やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「では早速、今日の練習を始めますが、その前に一人紹介したい人がいます」
「あ、まさか婚約者?」
ぼそりと呟いた誰かの予想は外れだった。聞こえてきたのは男の声。
「失礼しまーす」
「彼はこの学校のOBでパーカッションのプロです。夏休みの間、指導して貰うことになりました」
「橋本真博と言います。どうぞよろしく!」
「パーカッションのプロー!?」
「マジで!?」
明るく朗らかな印象を受ける。それは声音や穏やかな顔からだけでなく、橋本先生の着ている南国できるような派手な柄のシャツからもそう思わせた。
婚約者という期待こそ外れたものの、パーカスの部員達は嬉しそうだ。
「あだ名ははしもっちゃん。こう見えて滝君とは大学の同期です。滝君の事で知りたいことがあったら、どんどん聞きに来てー!」
橋本先生のテンションについていけずに、部員達はぽかんとしている。
「あれ、反応薄いなあ」
「余計な事は言わなくて良いですよ」
「滝君モテるでしょー?女子にきゃあきゃあ言われてるんじゃないの?」
「…はい。吹奏楽部員以外の女子には」
音楽室が笑いに包まれた。
だが、俺はそんなこと頭に入ってこない。パーカスのプロなら俺と関わることは少ないはず。だから話半分で聞いてりゃいい。
それよりさっきの優子先輩の話だ。中川先輩の呟いていた希美、という少女について去年部活を辞めたということと、優子先輩は中学の時部長だったという情報。そして名前が傘木希美ということ以外には何も話さなかった。
何もないなんてありえない。あんなに困った顔をしていたのだから。
「あっはっはっは!吹部女子には人気ないかぁー。ごめんなぁー。滝君が口が悪いのは昔っからで、いったっ!」
「余計な事は言わなくてもいいと言いましたよ」
滝先生がかかとで橋本先生の足を踏んでいる。そういうことをするのか、滝先生も。
それにしても、俺の予想は当たっていた。滝先生、絶対昔っから口悪くて嫌なやつだったと思ってたんだよなー。
理由?そんなもの、特に根拠はない。だけどほら、イケメンで性格も良いとか、なんで生きてるのって感じでしょ?
「今日から指導してくれる橋本先生、いい人そうだな」
「ん?おーそうだなー」
橋本先生という新しい指導者を加えた合奏練が終わった後、パート練を行うということで練習する教室に向かっていると塚本が追いかけて話し掛けてきた。
早速今日の合奏で橋本先生はパーカスの改善点を見つけ、『早速、パーカスは僕の所に集まってー!ビシビシ行くからね。今日は帰れないと思って!わっはっは!』と気合いを入れていた。
「何だよ。その上の空な返事」
「実際、俺たち金管は変わらず滝先生の指導で変わんないだろ」
「そりゃそうだけど…。久美子もさっき橋本先生の自己紹介の時にぼっとして橋本先生にからかわれてたし、そんな興味ないもんかね」
黄前が注意されていた?気付いていなかった。
それだけ今朝の希美と言うワードを口にした後の優子先輩の表情が頭をよぎっている。
「でもプロなら俺たちの演奏のクオリティーもどんどん上げてくれそうで、これからの練習が楽しみだよ」
「まだわかんねえだろ。プロって肩書きがあるからな。それっぽいこと言われて、訳わかんない指摘されるの一番困るだろ。雑誌とかテレビにもよく出てるだろ。原宿発ファッションデザイナーとか言って、『そうね。この色を差し色にしたらいいんじゃない?』とか言って俺たちには理解できない奇妙なファッションに仕立てるやつ。ぶってる指摘から生まれるオシャレもどきをファッションモンスターって言うんだって思ってる」
「あー…。なんか言いたいことわからなくはないけど…。そこは滝先生が呼んだ先生だし、信頼できるんじゃないかな?」
「それより俺としては滝先生の昔の話の方がずっと気になるし、楽しそうだけどな。昔からの付き合いなら色々知ってるだろ」
「昔の話って、どんな?」
「そりゃ滝先生の失敗談だよ。女でも勉強面でも何だって構わない。女に金だまし取られたとかあったら最高だよな」
「ひでぇやつだな、相変わらず……。…まあ面白そうだけど」
「他人の黒歴史を掘り返すことほど面白いもんはねえからな」
やられる側は最悪だけどな。
中学生の時たまたま、『比企谷はほんと無理。まじ無理』って言われてるとき教室に入っちゃったときに、『あ、無理って良い意味でだからね!』ってフォローされたときのこととか高校のやつらに知られて笑われたら、俺がこれ以上生きることが無理になってしまう。
何をどう捉えたら、無理なのが良い意味になるのだろう?論理的に結果にコミットした説明を求める。
割とありとあらゆることに『良い意味で』を付ければポジティブになるみたいに思ってるやつ多いけど、実際そんなことねえから。『良い意味で』って取って付けたって悪いもんは悪いから。
「そう言えばさ、話変わるんだけど比企谷は十二日どうすんの?」
「十二日ってなんかあったっけ?」
「最近みんなよく話してるじゃん。宇治川の花火大会だよ。暇なら一緒に行かね?」
小町が言ってたな。
宇治川の花火大会は七千もの花火が上がる、県祭りに並ぶ宇治の夏の恒例行事だそうだ。京都の特に観光地周辺は木造の建築物が多いことや、花火を上げるのに適した場所がないことからあまり花火が上がることはないらしい。なので数少ない花火が上がる機会として、そこそこ金の掛かったイベントで、高くて大きい花火であれば我が家からも見れるかもしれないね、と喜んでいた。
この話をしてきたときは『誘われる…。お兄ちゃんお財布にお金あんまりないから貯めとかなくちゃ』と思っていたが、今回は中学の同級生と行くらしい。残念。
「いや。俺は県祭り行ったし花火大会は別に良いかな。祭りみたいなのあんまり好きじゃないんだよな。人多いから」
「県祭りなんて、もう大分前だろ。練習の気晴らしに行こう」
「大分前ってまだ二ヶ月も経ってないぞ」
「いやいや。二ヶ月って結構だから」
「いやいや。地球の誕生、四十六億年前だから」
「比較対象おかしいだろ!」
「とにかく行くつもりはない」
俺の断固否定に塚本は諦めたかのように思えたが、そこで塚本ははっと何かに気がついたように視線を上げた。
「川島が一緒に行くって言っても?」
「はっ。馬鹿だなあ」
「やっぱり駄目か」
「そんなの行くに決まってんだろうが」
「ま、まじか」
川島が行くならブラジルまで行くぞ、俺。サンバ踊ってる川島みたい。サンフェスの時、北宇治名物の謎ステップを練習してる加藤を見様見真似でやろうとしてた川島なら、きっとできるはず!