やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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やっとのことで口を開いた優子先輩は覚悟を決めたように真っ直ぐな瞳で俺を見つめてきた。

 

「……さっきまで香織先輩のとこに行ってたの」

 

「どうでした?」

 

「準備終わらせた後、最後の確認でソロ吹いてたけど完璧よ。それ以外の言葉はない」

 

「そうですか」

 

「うん。でも私、そこでやっとわかった」

 

「何がですか?」

 

「香織先輩はもう…きっとソロを吹くことはないんだなって」

 

「……あの日も言いましたけど、高坂とこうして比べられることになった時点で優子先輩は分かっていたんじゃないですか?」

 

「そうじゃないの。実力差の話じゃなくて、香織先輩は今ソロに選ばれたくて今から吹くんじゃない。自分のかけてきた三年間に区切りを付けるために吹きに行くんだって。比企谷はそれをわかってたんでしょ?香織先輩はもう勝てないし、それを分かった上で吹きに行く。だから私に見守って欲しいなんて言ったの」

 

「……」

 

優子先輩が言っているのは、二人で帰った放課後のことだ。あの頃から俺は再びオーディションを行うことが中世古先輩が自分を納得させる唯一の手段なのだと考えていた。

 

「香織先輩のことは確かにあんたの方がよくわかってた。だけど私のことはわかった気にならないで」

 

優子先輩の瞳に明確な敵意が宿る。高坂に向けていた怒りよりも冷ややかで、思わずぞっとするような冷たさだった。

 

「私は去年から香織先輩を見ていたの。去年のコンクールだって先輩は府大会を勝ち進むこともなければ、三年と一年のごたごたのせいで最後には出ることさえ出来なかったけどそれでもずっと香織先輩は努力してきていた。そんな順風満帆だなんて言えなかった高校に入ってからの吹部での全てを賭けて今日のソロを吹く。

ただ見守っているなんてできる訳ないじゃない。大好きな先輩が吹部のためにたっくさん頑張る姿を見てきて、私はその姿を追って吹奏楽を続けたんだから。そんな先輩が頑張ってるんだから支えてあげたいって思うのは当たり前じゃない」

 

蓋を開いてみればいつも通りだった。

ただ真っ直ぐに大好きな中世古先輩を思う気持ち。先輩のこの気持ちに、偽らずにいて欲しい。

そう言えばすっかりと忘れてしまっていた。俺はその自分の想いを守りたくて何とかしたいと思い、そして結果的に音楽室で滝先生に公開処刑にしようと告げたのだった。

 

「香織先輩が吹けないなんて可愛そうとかそんな同情はもうしない。それでも高坂の方がどんなに上手くたって、私は最後まで香織先輩に吹いて欲しい。それは絶対に同情なんかじゃない、トランペットが好きだって笑った先輩に吹いて欲しいっていう私の願いだから。だから私は何があっても最後まで香織先輩の味方で居続ける。ただ見守るだけなんかじゃない。意地でも傍で支えてみせる」

 

「……はは」

 

「…何で笑ってんのよ?」

 

「いや先輩らしいなって」

 

「……」

 

「そう言えば中世古先輩言ってましたよ。去年からずっと一緒にいた優子先輩が中世古先輩のこと、ずっと応援してくれて本当に良かったって」

 

「え?」

 

「確かに優子先輩の言う通り、俺は結果さえ良ければ他はどうでもいいと思うタイプなんで、問題を解決するために誰かの気持ちとかそういうの考えません。だからきっと今日も二人の演奏を聴いて冷静に評価を下すことになる。だけど中世古先輩の味方に最後までなる。その資格は他でもない、去年からずっと中世古先輩を傍で見ていた優子先輩にこそあるべきものだと思いますよ」

 

「ぁ……」

 

優子先輩がぽーっと俺を見つめている。

 

「な、なんすか?」

 

「あ、いや。比企谷そんな笑い方できたんだって」

 

「はあ?」

 

「ごめん」

 

徐々に顔が赤くなっていく先輩に俺は思わず顔を逸らした。そ、そろそろホールの準備も終わっただろうしホール戻ろうかな。うん。それがいい。

だがこの場から逃げ出すという俺の目的は叶わなかった。

 

「……今更だけど、私前に言ったわよね?」

 

「な、なんのことですか?」

 

「話すときはちゃんとしっかり隣に並んで話す事って。ほら、隣座んなさいよ」

 

「え、えー。でもそろそろホールの準備も終わってるだろうし、それに俺あんま座るの好きじゃないって言うか」

 

「外で練習するときいっつも俺は座れる部活を選んだはずなのに、ってぶつぶつ言ってる癖に何言っちゃってるのよ。何よりそうやってこっちが座ってるのに、立ったまま話されると見下されてる感あってムカつく!」

 

そんくらいで怒るとか器ちっちゃいなあ。日本酒飲むとき用のおちょこか。

そんなことは当然言えず、失礼しまーす…と遅れてしまったときに会議室にこっそり入るような動きでしゅっと座る。

隣に並んで座るのはいつまで経っても慣れることはない。それは隣で自分の髪をくるくると弄っている先輩も同じだろうか。きっとそんなことはない。いつまでもどきどきとしているのは俺だけ。

むぅ。無性に悔しい。

 

「ねえ、比企谷。音楽室であんな言い方したの、私怒ってるから」

 

「え」

 

「そりゃそうでしょ?どんな理由であれ香織先輩を悪く言ったの冒涜よ」

 

「冒涜…」

 

「うん。冒涜。それに、あんた頭良いから色んな事考えてあんな言い方したんだろうけどさ、もっと周りのこと考えてよ」

 

だけどね。そう言って優子先輩は窓の外から俺に目線を合わせた。

 

「ありがとう」

 

それは一体何に対しての感謝なのだろう。よくわからない。

むしろ俺は謝らなくちゃいけないことがあるのに。優子先輩の中世古先輩にソロを吹いて欲しいという願いはきっと叶わない。その一端をきっと俺が担ってしまったから。

 

「すいません」

 

「なんか変ね。片方は謝って片方は感謝するって。食い違い?」

 

「…多分、食い違ってるわけじゃないんですかね?」

 

「それにしても比企谷って謝ってばっかじゃない?反射的に謝るスピードとか比企谷が嫌いなサラリーマンばりよね」

 

「一番なりたくないものに近付いているのか…。でもそういうの良くあるって言うし、好きなことを仕事にしちゃいけないって良く聞くけど、逆に嫌いなことが仕事になるんですかね?」

 

「知らないわよ。それよりそういうことなら感謝される方が驚いたかなー。比企谷は捻くれてるし、感謝されること少ない気がするわね、何となく」

 

「言っときますけど俺は感謝できない子ではないんですよ。ただこれまでの人生において感謝する機会がなかっただけで」

 

「あはは。おかしい」

 

そう言えば優子先輩が高坂に頭を下げた理由を聞いてないのだった。

……でも、まあいいか。それはそのうち聞けば。

それよりも唐突に謝ったのは、きちんと謝りたいことがあったからでもあったのに。生意気いってませんでした。それから中世古先輩に吹いて欲しいと言った優子先輩の願いだけは叶えられなくてすみません。

だけどそれを言う前に話は打ち止めになった。

 

「練習始めまーす!」

 

俺たち以外にもホールから出ていた人がいたのだろう。廊下は声が響きやすい。誰かが廊下に向けて大声で叫べば大体の人には聞こえる。

ぎゅっと拳を作る優子先輩。さて、再オーディションの時間だ。

 

「……行きますか」

 

「……うん」


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