やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「ふあぁあ……」

 

ねみい。

普段も吹きたいなと思った時は練習が始まる一時間くらい早く来ることはあるが、流石にここまで早く来ることはないだろうと思っていた。ただ昨日の演奏で個人的に浮き彫りになった不安な部分もあったし、何より昨日の帰りに優子先輩に朝練来るように言われたし。

なんだかんだで先輩に言われると断れないものである。やっぱり社畜にはなりたくない。だって、金曜日の夜とか次の日休みだから一番早く帰りたいのに飲み会誘われたら行かなくちゃいけないんでしょ?

だが、登校中にたまたま会って一緒に来た当の優子先輩はというと……。

 

「香織先輩。今日もまじ可愛いです!朝から拝めてよかった!」

 

参拝するな。朝練をしてください。

下駄箱の前でちょうど靴を履き替えたばかりの香織先輩は優子先輩同様、昨日の冬服よりずっと薄手の夏服にまた戻っていた。

優子先輩の香織先輩への熱烈なラブコールは聞いているだけで勢いが凄すぎてモーニングコールよりも眠気が吹っ飛ぶ。モーニングコールなんてされたことないけど。

 

「もう。なあにそれ?」

 

「私、今日は、いや今日も一秒でも長く香織先輩をこの目に焼き付けるために朝練に来ました!」

 

おかしいな。関西まで時間がないから朝練しようって言ってたのにな……。

 

「それじゃ、比企谷。私と香織先輩は滝先生のところにちょっと用事があるから、先に音楽室に行ってて」

 

「いや、用事があるのは私だけなんだけど……。ごめんね、比企谷君。すぐに音楽室行くから待っててね」

 

「うす」

 

「ちゃんと練習して待ってるのよ?」

 

「俺の母さんですか?」

 

大体どの口がそれを言うんだ。今まさに歌舞伎町のキャッチでもそこまでぴたりとくっ付かないぞってくらいの位置で歩きながら幸せそうに笑ってる先輩に言われたくないですぅー。

一人で音楽室に向かって歩いていると本当に誰もいない。

夏休みに入ったばかりの頃は、吹部とよその部員だけしかいない学校というのが新鮮だったが、今日は時間が早く尚特別な感じがする。でも、同じ特別な学校という枠で括れるはずなのに、早朝の学校と違って夜の薄暗い学校はどうして怪談やあらゆる作品のネタでよく使われるのだろうか。やはり、人は夜が好きなんだ。俺も夜の方が好き。深夜アニメとか超好き。

 

音楽室に近づくと楽器の音が聞こえてきた。それはつまり、もっと早くから練習に来ている先客がいることを意味する。

知らなかった。こんな早い時間からもう練習してる生徒もいるのか。

近づいて中を覗くと一人しかいない。とりあえず、音楽室から椅子を取ってさっさと外で吹こう。話したことない先輩と二人で音楽室にいる気まずすぎるし、後で誰かが来た時に、『さっきまであいつと二人きりだったんだけど、何でもっと早く来てくれなかったの?』なんて言われたら死にたくなる。

音楽室の扉を開けて音楽室に入る。落ちたら二度と戻ってこれないような感情が灯っていない瞳が俺を捉えた。

 

「……」

 

……正確な音だ。まるで録音した音源をそのまま聞いているかのようなオーボエの音。

北宇治高校吹奏楽部にはオーボエ奏者は一人しかいない。その上、この先輩は優子先輩と同じ中学出身で仲が良いらしく話を聞くことがあった。なので、あまり印象に残らないというより儚げともいえる彼女の存在は、話したことはないけれど以前から知っている。

鎧塚みぞれ先輩。青みがかった髪の下の淡白な顔は、オーボエを吹いていても楽しそうでも辛そうでもなくて、本当に感情がないんじゃないかと思ってしまう。

それにしても鎧塚って苗字かっこいいよな。珍しい。インパクトではさすがにサファイアには勝てないけど。

 

「……はやいね」

 

「え?」

 

聞き取れなかったわけではない。話しかけられたことに驚いた。

 

「今日は何かあるの?」

 

「えっと、特にそんなことはないんですけど。優子先輩に来いって言われて」

 

「そう。今日は普段、この時間から来ない一年生二人目だったから」

 

質問されたが、興味があったわけではないのだろう。鎧塚先輩は淡々と答えて、無表情のままリードを咥えた。

沈黙が支配したが、それをオーボエの音が覆す前に俺は話しかけた。

 

「あの、先輩っていつもこんな早くから来ているんですか?」

 

「うん」

 

「すごいですね」

 

「別に。優子もいつも六時過ぎには来てるし」

 

「し、知らなかった。優子先輩も毎日朝練来てるんですか?」

 

「優子は努力家」

 

俺の方をチラリとも見ずに鎧塚先輩は答えて、今度こそ鎧塚先輩はオーボエを吹き始めた。俺も練習しよう。

椅子を持って音楽室を出ようとしたところで、音楽室の扉が開いた。

 

「おはよう。みぞれ」

 

「おはよう」

 

「鎧塚さん。今日も早いね」

 

「おはようございます」

 

「みぞれー聞いてよー」

 

音楽室に入ってきた優子先輩は鎧塚先輩の元に向かって行き話しかける。鎧塚先輩は変わらず無表情のままだが、優子先輩の話に淡々と受け答えをしていた。

 

「……」

 

「どうしたの比企谷君?」

 

「いや、優子先輩に前から結構鎧塚先輩と仲良いって聞いてたんですけど、本当なんだなあって。なんか二人の性格全然違うから少し意外というか」

 

「中学生の時から仲良かったみたいだけどね。あの二人は同じ中学校出身で、去年の二年生が一斉に辞めた一悶着があった後も残ったっていうのも強いんだと思う。去年辞めちゃった二年生は優子ちゃん達の中学校だった子が多かったから……」

 

香織先輩が悲しそうに俯いた。

しまった。香織先輩に去年の話は良くない。俺から振ったわけではないけど、この話はここまで。

 

「優子先輩は毎日六時過ぎに来てるって聞いたんですけど香織先輩も同じくらいに来てるんですか?」

 

「うん。登校途中によく優子ちゃんに会うから同じくらいだね。トランペットだと高坂さんは私たちよりもっと早いね。六時に学校来てるって言ってた」

 

はっや。じゃあ今もどっかで練習してるのか。

 

「そう。高坂さんといえば、さっき渡り廊下で会ったよ。今日は黄前さんもいたの」

 

「へー。黄前は普段朝練にいないんですか」

 

「うん。この時間から来てるのは珍しいね」

 

なるほど。さっき鎧塚先輩が言っていた普段いない一年とは黄前のことだったんだろう。


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