やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
移動するバスの中は静かだった。緊張しているのもあるだろうが、バス酔いして気持ち悪そうにしている人もチラホラ。『薬、あるよ?飲む?』と隣に座る人が声をかけているのも、どこからか聞こえてくる。
俺の隣に座っている塚本は小さくトロンボーンを動かす動作をしながら本番に備えているようだ。
「あ。見て見て。四つ葉のクローバーのタクシー!これで今日の演奏はばっちりに違いありません!」
そんなバスの雰囲気にそぐわない元気な声はすぐ後ろの席から聞こえてきた。
「みどりは元気だなあ。四つ葉のクローバーのタクシーってそんなに珍しい?」
「違います、葉月ちゃん。四つ葉のクローバーのタクシー自体が珍しいかどうかは関係ありません。今あの四つ葉のクローバーを見れたことに意味があるんです」
「どういうこと?」
「四つ葉のクローバーは幸せを意味しています。つまり今それを見れたと言うことは、今日の結果はきっとハッピーに違いありません!あー、早く演奏したいなあー!あ、あのお店美味しそー…。今度行ってみよう!」
「うわー、みどりテンション高…」
本当、どんなメンタルしているんだ。さっきまで音楽室で真剣な表情をしていると思ったら、コンクール会場が近付いてきた今はにこにこしていつもより明るくて、隣にいる加藤さえ手を付けられない。サイコパスなのか。
「川島はやっぱりすごいな」
塚本が急に話を振ってきた。
「ああ。もう同じ心臓を持った人間とは思えない」
「俺なんて昨日の夜から緊張してるし、なんか浮ついてた。でも朝早い時間の電車に乗って学校来てそんでみんなの顔見て、やっといよいよ今日なんだなって実感したわ」
塚本が貰ったばかりのお守りを手にとって眺めている。
俺のお守りとは色が違い、紺に黄色の水玉があしらわれた柄のお守りはどこか夏祭り、少し前の県祭りを連想させた。
「中学の時のコンクールより緊張して昂ぶってくるのは、やっぱそれだけ今回のコンクールに掛かけてきたものが多かったからなのかな」
きっとそうなのだと思う。適当にやっていたらこれほどまでに緊張することもなかった。全国に行くことを目標としてやってきたからこそ、もしもの可能性がちらついて怖い。
「でもきっと大丈夫だって。あんなに練習したんだからさ。入学したばっかりの頃は先輩達すごい不真面目で、こんな部活やってられるかって文句ばっかり言ってた。でも滝先生が顧問になって少しずつみんな変わっていって、きっと今日争う他の学校の吹部より俺たちの方がずっと、全国目指してそれ相応の練習をしてた……はず」
「そこは自信持てよ」
「冷静にサンフェスの時の立華と洛秋のこと思い出したら不安になってきた…」
「…やめろ。思い出させんな」
「あの二校は特に、なんかいるだけで明らかに強そうだったもんなあ…」
ああ。塚本が余計な事言うから意識しちまった。そう言えば今日はライバルで立華と洛秋も来るのか。
サンフェスの時はある意味吹部の憧れとも言える立華を生で見て、憧れに近い感動を覚えていたが今はもうそんなこと言ってられない。同じ京都というスタート地点から全国へ行くためのネクストステージ、関西のわずか三つの椅子を争うライバルなのだ。
「……」
「…まあ、それでもこんなところで終わるとは本当に思ってない。そんな死にそうな顔すんなって」
「え?俺今そんな顔してんの?」
「結構酷い顔してる」
「まあ死んだような目をしてるとはよく言われるから、逆にいつも通りだろ。つーかそういうお前だって、さっきから大丈夫とか心配ないみたいなこと言いながら結構情けない顔してるぞ?」
「まじで?」
「まじまじ」
不安そうな顔の男二人が見つめ合うというのは何ともシュールなものだろう。その後ろでは今もまだ『葉月ちゃん。見て下さい。横に止まってる車可愛いです…!』なんて話してる川島の声を聞いていると、よく聞く男より女の方が強いというのはあながち間違いではないのかもしれない。
「みんなー。聞いて下さーい」
前の方から小笠原先輩の声が聞こえてきた。すでに割と静かだったバスは、部長のかけ声で数人が話すのを辞めるとすぐに静かになった。
「あ。隣の人が寝ていたら起こして下さい」
『ナックル先輩、起きてー』という控えめな声と、その周りからくすくすと笑い声が聞こえてきた。
「そろそろコンクール会場に着くそうなので、もう降りる準備をしておいてください。すぐに楽器の荷下ろしの場所に移動するからそのつもりで」
「あ、見て!見えてきたよ!」
窓の外には大きなホール。吹部であろう他校の制服を着た生徒達がチラホラとすでに待機している。
ガラス越しに見えるその光景の中にうっすらと映る俺と塚本の顔はもはや少し泣きそうにさえ見えた。
「では、この扉を閉じたら音出しして構いません」
滝先生はコンクールのスタッフの学生に頷いて、俺たちは扉が閉じるのを待った。
コンクールはすでに始まっているので音を出せる場所は、この音出し用の控え室のみである。限りある時間の中で俺たちは最終調整をしなくちゃいけない。
扉が閉まったのを確認するとチューナーを手に持ち、各自でチューニングを始める。ホルンはパートでチューニングを行っているし、チューバのカップルは二人で交互に音を合わせていた。夫婦か。
その後に全体で音を合わせて本当に言葉通りの意味で演奏前の最終確認。滝先生の手がクラを指すと、クラリネットから一斉に音が飛び出た。一定の間隔を置いて、他の楽器も音を出す。やがて五十五人の音が重なると滝先生は目を閉じてじっと音を聞いていたが、しばらくして目を開けてにこりと微笑んだ。
「よろしいですか?」
「「「はい」」」
「えっと、実はここで何か話そうと思って色々と考えてきたのですが、あまり私から話すことはありません。春にあなたたちは全国大会を目指すと決めました。向上心を持ち、音楽を奏でてきたのは全て皆さんです。誇って下さい。私たちは北宇治高校吹奏楽部です」
相変わらずこの人は、生徒のモチベーションをコントロールするのがうまいな。
サンフェスの時も全く同じことを思ったのだった。いつもは爽やかな笑顔とは対照的にうじうじと憎たらしくすらある嫌みしか言わないくせに、こんな時だけは俺たちを持ち上げる。
「そろそろ本番です。皆さん、会場をあっと言わせる準備は出来ましたか?」
その言葉に俺たちは気を引き締めた。
だが、明らかに表情が引き締まった俺たちを見て滝先生はふっと笑う。
「始めに戻ってしまいましたか?私は聞いているんですよ?会場をあっと言わせる準備は出来ましたか?」
どうやら、そう固くなるなということだそうだ。いつも通りのどこか憎たらしい物言いもこんなときだけは励みになる。
俺はあの頃からこの顧問の全国に行く、という夢物語を未だに叶えられるだなんて思っていない。ほとんどの人が憧れて挫折をして、夢半ばで終わる。そんなものだろう。こうして本番を控えた今でさえ、心のどこか冷めた部分ではそう思っている。
それでも最初の頃のただトランペットを吹ければ良い。そう思って入部した頃とはもう違っていた。これだけ練習してきたのだから、本気で全国に行きたいと願う部員がいるのだから俺だって今日は笑って帰りたい。
「「「はい!」」」
「では皆さん、行きましょう。全国に」