やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 部活前の机の運び出しは一年生の仕事である。

 こういった決まり事が多いのも、吹奏楽部の特色ではないだろうか。この点も女子が多いからこそという感じはする。

 今日はまだ新入生として入部したばかりで真面目に机の運び出しをしているが、時間が経つにつれて徐々に慣れてきて女子はこの仕事中のおしゃべりが比例的に増えてくる。しかし男子はずっと黙々と身体を動かし続けなくてはいけない。サボってたのを見られた暁には、女子からのバッシングの嵐である。その日の放課後には部活中にサボってたという話が広まっていることだろう。

 

 「あー、疲れた」

 

 とは言うものの、一年全員で運び出すのであまり大した運動ではないのだが。

 しかし今日は楽器を吹くわけではないだろうになぜ机の運び出しをする必要性があるのだろうか。机のない音楽室で部員は新しい顧問が来るのを待っていた。

 

 結局昨日の楽器決めでは無事、トランペットに決まった。

 俺含め三人がトランペットパートに加わり、現在のトランペットのメンバーは八人。内男子は二人、女子が六人だ。四分の一が男子というのは、吹奏楽部内においてはかなり男子率が高い方である。パーカスなどの打楽器は男子が多い傾向にあるが、金管は女子率百%なんてザラだからな。

 新入生として加わった三人の内、一人は当然のように高坂だった。あれだけ上手ければ下手したら二年三年合わせても一番上手いのではないだろうか。

 もう一人の新入生は吉沢という女子だ。経験者ではあるそうだが始めてあまり長くはないらしい。どこか物静かなイメージ。

 運んでいる机を手にしたまま、一つ息を吐いて窓の外を見る。流れている雲はいつもよりずっと早く流れている気がした。

 

 

 

 

 

 「初めまして、顧問の滝です」

 

 しばらくしてやってきた新しい顧問の滝先生は、一つ頭を下げて微笑んだ。それと共に女子からざわざわと声が上がる。

 なるほど、イケメンか。死ね。

 これからの顧問に対して口が悪いと思うかも知れないが、吹奏楽部の男の顧問というのは女子が多い特有の大変な事もある反面、羨ましすぎることもたくさんある。いや、俺たち男子部員が基本的に人権がないからかもしれないが、本当に羨ましいのだ。例えばバレンタインなど。それがイケメンなら尚更だ。

 

 「今年の新入部員は二十二人ですか。これで空いていた楽器も埋まりますね」

 

 滝先生のイメージは穏やかで優しそう。眼鏡をかけていることもあって、聡明なイメージさえ持ち合わせている。仕草の一つ一つは爽やかだ。これはもう女子から黄色い歓声が上がるのも納得。俺だってふわふわで放課後のティータイムをしてる軽音楽部の顧問みたいな人が来たら、毎日楽しみに学校来てたもんな。

 だがあの先生ならば、穏やかな放課後の部活ライフは過ごせそうな気がする。何事もなく、ただトランペットが吹ければそれでいい。大会に出るか出ないかなんて関係ない。

 

 「では、部活を始めるに当たって、まず私から最初に話があります」

 

 滝先生が黒板の前に移動し、白いチョークで文字を書く。丁寧にはっきりと書かれた言葉は全国大会出場。目標として掲げるだけなら『ちょうど良い』目標である。

 ただし、本気で目標にするなら話は別だ。その言葉の重みは決して『ちょうど良い』だなんて簡単な言葉では済まされない。その苦労を俺は知らないけれど、『果てしなく遠い』目標なのだと思う。

 

 「頑張ってはいるんだけどねー」

 

 どこからかそんな声が聞こえてきた。

 対してその目標として書かれた全国大会出場の文字を見て、何人かの生徒の表情が曇ったのが見える。

 目標とは、そんな二面性を持つ言葉なのだ。

 

 「私は生徒の自主性を重んじることをモットーにしています。ですので、今年一年指導をするに当たって、まず皆さんに今年の目標を決めて欲しいのです」

 

 「あの、先生。それは目標というかスローガンのようなもので…」

 

 小笠原先輩の言葉に滝先生はなるほどと軽く返事をして、その文字に大きく罰をつけた。

 

 「では、決めて下さい。私はそれに従います」

 

 「決めるって言うのは…」

 

 「そのままの意味ですよ。皆さんが全国を目指すというのなら、練習も厳しくなります。反対に楽しい思い出を作りたいというのなら、ハードな練習は必要ありません。私自身はどちらでも良いと思っていますので、自分たちの意思で決めて下さい」

 

 「私たちで決めるんですか?」

 

 小笠原先輩が困ったように隣にいた田中先輩を見た。

 

 「…わかった。私、書記やるから多数決で決めよう」

 

 「多数決?」

 

 「こんだけ人数いて、他に決めようないじゃない?良いですよね、先生?」

 

 滝がどうぞ、というような仕草で許可をした。これでもう多数決に決定だ。

 だが、小笠原先輩の言いたいこともわかる。多数決では本当の意味で部員全員の意思は決められないだろう。なぜなら多数決とは民主主義が生み出した、数の暴力でマイノリティを排除する一つのメソッドである。集団には敵わない。高校はおろか、小学生の時から誰しもが経験したことのある生きていく上で最も重要な考え方である。

 ただ、決して俺は多数決に反対ではない。俺は空気を読めないが、観察することはできる。多数決の目的は素早く数で強制的に意見を纏め上げる事だが、参加者のメリットは素早い意思決定による時間の無駄がないことと、周りの意見に流されれば良いことに尽きる。長いものに巻かれていれば仮に問題が発生したとしても、結果的にその責任を負うのは反対した者を含めた全員であるから、大して責任能力なんかを持ち合わせずに手を上げる必要もない。

 だから後は悪目立ちをしないように数が多い方を選び、手を上げるだけ。

 今回の多数決の結果なんて周りを見ていれば大体分かる。迷っている人もいるが、とりあえず去年と同じで良い。近くの人と話してそう決めた人ばかりである。


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