やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「……。……何、…言ってるの?」
未だに立ち上がったまま、呆然と固まった優子先輩が声を絞り出した。
「それはどういうことですか?」
「こないだ貰ったスケジュールだと来週、ホールを借りての練習がありますよね?そこで二人が全員の前で吹いて、拍手が多かった方がソロを吹く」
「でも高坂さんは実力で選ばれたんでしょ?それをまたやるって、不公平だし高坂さんがかわいそうだよ」
誰かが声を上げた。その意見に続いてどんどんと声が上がる。
「そうだよ。私たちだって実力で選ばれたじゃん」
「でもさ、あんた達は一年だから知らないかもしれないけど、香織は三年間部のために一生懸命尽くしてきたんだよ」
「そうよ。それにこないだの高坂の態度。はっきり言って私は高坂にソロを任せたくない。先輩の気持ち、少しは考えなよ」
溜まっていた不満の声は次第に大きくなっていき、収集が付かなくなっていった。あちらこちらから声が上がっている。
それを滝先生が手を叩くことで制した。
「皆さん。落ち着いて下さい」
「ね。もう仕方ないでしょう?滝先生の決断に不満がある人もこれだけいて、けれど擁護する人だって当然いる。それなら他に誰が決める?俺たちが全員で決めるしかない。最初全国を目指すと決めたときだってそうだった」
「なるほど。それ自体は良い案だと思います。ですが、それのどこが公開処刑なのですか?」
「そりゃみんなの前で下手な方がさらされるわけだから、あながち公開処刑という言い方も間違ってない」
「その比企谷君の言い方には賛同しかねますが、皆さん。次のホールでの練習の際に今の案を行うことに異議がある人はいますか?」
先生が見渡しながらしばらく間を置いた後、今度は俺たちトランペットパートを見つめる。
「それでは反対の意見もないようなので、次のホールの練習でトランペットパートのソロの再オーディションを行うことにします」
途端にふわっと力が抜ける。ここまで来れば、もはや俺が何か話すことはない。後は成り行きに任せるだけで良い。
静かに椅子に座れば背中が気持ち悪い。嫌な汗をかいていた。
吹部が抱えていた問題。ソロの選定と滝先生への信用。
ソロの選定は俺たちが行うことによって誰も文句を言えない。全国を目指すと決めたときと同じだ。他の誰でもない俺たちが決める。
滝先生への不信を拭払することは俺にはできない。だが、そもそも拭払する必要なんてないのだ。
この手の問題が起きたときに非難する奴や、怒りを向ける奴らに必要なのはそれをするための理由ではない。共通の叩くことが出来る相手は必要なのだ。
それならば滝先生に向いている不信や非難、不満や怒りを全て他の方向に向けさせてしまえば良い。部員達にとって優しくて、守るべきであり尊敬される中世古先輩を酷評した俺の元に。
こうして全員の前で中世古先輩を貶したのだ。部員達のイメージは普段ほとんど部員と話さずに、コミュニケーションをろくに取らない問題児。それを気にかけてパトリとしての責任もあって世話を焼いてくれていたはずの中世古先輩が大勢の前で陥れられた。飼い犬に手を噛まれたなんてもんじゃない。
おそらく中世古先輩を擁護していた部員達は勿論、そうでなかった部員も流石になんだこいつは、と思ったはずである。だが、それでいい。
「ですがホールを使える時間は限られています。貴重な時間を使うことは理解していただきたい。トランペットソロを吹きたいと思う人は、今ここで挙手して下さい」
「私はソロを譲るつもりはありません」
高坂は滝先生の質問にすぐに声を上げて答えた。いつも通りしゅっと真っ直ぐな背筋は何があっても揺るがない自信を醸し出している。ソロの席を争うために全員の前で吹くことになっても、一切容赦なんて絶対にせずにいつもと変わらない圧倒させるような演奏をするのだろう。
「香織先輩…」
高坂とは違って中世古先輩はすぐにソロをやりたいとは言わなかった。制服を掴んでいた手が離された優子先輩は黙って俯いている。
優子先輩だけではない。トランペットパートのメンバーの視線はいつからか中世古先輩を見ていなかった。直視できずに俯く人が多いのは、きっと結果が何となく分かっているからだろう。
本来、もうなかったはずの機会。だけどその勝負は負け相撲。
それを知っているのはパートメンバーだけではない。中世古先輩だって同様にわかっている。
それでも、中世古先輩が手を上げないことは絶対にない。そういう確信があった。
「……先生。私もソロが吹きたいです」
ビシッと手を挙げ敢然と立ち向かう姿にはかっこよかった。こうなってしまえば負けだと初めから気づいていて、納得したいという自分のエゴと戦うために手を挙げたのだと思う。
それでも高坂に負けないように滝先生をまっすぐと見つめるその瞳に弱気な心なんてない。
隣で優子先輩が泣きそうになっている。音楽室の一部からは中世古先輩のソロ奪還の可能性にすすり泣く声が聞こえてきた。
どういう形であれ、これが中世古先輩にとって最後のチャンスだと言うことに変わりはないのだ。
「わかりました。それでは来週のホールの練習の始めに二人はソロ部分を演奏をして、それを皆さんで評価していただきたいと思います」
「はい」
「…はい」
高坂は一瞬納得いかない表情をしていたが、すぐに滝先生に返事をした。
「さて、それでは合奏練習を始めます」
「「「はい」」」
「それともう一つ。比企谷君。放課後、職員室に来てください」
「……はい」
笑っていない滝先生の顔は少し寒気がするくらいに怖かった。