やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「おはよー」

 

「おはよう」

 

七時を超えると、音楽室にはちらほらと部員が集まりだした。初めは優子先輩と香織先輩と並んで練習していたが、人が徐々に増え始めて俺は二人から離れた壁の付近でラッパを吹く。

それにしても、改めてトランペットパートの面々の意識の高さ。全員が七時前から来ていて、これまで俺は来るのが遅かったことを知った。他のどのパートも全員が揃っているパートはない。

この朝練の参加率の高さは高坂のソロを聞いてなのだろうか。当の高坂は音楽室にいないが、最近のパート内ではどこか標的の様なイメージだった高坂は目標になっている。負けず嫌いの集まりなのだ。俺たちのパートは。

 

「みぞれみぞれー」

 

優子先輩は休憩ついでに、水を飲んでいた鎧塚先輩の元に向かって行った。

 

「みぞれは夏休みの宿題終わった?」

 

「半分くらい」

 

「いいなー。私全然だよ。……ねえ、お盆休み暇?一緒にやらなーい?」

 

「いいけど」

 

「やったあ!」

 

おそらく昨日した宿題の話が頭に残っていたのか、優子先輩は俺の方をちらりと見て勝ち誇ったかのような顔をした。こういうときばかりは羨ましい。

だがいい。こうして答えを写すことによって後で苦労するのは自分自身。自らの力で解いて、学力に結びつけることで模試云々ではなくて、授業で先生に急に当てられたときなど誰かに聞くことなくそつなくこなせるのである。先を見据えて行動してこそ、プロボッチ。

あ、そう言えば。

 

「こういうことは思い出したときにやっとかないとな……」

 

宿題で使う教科書の一つを学校に置いたままにしておいたのだった。

忘れたわけではなくて、夏休み中も部活がどうせあるのだから夏休みの直前に重たい荷物を持って帰らないようにしようと思っただけ。本当にどうしても夏休みとか長期休みの最終日は荷物が多くなるから困るよね。

トランペットを置いて、音楽室を出ると音楽室の外からも楽器の音は聞こえてきた。色々なトランペットを始め、比較的持ち運びが楽な楽器は外で練習する人も多い。グラウンドや中庭、空き教室。どこでも自由にござれ。

教室に入ると、当たり前だが誰もいなかった。手乗りタイガーもいなければ、誰もいないからと誰かの机を舐めることもしない。真っ直ぐに自分のロッカーに入った教科書を取って、俺は再び教室を出る。

 

「お、比企谷じゃん」

 

話し掛けられたのは、教室を出てからすぐのことだった。二年生の教室が並ぶ一つ上の階に向かう階段の途中でばったりと出くわしたのは中川先輩だ。

 

「おはようございます」

 

「うん。おはよ。朝練?精が出るねー」

 

「中川先輩は朝練じゃないんですか?」

 

「私は、うーん。ちょっとね」

 

へらへらと笑って誤魔化した中川先輩に俺はそうですか、と適当に相槌を打つ。隠そうとしていることを敢えて知る必要はない。

『うーん、のぞみを待たせてるんだけどなー。ま、少しくらいならいいか』と一人呟いた後、夏紀先輩は階段の手すりに腰をかけた。

のぞみ?新幹線?

 

「ねえ、今ちょっと時間ある?」

 

「え?まああると言えばありますけど」

 

「そっか。別に大した話じゃないんだけどさ、こないだコンクールの前に話そうと思ってたこと、折角だから伝えとくよ」

 

「……あぁ」

 

思い出した。

優子先輩を見つける前に中川先輩に会って、話はまた今度と先延ばしにした話題があったんだったな。あの日はとにかく一日大変なことが多すぎてすっかり忘れていた。高坂と香織先輩の再オーディションは勿論、放課後学校で香織先輩に頭撫でられたこととか。恥ずかしかったなぁ。誰かに見られてたら今でも宇治川にスプラッシュできる。

 

「聞きたいことがあるんだけど、比企谷が再オーディションの前に音楽室で香織先輩のこと悪く言ったことあったじゃん?ほら、公開処刑事件」

 

「公開処刑事件って……」

 

「でもみんなそう言ってるよ」

 

話題が話題なので、俺としては本当に困る。肯定したわけではないのに、中川先輩は口元に笑みを携えたまま話を続けた。

 

「あのときさ、比企谷ってもしかしてわざと汚れ役被ったの?」

 

「……。そんなんじゃないです。事実あれは公開処刑だったじゃないですか。部員の前で高坂との差が歴然になった香織先輩は部員の前で敗者として認定された」

 

「結果はね。だけど、明らかにみんなの集中力切れてて、滝先生の言うこと聞きたくないって思ってた部員を、まあある意味はけ口を比企谷に変えることでまとめたのも事実じゃん。私も最初はなんでみんなの前であんなこと言ったんだろうって思ってた。クズだし、

馬鹿だなーって。でも低音パートで話してたときにさ、川島と加藤が比企谷のことそんな人じゃないって庇ってたり、何よりあすか先輩がさ」

 

「あすか先輩?」

 

「そそ。副部長のね」

 

「それは知ってます」

 

香織先輩に引けをとらない美人で、低音パートのパトリだが、低音と言わず部をうまくまとめ上げる。部長より部長らしいなんて言われたりもして部員達から明らかに一目置かれているが、俺は関わったことはない。ただ香織先輩がとても仲が良く、二人でいるところや部長の小笠原先輩を交えて三人でいるところはしょっちゅう目撃する。放課後に一緒に帰る香織先輩が話の切り出しで、あすかがね、と入ることが多いのも俺にとって印象が強い要因の一つなのかもしれない。

だが、正直に言うと、俺はあの人のことがあまり好きではない。好きではない、というのは語弊がある。苦手なのだ。

部長の後ろで部を纏める様を見て、一歩引いたところから俺たち部員のことを手のひらの上で転がしている様な気がするし、赤い知的なイメージを与えている眼鏡の奥の瞳は何を見ているのか分からない。

 

「あの人がさ、『もしかしたらあの騒動の本意は別の所にあったのかもしれないね。ワトソン君!』なんて思わせぶりなこと言うから気になっちゃって」

 

「そんな。俺あの人とほとんど話したことないですよ」

 

「でもあすか先輩は私たちとは見ているものが違うからさ。あすか先輩がそう言うならそうなのかもしれないって思っちゃう訳よ」

 

「あんまり知らないですけど、すごいんですね」

 

「うん。比企谷も話してみればわかるよ。あの人は特別。それが良いとか嫌いとかは置いといてね」

 

「え?」

 

「まあ、それはいいんだ。そういうことがあったから自分でもちょっと考えてみたんだよね。それで最初に戻る。比企谷が汚れ役を買って出たのかもなって。まあ、それに対する答えはいいや。どうせ否定するし。でもあのお陰でオーディションに落ちたチームもなかのメンバーは報われたから、代表して感謝しとくね。ありがとう」

 

「!いやいや!それに関しては何も感謝されることなんて」

 

「報われた、とは違うかな。でもさ、私たちだってオーディションに向けて頑張ってたのに受かったメンバーはやる気なくなってさ。あの時の部の状態はなんか去年見てるみたいだったけど、このままの状態でコンクールに挑むことになって負けてたら、じゃあ何で私たちは頑張って競い合って悔しい思いして落ちたんだよって感じだったから」

 

「だけど……」

 

「まあ、とにかくありがとう。受け取るか受け取らないかは自由だけど伝えたからね」

 

少し耳を染めて照れている中川先輩は、これで話は終わりとばかりに腰を手すりから上げた

俺も何となく恥ずかしい気持ちになって頬をかいた。


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