竜に乗った事は幾度もある。
ただそれは、互いに命を賭けて戦っている最中の事であり、振り落とされまいと必死になりながら竜を仕留める為に乗っている訳であって、大地を駆ける為に、はたまた大空を味わう為に乗っていた訳では無かった。
その背中から太刀を心臓へ押し込んだ事もある。空から振り落とされた事もある。固い甲殻を切り裂き、噴き出した血を全身に浴びた事がある。つい最近など大木に向けて圧し潰されそうになった。
そんな物騒な事しか無かった。
また、古龍に乗った事は無かった。古龍に対して積極的に関わろうとしていなくとも、その存在は天災のようなものだ。狩人をしていれば避けられようが無いし、きっとその内、そういう事も訪れるだろうとは思っていた。
ただ、歴戦王と呼ばれるクシャルダオラに気に入られて多少そうなるかもしれないと思っていたとは言え、こんな平和な形で古龍に乗るのが初めてだとは、自分は想像もしなかっただろう。
クシャルダオラの金属めいた表皮で覆われた、その背中に乗っている。剥ぎ取りナイフを手に持つ事もなく、その代わりに画材とキャンバスを抱えて。
全身を柔軟に動かせるだけの柔らかさも持つその背中の乗り心地は決して悪いものではなかった。
そして、飛ぶ高さは古代樹よりも更に高い。飛竜に乗っても、こんな高高度からの眺めを観る事は出来ないだろう。もしかしたら、気球で飛べる高さよりも高いかもしれない。それ程に高い。
しかし、そんな高さに居るのに不思議と体は寒さを訴えなかった。それどころか、かなりの高度で速く飛んでいるのに、クシャルダオラは銀翼をそう力強く動かしている訳でもない。更に加えて、身に受ける風はひたすらに穏やかだった。
……このクシャルダオラは、自分の事を気にかけてくれているのだろう。
古龍らしからぬ穏やかさ。結局のところ、このクシャルダオラが殺意を誰かに向けた事をヒノキは未だ見た事が無かった。そして見せる事があるとするのならば、きっと心の根が弱い者はそれだけで死ぬだろうと思う。
ただ、その殺意も見てみたいと思う。当然だが、自分以外に向けられる事が前提ではあるが。
いかんいかん、とヒノキはそんな傍に飛んでしまうような思考を、頭を振って止めた。
こんな光景、そして五感全てを含めた今の経験など、これから生きていく中で再び出来るとは思えない。そんな思考に費やしている時間など勿体ない以上の何物でもない。
この今の瞬間の一つ一つ全てを記憶に刻みつけようと思った。
後ろを向けば、遠く離れても目立つ古代樹。大蟻塚の荒れ地の先にゾラ・マグダラオスの捕獲作戦を行ったという大峡谷が今、真下にあった。軽く体重を傾けたと思えば、眼前の雲を最低限の動きでさらりと避ける。
そして、陸珊瑚の台地が目の前にはあった。
龍結晶の地までは後半分程だが、体感ではまだ十分も経っていない気がした。
身に受ける風が穏やかだったのもあって意識出来なかったが、陸珊瑚の台地までもアステラから距離はかなりあるはずだった。少なくともリオレウスやレイギエナが幾ら全力で飛ぼうが、こんな短時間で移動出来る程の距離ではない。
それだけ、このクシャルダオラが自分に絵を描いて貰う事を楽しみにしている。
それは自意識過剰な訳でも己惚れな訳でもない、だろう。
そうでなければ、龍結晶の地とアステラまでの距離を何度も往復したりなどしない。自分のものだった手帳を傷つけずに大切にしていたりしない。
ただ、それ以上にクシャルダオラが自分の事をどう思っているかは余り考えないように心掛けていた。
それを考えてしまって、自分は凄いのだと己惚れてしまった時点で、自分の中の狩人として、画家として大切な何かがさらりと失せてしまうような気がしていた。
……そう危惧している時点で、もう己惚れているのと変わらないかもしれない。
また、思考がずれている事に気付いた。
「あー、もう」
小さく呟く。ただ、口の外に出さないようなそんな呟き声もクシャルダオラの耳に入ったらしく、少しだけ首を曲げて自分の様子を気にした。
「何でも無いです」
言葉は分からなくとも、特に何も問題ない事は分かったのだろう、クシャルダオラは前を向き直した。
下を眺めると、陸珊瑚の台地の広場が見えた。クシャルダオラと自分を見上げる、例のパオウルムーとキリンが並んで見えた。空は快晴で、雷が落ちる気配は全く無かった。
もう暫くすると、龍結晶の地が見えて来た。クシャルダオラは高度を落として、自身の寝床である高台へと向かった。
少なくとも十五分位は経っていたと思うが、それでも体感としてはあっという間だった。どうしてか思考は傍に逸れがちだったが、それでも全身で感じたその感覚はしっかりと記憶に残っている。
集中しようと思っても意識が逸れてしまうのは……それだけこの空旅が心地良かったんだろう。
温泉に入っている時のように、はたまた心地良い春の日差しの下で昼寝をしている時のように。
このクシャルダオラが見る景色は、それが当然なのだと言うだけで、羨ましさ以上の敬意を覚えてしまうようだった。
そんな空旅も後僅か、地上が段々と近付いて来ている。
……帰りも送ってくれるのだろうか?
