古龍を描く狩人   作:ムラムリ

29 / 53
ナナ・テスカトリ 6

 昼過ぎ。歴戦王と呼ばれるクシャルダオラがアステラの方へと飛んで行くのが見えてから暫く。

 ナナ・テスカトリが大蟻塚の荒地に訪れ、泣き始めてから後数時間で丸一日が経とうとしている。

 そしてディアブロス亜種の我慢が限界に達したのはそんな時だった。

 亜種のリオ夫婦には逃げるという選択肢があった。しかしナナ・テスカトリからは距離が離れており、そして逃げるという選択よりも、襲って来る可能性が少ない事、リオレイア亜種がそう簡単に逃げられる状態ではない事を考慮してその場に留まった。

 ただ、ディアブロス亜種の脳裏にあったのは少なくともそんな理屈ではない、とその日も監視に赴いていた三兄弟の長男のイチジクは思った。

 動き出すまでのこの時間は、本能に突き動かされる激しい衝動を僅かに残っている理性が抑え込める限界だったのだろう。

 相手が古龍だろうと、逃げるという選択肢を選ばなかった。理性なのか本能なのか、それとも矜持なのかそれは分からないが、事実としてディアブロス亜種、子をその腹に宿している状態の雌のディアブロスは怒り心頭と言った形で寝床から出て来た。

 そしてそれを止めようと、雄のディアブロスが前に立ちはだかった。

 ナナ・テスカトリの泣いている真下の地下空洞で、ディアブロスの番が対峙した。

 単純な力比べ、雌争い、縄張り争い、そんな目的で同種間でも良く見られる角を打ち合わせての勝負。今回はそれからは外れているが、今回も角を打ち合わせて戦うのだろうとそれを遠くから観察していた三人と一匹は思っていた。

 しかし、雄は理解していたのだろう。より凶暴になった雌に正々堂々打ち勝てはしないのだと。そしてまた理知的な戦いをする竜ではないが、それなりに考えていたのだろう。

 出てきてしまったならば、自分が何をするのが最善かと。

 雄のディアブロスは雌が出て来るのに合わせて表へと出て来たが、雌と目が合った瞬間逃げ始めた。それはもう、情けない程に真直ぐに。

 咄嗟に隠れた三人と一匹のすぐ隣を走り去って行く。

「ギアアアアアッ!!」

 雌がそれにブチ切れて雄を追い、三人と一匹のすぐ隣を同じように走って行った。

 ……しかしながら、その雄の考えは良いものだったのかどうか、それはまだ分からない。

 ディアブロスの亜種の咆哮は、ナナ・テスカトリの泣き声を止めていた。咆哮をさせてしまった段階で、ディアブロスの存在にナナ・テスカトリは気付いてしまった。

 後を追おうとするサンショウを引き留めて、小声で言う。

「ナナ・テスカトリがどう動くかまだ分からないだろう」

 番のディアブロスが走る音も聞こえなくなり、けれど後に残るのは静寂のみ。

 ナナ・テスカトリは泣くのを再開する事も、ディアブロスを追う事もしていない。また、今居る場所からはナナ・テスカトリの様子を窺う事はすぐには出来なかった。

 十秒、二十秒、三十秒。何も起きないのが逆に不安を駆り立てる。

 一分が経とうとした時、沼地の方からディアブロス同士が争い始めたような音が聞こえた。そして同時に、三人と一匹が居る地下空洞への入り口とは別の、地上から直接繋がっている入り口にナナ・テスカトリが見えた。

 ゆったりとした足取りで、言ってしまえばかなり崩れた顔をしていた。遠くから見るだけでも、目元が腫れていたし、多分あれが人間の女性だったらニワトコ辺りはすぐに声を掛けに行っていただろう。……付き合える可能性がある事を込みで。

 そのニワトコが言った。

「兄貴、ここ逃げ場無いぜ」

 今居るばれずに観察出来る場所は、後ろが崖だった。

「分かってる。足取りがゆったりだからな。辺りの事を観察しながらやって来る可能性もある」

 モドリ玉もある。隠れ身の装衣も持ってきている。ただ、ギリギリまで観察するのはそれを踏まえると、とても危険だった。

 三人と一匹は力を合わせれば古龍を倒せる実力があろうともそれは、こんな限られた場所でも、という条件を付けられる程ではない。

「そうだな……いや、離れても大丈夫だ。守り族の住むあの場所から他の誰かが観察している」

 地下空洞にはナナ・テスカトリがやって来た、そしてディアブロスが走り去って行った二つの地上へと繋がる道と、ディアブロス亜種が寝床としているその地下空洞の最奥への道の他にもう一つだけ、地上の大蟻塚の一つからこっそりと地下空洞へと繋がる穴があった。

 それはまもり族と呼ばれるテトルー達の住処となっており、そこから狩人が道具を使いながら覗いているのが僅かながら見えた。

「俺達はディアブロスを見に行こう」

 後ろからナナ・テスカトリが来ていない事を何度も振り返って確認しながらも、一行は沼地へと向かった。

 既に泥がはじけ飛ぶような音が激しく鳴り響いていた。

 

 ディアブロスと言えば、竜種の中でも優れた脚力と太く鋭く生える一対の捩じれた角から繰り出される突進と、不可視の地面から急襲してくる戦い方が原種、亜種共に特徴としてある。

