やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「よいしょっ。きゃ!」
「ど、どうしました?」
「ごめんね。思ったよりこの荷台の鉄が冷たくって」
しっかりと中世古先輩がスカートを巻き込んで座った。まさか小町以外の女を乗せることになる日が来るとは。そしてそれがまさかの中世古先輩だとは…。小町を乗せるときとは大違いの緊張感がある。今日だけは絶対事故起こさないようにしよ。
人生何が起こるかわからないが、良いこともあれば嫌なこともあるというのなら俺は今日死んでもおかしくないと思う。
「さて、それじゃ道案内お願いしますよ」
「うん。任せて」
「これでも妹乗せてよく学校行ってたんで平気だとは思うんですけど、一応危ないんでどっか掴んどいて下さい」
「どこ掴めば良いの?」
「えっと…」
小町は俺に抱きつくような形で乗ることが多いが、そんなこと中世古先輩にされたら事故らないようにしようと言った手前壁にツッコむまである。それこそ次世代型の新しい壁ドン。
「とりあえず荷台を持っていればオッケーです」
「わかった」
「じゃあ漕ぎますから」
「れっつごー!」
ゆっくりと進む自転車。最近は朝出発する時間が違うこともあって、小町を乗せて学校に通う日も少ない。懐かしい人を乗せている重みだ。
それにしても中世古先輩はやっぱ軽いな。
「おー。結構揺れてなんかちょっとどきどきする。私、二人乗りなんて初めてだよ」
「……」
「ん?比企谷君?」
「す、すんません。大丈夫ですよ。生きてます」
「別に生死疑ってないよ!?」
全く。どきどきするとか初めてとか、男が言われたら弱い言葉使わないでよね!しかも天然で!勘違いしちゃうから!
…あー。今の俺顔赤いなあ……。
「次の信号のところ左だよ」
「はい。わかりました」
「比企谷君。本当に二人乗り上手だね」
「そうですかね。あ、信号なんで止まりますね」
キュッと鳴る自転車は事前にブレーキを少しずつかけて速度を緩めていたこともあってスムーズに止まった。目的地まではどのくらいなのだろう。オレンジに暮れていた町並みは少しずつ赤みが差していき、あと少しで太陽は沈む。
後ろに中世古先輩が乗っていると考えると未だにいつもより早く心臓は、どれだけ『鎮まれ、鎮まりたまえー』とアシタカっぽく繰り返しても一向に収まらない。なぜそのように荒ぶるのか。中世古先輩のせいですね。はい。
「中世古先輩。あとどのくらい…ぶっ!」
確認しようと思って、ちょうど信号に掛かったので振り向いたら中世古先輩に途中で顔を止められた。痛くないけど、変な声が出てしまう。
「比企谷君。危ないから後ろ見るの禁止。わかった?」
「いや、今止まってますけど……」
「い、いいからダメ」
「は、はい」
振り向いたときに見えたのは勘違いだろうか。中世古先輩、なんか顔真っ赤だった気がする。
「……」
「……」
また動き始めた後もどこか気まずい沈黙が俺たちの間に流れる。
こういう時はドラえもんの入浴シーンの話を…。いや。これは優子先輩にやめた方が良いとこの間言われたのだった。じゃあ何の話しろって言うのよ!
