やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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音楽室の前から移動してどこに向かうでもなく歩きながら考える。

まず、吹部の解決するべき問題は何か整理しよう。問題に内在している感情は一切考慮せずに、ただ問題だけを。

一つはソロパートを高坂と中世古先輩のどちらが吹くかということだ。

滝先生は今回のオーディションを実力という観点から高坂を選んだが、多くの上級生は去年まで部活を支えて貢献してきて、実力だって確かにあるはずの中世古先輩に吹いて欲しいと思っている。部内の半数以上は間違いなく中世古先輩派だろう。

だが高坂が実力で選ばれたのだから、ソロを高坂に任せることに異論はないやつもいる。特に一年に多い。

ここでもう一つおまけに出てきた情報。高坂は以前から滝先生と知り合っていたという事実。あくまで噂に過ぎなかったその情報は、先日の優子先輩の滝先生への質問で事実に変わった。

二つ目の問題はそれが火種になった。そしてこちらの問題は、はっきり言ってソロをどちらが吹くかよりも重要な問題だと言える。部員の顧問への信頼がコンクール前の大事な時期にも拘わらず低下し、それが目に見える形で現れてしまっていることである。モチベーションなんて目に見えるレベルで落ちているし、このままでは去年と同じように部が崩壊してもおかしくない状況とさえ言える。

この二つはそれぞれ問題が違うため、解決方法は異なる。どちらも一緒に解決することはできない。滝先生の不安がなくなったところでソロは変わらないし、ソロが変わったとしても今度は高坂を擁護していた部員から疑問の声が上がり、滝先生への不安がさらに募る結果になりかねない。

 

「……解決する必要はないんだよな」

 

誰にでもなくぼそっと呟いた声は甲高く、美しい音にかき消された。校舎が遮っていて見えないが、音はすぐそこの角を曲がった先から聞こえてくる。何度も見てきた譜面に聞いたフレーズ。

渦中のソロパートを吹いているこの音は紛れもなく中世古先輩の吹く音だ。

 

「……」

 

邪魔するのが申し訳ないから、とは頭をよぎった汚い考えだ。本当は何を話せば良いのか分からないだけ。

今も尚本番を迎えることがないソロパートの練習をし続けている。駄々を捏ねてまでソロを吹きたいなんて思っていない。ただ納得するために。負けたことを認めたいが為に。

だけどそれは叶わない。どこか寂しくさえ感じられるような音から逃げるように踵を返した。

 

 

今日は向かった先から逃げてばかりいる。見たくないものばかりで、また俺は行く先もわからいまま歩く。

そもそもなぜこんなに問題をどうにかしようとしているのだろう。こんなこと気にせず、ただ知らばっくれて練習していればいいだけのはずなのに。

そうだ。だって入部した時なんて吹ければそれで良いとまで思っていたはず。こんなことに巻き込まれたくないから距離を置いていた。煩わしい。そんなのは御免だ。

今回の問題も協力しろとか話し合えば分かるなんて、そんなものは理想論で誰かが犠牲になって何かを押しつけられる。

だけどもう、きっと知りすぎてしまったのだ。

ソロを絶対に吹くと大きく力強く書かれた譜面を見た。小笠原先輩に吹きたいところを吹くと語っている姿を見た。中世古先輩の最後のコンクールへの気持ちを俺は知っている。

 

そしてそこに涙を流すように俯く優子先輩が重なった。

 

『香織先輩、諦めないで下さい!最後のコンクールなんですよ。諦めないで…』

 

『香織先輩の…、香織先輩の夢は絶対に叶うべきなんです!』

 

「……」

 

…もしも次があるのならば、その時こそきちんと中学生の頃のように部員達とは距離を置こう。もうこんなことに巻き込まれないように。

だから。だから今回が最後だ。こんなことをするために俺は吹部に入ったわけでも、吹いてきたわけでもない。

間違いなくこれからやろうとしていることは犠牲だと思う。二つの問題を同時に解決することはできない。しかし別々に解消することができる諸刃の剣。

だけどこの犠牲は、きっと大好きで尊敬している先輩の最後の晴れ舞台を護ってやろうとしている優しい少女が背負って良いはずがない。

大丈夫。誰かのためにじゃない。この犠牲は自己犠牲だ。自分が出場するはずだったコンクールで結果を残すため、パート内の空気を少しでも改善するため、そしてこれ以上先輩が悲しむ姿を見ないため。

