古龍を描く狩人   作:ムラムリ

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クシャルダオラ 2

 崖を登り切ったからと言って、クシャルダオラが男の方を再度眺めてくる事は無かった。

 クシャルダオラが大きく欠伸をして長く息を吐いていくと、肌寒い風が男の体を舐めていった。

 しかし、そこからはお前の事は見ているぞ、そう告げられたような錯覚がした。ただの欠伸さえもが強者からの警告に思えた。

 ぞくぞくと体が震える。それは武者震いなどとうものは簡単に通り越して、単なる恐怖になっている事を男は自覚していた。

 ただ、そこに横暴さや尊大さは幾ら観察しようとも感じられなかった。基本的に古龍という種は、自らが持つ力が絶対的なものであるのを理解し、人間は勿論、竜種に対して人間が羽虫を見るような如くに視線を投げかけてくる。

 種としての力量差はまた、そう見られるのが正しかった。

 しかし。

 鋭く鍛えた、時に身の丈程もある牙を身に備え、討ち取ってきた竜の頑強な鱗を身に纏い、そして最大の武器である知恵と経験を以てその古龍という存在を打ち破る事もあるのが狩人だった。

 竜では決して為し得ないジャイアントキリングを果たす事もある存在。それが狩人であるという事を、目の前で佇む古龍は知っているように思えた。

 ごろごろ、と雷が鳴る音が聞こえた。その内雨が降るだろう。古龍の中でクシャルダオラは比較的生態が知られているとは言え、その強大な風を起こす力の源、その原理まではまだまだ理解されていない。この雨がクシャルダオラが起こすものなのか、そうでないのか、男には見当がつかなかった。また、それを為し得る力がこの古龍にはあるのではないかと疑うほどだった。

 天候さえもを操ると言ったら、それは流石にクシャルダオラの力を遥かに超すものだとしても。

 

 じっ、と男はクシャルダオラを暫しの間観察した。ただ座っているだけとは言え、そこには古龍らしからぬ穏やかさがあった。

 虫から動物、人間から竜種まで数多の生物を観察してきた。その生物がどのような感情を持っているのか、どのような性格であるのか、振る舞いを見れば多少なりとも分かると自負している。

 しかし、そこにはやはり尊大さは見当たらない。古龍であれば当然あるはずのものなのだが。

 意外さに、何度か瞬きをしたり、少しだけ角度を変えて見てみたりしたが、やはり相変わらず穏やかなままだった。自分が観察している事も意に介していない程に大らかで。

 だからこそ、なのだろうか? このクシャルダオラが他の個体より強いのは。

 そんな事も思うが、そう推測するには男は、古龍と向き合った経験は乏し過ぎた。尊大だから普通なのか、穏やかだからより強いのか、そう決めつける程浅はかな人間でもなかった。

 考えても自分には分からない。

 立ったまま男は、手帳とペンを取り出してその鋼の肉体をさらりと書き始めた。

 さっくりと、自分というフィルターを出来るだけ介さないように。体は多分、平均よりやや大きめ。その金属質な肉体はそう錆びついてはおらず、脱皮からそう時間は経っていない様子。翼や尻尾、角などに目立った外傷は……ここから見られる限り、左半分にはなし。

 濁りのない海のような色の目。

 さらりとスケッチする間も、出来る限りクシャルダオラからは目を離さなかった、いや、離せなかった。襲い掛かってくるような気配は微塵も感じられないとはいえ、男はクシャルダオラが視認している状態で目を離せるほど度胸のある狩人でもなかった。

 ラフな、けれど要点は抑えてあるスケッチが済むと、これでもう調査は終わりにしても良いという気持ちと、もっと描きたいという気持ちがせめぎ合う。

 理性がさっさと退散すべきだと告げても、男の欲求は僅かながら描く方へ傾き始めていた。

 クシャルダオラが竜巻を作り出し、人が空高くに持ち上げられる様を思い出した。叫び声を上げながら空高くへと消えていったその狩人は、数カ月後に離れた場所で木に突き刺さったまま骸骨になっているところを発見された。

 テオ・テスカトルがスーパーノヴァを引き起こした時を思い出した。逃げ遅れた狩人は、黒一色となってその場でぼろぼろと崩れた。

 ただ、古龍が狩人を屠る時、その目や態度は、常に嘲笑などと言ったものに満ち溢れていた。

 強者であることに驕り昂った目。殺意や敵意ではなく、単純に遊びとして人里を荒らしに来たような。

 偶に狩人が怒らせてしまった事もあるが、基本的にその時も黒い殺意や怒りの感情に満ち溢れていた。竜と狩人が時に互いに抱くような対等な、ある意味健全な殺意は全く感じなかった。

