陸珊瑚の台地を訪れ、そして惚れ、ヒノキと行動を別にすることを決めてから数週間。
カシワは散歩にでも出かけるような足取りで、気軽に研究基地から外へと出た。
獣人族であるアイルーのカシワの、その一番の特徴は背中に自分の背丈の半分程にもなる手帳を良く背負っている事だろう。
しっかりと防水加工もされたその手帳の中には、数種類の色鉛筆も入っており、それと僅かな護身具がカシワが絵を描く為に出かけるいつもの装備だった。
本格的に討伐や調査などに出かける時には、そんな大きな手帳は持っていけない。しかし、ヒノキと行動を共にするのならばヒノキがカシワの手帳も持ち歩いてくれるのでそう問題は無かったりする。
人が通れないような狭い隙間や鬱蒼と植物が生い茂る、そんな道では全くない場所を小柄で柔軟なアイルーは道として使う。
隙間をすらすらと通り抜け、時に蔦や植物のたわみを利用してひょいと飛んだり、ここに訪れてからそう長い時間が経ったわけでもないのに、もう知らない場所は無い、ここは自分の庭だと言うように台地を駆け巡る。その速さに対して体に木の葉や砂がこびりつく事は愚か、枝が体をなぞったり、足音を出す事すら無い。
元々アイルーというのはそういう行動が得意な方だが、カシワはその中でもそう言った隠密行動というものに対しては優れた素質を持っていた。
絵も独特だが分かりやすく、絵本として出版される事も時々あり、好き勝手に絵を残していくヒノキより実は金を稼いでいたりもした。
ただ、その代わりに竜種と面と向かって対峙する度胸は余り無かった。
そんな度胸が無かったからこそ、隠密行動が得意になったのかもしれない。
この頃良く絵を描く為に訪れる場所は、高台の下の広場だった。
この台地の捕食者の側に立つモンスターが良く訪れる場所であり、特にレイギエナやオドガロンと言った強者の側に立つモンスターが良く見られた。
カシワが訪れてからじっと待っていると、まず訪れたのはツィツィヤック。
クルルヤックと同じく鳥竜であり、体躯もそう大きくはなく身体的にも強くはない。ただ、そうであろうともツィツィヤックの前に積極的に顔を出す事は無い。
目の上に伸びる触角から閃光玉より眩い光を出す事が可能であり、それを浴びてしまうと例え背中を向けていようともその閃光からは逃れられず、平衡感覚を失ってしまう。
飛竜はバランスを失い地に落ち、狩人ならば一時的に前後不覚に陥る。
相手取っていたならば、ツィツィヤックはその隙に勢いをつけて飛び蹴りをしてくる。狩人の中にはまともに食らい、骨折、下手をすると殺されそうになった狩人も居るほどだ。
そんな、そう膂力の無い鳥竜ではあるが、飛竜すらも恐れる竜である。
ツィツィヤックは広場に出てきて多少辺りを見回したが、身を潜めているカシワに気付く事は無く一度欠伸をするとまたどこかへと消えていった。
特に何も、変わった様子は無かった。
ただ、次に訪れたのはオドガロンだった。瘴気の谷を主な縄張りとする牙竜であるが、獲物を求めてか良くこの台地にも姿を現す。
その全身は鱗ではなく血のように真っ赤に染まった筋肉質な皮膚で覆われている。
初見であればそのおどろおどろしい見た目に何よりも驚かされるが、しかしそれよりも脅威なのはその四肢の先にある爪だ。オドガロンは別名を惨爪竜と言うのだが、その名の通り惨い傷を与える事の出来る鋭利な爪を一つの腕に十も持つ。
汎用性に優れた上段の四の爪と、リーチと殺傷力に優れた六の隠し爪を使い分ける。六の爪の方が危険なのは確かだが、どちらを受けたにせよ一撃だけで致命傷になり得るのは変わらない。
そんなオドガロンはクンクンと地面の匂いを嗅ぎ、何かを探し求めるように歩いていく。
多分、先ほどここに来たツィツィヤックを追っているのだろう。オドガロンは瘴気の谷の環境に適応した為か、視覚がかなり退化している。見えない、というまででは無いようだが、少なくともツィツィヤックの閃光に怯まない程度には視力が無い。
その代わり嗅覚が優れているのだが、茂みに隠れているカシワには幸いにも気付いていなかったようだった。
カシワは体を起こし、そのオドガロンを追う事にした。あのオドガロンは討伐案件に入ろうとしている程に危険な個体だった。
前に瘴気の谷に良く現れていたオドガロンは肥やし玉を投げつけられ過ぎて流石にどこかへ消えてしまったが、このオドガロンは肥やし玉を易々と避け、更に凶暴性や身体能力もオドガロンの中でも高い。
瘴気の谷のモンスターもなりを潜め、調査や採集も強い狩人であっても躊躇うほどに危険な地帯と化している。
この陸珊瑚の台地もオドガロンが訪れると、パオウルムーやレイギエナまでが身を潜めるようになる。
レイギエナでさえも分が悪いと感じているのか、それとも単純に相手取りたくないのか、そこまでは分からないが。
オドガロンはツィツィヤックが去っていた方向へと足を進めた。ツィツィヤックは追って来ているオドガロンに気付いていなかった様子だったし、そのまま気付かなかったままならば、出遭ってしまったらそれが最期、獲物とされるだろう。
