やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「さて、それでは今日の練習はここまでにしましょうか。お疲れ様です」

 

「「「ありがとうございました」」」

 

花火大会の翌日は昨日の浮かれた空気の余韻はなく、またいつも通りの練習に戻っていた。相変わらず滝先生は細々と指摘が多いし、部室は床と壁に敷かれた毛布のせいで熱いし、北宇治の他の部活よりも練習は早くから始まり遅くに終わる。

ただ、昨日はいつもなら帰宅して休んでいたはずなのに花火大会に行くために出かけて、その上に朝練にはいつも通りに来た。そんなの疲れたに決まっている。

だから今日は早く帰ろう。GHQ、GHQ。決して社会の授業で習ったことの確認ではない。Go Home Quicklyの略。

 

「あ、比企谷君。少しよろしいですか?」

 

教室を出ようとしたところで、個別に指導をしていた滝先生に呼び止められた。部長の小笠原先輩やパトリであれば呼ばれるところはよく見るが、逆にこうして個人が呼び止められることは滅多にない。それもあって集まる視線。この視線に『また何かやらかしたのか、こいつ…』という意味が込められている気がするのは自意識過剰だろうか。

だって、僕本当に何もしてないもん!だから小笠原先輩、そんな余計な仕事増やさないでと懇願するみたいな目で祈らないで!

 

「ま、まあ」

 

「指導なんですけれど、少し待っていてください。すぐに戻ります。それではこちらへ」

 

滝先生はそんな視線は気にせず、指導を止めて俺を廊下へと連れ出した。

 

「…すいません、俺なんかしましたかね?」

 

「ああ。呼び出したからといって、別に怒るわけではありません」

 

じゃあ一体何だというのだろう。誰もいない廊下を真っ直ぐと進んでいき、階段の踊り場に来たところで滝先生は立ち止った。

 

「音楽室で話しても良かったのですが、十五日の予定を聞くのに部員の前で聞いたら、逆にあらぬ誤解を生みそうだったので」

 

「は?十五日の予定って…確か十五日と十六日って部活休みでしたよね?」

 

「ええ。そうなのですが、どうしても吹奏楽部員に協力していただきたいことがありまして、それで比企谷君に声を掛けました」

 

「協力…?」

 

ニコニコといつも通り、爽のクリームソーダ味にも負けないくらいの爽やかな笑顔。相変わらず、その笑顔の奥の真意がくみ取れない。部長とかでなく、俺にこれを頼む意図をできるだけ考える。

まず第一に、俺が吹部ではマイノリティの男子であるということ。そして今年入学したばかりの一年であること。そして、さらに言うなれば断れない性格っぽい陰鬱な見た目。…いや、最後のは素直に認められない。

 

「なるほど。肉体労働をさせようってことですか」

 

「いえ、違います」

 

違うんかい。探偵ごっこは俺にはできないか。

だが何はともあれ面倒事は避けるに限る。俺が呼ばれた理由を聞く前に断ってしまうのがいい。ここは何か、言い訳を考えて断るべきだ。

……そうだ。ちょうど俺は使えるカードを持っている。

 

「まあ何にせよ、すみませんがその日は用事があります」

 

「そうですか。それは残念ですね」

 

「残念って別に遊びに誘ってるわけじゃないんですから。塚本君に十五日遊ぼうと誘われているので」

 

ナイス、塚本。声を掛けてくれていてありがとう。事実十五日に誘われていてるから嘘はついていない。後はここで滝先生の元を逃げ出した後に十五日の予定を行けないと返事をすればよい。

もしかしたら俺はにたりと、ほくそ笑んでしまっていたのかもしれない。嘘をつくことはなく、それでも上手い言い訳があったときというのは実に気持ちがいい。

だが滝先生の眼鏡が怪しく光った。あ、この眼鏡キランみたいなやつ知ってる。アニメとかでよく見るやつ。コナン君が事件解決の度に一回はやってるやつ。

 

