やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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目覚ましの音で目を覚ます。

今日も夢にさふぁしばが出てくることを期待したが、残念ながらサンフェスの日以来、夢の中で普段よりも一回り小さく、可愛らしいドヤ顔で謎の豆知識を披露するさふぁしばが出てきたことはない。

だけどいつかまたあのさふぁしばが夢の中で出てくる。そんなどうでもいい確信がある。

 

「…よし」

 

床に落としたあった楽譜を手に取る。

普段は眠くなるまで小説かマンガを読むことが多いが、昨日は楽譜を眺めていた。規則正しく引かれている五本の線と、その上で踊る黒丸。同じようなものを数えていると退屈だからか不思議と眠くなってくるという、正に羊を数えるのと同じような要領で寝っ転がりながら眺めていると、指が無意識に動き出して、滝先生に注意されて書き込んである文字にばかり目が行ってしまってむしろ昨晩は冴えてしまっていたように思える。

それでも練習の疲れか、それとも今日は寝坊できないという緊張かいつの間にか眠り、目覚ましの音でぱっと目を覚ますことができた。

京都府予選、当日。絶対に忘れられない楽譜を鞄に詰めて、俺はリビングへと向かった。

 

 

 

 

「おはよ。お兄ちゃん」

 

リビングに行くと、夏休みにしては珍しく早く小町がすでに起きていた。

 

「おう。早いな」

 

「うん。今日くらいはお兄ちゃんのこと、見送りしてあげようかと思ってさ。ポイント高いでしょ?」

 

何この良くできすぎた妹。同じ遺伝子引き継いでるのか疑う。

 

「ああ。すっげえ高い。カンストしたまである」

 

「やったね。ついでに今日はお父さんとお母さんもお見送りしたんだ。お父さん、スキップしながら家出てって馬鹿そうだなって思った」

 

「……」

 

確かに馬鹿そうだけど、俺たちが夏休みの間も俺たちのために頑張って働いてくれてるのになんて酷い…。

 

「しかもしかも!じゃーん!朝ご飯も用意しておきましたー。ぱちぱちぱち」

 

「お、おぉ…。お兄ちゃん……感動…!」

 

「うわ。本当に泣いてるし」

 

しょうがないだろう!父親が娘に急に全く似てない似顔絵を貰ったときと同じ気分がわかっちゃったから。ちょっと違う気もするけど…。

いつまでも泣いている時間の余裕もないので、椅子に座って並べられている料理の数々を見る。味噌汁とご飯、それに鮭と卵焼き。いかにも朝食らしい朝食で珍しい。共働きで働いている我が家では食パンとか、前日の残り物とかザラだから。

……ん?

 

「…な、なあ小町」

 

「何かな、お兄ちゃん?」

 

「いや、この鮭の乗った皿にラップしてあるじゃん?」

 

「うん。ちゃんと温めたよ」

 

「おう。それでこの付いてる付箋……」

 

その付箋には母さんの字で『八幡の分』と書かれていた。

 

「あっ!しまった剥がし忘れたあ!」

 

「え、えー。用意したって」

 

「冷蔵庫から出したもん!温めたもん!」

 

「果たしてそれを用意したと言って良いのか?」

 

勿論、こうして温めて並べてくれていただけでも有難いんだけど、カンストした小町へのポイントが大幅ダウン。百十に下がってしまった。十点満点中。結局カンストしていることに変わりないんかい。

 

「…ん?」

 

付箋の裏に何か書いてあることに気が付いた。

『応援してます。頑張って』。

 

「……」

 

付箋はゴミ箱に捨てずにポケットにしまった。もしかしたら小町も母さんが残したこのメモに気が付いて捨てなかったのかもしれない。だって普通忘れないもんな。目の前で『やっちったやっちった』と、舌をぺろっと出しているアホそうな、というか事実アホな妹でも流石に。

 

「小町」

 

「ん?どったの?」

 

「ありがとな」

 

「うん。頑張ってきなさい」

 

「おう」

 

「小町見に行くからね」

 

「え。本当に来るの?」

 

「うん。中学の吹部の友達と一緒に行くって約束したんだ」

 

「そうか」

 

「最近のお兄ちゃん、ずっと頑張ってたからさ。妹としては兄の成長と成果を見に行く義務があるのです」

 

そんな義務聞いたことないけど、小町が来るのか。

朝飯を口に運んでいると、ぽすりと俺の上に感じ慣れた暖かさが乗った。

 

「おう、かまくら。お前ももしかしてお見送りか?」

 