「うー。結局ここもなかったよー」
「残念でしたね。やっぱり季節的に中々ないんですよ」
先輩が目星を付けていたお店はあまり遠い店ではなかったものの、帰路に付く頃には周りにはチラホラとサラリーマンがいた。
「そもそもあんま暑い中食べるものでもないですしね」
「うん。やっぱり寒い日に食べるホクホクの焼き芋が一番美味しいよ。だけど意外と冷蔵庫で冷やした焼き芋も美味しいの」
「へえ。冷やして食べたことないですね」
中世古先輩の焼き芋談義はスイーツ談義にまで広がっていく。やはり甘いものが好きなのだろう。エンジェルアイがキラキラと輝いていて、その話は止まる様子はない。
「冷静に考えたら、これ優子先輩に知られたら殴られるじゃすまないだろうなあ」
「そうかなあ」
「はい。中世古香織親衛隊、ちゃっかり活動してますからね」
「え、名前だけで活動してないと思ってた」
「甘いですね。むしろ一年の入隊者増えて活性化したってこないだ言ってました」
「優子ちゃんが?もう、なんか恥ずかしいなあ」
「優子先輩。中世古先輩のこと好き好きウーマンですからね。今の俺と代わったら、あの人死ぬんじゃないかな」
少なくとも漕ぎながら泣いてそう。挙げ句の果てに感無量すぎて漕げなくて結果的に中世古先輩に涙拭いて貰う。自称、香織先輩の付き人が果たしてそれでいいのだろうか。何だか考えると面白い。
「優子ちゃんもさ、可愛いから後輩から人気ありそう。それこそファンクラブとかできたりして」
「うーん。あの人色々パワフルだからなあ」
「ふふ。でも名前の通り優しくて良い子だよね。やるって言ったらとことんやるし好きなものに真っ直ぐで、そういうところ素直に凄いなって思う。私はハッキリしないところがあるからさ」
「そうですか?」
「うん。気をつけるようにはしてるんだけどね。私がうじうじどうしようって困ってたら、優子ちゃんがびしっと決めてくれたり言ってくれることもあるんだよ」
「…さっきまで優子先輩と公園で話してたじゃないですか?優子先輩が中世古先輩に吹いて欲しいと思って、今日みたいに後輩達から話聞き出したりするのって実際の所どう思ってるんですか?」
「きゅ、急だね。なんか」
「一応聞いておこうかなって」
「嬉しいよ。後輩に先輩に吹いて欲しいって言ってもらえることも、そう思ってくれている後輩がいてくれることも。それも去年からずっと一緒にいてくれた優子ちゃんで、私は本当に凄く嬉しい」
「……」
心のどこかですっともやもやが落ち着いた。
少しだけ心配していたのは優子先輩の願いは中世古先輩に取って迷惑になっているんじゃないかということだった。一方的な想いと行動は相容れなくて、結果として傷つけることもある。
「だけどさっき優子ちゃんに言った通り、コンクールまでもう時間ないし。それに…。うまく言えないんだけど…」
「……納得」
「…え?」
後輩達に枠を取られコンクールに出られなかった中学生の時の俺と、今回ソロを後輩である高坂に取られてしまった中世古先輩。決して境遇が似ているわけでは無い。だけど同じく他の誰かに限られた枠を取られたと言う点では全く別のものでもない。
もしもそうだというのなら吹けなくて可愛そう。そんな同情まがいの感情を向けられたくなんてない。
だって本当は諦観したいのだから。頭の中では結果をわかっていても、心の中では結果が付いてきていない。けれど、もうチャンスはない。ならば実力とか運とか誰かとの関係性とか、そういう色んなものによって決められたその結果を諦めないと次に進むことができないのに。未来は明るいと言うのならば、反対に過去は暗い。黒歴史はあれど、決して白歴史はない。
誰しもが、諦められずに過去を振り返り続けることは辛いのだ。
「納得したいんじゃないですか?」
「……」
「俺は先輩がソロでも良いと思います」
「だけど、もうどうすることもできないよ。結果は出てるんだし」
「ええ。それに先輩の言う通り、コンクールは待ってくれないですしね。だから諦めるななんて言いません。むしろ諦めることが出来るように、どこかで折り合い付けて納得できたらいいですね」
「……うん。そうなのかも。なんかしっくりきちゃった。私は…納得、したいんだ」
この気持ちはきっと、駄目だった人間にしか、選ばれなかった人間にしかわからない。
俺たちを囲む景色。太陽が落ちて紺に包まれる。まだ少しだけ明るいが、これから少しずつ黒に染まってくだろう。
だが、不思議と寂しくはない。周りの風景に影が落ちれば、すれ違う人はいれど俺たちを乗せて生暖かい風を切る自転車はまるで隔離されているようで、今の時間だけはきっと俺たちは敗者で同じ何かを共有している同士だった。