「塚本君ですか?それでは塚本君にもご一緒に付き合っていただけないか聞いてみましょう」

 

「は、はい?」

 

「ですから、塚本君にも付き合っていただけないか聞いてみましょう」

 

し、しまった。自ら墓穴を掘ってしまった。

あまりに都合のいい理由が目の前にぶら下がっていたから塚本に誘われたことを出してしまったが、逆に塚本を引きずり込まれてしまったら断りにくくなってしまう。そんなこと少し考えればわかったのに。これは完全に俺の失策だ。

 

「あ、しまった。塚本じゃなくて、クラスメイトの山本に誘われてたんだったけなあ。あれ、鈴木だったっけ…」

 

「比企谷君」

 

名前を読んでにこりと微笑んだ後の無言の圧力は滝先生の専売特許。一体どこで笑顔に圧力を込める練習をしたんだろうか。普通に怖い。

俺は諦めて、一つ息を吐いた。素直に相手が塚本であることを伝える。

階段に少しだけ目立つ黒ずみのように、俺の心とスケジュールも黒く染まる。何もしなくて良くて、何でもできる。そんな理想と安寧の休日が一日は滝先生と塚本のお陰でなくなった。せめて十六日は死守しよう。

 

「わかりました」

 

「そんな嫌そうにしないで下さい。折角貴重な部活の休みの日に、疲れるようなことはさせません。多分、悪い話ではないですよ。何も一日ではなく、お昼ごろに少し宇治駅近くの喫茶店でお話を聞くだけです。お昼もご馳走しますよ」

 

「甘い蜜には毒があるっていうし」

 

「それを言うなら赤いバラには棘があるではなくてですか?」

 

そんな都合のいい話逆に怪しすぎるんだよなあ。

例えばなぜか誘われた中学二年生の時の女子会。甘い言葉に惑わされて行ってみたら、いたのは女子五人じゃなくて髪が真っ金のヤンキーが七人いたなんてこともあった。あの時は危なかった。瞬時に究極のボッチスキル、『映画とかでよく見るエキストラ感丸出しの歩行者』を使わなかったら、声かけられて金をむしり取られていたかもしれない。

 

「ちなみに話ってのは何ですか?」

 

「ええ。当日まで部員たちに伝えるつもりはないのですが、合宿で新しく橋本先生とは別に外部から講師をお呼びします」

 

「え、また?」

 

「はい。木管楽器のプロの方です。ですがその方に来ていただく代わりに、向こうに協力してほしいことがあると頼まれていて」

 

「木管のプロ…」

 

滝先生は金管の指導が得意なのだと思う。自身が以前、音楽学校に通っていたころに吹いていたのも金管だったとどこかで聞いた。

夏休みから指導をしてくれている橋本先生は打楽器。そして今度は木管のプロ。

 

「その方は今、入学希望者を増やすことを目的に音楽大学の紹介を大学側から頼まれていて、その紹介を有望な生徒たちに高校の生徒たちに向けて行っています。それを比企谷君と塚本君には聞いていただきたいのです。とはいえ、二人ともまだ高校生なのでパンフレットを見て、難しく考えずに将来への選択肢の一つだと思ってくれればそれで良いのですが」

 

それなら一年ではなくて進路の選択が近い三年の方がいいのではないかと思うが、まあ確かに悪い話ではないか。先生にはちょっと申し訳ないが昼飯も浮くし、この際どうせ潰れる休日のおまけであれば。

 

「わかりました。十五日の昼ですね」

 

「はい。良かった。比企谷君が引き受けてくれて。塚本君には十五日のことを伝えておいてもらってもよろしいですか?」

 

「わかりました」

 

「それではよろしくお願いしますね」

 

三日月を描く滝先生の目。それに対する俺の目はさぞ濁っていることだろう。

塚本は巻き添えという形ではあるが、別にいいだろう。俺だってあいつのせいで行かされるようなものだし。ちょっと違うけど。


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