 

 

そして、気が付いたらそこにいた。トランペットも持たずふらふらと、まるでただ音に導かれるようにその場所へ。

美しくて目を奪われた。紫で可憐な藤の花が頭上から垂れていて、素朴などこにでもある木の椅子に花びらを落としている。そんな空間に異質であるのは川のように流れる綺麗な黒髪と、手にしている金色。そして高々と響く三日月の舞のソロパートの三つだけ。

自然と足はベンチの元に向かっていた。これ以上、何かから目を逸らして逃げるかのようにどこかへ行くのが疲れたからか、それともその音を聞いていたいと思ったのかはわからない。

演奏をしていた高坂は俺がいることに気が付いていないと思っていたが、吹き終えると視線を俺に向けてきた。眉間には皺が寄っている。

 

「……」

 

「…何?なんか怒ってる?」

 

「うん。今日も合奏練中止だって」

 

「あー。そうなの」

 

「知らなかったの?」

 

「ああ。そうかなとは思ってたけど」

 

「本当何なの?コンクール前の大事な時期なのに、もう決まったソロのこと今更掘り返して。挙げ句の果てに大して吹けないくせに練習中止?ムカつく」

 

「怒られても俺のせいじゃねえし」

 

「そんなことわかってる」

 

高坂は俺の隣に腰を降ろすと、ぐいっと水筒を飲んだ。真っ白な喉が水を飲み込むのと重なって上下に動く。

 

「どう思う?私の演奏」

 

「いいんじゃないか」

 

「曖昧。それに、そうじゃなくて香織先輩と比べて」

 

「そりゃお前の方が上手いよ」

 

「…意外」

 

「何が?」

 

「てっきり香織先輩の方が上手いって言うと思ってた。比企谷、優子先輩と香織先輩とはよく話してるから肩持つかなって」

 

「んなことねえよ。同じパートだし、普段から聞いてりゃ何となくわかる。大体、もし中世古先輩の方が上手いって言ったらどうするつもりだったんだよ?」

 

「うーん。教室でにやにや小説読んでる比企谷の椅子、通る度に足で軽く蹴ろうと思ってた」

 

「椅子ががたっ、ってなるから地味にどきっとするやつ。陰湿かつ、ぼっちがやられると嫌な攻撃をよく理解している…」

 

褒められた高坂は驚いた表情をしていたが、やはり褒められれば嬉しいようで少しだけ恥ずかしそうに笑った。

 

「……高坂、一ついいか?」

 

「うん」

 

「お前に一つ謝らなくちゃいけないことがある。面倒事に巻き込むことになる。いや、でも、…ある意味お前の手助けにもなるのか?」

 

「え?何それ?」

 

「お前、いつか特別になりたいって言ってただろ?覚えてるか?」

 

「うん。言ったよ。そう思ってる」

 

「良かった。まさか高坂がそんな恥ずかしいこと言うなんてちょっと夢じゃないかと思ってた」

 

「もしかして喧嘩売ってる?」

 

「ところで知ってるか?正義の味方ってな、倒すべき悪があって初めて正義の味方になれるんだぜ」

 

「何となく言いたいことは分かるけど。つまり敵がいないと戦う相手がいなくて、正義を証明できないってことだよね?」

 

流石、進学クラスの中でもトップの成績なだけあるな。

『意味わかんないんですけど』とか、『理解不能乙』とか言われがちな中二病的なセリフの意味を的確に理解している。

 

「そうだ。それと同じで特別になるためには比較する誰かが必要だ。戦って、その相手を倒す。その相手が強ければ、かつそれが圧倒的ならば特別だって誰もが思う」

 

「……うん」

 

「いいか、高坂。俺がその勝負を作ってやる。だから一つ頼みを聞いてくれ」


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