急に恋愛が絡むときゃっきゃと盛り上がるところはやっぱり女子らしい。特に高坂みたいにミステリアスな一面があるやつは可能性の塊。おまけに美人なものだから、そういった想像は膨らむものだ。

それにしても、恋か。

かの有名な音楽家のシューマンはピアノの天才の名を欲しいがままにしていたクララとの結婚式の前の日の晩、その表紙に『わが愛する花嫁に』と書いた楽譜を手渡した。これが後のシューマンの有名な歌曲集である『ミルテの花』。

そういえば、いつか高坂がドヴォルザークの『新世界より』を吹いていたが、その彼も素直に告白できない自身の想いをこめて十八曲からなる歌曲集である『糸杉』という甘美なメロディーを残したんだっけ。

愛と死は音楽にとって永遠のテーマ。だが、それにしたって。

 

「ふっ」

 

「うぇ。キモ」

 

「酷すぎるんだよなあ…」

 

「だって急ににやって笑うんだもん。キモいでしょ」

 

「キモいキモい言わないで。昔のこと思い出して、肝が冷えるから。キモいだけに」

 

「は?」

 

「あ、すいません」

 

優子先輩の直球過ぎる罵倒や冷たい目線は、夏服に変わったのにまだ堪える夏の暑さにはちょうど良い。いや、ちょっとキツすぎるか。

 

「それで何で急に笑ってたのよ?」

 

「いや、高坂がそんな恋愛脳だとは思えなくて。ほら、あいつ恋愛とか目もくれずにトランペット吹いてそうだから。恋人はトランペットみたいな。大体、女ってのはなんかが変わるとすぐ恋愛と結びつけたがる」

 

「そうー?私はそんなことないと思うけど。っていうか比企谷何か知らないの?同じクラスだし」

 

「いや何も知らないですけど」

 

「むー。香織先輩香織先輩!」

 

「ん?どうしたの優子ちゃん?」

 

「このままだと気になって練習できないし、聞きに行きましょうよ!」

 

「いや、でも高坂さんだって真面目に練習してるんだよ?水を差すようで悪いよー」

 

「えぇー。ちなみに香織先輩は何でだと思います?」

 

「うーん。勿論、誰かを好きになったとか、お祭りで誰かと一緒に出かけたって言うのは可能性としてはあるかなって思うけど…。でも、意外と些細なことで好きになっちゃうもんだよね。駅のホームで毎日会ってたり、職員室まで重い荷物を運ぶときに持ってくれたり、後は……そうだ。この時期だとお祭りで転びそうになってるところを助けてもらったりとか!」

 

「「っ!」」

 

「?どうしたの二人とも?」

 

「な、何でもないです!」

 

「……ごほっ。中世古先輩。それ何の経験ですか?」

 

「全部少女マンガだよ。晴香の家でよく読むんだ。かっこよくて憧れちゃうよ」

 

「そういうのはマンガで見るから良いんですよ」

 

「そういうもんなのかなー。まあいいや。それよりほら、私たちも練習しよう」

 

「はい。俺も個人練行きますね」

 

「あ、うん。わかったよ。頑張ってね」

 

「ありがとうございます」

 

そそくさと教室を出てきたが、怪しまれてはいないだろうか。

県祭りの夜を思い出して顔に熱が上がってくるのを感じてしまった。念のために鏡で自分の顔を見てみると…もう大丈夫か。いつも通り血色が悪い。良かった。

さて、気を取り直して練習だ。練習。出てきたばかりのパート練の教室からは、まだトランペットの音は聞こえてこなかった。

 

 

 

 

さっきまで高坂が急に上手くなったなんて話で持ちきりだったが、中世古先輩だって凄く上手くなった。初めて中世古先輩がトランペットのソロの部分を吹いているのを聞いたのは、高坂と一緒に教室を出たときだったが、あの時と比べて努力したことは明白で音はスムーズで綺麗に出せている。

中世古先輩は普段パートリーダーとして、練習メニューを組むことや纏めることは勿論、困っている部員に対しての指導も行わなくてはいけない。パート内の誰しもが何らかの形で頼ってしまっている。朝練にも参加していて、放課後は大体、パートメンバーの誰よりも帰るのが遅い。部長の小笠原先輩と仲が良く、部長に付き合って残っているというのもあるのだろう。しかし、それでもこうしてきちんと時間を作ってソロパートの練習をしていた。

個人練を終えて帰ろうとしていたところで、一人で練習をしていた中世古先輩が渡り廊下で練習するのを見つけたので隠れてこっそりと聞いてしまったが、なんだか無性にまた吹きたくなってきた。

 

「おー。凄い。高いところの音、安定してる。難しいんでしょ?」

 

ちょうど俺がいた校舎と反対側から出てきたのは小笠原先輩だった。

盗み聞きは良くないと思いつつ、思わず練習してた場所に戻ろうとする足をその場に止める。

 

「あすかにこの前言われたからかな。神頼みしても意味ないって」

 

「そっかあ」

 

「…私ね、去年のことがあったから揉め事とかないようにって、それだけちゃんと出来れば良いって思ってた。でも、私、三年生なんだよね。これで最後なんだよね…!」

 

「…うん」

 

「三年間やってきたんだもん。最後は吹きたい。自分の吹きたいところを、思いっきり」

 

「じゃあ、ダメだったときはお芋買ってあげる」

 

「夏だよ?」

 

「だから私が探し回らないようにして」

 

「ふふ。変な励まし方」

 

思えばいつも、パートの練習では笑って話を聞いている所ばかりを見てきた。勿論、本当に楽しいと思って笑っていることの方が多いはずだ。でもパート内の空気を少しでも穏便にするために笑わなくてはいけないときだってあった。

それはほとんど話さず、教室の端で吹いている俺に話しかけてくれたこと、そしてソロパートの練習をしている高坂の姿や、それを良く思わない周りの部員を止めるとき。

中世古先輩は小笠原先輩の前だからこそ話せた本音。いつだって人間関係で揉め事だけは起こさないように、もう誰も辞めさせることなんてないようにと振り向いてきた優しさ。当然の物であるといつの間にか甘受してしまっていたその行動の中には、ちゃんと願いと強さがあった。

 

「あ、降ってきた」

 

「流石、部長」

 

雨が急にざあざあと降ってきて、二人が反対側の校舎へと走って行く。

 

「…よし」

 

三年間かけてきた人間には、その三年間の努力と部への貢献を評して労いを。どうか先輩の願いに幸があらんことを。

先輩がソロパートを吹くべきだ。素直にそう思う。中世古先輩はそれ相応の人間だし、多くの部員がそれを望んでいる。それは中学生の頃の自分の肯定でもあり、県祭りの夜の優子先輩の質問への解答だ。

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