やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「はーい。みんな聞いてー。聞いて下さーい。各パートリーダー、自分のパートが揃っているか確認して下さい。トランペット?」

 

「います」

 

「パーカス、問題なーし」

 

「フルート全員います」

 

「クラ揃ってます」

 

「ファゴット、オーボエ大丈夫でーす」

 

「トロンボーン、揃ってまーす」

 

「ホルンいます」

 

「低音、オールオッケー!」

 

「サックスも大丈夫っと。はい。わかりました」

 

部長の点呼にパートリーダーが順に答えていった。その間もどこか落ち着かず、今日の演奏の確認をする。

今朝話していた通り、優子先輩は本当に緊張していないようだ。高坂は一つ大きく息を吐いた。緊張している、という訳ではなさそうだけど。

香織先輩の表情は今から真剣そのもので緊張なんて感じさせない。このパートの中で緊張してるのは俺だけなのか。思い返してみれば、トランペットパートは経験者の集まりで、基本的に皆コンクールに出たことがあるはずだ。

緊張するときはどうすれば良いんだろう…。困ったときは、そうだ。川島だ!

川島のふわふわオーラに助けて貰おうと、川島の定位置である窓際を見る。

 

「…まじか」

 

当の川島はやる気に満ちた表情で、テーピングで巻かれた指を触って感触を確かめていた。おそらく、あれが川島なりの緊張との向き合い方なのだろう。

テニスはポイントが終わった後に、次のポイントのファーストサーブを打つまでわずか二十秒間の猶予しかない。その間に例えば、ラケットのガットを弄るなどといった決められた動きを行うことで、メンタルを落ち着けるという。

川島の中学はかなりの強豪校で、幾度となくコンクールを乗り越えてきた。だからきっと川島の指を弄るのも同じようなものなのではないかと思う。

 

「えーっと、七時過ぎにトラックが来るので、十分前になったら積み込みの準備を始めます。楽器運搬係の指示に従って、速やかに楽器を移動して下さい」

 

「「「はい」」」

 

「楽譜係」

 

「はい。今から譜面隠しを配ります。各パートリーダーは取りに来て下さい」

 

「受け取ったら各自なくさないようにねー」

 

「楽器運搬の人はこっちに集まってくださーい」

 

周りのパートメンバーや川島を見て、逆に焦りが生まれてしまった。

やばい。そう言えば、あの注意されてた部分大丈夫かな。

 

「はい。比企谷君」

 

「……」

 

「比企谷君?」

 

「あっ。すいません」

 

「…ううん。譜面隠しだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「比企谷君は男子だから、この後楽器運搬手伝ってあげてね」

 

「はい。わかってます」

 

「うん。でもその前に」

 

「な、なんですか?」

 

「緊張してるんでしょ?」

 

「……正直に言うと」

 

「素直なのはいいことだ。私はね、いつも大切な人とか、聞いて欲しい人に向けて吹くようにしてるんだ。その人が実際にそこにいるかとかが大事じゃないんだけど、誰かに届けって気持ちで吹くといつの間にか全力で吹くことだけに集中できるよ」

 

「また随分抽象的というか精神論ですね」

 

「ふふ。うん。でもね、そうやって吹くと緊張なんて忘れちゃうから。一つの解決方法だと思って聞いておいて」

 

「なんか香織先輩らしくないです。そういう精神論的な方法」

 

「もう。そうやって私のこと決めつけるー。意外と熱血派だよ、私」

 

 

 

 

 

 

「お前ら気持ちで負けたら承知しないからな!わかったか?」

 

「「「はい」」」

 

「はぁ…。はぁ…。すみません。お待たせしました」

 

楽器運搬も終わりバスの前で外で集まって松本先生に渇を入れられていると、滝先生は走りながらやってきた。相変わらずうちの顧問二人の温度差は冬の自販機のコーンスープとマイナス四度のビールくらい違う。

 

「みんな揃ってますか?」

 

「ええ」

 

「そうですか」

 

滝先生の少なくとも見た目だけは爽やかな笑顔と特別な装いに、吹部女子から久しぶりに黄色い声が上がり出す。

 

「タキシードだ…!」

 

「タキシード!やばいねー」

 

