やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 突然だが、俺は『いっせーのっせゲーム』というものが大嫌いである。

 そもそも、正確なこのゲームの名称はこれで合っているのだろうか。シンプルに『いっせーの』とか、どこからこの名前が来たのか『指スマ』とか、『チッチッチッチッバルチッチッ』など、地域によって呼び方が異なると聞いた事がある。最後のバルチッチッって何?ポケモンの名前?

 ともかく複数人で拳を付き合わせ、『いっせーのーで』というかけ声と共に、親指が何本上がるのかを当てるゲーム。俺はこのゲームが大嫌いなのだ。

 だって、鏡と一緒にやっても相手が何出すか分かっちゃうし。飼い猫のかまくらと一緒にやってもけだるそうな目で俺を見て、手なんて上げもしないし。なんなら、俺の方見ないで寝るくらいである。

 

 「いっせーのーで四!」

 

 そんなかけ声が近くのどこかの教室から聞こえてきて、俺はまた一つため息を吐いた。

 勘違いして欲しくないのは、別に練習をしていないことが嫌でため息を吐いているのではない。純粋にこのゲームが嫌いなのだ。『いっせーの』というかけ声を聞くと、鳥肌が立つ。

 思い返してみれば、この言葉に碌な思い出がない。あれは小学校低学年の頃だっただろうか。

 『いっせーの』のかけ声と共に、走って行くクラスメイト達。何がいっせーのなのか何も分からず、クラスメイトの小さくなっていく背中を見つめながら、ただ呆然と立ち尽くす俺。い、いや、違う!あれは見守っていたのだ!子ども達が元気にはしゃぎ回る姿を、まるで母親のような寛大な心で!

 

 「それでこないだも、放課後塾に行く前にー」

 

 そんな話し声が聞こえてくるのはこの教室からだ。トランペットパートの練習に当てられている教室。トランペットの高い音はほとんどの時間、俺の元からしか鳴らずに、雑談する声ばかりが教室を支配する。

 海兵隊を合奏することになってから数日後。練習をする者は部活動全体を見てもほとんどいない。

 滝先生が来た翌日は、一年生全体で長く息を吐く練習を先輩の指導付きで行った後に楽器を決めた。とは言え、俺は自分のトランペットを持っているし、それは高坂も同じだ。そのため、今年のトランペットパートの中で楽器を選んだのは吉沢だけ。楽器選びはすぐに終わり、さあパート毎に練習と言うことだったが、全員が経験者のため教えられることもほとんどなく、後は自由にどうぞという運びになった。

 

 「あー、わかります。私もその雑誌読みますよ」

 

 その吉沢は静かな印象だが、話さないというわけではないようだ。トランペットパート唯一の男性の先輩である滝野先輩を含めて、先輩達とのコミュニケーションを深めていた。

 そのグループとは少し離れたところでは、中世古先輩と吉川先輩が二人で談笑している。

 

 「でもでも、香織先輩!私は納得いかないですよー」

 

 「えー。でもダメだよ、優子ちゃん。そういうことは思ってても言わないようにしないと」

 

 「だって面倒くさいんですもん。それにそいつ、私のことなんかキモい目で見てくるし。ほんとサイアクです」

 

 訂正。談笑してるというよりか、吉川先輩のストレスを中世古先輩がマドンナスマイルで受け止めている。ここで、俺が『あー、それわかりますー。人の悪口言うのって、本当に面白いですよねー』なんて入れば、もう少し雑談に花が咲くだろうか。むしろ枯れそうだ。

 基礎練習を終えて、窓際の席に座る。会話こそしていないが、俺もここ数日は海兵隊の練習は行っていない。単調なメロディーに飽きてしまって、個人的に吹きたいものを吹いていた。

 

 休憩しながら、ぼうっと自分のトランペットを見つめる。金メッキに映る俺の腐りきった目は、心なしかいつもよりずっと濁っているように見えて、視線を窓の外に移した。

 窓に映る景色のどこを探しても、高坂はいなかった。しかし、どこかで練習はしているのだろう。運動部のかけ声の中に混ざるトランペットの音色。この音は間違いなく高坂が奏でている。

 高坂のトランペットは、金色のジャズモデルで有名なトランペットだった。とは言え、吹奏楽やオーケストラでも使用できるオールマイティな使用。そのトランペットと高坂の姿を俺はここ数日、この教室で見ていない。

 

 『失礼します』

 

 その一言から感情を読めなかった。非常に無機質だったと思う。

 初めての練習の日、自由に練習という指示を与えて間もなく、先輩達の雑談が始まった教室から一言だけを残して出て行った。ほとんどの先輩達は気にしていない様子だったが、中世古先輩だけが不安そうな顔をして追いかけようとしていた。結局、他の先輩に止められていたため、高坂の元に向かうことはなかったが。

 俺も探して話すようなことはない。クラスが同じでも、話したことないし。そもそも話すことも別にない。

 一人で吹きたいなら吹けば良い。それは俺が一番よく分かっていることだ。

 

 

 

 

 しばらく吹いて、休憩がてら水道へマウスピースを洗いに行くと、そこには川島がいた。

 

 「あー、比企谷君」

 

 周りに誰かいるから気がつかないかも。なんてわけでもないのに、なぜか大きく手を振りながらとてとてと近付いてくる川島。なんだろう、癒やされる。

 

 「おう、何してたんだ?」

 

 「んー、みどりはね、偵察に行ってたの。ついでにお水飲みに来た」

 

 久美子ちゃんと葉月ちゃんに置いて行かれちゃったから、と付け加えて少し怒ったような表情をしている。

 何があったのかはよく分からないが、どうやら何かに置いて行かれたらしい。そして置いていった内、一人は加藤だったと。

 部活が始まって以来、川島とはちょくちょく話している。俺から話しかけているわけではないけど。


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