やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「いよいよコンクールまであと十日です。各自、課題にしっかり取り組んで練習に臨んで下さい」

 

「「「はい」」」

 

夏休みに入り、長くなったはずの練習時間が一瞬にして過ぎるように感じた。そう感じているのは多分俺だけではないと思う。朝から日が暮れるまで練習をしてそれでも時間が足りないと、二十四時間しかない時間という概念に恨みを向ける。どんだけ練習をしても翌日にすぐに練習が待っているのに演奏や吹奏楽について考えて帰宅する毎日。そんな日々を過ごしていると、社会に疲れたゲーマー達が人生を考え直したいから、『CLANNAD』や『Air』を持って精神と時の部屋に入りたいと話す気持ちがわかる。プライベートの時間とかコンクールについて以外のことを考えていられる時間なんてどこにもない。

 

そして、最近もう一つ知った事実がある。忙しいと人に構っている余裕なんてなくなって虐めや悪口は比較的穏やかに収まるケースもあるということだ。

忙しい。忙しいから他のことに手が回らない。会社ではある意味処世術としても用いられるこの忙しいという言葉。あんまりにも使いすぎると、忙しいなら他の時間を使うか何とかしろという抽象的すぎるお説教が待っていると父さんは泣きながら言っていたが…。確かに共働きである両親が家で珍しく一緒にいるときに、母さんにあれやれこれやれと言われて、今忙しいを繰り返して雷が落ちている姿を何度見たことか。そして不思議とその逆はない。

しかし今の部活において忙しいというのは事実である。渡されたスケジュールにはぎっしりとその日に行うメニューが書かれていて、不安があればその後も居残り練習。その上、吹部は思いの外、パートが違うと関わることも多くない。そんな環境もあってのことなのだろう。

これまでの中学頃の俺の経験上、問題を起こせばすぐに広まり、それは陰口から始まり悪口に変わり徐々に直接的になっていった。指定された待ち合わせ場所で何時間待っても、誰も来ないラブレター。スパムメール当てのメールアドレスが書かれた机の奥に入った手紙。延々と変わることのない掃除の係。

虐めは蓄積されていき、最終的にその重みに耐えられなくなったものが親しいと思っている誰かに相談なんてとんでもない。それをまた他の誰かに言いふらされたら、さらに酷い仕打ちをうけるかもしれないという悪循環。リスク管理の問題だ。そうして辞めていったやつもいた。

 

ただ今回のケースはもう一つの可能性を提唱することも可能。部内において明らかにパワーのあるこの二人の影響という可能性もなくはない。

中世古香織と吉川優子。二人は可愛らしい布に包まれたお弁当箱を持って、俺の元に近付いてきた。

 

「比企谷君。一緒にお昼ご飯食べよう?」

 

明らかに嫌そうな顔で返すが、二人には全く通じていない様子。小首をかしげている。

あまり他に人がいるところで話しかけて欲しくない。

 

「いや。俺最近ベストプレイス見つけたんで、そこで食べます」

 

ベストプレイスを見つけたのは事実である。俺たちが部活を行うのは音楽室や教室がある北校舎だが、渡り廊下を歩いて反対にある南校舎。南校舎の四階には今は廃部して使われていないいくつかの部室、というか空き教室がある。鍵も掛かっていないし、少しだけ埃っぽい点さえ除けば滅多に人が来ないから最高のボッチスポットなのだ。

 

「一人で?」

 

「まあ」

 

「それじゃあそこに私と優子ちゃんも付いていくよ」

 

むぅ。香織先輩は何だかんだで頑なで引かない。最近になってそれがよく分かるようになってきた。

それなら問題ないでしょ、みたいに笑っているが問題は解決していない。昼飯くらい一人で食べさせてくれ。ただでさえ例年の夏休みと違って、一人で自分のベッドの上でごろごろと安らぐ時間がめっきりとなくなってしまったのだから。せめてお昼くらい、一人で飯を食べながら飛んでくる虫を見たり、窓から照りつける太陽を鬱陶しく思う。そんな夏の一時を謳歌させて欲しい。

 

「比企谷。諦めなさい。こうなった香織先輩は意外と頑固だし、そもそも香織先輩からの誘いを断るなんて恐れ多いわ」

 

この人は香織先輩を神だとでも思っているのだろうか。思っているんですね。ええ。

 

「頼まれたらパンでも飲み物でも買いに行く。暑いと言えばクーラーを付けるように職員室に交渉しに行く。そこまですることを決めて、やっと香織先輩とお昼を食べることを許可するわ」

 

「優子先輩は部長と昼飯を食べる前の上司なんですか?」

 

俺たち三人の関係は端から見れば不思議なものだと思う。優子先輩と香織先輩はまだしも、俺と優子先輩は再オーディションを行うことを巡って部員達の前で喧嘩をしているし、香織先輩なんて俺に面子を潰されたように見えるに違いない。部員達の前で負けを晒される、その発端となった人物。だから三人集まれば、俺は異端として悪目立ちしていることだろうと思う。

だが悪目立ちであっても、目立っていて注目されていることに変わりない。だから最近は噂で『仲が悪くなるはずなのに、香織先輩の優しさがパート内で除け者にならないようにしてあげている』とか、『オーディションが終わった後に比企谷が優子先輩に土下座して謝ってた所を香織先輩が許してあげてってお願いした』とか、『あいつはクズだけど、香織が神』とか、『うちの中世古香織の為ならば、俺はもしかしたら比企谷八幡も殺せるかもしれない』とか言われていても何もおかしくはない。

何があっても北宇治高校吹奏楽部の中で香織先輩は正義なんだな。

とは言え、そんな人が俺を許したという事実。それは確かに俺の立ち位置に影響を与えたという可能性はやっぱりあると思う。

 

「それじゃ比企谷君のおすすめ場所行こうか?」

 

「…いや、やっぱりどこか空いている教室でいいです」

 

香織先輩と優子先輩からはもう逃げられずどうせ一人でいられないなら、できるだけ動かずにいたいし、先輩達にわざわざ歩いて空き教室に連れて行くのも申し訳ない。

 

「そっか。それじゃあここでいっか」

 

こうして三つの机がくっついた。まるで『凸』の字のように並べられた机。

これからの昼休みも夏休みはこうして過ごすことになるのだろうか。いや。今日は他のパートメンバーはいないが、普段はこの二人は他のパートメンバーと昼食を取っていることも多い。そう考えると他のメンバーもいることもあるかもしれない。

 

「……はぁ」

 

俺は一つため息を吐いた。


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