やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
思ったよりも高校から吹奏楽を始める生徒は多いようで、フルートやサックスの吹き方を教わっている人もいる。そんな中トランペットは、予想通り経験者が多く集まっているようだった。
楽器をやった事があるかは持ち方で意外と分かるものだ。あ、ほら。あのいかにも運動部系だった感じのトランペットの持ち方全然違うし。
「あなたもトランペットパート希望なの?」
「あ、はい。一応」
急に話しかけられて目線を向ける。返ってきている視線はじとっとした目線だった。
なんとなく活発そうなイメージを余所に、まず真っ先に目につくのは頭に巻かれたうさ耳のような大きなリボンだ。亜麻色のロングヘアーに黄色のリボンは、彼女の可愛らしい容姿とマッチしている。あぁー、心がぴょんぴょんするんじゃぁー。
「ふーん…」
それよりちょっと何なんですかね、この反応。いい女は間で語るって言うけど、間で『低音っぽい目してて、全然トランペットパートっぽくないんですけど。っていうか、この目で香織先輩に近付かないで』って語っちゃってるんだけど。いや、それは低音に失礼。
つか、この声結構特徴的だから思い出したわ。さっき中瀬古先輩のこと可愛いって言ってた人だ。
「私、吉川優子。トランペットパートの二年」
「はあ」
「いや、はあじゃないでしょ。私から名乗ったんだからあなたの名前も教えなさいよ。そもそもこういうのは後輩からやるもんでしょ?」
うわー、出たー。日本の負の文化。どこの世界にも後輩から積極的に自己紹介しろという風潮があるが、俺はそういうことこそ立場が上の人間から行うべきではないだろうか。ある種、立場が高い人間が、自分は知らないやつからも挨拶されるくらい偉いんだぞっていう、欲求を満たすための行為だと思ってるまである。だって会社勤めしてて、何人もいる新卒に挨拶されたって、お偉いさん達は絶対覚えるつもりないでしょ。
そもそもビジネスマナーとかだと、立場の低い人間が開けた部屋に入ったり、車に乗ったりするのは立場が高い人間が先なのに、どうして挨拶の時は偉い人間が後になっちゃうんですかね。恥ずかしいの?それもある意味日本人らしいけど。
「比企谷八幡でしゅ」
ほら。恥ずかしいから噛んじゃったし。恥ずかし。死ぬ。吉川先輩は少しだけ笑って続けた。
「これまで吹奏楽の経験は?」
「小学生の時から吹いてました」
「へえ。長いね。じゃあ、マイ楽器とか持ってるの?」
「今日はマウスピースしか持ってきてないですけど、家にありますよ」
「なるほどね。まあ、うちの吹奏楽は今楽器余ってるから、もし吹奏楽部に入ったら持ってきても持ってこなくてもどっちでも良いよ。それじゃあ早速吹いて貰おうかしら」
手渡されたトランペット。俺のトランペットよりも少し軽いな。
演奏が下手だったから楽器の管理とか適当だろうなと思っていたが、きちんと綺麗なトランペットだ。もしかしたら新入生が来るから綺麗にしただけかも知れないが。
「何か吹く曲とかありますか?音出しだけすれば良い?」
「うん。音出しで良いよ」
マウスピースを指して、フィンガーフックに指をかける。真っ直ぐ正面に向けたベルの先には吉川先輩がいた。
普段は曲がっている姿勢を真っ直ぐに。脇は締めないでリラックス。何度も吹いている体勢に、無意識でなっている。
よし。
唇が振動し、トランペット特有の鋭いアタック音が響いた。
少し離れたところにいる、他のトランペットパートの先輩達が俺を見ている。普段は注目なんてされたくないが、トランペットを吹いているときは仕方ない。この音を空まで響かせるように。そう教えてくれたのはやっぱりあの人だった。
久しぶりに吹いたが、全然問題なく吹けて良かった。心配なんてほとんどしていなかったけど。調整こそしたいものの、ある程度吹くだけなら慣れてしまえば久しぶりだろうと関係なく吹けるものだ。
「ふーん。目は腐ってるけど、演奏は本物みたいね」
おい、ちょっとー。余計な一言入ってますよー。
だが俺は引き笑いをしてしまっていた。く、悔しい。でもしょうがないよね!
俺が吹いたのを聞いて、何人かの先輩が脚を向けていた。中には中世古先輩もいる。やべ、なんか緊張して来ちゃった。
だが。先輩達が俺の元に来ることはなかった。
簡単なフレーズ。所狭しと教室中に響き渡るそのトランペットの音色は、きっとその場所にいた誰もを魅了していたのだと思う。
経験者だからこそわかる。自信に満ちあふれた、華やかな音。この域に達するのにどれ程の練習を積み重ねてきたのだろう。
教室を支配した一瞬の沈黙の後、また当たり前に時が動き出したかのように楽器選びはパート毎に再開される。
そんな中でトランペットパートだけが、変わらず高坂麗奈ただ一人に視線を向けていた。隣にいる吉川先輩の目線は俺の時とは違って鋭く、どこか敵意さえ孕んでいる。
「これでいいですか?」
「あ、うん。上手だね」
「…褒めて頂いてありがとうございます。嬉しいです」
驚いた様子で口を開けていた中世古先輩も、口元に取って付けたように笑顔を貼り付けて高坂のもとに向かっていく。褒められたんだから、もう少し嬉しそうにしたら良いのに。
そんなことを考えていると、変わらず高坂に目を向けたまま吉川先輩が呟いた。
「あらら。これ、比企谷、完全に忘れられたわね」
うるせー、デカリボン。誰が通常運転で空気扱いだ。
なんてやっぱり言えるわけもなく。俺はまた、色んな意味で引き笑いをするしかなかった。