滝先生の拷問のような練習をしている俺たちは、いつからか悪魔などと呼んでもはや忘れがちなのだが、なんだかんだで滝先生はやっぱりイケメンである。あんまりにも滝先生の落ち着いた雰囲気とすらっとした見た目が白と黒のコントラストの礼服にあまりにもマッチするものであるから、その格好に滝シード、つまりタキシードと名前が付いたとさえ言われている。勿論嘘だ。

 

「先生、ちょっといいですか?」

 

小笠原先輩が手を上げた。

 

「どうぞ」

 

「森田さん、中川さん」

 

「えー、私たちチームもなかがみなさんへのお守りを作りました。今から配りますので受け取って下さい」

 

「イニシャル入りです」

 

おぉ、っと冬服に身を包まれたメンバーから歓声と惜しみない拍手。

チームもなかとはBチームが自分たちに付けた名前だ。その由来はよくわからないが三人いる二年生の頭文字を取ったものだと、優子先輩に聞いた気がする。

Bチームのメンバーはオーディションに落ちたメンバーだが、それでも練習は俺たちと変わらない。今は府大会止まりのB部門で金賞を取るべく、日々練習を重ねていた。その中で俺たちA部門のサポートや、こうしてお守りを作ってくれたりしている。

次々に配られているお守りを見て、先ほどまで感じていた不安とはまた違う緊張感がよぎる。多分、今緊張してるのは俺だけではないだろうか。

……俺の分、忘れられてないよな?いや、別に忘れられてもいいんだけどね!お守りとか、俺信じてねえし!

 

「沙菜先輩。これ」

 

「うわー。ありがとう!」

 

加部先輩が笠野先輩に『S.K』と書かれたお守りを渡す。

 

「なーんか私のだけおっきいんですけどー!」

 

「愛だよー。嫌がらせという名の愛」

 

「おっきすぎて邪魔なんですけど!」

 

「態度がでかいんだからちょうどいいんじゃない?」

 

「くぅー!ムカつくー!」

 

中川先輩は優子先輩に『Y.Y』と書かれたお守りを渡していた。確かに他の人よりもそのお守りは一回り大きい。

 

「ひーきがや。はい!」

 

「うお!」

 

「ビックリしすぎじゃない?」

 

「そりゃ急に目の前にお守りが出てきたら誰だってビビるだろ…」

 

へらへらと笑っている加藤。良かった。そう言えば加藤がいたんだった。

『H.H』と書かれたお守りは基調となる色が紫で、緑の水玉があしらわれているせいで毒々しい色合いをしている。もしこれがお守りだと事前に聞いていなければ、『H.H』という誰かを呪うアイテムに見えたことだろう。

 

「私が作った分、くじで決めたら比企谷はこの色になっちゃったんだよね」

 

「いや、加藤。全然いいんだ。俺今日お前がいて初めて良かったと思った」

 

「初めて!?もっと前からなかったの!?」

 

「えー。みんな、行き渡りましたかー?」

 

「あ。やば。まだ塚本に渡してないや!おーい、塚本ー!」

 

小笠原先輩の言葉に加藤は急いで塚本のところに向かって行った。

今度ちゃんとお礼しよ。

 

「まず毎日遅くまで練習する中、全員分用意するのは本当に大変だったと思います。ありがとう。拍手」

 

ぱちぱちぱち、と炎天下の下で乾いた音が鳴る。

B部門のチームもなかの面々は恥ずかしそうに笑い合った。

 

「では、そろそろ出発します」

 

「小笠原さん」

 

「はい?」

 

「部長から皆さんへ。何か一言」

 

「えっ!私ですか!?」

 

少し顔を赤くした部長に、副部長の田中先輩が茶化す。

 

「よっ。待ってました、部長様」

 

「茶化さないの!代わりに話させるよー」

 

「こほん。ではユーフォの歴史について」

 

「それはいいから」

 

部員達が二人の漫才のようなやり取りに笑い声をあげた。顧問の二人も笑っていて、何だか保護者のようだ。

 

「えっと、今日の本番を迎えるまで色んな事がありました。でも今日は、今日できることは今までの頑張りを、想いを、全て演奏にぶつけることだけです。それでは皆さん、ご唱和下さい。北宇治ファイトぉ…」

 

「「「おー!」」」

 

約七十の腕が一斉に高く突き上げられる。

 

「はしゃぎすぎだ!」

 

松本先生のお叱りを受けて、そろそろと下がっていく腕の中には滝先生の腕もあった。


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