珍しいな。かまくらが俺の方に寄ってくるなんて。

だがそんな俺の言葉はあっさりと無視して、かまくらは欠伸を一つ。そしてそのまま丸くなって眠った。

 

「あはは。かーくんはお見送りじゃないってさ」

 

「こいつ……。いつもより早起きした俺への当てつけか…」

 

気持ちよさそうに眠るかまくらを見ていると、今日ばっかりは羨ましさよりも先に何だか安心感を覚える。

 

しっかりと朝飯を食べ終え、かまくらを隣の空いていた椅子の上に移してから立ち上がる。

 

「よし、行きますか」

 

 

 

 

 

家を出てしばらく歩いていると後ろから声をかけられた。

 

「比企谷ー」

 

聞き慣れた特徴的な高い声。すぐに優子先輩だとわかった。振り返るとやはり優子先輩で、立ち止まって待つことにする。

 

「おはよ」

 

「おはようございます」

 

今日の優子先輩はいつもの黄色のリボンではなく、落ち着いた茶色のリボンを付けていた。

コンクールは基本、正装で参加する。そのため今日ステージに立つ五十五人のメンバーは正装である冬服で来るようにと先日貰った注意事項には記載されていた。

とは言え男子は上着を羽織るだけで良い。それに対して女子の冬服はそういう訳にはいかず暑そうだ。他にも髪が長い人は髪を肩の位置くらいまでに結ぶことや、スカートは短いのが厳禁で膝の位置に、など女子は面倒な事が多い。優子先輩もスカートがいつもより長く、少しだけ新鮮だ。

 

「今日は絶対金賞取らなくちゃ!全国への第一歩よ!」

 

「また突然…。大体金賞取るだけじゃ、関西の出場権取れるとは限らないじゃないですか。金賞を取って、かつ京都の出場枠の三校に選ばれてやっと関西大会までいけるんですから」

 

「確かにそうだけど、まずは金賞取らなくちゃ出場枠の可能性ゼロじゃん。一つ一つ順番に達成していけば良いのよ」

 

学校まで昨日は中々寝付けなかったとか、今朝の占いの話とか些細な話をしながら向かう。学校が近づいてくると、楽器を吹く音が聞こえてきた。

 

「はっや。もう音出ししてるのね」

 

「俺たちもそんな来るの遅くないはずですけど」

 

「うん。みんなそれだけ今日が不安ってことね」

 

「優子先輩は今日はあんま緊張してないんですか?」

 

「今日はって何よ?」

 

「いや、サンフェスの時は結構緊張してたから」

 

「あー、そういうことね。本番直前までは緊張しないんだけどなー。本番が近付くにつれて高まっていくのよね」

 

「まあでも、本番が近付くにつれて落ち着く奴って聞いたことないですよね。普通なんじゃないですか?」

 

「それもそうね。そんな訳でもしかしたら緊張しててこんなこと言ってる余裕ないかもしれないから先言っとこ。ねえ比企谷。今日、頑張ろう」

 

優子先輩が拳を一つ突きだした。

え、何?ルフィの真似?

 

「ん」

 

「いや、そんな早くしろみたいにされても。これどういうサインなんですか?」

 

「え、知らないの?大会前とかよくやるじゃない?」

 

「いや、少なくとも俺が千葉にいたときにこんな文化はなかったです。コンクール出てなかったから知らないだけかもしれないけど」

 

「えー。全国共通だと思ってたんだけど。こういうときは拳と拳を付き合わせるの。ハイタッチ的なあれよ」

 

「俺が嫌いなタイプのやつですね」

 

「いいから。ほら。手出して」

 

優子先輩に腕を引っ張られて、肩の高さより少し低めに上げられる。

本当にこの人は…。こういう軽い感じのボディタッチ禁止。法律で規制するべきまである。

この手のトラップに、今までどれだけの男が引っかかってきたと思ってるんですかね。俺はこんな軽い攻撃なんかで落ちないぞ…。中学生の頃痛いほど引っかかってきたんだ…!マリオじゃないんだから、そんな簡単に何度も落ちていいわけない!

 

「はい。手を握ると。ん!」

 

優子先輩と俺の拳がこつりとぶつかる。ちょっと痛い。

優子先輩はそのまま拳を胸の前に持って行き、『よし。関西行くわよ』と呟いている。頑張るぞー、のポーズのようでなにやら気合いを入れまくっているようだ。

 

「……」

 

ぶつかった拳を見つめる。この右手がコンクール会場でピストンを押すまで、残りあと数時間。

震える右手にぎゅっと力を込めて、何とかそれを誤魔化した。

 


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