やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
未だ日の落ちきらない夏の夕方。どこからか聞こえてくるセミの声が、残る暑さと人混みの間を縫って響き渡る。
「当たり前ですけど、人が多いですね」
「うん。なんか年々人が増えてる気がするもん」
宇治川沿いの道はとにかく人が多い。花火が上がるまではまだ時間があるようだが、すでにシートを敷いて座っている人で溢れているから花火が見えやすい場所は一杯だ。俺たちは立ちながら適当な場所から見ることになるだろう。
中には浴衣を着ている人も多いが、優子先輩は普通の私服だ。中川先輩を英文にやたら派手なロゴが入ったくそダサいTシャツを着ていると馬鹿にしていたが、今日はシンプルにピンクのワンピースを着ていて、幼さが残る優子先輩によく似合っている。
「ねえねえ何食べる?私はチュロス食べたい!」
「チュロスって。映画館じゃないんだから」
「は?何言ってるの?チュロスはお祭りの定番だから」
「そんな定番聞いたことないんだよなあ」
「あ、後やっぱり綿飴も食べたいかも。でも綿飴って、どうしても原価のこと考えちゃうと買う気がなくなっちゃうのよね」
「原価の事なんて考え出したら屋台の食べ物なんも買えなくなっちゃいますよ。それに俺、屋台で売ってる綿飴の値段設定に文句ないですし」
「ええ。だってほら。あそこで売ってる綿飴五百円だけど、砂糖なんて十円しない位なんじゃない?」
「いや違います。屋台の綿飴は砂糖が十円だったとして、綿飴を入れたキャラクターの袋を選ぶ楽しさに二百円。結果的にプリキュアの袋を選んでその袋を見て楽しむのに三百円。さらに言うなら、よく祭りにあるような歴代シリーズのプリキュアの柄であれば、『あー、キュアホワイトの変身シーン大好きで家で練習してたっけなあ。でもキュアサンシャインの大変身も捨てがたい』ってあの頃のプリキュアに想いを馳せる楽しさは、もはやプライスレスです」
「それは比企谷だけよ…」
肩を落とした優子先輩を横に、俺は屋台に大きく書かれた文字を流し見る。きやこた、りおごきか、らてすか。あまり変わった屋台がなくて面白くないなあ。
「あ、チュロスのお店みっけ。私買ってくるね。比企谷も食べる?」
「いや、俺はオム焼きそば探してきます。見つけたらもうそこに並んで買うんで、優子先輩は買ったらこの通り真っ直ぐ歩いてきて下さい」
「いやいやおかしいでしょ。なんで一緒に来てるのに別行動するのよ?一人で並んでるの、寂しいし」
「え?だって並んでる間に俺が屋台探して並んでるところに合流する方が効率良いし…」
「効率とか求めなくていいんだってば」
ずるずると引っ張られることが今日は多い気がする。腕を掴まれながら連れられる俺の姿は周りからどう見えているのだろうか。
「ねえ見て。バナナ味のチュロスだって。珍しくない?」
「本当だ。その隣のブルーベリー味も気になるけど。こういう時はシンプルにプレーンが一番美味しくて後悔しないと思います」
「だけど気になるのよねえ。珍しい味があると…。どうしよっかなー」
「お次お待ちの方どうぞー」
屋台のおっちゃんに呼ばれたが、優子先輩はまだ決めかねていて思案顔だ。
「えっと、じゃあチョコ一つ」
「……まあ無難ですね」
「うん。シンプルイズベストでしょ」
お兄ちゃんはいらないのー、という店主の声に適当に相槌を返してまた人混みに流される。
チョコレート味のチュロスを両手で持ちながら歩く優子先輩は嬉しそうで、見ていて微笑ましいですね。実に。
こうしてぱくぱくと食べているのを見ていると、美味しそう。俺も買えば良かった。
「ん?食べたいの?」
そんな俺の視線に気付いた優子先輩が俺に問いかけた。
「あ、すいません。あんまりにも美味しそうに食べてるんで、俺も買っても良かったかなって」
「え、そうかな?なんかはずいんだけど…」
「いや別に恥ずかしがることないじゃないですか。褒めてますよ?」
「ならいいけど…。…食べる?」
「いやいや、食べられないですから!」
「そ、そうだよね」
こっちの方が恥ずかしいわ。少し頬を染めて、食べかけのチュロス向けられたとき、恥ずかしすぎて宇治川にスプラッシュするところだった。
気恥ずかしさを誤魔化すために、キョロキョロと辺りを見渡してみる。何か話を探さないと、この気まずくはないけど気恥ずかしい無言の空気はどうにもならん。
歩いている家族やカップル。中学生の男だけの集団は肩を組んで、おちゃらけながらガヤガヤと歩いている。女子の集団もチラホラ。四人くらいの集団は皆でリンゴ飴を持って和気藹々と話していて、目の前には仲良さげに話して歩く浴衣姿の二人組。……ん?
「あ」
しまった。痛恨のミスだ!声に出したせいで目の前の二人が振り返った。
「え。優子先輩と、えーと……」
「比企谷。私と同じトランペットパート」
「あ、そうだ。よく名前は聞くんだけど、難しい名前だし何となく覚えにくいんだよねー」
「久美子、声に出てる」
「はっ」
咄嗟に手で口を押さえるが、果たしてそれに効果はあるのだろうか。
言っとくけど、別に名前覚えられてなくてもショックなんかじゃないからな!俺だってこいつの事なんて知らねえし!川島と加藤とよく一緒にいて、塚本の幼なじみで、最近は何だかんだでよく高坂といることも多い。そんな彼女の名前が黄前久美子ってことくらいしか知らないんだから!
「お疲れ様です」
「うん。お疲れー。来てたんだ?」
「はい」
優子先輩と高坂が言葉を交わすが、この二人は再オーディションの時から変わらずどことなく距離感がある。咄嗟に今朝の朝練に行ったときの事がフラッシュバックする。
『……』
時刻はまだ六時過ぎ。今日も音楽室に向かう最中、オーボエの音が俺以外に誰もいない廊下に寂しく聞こえていた。だが音楽室に近付くとぱたりと、その音が止まる。きっと休憩でもしているのだろう。そう考えて、音楽室の扉に手をかけたとき、鎧塚先輩の静かな声が聞こえてきた。
『優子』
『ん?』
『仲悪いの?その二人と』
『うぇ!』
お、おいいいぃぃ!何てこと聞いてるんだよ!
咄嗟に扉から手を離した。音楽室を覗き込むと鎧塚先輩の後ろで鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしている優子先輩。そしていつも通りの無表情だが、どこか気まずそうにしている高坂と、固まった黄前の二人。
四人の間を沈黙が吹き抜ける。
『え、えーと…』
『ふ。そうなんですか、先輩?』
『ふ。さあ?どうなんだろうねえ、後輩』
『ふふふふふ』
『あはははは』
こっわ!女の子同士こっわ!どうしたらこんな乾いた笑い声出せるの!?ふえぇ。お願いだから、仲良くしてよおぉ…。
あれだけ色々あったのに、鎧塚先輩、部内の人間関係に疎すぎる。とりあえず、胃がキリキリ痛いからトイレに行こう。うん。俺は何も見なかった。そうしよう。
「う、また胃が痛む…」
「え?急にどうしたの?大丈夫?」
忘れようとしてたのに。いや。今日も色々あったから、本当に忘れてたのに…。