やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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初めてのホール練習を終えて、バスで学校に戻った俺は、解散となった後も校舎の外で居残り練習をすることにした。ひっそりとした校舎の裏なら、きっと誰にも気付かれることなく練習できる。

 

「くそ…」

 

幾度となく頭をよぎるのは高坂のソロパート。

狡いと思った。俺だって同学年なのにこの差は何なんだ。どれだけ吹いても高坂の演奏と俺の演奏には超えられないとさえ思えるような壁がある。普段から同じパートで練習していて何となくは理解していたが、今日一人でステージに立って吹いた音色を聞いてそれが尚理解できてしまった。高坂の演奏に魅入られて、追い抜く事なんて出来るはずもないのにそれでも吹いた。

もっと。もっと上手くなりたい。

 

「あれ」

 

それだけを考えて吹いていたら、いつの間にか校舎から差し込む照明の光がなければ譜面が見えないくらいに暗くなっていた。

流石に今日はそろそろ帰る頃合いか。

 

「…お疲れ様。比企谷君」

 

その柔らかで馴染みのある声に、俺は咄嗟に声の方を向いた。

 

「お、お疲れ様…です」

 

真っ白な肌の色が薄暗いこの空間の中で異質にさえ感じられた。微笑む中世古先輩は少しだけ目元が赤い。

こうしてしっかりと面と向かって話すことはないと思っていた。ましてや数時間前に再オーディションは終わったばかり。俺から話せることなんてあるはずがない。

 

「ホール練が終わった後まで練習するなんて偉いね」

 

「いや、別に」

 

「高坂さんの演奏にあてられちゃったとか?」

 

「……」

 

「ふふ。そっか。実はね、私もそうなの。さっき並んでステージに立ってたときは何とか表情に出さないようにしてたけど」

 

「え?」

 

「あ、違うよ!練習してたのはソロの部分じゃなくてね!」

 

笑っている中世古先輩の言葉に心がきしりと痛む。

少しずつ俺の方に寄ってくる中世古先輩からどこかに逃げたいと思いつつ、足はその場に留まっていた。

俺たちの間を夏らしい、生ぬるい風が吹き抜けた。

 

「私負けちゃったね。高坂さんに」

 

「……」

 

「私自身、高坂さんの方が上手いなって思ったし、拍手した人数も高坂さんの方が多かった。これじゃあ、もう完敗だ」

 

「…謝れってことですか?」

 

再オーディションを行うことにしたのも俺だし、高坂の方で拍手したのも俺。結果的に拍手の人数は一人の差で高坂の方が多かった。俺が拍手しなければ拍手した人数では中世古先輩は負けることはなかった。

 

「違うよ。むしろね、今日のオーディションが終わったら比企谷君にちゃんと言おうと思ってたんだ」

 

「!」

 

中世古先輩の上げた手が、俺の頭の上で無造作に動いた。無造作だけど、繊細で優しく。

俺は今、中世古先輩に頭を撫でられている。

 

「せ、先輩!?」

 

「比企谷君、ありがとう」

 

思わず身をよじった。驚きで足が震えている。

頭を撫でられるのなんて何年ぶりだろう。小町の頭を撫でることは記憶にあっても、母さんにさえ撫でられたのさえもう記憶にない。

俺のごわついた髪はたまに中世古先輩の指に引っかかる。それがたまに痛むが、それでも無理にでも辞めて欲しいと言えずにいるのは、素直になると落ち着く。そして嬉しいからだ。

そう思うのは本能的な部分で子どもの時の記憶や感覚がリンクしているからなのだろうか。子どもの頃は良いことをしたら褒めて頭を撫でられる。けれど大きくなれば、褒められもしないし頭を撫でられることなんてありえない。

普段じゃありえない時間だからこそ、俺はそのまま動かずに中世古先輩の母性とさえ言える優しさに見栄も強がりも捨てて素直に甘えてしまっていた。

 

「それからごめんね。たくさん無理させて。でも私、そのお陰でやっと納得できた」

 

「ぁ…。俺も…すいませんでした…」

 

「なんで比企谷君が謝るの?」

 

「色々謝らなくちゃいけないこと、あるでしょ?俺は先輩を傷つけたことに変わりない。部員が俺を責めるのは当然です。それだけのことを言ったし、先輩を結果として敗者にした。…最後、だったのに……」

 

いつもより素直に言葉がぽろぽろと零れる。本当は言わなくてもいいはずのことを俺は話していて、中世古先輩はそれでも笑顔を崩さずに受け止めた。

 

「うーん。それじゃあ私は今、こうして比企谷君に謝罪を込めてなでなでしてるから、比企谷君からもなんか返して貰おうかなあ」

 

「あ、これそういうことだったんですね」

 

「本当は最近の比企谷君を見てて、ずっとこうしたいなって思ってたからなんだけどね」

 

「くっ…」

 

改めて近くで見ると中世古先輩って本当に美人だな。俺の頭を撫でていない空いている手を口元に当ててくすくすと笑っている中世古先輩。

この人に俺なんかが何か返せるものはあるのか。何か頼まれていたこととかして欲しいとか言ってたこと。言ってたこと……。

………あ。一つだけ、頭をよぎった。

 

「? どうかした?」

 

「い、いや。なんでもないです。か、香織、先輩……」

 

「……え?今、比企谷君、私のこと…」

 

「ほ、ほら!前、優子先輩みたいに先輩の事も名前で呼んでって言ってたから!一回だけですよ、一回だけ」

 

「……」

 

「……」

 

も、もう殺してくれ。沈黙が辛いよお。沈黙は金なんかじゃない。むしろ今この場は沈黙が禁であって欲しい。中世古先輩、キモいとかもうそういう罵倒でも何でも良いからなんか話して!

 

「……」

 

「うわ。ちょっとさっきよりも強く撫でるのは辞めて下さい!」

 

「ふふ!比企谷君は可愛いなあ!」

 

「わわわわ」

 

「ちょっと問題児だけど」

 

「一言余計すぎる」

 

「あはは。本当にありがとうね、比企谷君」

 

人生はリセットできないが、人間関係はリセットできる。ついこの間、証明したと思っていた持論はきっと間違ってはいないと思う。

人間関係なんて終わらせてしまえば、後は曖昧に。時間の流れによって風化していくはずだった。朽ち果ててなくなって初めから何もなかった、と。

それでもなくならずに今こうして何とかつなぎ止められたのは、叩き潰れることがなかったからだ。俺はそうしたつもりだったけれど、この俺の頭を撫でる温かい手のひらは、叩き潰れないようにしっかりと包んで守ってくれていた。

 

「俺の方こそ…ありがとうございます。香織先輩」

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