 思い出すだけで体に冷や汗が流れていた。

 ただ、そこからもう一度眼前に居るクシャルダオラを見て、やはり古龍とは思えない程の穏やかさを意外に思う。

 何度見直しても変わらない、平和な静けさがそこにあった。植物がたださわさわと揺れているような静けさ。

 そして、それを認識する度に描きたい欲望がより増していった。

 それに抗えるほど、理性だけで生きている人間でもなかった。

 手帳のページがぺら、とめくられる。

 ペンが先ほどよりも速く走り出した。

 

 その雄大な姿を収めるには手帳という小さなスペースでは狭すぎた。だから、男はまず頭だけを細かに描く事にした。

 怒りも、傲慢も無いその穏やかさは、最も目から感じられていた。

 透き通った海のような目。そこから海を想起すれば、普通のクシャルダオラなら暴風に見舞われ、ありとあらゆるものが吹き飛んでいくような嵐の海が思い浮かぶだろう。ただ、このクシャルダオラからは昼過ぎの暖かな日差しがただあるだけの、穏やかな、平和な海しか思い浮かばなかった。

 そのような穏やかさを正鵠に描き記したかった。溢れ出るような強さと共に。

 そして描き始めて、次第に熱中してしまえばそのクシャルダオラから目を離す時間も僅かながら増えていった。

 全身が鋼そのものに覆われるクシャルダオラの色は、ほぼその鋼一色だ。しかし、唯一その鋼で覆われていない頭の鼻から目元にかけてやや赤みを帯びている。それは古龍であれど、血の通った生き物であるという事は狩人や竜と変わらないという証明に男には見えた。

 鋼の色と一体化しており、他の古龍や竜に比べればそう象徴とまでは目立たない角は、けれどクシャルダオラにとって風を操る上で最も重要な器官だと言われている。破壊出来れば、このクシャルダオラの生み出す淀みない風も乱れるのだろうが、この新大陸でそれが出来るのは少なくとも人間には居ないと思えた。

 並みの古龍……古龍を並みと形容するのもおかしいが、このクシャルダオラを目にすれば今まで少ない経験ながらも見てきた古龍は並みの古龍と言わざるを得ない。その並みの古龍でも、その角に触れる事が出来るのは強いて言えば、この新大陸で発見された古龍を食らうという古龍、ネルギガンテ位だろう。

 口元から顎、喉にかけては分厚い筋肉がある事がその鋼越しにも分かる。並みの生物では致命的な威力を誇る風のブレスを吐く為に必要不可欠な強靭さを備えている。

 そして、その強さと対比すれば驚くほどに穏やかさを感じさせる青い目。その目がなければ、自分は描こうとは思えなかっただろう。その目が蹂躙に愉悦を覚えるような、そうでなくとも高圧的ならばここに留まって姿を描こうとは到底出来なかっただろう。

 描き記していくに連れて、しかし男は詳細に記されていくクシャルダオラの頭を目の前のクシャルダオラと比べて、破り捨てたくなる衝動に駆られていった。

 描き切れていない。描いたものは全くの別物と言って良いほどだった。

 その振る舞いから、ただ佇んでいるだけで滲み出ている絶対的強者として描けていない。

 これではただのクシャルダオラだ。並みの。

 男は深呼吸をした。目を閉じる事までは流石に出来なかったが、落ち着け、と自分に言い聞かせた。時間はあるんだ、描き直せばいい、気が済むまで。それが出来る。

 そう思い直して次のページに行こうとした時、不意にクシャルダオラが立ち上がった。男は即座に手帳とペンを仕舞い、身構えた。体がぱき、と僅かに音を立てて、思っている以上に長い時間身動きをしていなかった事を知った。

 クシャルダオラも身構えていた。男の方ではなく、男が高台を見上げていた時の、その下の広場を。

 男には背中を見せていた。距離があるとは言え、完全に相手にされていない事に安堵と、それからほんの僅かながらに悔しさを覚える。

 そしてすぐに、クシャルダオラとは別の強靭な翼の音が聞こえてきた。

 サァァ、と足元の砂がさらさらと風を起こし始めていた。

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