そんな事を思った。ただ、送ってくれるにせよそうでないにせよ、帰る時には自分の手からキャンバスは離れているのは確実だ。
このクシャルダオラが古龍らしからぬ穏やかさを持っていても、欲までが薄い訳ではない。
クシャルダオラが辺りをさっと見回した。それにつられてヒノキも辺りを見回す。
幸い、ネルギガンテは目に見える場所には居なかった。クシャルダオラが確認したかった事も多分それだろう。
そして、それ以外の竜などは見受けられなかった。ネルギガンテを恐れてかここを生息域としていたリオレウスの亜種も陸珊瑚の台地へと番と共に逃げた報告があった。
ヒノキとソードマスターがこのクシャルダオラにポーチの中身を奪われてから十日以上が経って、その間は龍結晶の地の継続調査は出来ていないが、きっと逃げる手段を持つ竜種は大体逃げているだろう。
残っているのはきっと、逃げる足も手段も持たないガストドンや、元からそこに住んでいるガジャブーなどが主で後は、このクシャルダオラや、マハワに敗北したテオ・テスカトルがナナ・テスカトリと共に縄張りに続く道を封鎖して回復に努めたままずっと潜んでいるくらいか。
テオ・テスカトル、マハワに敗北したというその個体が回復したところで、マハワとほぼ同格であるネルギガンテには敵わないだろう。
ただ、ナナ・テスカトリと組み、そしてネルギガンテ二体と戦う事になったらそれは余り分からない。
リオ夫婦のように番としての仲はとても良く、そして敵に対しては息を合わせて戦い、番として連携技を見せた事もあるという記録もある。
マハワと戦った時はナナ・テスカトリは不在だったようだが、少なくとも番として連携して戦ったとするのならば、ネルギガンテ一体よりも厄介である事は違いないだろう。
そんな事を考えていると、クシャルダオラが強く翼を羽ばたかせた。
ふわり、と重力が消えたような感覚が一瞬体を包む。そうやって飛行の勢いを殺すと、音も立てずに着地した。
クシャルダオラを中心として砂がさらりと軽く吹き飛んだ。
ヒノキが降りて、一旦体を伸ばす。その高台の端にソードマスターとヒノキのポーチの中身が置いてある事に気付いた。
ただ、そんな事よりも、とクシャルダオラが「グルゥ」と急かしてくる。
クシャルダオラは自分の絵を描いてもらうのを楽しみにしている、と思ってはいた。ただ、自分が思う以上に楽しみにしていたらしい。
肩も回し、そしてキャンバスを同じく持ってきたイーゼルに立て、絵の具と筆の準備をさっとする。
背中に太刀を背負ったまま。しっかりとキャンバスの前に立つ時、いつもは無いその重みが多少気になった。ただ、このままで良いと思った。
クシャルダオラを描く時はいつもそうだった。描くものが手帳からキャンバスに変わっただけだ。
「……さて」
実際完成までは後少しだ。ただ、こうして実物を目の前にするとまだまだすべき事があるように見えた。
一つ一つ、決めていこう。
*****
「…………。
…………」
一日以上経っていた。
ネルギガンテが襲って来る事も無く、ただただヒノキはクシャルダオラの絵を完成させる事に没頭していた。
今、ヒノキはやっと筆を置いて、絵とクシャルダオラを何度も見比べている。
持ってきた携帯食料と水を簡単に食べながらも描き続け、夜になれば準備していた灯りをつけて照らし。最低限の食事のみを摂る以外は、眠る事もせずに集中が途切れる事もなくただひたすらに絵の具をキャンバスに塗り付けていた。
一向に途切れない集中に、じっとしていたクシャルダオラの方が先に参った。
ただ、ぐったりとするように顎を地面に置いても、ヒノキは筆を止めなかった。ポーズとしては、全力のブレスを吐く寸前の後ろ足で立った姿を描いていて、元から違っていたがそれでも構わないようだった。
そんなヒノキをクシャルダオラが見る目がいつしか変わり、ヒノキはそれに気付いたが大して気にも留めなかった。古龍を眼前にしながら描ける喜びの方が強かった。
ヒノキがクシャルダオラをじっと見つめる。そしてそれから絵をじっと眺める。ずっと動かなかった足が一歩後ろへ動き、距離を取って眺めた。
クシャルダオラが、やっと終わったか? と言うように首を持ち上げたが、しかしヒノキはまた筆を手に取りキャンバスに手を加えた。
まだまだ終わりそうにない事が分かると、クシャルダオラはまた顎を地面に置いた。
結局、本当に筆を置いたのはそれから更に数時間後だった。
距離を置いて見比べ、そしてまた細部まで見つめるように眺め、それを何度か繰り返した後にパレットと筆を置いて、座り、そして寝転ぶ。
「うー……」
クシャルダオラが体を起こす。
ヒノキは仰向けになって力を使い果たしたかのように既に寝ていた。そしてクシャルダオラは一日振りに体を起こして、その出来た絵を覗いた。
暫くの間固まり、それからヒノキを眺めた。そこには紛れもなく、敬意があった。
次からナナ・テスカトリは出ると思います。
気に入った部分
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キャラ
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展開
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雰囲気
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設定
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他