一番の武器である閃光が通じなくとも、オドガロンとツィツィヤックの種族としての差は歴然だ。怯ませられず、膂力も殺傷能力も何もかもが勝る点が無い。
オドガロンが視界から消えると、カシワはその後を追い始めた。
視界に入らない程の距離を保って、カシワは先へ進む。導虫に頼らなくとも痕跡を辿る事で後を追う事は可能だ。ヒノキならばもう少し距離を詰めて追うのだろうと思いながらも、慎重にカシワは足を進めた。凶暴で尚且つオドガロンの中でも強い部類に入るあの個体に見つかって、カシワは絶対に逃げ切れるとは断言出来なかった。
並みの個体でも壁を掴み、飛竜とすら比べ物にならない程のアグレッシブさで襲い掛かって来るのだ。それが更に強い個体ならどうなるか。想像すると、茂みの中に逃げ込んだとしてもその爪で全ての植物を切り裂きながら牙を向けてくる、そんなオドガロンが頭の中に出てきてしまった。後ろからザクザクと音を立てながら追って来るオドガロンから逃げて、逃げて、蔦を掴んで崖の先に飛ぼうとしたその瞬間、追いついたオドガロンが跳躍し、その蔦を切り裂いて自分は下に落ちる。逃げる前にグルルル、と六本の隠し爪を出しながら鼻息を荒くして歩み寄って来るオドガロン。
そこまで想起してしまって、ブルルッと体が震えた。
いけないいけない、集中だ、集中。
カシワはそう言い聞かせて、痕跡をまた追い始めた。
……ただ、どうしてか、体の震えは完全には止まらなかった。
……?
途中、高所から折り返して低所から元の住処へと戻ろうとするツィツィヤックが見えた。
足取りに急いだり焦ったりする様子は無く、まだ後ろからやって来ているオドガロンには気付いていない様子だ。
そして少し後に、そのオドガロンがやって来るのが見えた。
距離は大分縮まっている。そして、オドガロンもそれが分かっているのか、歩みを速めていた。
追いつかれるのはもうすぐだ。カシワは高所から飛び降り、丁度居たラフィノスに一度着地、「ギャッ」と声を出されるが無視して静かに地面へ降りた。
気付かれていないか……? 怒るラフィノスを無視して茂みに隠れ、先へ進みながら辺りに気を配る。
進みながら、大丈夫な様子の事を確認した。そして考えると、そもそもラフィノスが良く居る場所をツィツィヤックもオドガロンも無視して進んでいた事に気付いた。
ツィツィヤックは腹が減っている訳ではなく単純に散歩だったのだろうし、オドガロンもラフィノスなんかよりもっと良い獲物であるツィツィヤックを追う事を優先していたのだろう。
気付いていたとしても無視する程度の事だったのだ。
そして、ツィツィヤックの威嚇する声が聞こえた。
ただ、それに対してオドガロンの咆哮は聞こえない。咆哮する程の敵として見做していないようにも思えた。カシワが急いで走ると、閃光が目の前を明るく照らした。直接目にしなくとも思わず目を瞑ってしまう程の光だ。
どすんっ、と何かが落ちる音が聞こえた。
一瞬足を止め、しかしまた走ってその先を覗き見ると、首をすっぱりと切られたツィツィヤックが見えた。
「アッ……カッ……」
オドガロンは既にツィツィヤックの背後へと着地していた。閃光を完全に無視して飛び掛かり、その爪でツィツィヤックの首をざっくりと切ったのだ。
首からどばどばと血を出して、ツィツィヤックが倒れ込む。びくんびくんと体を震わせるだけでもう、意識もなさそうだった。
そしてオドガロンが振り返る。その視線の先はツィツィヤックではなく、別のものに向けられていた。
どずんっ、と音を立てて落ちたのは、運悪く空を飛んでいたパオウルムーだった。
何が起きたのかすら分からないように、足掻いている。
そして唐突に訪れた新しい獲物にオドガロンは歩いていく。
その光景を覗き見ながら何故か、カシワの体の震えは強くなっていた。
……オドガロン、じゃ、ない。これは。だったら、何だ?
パオウルムーが目の前のオドガロンに気付き、オドガロンが仕留めに掛かろうとする、その僅かな時間と空間。
その間に蒼い雷が落ちた。
ツィツィヤック: 下位個体
おにく。
オドガロン: 歴戦個体
ヒノキとマハワに討伐された個体。
要するに1章と期間がある程度ダブってます。
気に入った部分
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キャラ
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展開
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雰囲気
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設定
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他