やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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音楽室の部屋一面に貼り付けられた毛布。

夏の夜は当然暑いため、毛布を使う家庭が少ないからか、思っていたよりもずっと多くの毛布が集まっていた。俺も一枚は持ってきたが、とにかく自転車の荷台に括り付けて運んでくるのはキツかった。数日前に乗せた中世古先輩の方がずっと軽かった。主に精神的な部分で。

 

「なんだ。みんなで泊まり込むんだと思ってた」

 

「したければしてもらっても構いませんよ。私は帰りますけどね」

 

滝先生の冗談と笑顔に近くにいた女子がはにかむ。それから、部員全員に向かって滝先生は話し始めた。

 

「これでこの部屋の音は毛布に吸収されより響かなくなります。響かせるためにはより大きな音を、正確に吹く必要があります。実際の会場はこの音楽室よりも何十倍も大きい。会場一杯に響かせるために普段から意識しておかなくてはいけません」

 

「「「はい」」」

 

これまでの音楽室は狭く、反響してくる音で自分達の音がわかりにくくなってしまっていた。そこで、毛布による吸音性とコンクリートの壁による遮音性によってできた簡易版、防音性付き音楽室にバージョンアップ。本来であれば防音性のある音楽室であればこんなことをする必要も無いのだが、予算だとか設備への投資だとかそこら辺は大人の事情があるから文句は言えない。

デメリットは二つ。一年の準備と片付けに椅子の運び込みに加えて毛布を畳む作業が加わることと、部屋が暑いこと。特に後者は致命的。布団大好きな俺が布団見たくないと思うレベル。

 

「では皆さん、練習を始めましょう」

 

「「「はい!」」」

 

これからきっと『駄目です。もっと自身の演奏に自信を持って。こんなではホールで演奏したときに演奏が全く聞こえませんよ』とか言って怒られるであろうに、布団によってどれ程音が吸収されて聞こえなくなるのか楽しみな様子の部員達。やっぱりね、こういう普段とは少し違うことするのって楽しいよね。

いつもより元気に返事をして練習に入ろうと思っていたが優子先輩が質問をした。

 

「先生。一つ質問があるんですけどいいですか?」

 

「何でしょう?」

 

「……。…滝先生は高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」

 

「!優子ちゃん、ちょっと…」

 

隣にいた中世古先輩が真っ先に反応した。だが優子先輩はそのまま滝先生の正面に真っ直ぐ歩いて行く。

 

「…それを尋ねてどうするんですか?」

 

「噂になってるんです。オーディションのとき、先生が贔屓したんじゃないかって!答えて下さい、先生!」

 

「贔屓したことや、誰かに特別な計らいをしたことは一切ありません。全員公平に審査しました」

 

「高坂さんと知り合いだったというのは?」

 

「……事実です」

 

教室が驚きに包まれた。ここ数日間は中世古先輩や小笠原先輩が何とか手を回し噂を広めないようにしていたもののそれでもどこからか情報は広まり、その噂を知らない人は少なかったようだ。だがそれが事実であることは結局の所今まで誰も知らなかった。

それがこんな状況で知られることになるなんて、滝先生も高坂も決して思わなかっただろう。

 

「父親同士が知り合いだった関係で中学時代から彼女を知っています」

 

「なぜ黙っていたんですか?」

 

「言う必要を感じませんでした。それによって、指導が変わることはありません」

 

「だったら…」

 

「だったら何だって言うの」

 

それまで何も言葉を発していなかった高坂が優子先輩を睨む。一触即発の空気に誰もがただ見ていることしか出来ずにいた。

 

「先生を侮辱するのはやめてください。なぜ私が選ばれたのか、そんなの分かっているでしょう?私の方が香織先輩よりも上手いからです!」

 

「っ!あんたねえ!自惚れるのもいい加減にしなさいよ!」

 

「優子ちゃん、やめて!」

 

「香織先輩があんたにどれだけ気を遣ってたと思ってるのよ!それを…」

 

「やめなよ」

 

「うるさい!」

 

中川先輩の制止にも優子先輩は止まらない。

こうなったら、止めることが出来る人なんて一人しかいなかったのだと思う。

 

「やめてぇっ!」

 

中世古先輩の悲痛としか言いようがない叫び。

これまでこんなに声を張り上げてる所なんて見たことがなかった俺たちはただ驚いて、優子先輩はそれでやっと冷静になれた。

 

「……ぁ」

 

「やめて……」

 

肩を震わせながら優子先輩の制服を掴む中世古先輩は何を思っているのだろう。あまりにも弱々しく、あまりにも悲壮で。

 

「…ケチ付けるなら私より上手くなってからにしてください」

 

怒りを孕みながら一言だけ言葉を残し、教室を後にする高坂の前に向けられている中世古先輩への部員達の視線は、もはや同情以外の何物でもない。

違うのに。中世古先輩は誰にも、そんな視線を向けて欲しくなんてないのに。

教室を出て行った高坂と、高坂の名前を呼びながら誰かが追いかけていたが、滝先生は少しだけ二人の出た扉を見つめただけですぐに俺たちに向かって話し始めた。

 

「準備の手を止めないで下さい。練習を始めましょう」

 

滝先生の言葉があっても未だに震えたままの中世古先輩と、それを見つめている優子先輩。

一番大好きな先輩のために、一番嫌な役を買って出て、一番させたくない顔をさせてしまった。

中世古先輩の手を掴もうとした優子先輩の腕がそのまま力なく落ちる。

 

「…すみませんでした……」

 

優子先輩の小さな声は誰に向けての謝罪だったのだろうか。

中世古先輩か、強く当たってしまった滝先生か、驚かせてしまった部員達か、あるいは全員か。

それはきっと本人も分からなかった。


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