 ただ、その地面へ潜れる場所は限られている。木の根が複雑に伸びる森林の中や、土が重い湿地などではその力は生かせない。

 要するに、砂漠などの砂地で生きるのに特化した竜種だった。

 そんな竜同士が沼地で戦えばどうなるか。文字通り、泥仕合となっていた。

 激情した雌が雄に向けて突進しようとして、沼地に足を取られて転ぶと更に怒りを増して咆哮をする。そこに雄が突っ込み、転ばせた。しかし追撃はせずに距離を取り、雌はそんな雄の姿にますます怒りを膨らませた。

 雄の方も泥塗れになり、真っ黒な雌と似たような色合いとなっていた。

 互いに疲労も見えるが、雌の方は自身の疲労さえも忘れているようにひたすらに怒りを加速させていた。

「……こりゃあやばい」

 清々しい程に純粋な怒り。こんな怒りは他の竜種、古龍種ではそう見られないだろう。

 咆哮は遠くに居ようが体を震わせる。それには恐怖から来るものも混じっているように感じられ、下手をすると古龍種より恐ろしいとまで思わせる程だった。

 そんな雌とは対照的に、雄は冷静に立ち回っていた。

 突進には真正面から付き合わず、受け流すか躱す。雌が隙を晒してもそこまで強い追撃はせず、転ばせたりという形で留めている。

 けれども単純に実力差もあるのだろう、単純な突進も何度か直撃していた。足が取られる沼地で威力は十全ではないにせよ、体の所々を庇うように動く姿からは、怒り続ける雌以上の疲労を感じられた。

「ここは危ないですニャ、後ろからナナ・テスカトリが来るのも時間の問題ニャ」

「分かってる、でも離れている時間も惜しい」

 そう言ったすぐ後に、丁度雌から距離を取れた雄はまた逃げ始めた。

 雌はそれを当然追いかけ、恐る恐るそれを一行は更に追い掛ける。

 雄は良くボルボロスが縄張りとしている場所に向かって逃げていた。砂地を縄張り、戦場とするディアブロスはまず来ない場所で、そう強くないボルボロスもそれを理解して、その場所を寝床としていたの()()()

 もう、過去形となってしまった。一行がその場所で見たのは、その沼地に潜っていたボルボロスを雄が地面に角を突き刺し、その脚力を以て引っ張り上げた姿。

「ボアアアア!???」

 そして、混乱するボルボロスを振り返って雌の前へと置くとまた逃げて行った。

「ひどいね」

 サンショウが短くそう言った。

「哀れだ」

 ニワトコが続けて、

「南無」

 と、イチジクが言う。

 最後に、

「…………ニャァ」

 ライチが小さく呟いた。

「ギアアアアアアアアッ!!」

 ボルボロスの前でより強い咆哮をした雌のディアブロス。

 ボルボロスは何が起こったかを理解する間もなく、その突進を受けた。竜種の中でもかなり硬いであろうその頭はしかし、留まる事を知らない怒りを見せるディアブロスの突進によって嫌な音を立てた。

 壁に叩き付けられ、今度は尾甲によって弾き飛ばされる。今度は胴体に突進が突き刺さり、ぶづぅと角が突き刺さる致命的な音が静かに響いた。

 悲鳴を上げようが何をしていなくとも許されるはずもなく、反撃なんてさせて貰えるはずもなく、逃げられもせず、動けなくなっても攻め立てられ。そんな様子は見ているだけでも肝が冷えるようだった。

 ニワトコが、はっとしたように言った。

「そ、そう言えば雄は?」

「流石に休んでるでしょ……」

 サンショウが言うが、思い返せば雄の目的はナナ・テスカトリから雌を引き離す事だった。

 ただ。

 雄が逃げた先を見ると、何か青いものが見えた気がした。

 まだ夕方ではない青い空に、点々とより青いものが混じっている。

 理不尽な暴力から死んでも逃れる事の出来ないボルボロスから恐る恐る離れて来た道を戻ると、その光景はすぐに見えた。

 ナナ・テスカトリの正面にディアブロスが対峙していた。

 砂に汚れ、激しい涙痕に崩れた顔を見せるナナ・テスカトリ。泥塗れになった雄のディアブロス。

 ナナ・テスカトリは単純に雄のディアブロスの事を観察していた。それだけだが、雄のディアブロスは完全に怯えていた。

 そんな、動かず、動けない均衡は、後ろから響く暴虐の音が終わった事で終わりを迎えた。

「ああ嫌だ」

 ニワトコが小さく言った。

 自然と出たようなその呟きは、とても同感出来るものだった。

 前も後ろも逃げ場が無い。どちゃ、びちゃ、と強い足音を立てながら後ろから歩いてくる雌に、けれど雄は何も出来なかった。

 ただ、次に見えたのはとても意外で、雌が雄の隣に並んだ姿だった。

 雄が驚いたように雌を見る。雌はナナ・テスカトリに向けてしっかりと角を向けていた。

「落ち着いたのか」

 まこと哀れなボルボロスの犠牲によって。

 けれど、ただの竜種二匹が古龍に勝てるだろうか? 確かにディアブロスは火に強い耐性を持つし、そしてここは沼地で炎はとても燃えづらい。しかしながら万全な状態ならともかく、二匹とも疲労困憊なはずだ。

 ディアブロスにとってはとても有利なフィールドである事は確かだが、それを加味しても人智を越えた力を持つ古龍には勝てないと思えた。

 しかしながら、冷静になった雌に釣られて雄もしっかりとナナ・テスカトリに角を向けた。

 ナナ・テスカトリはそれを見ても動じず、またただの竜種に立ち向かわれようが怒る事もしなかった。

 そしてほんの少しの間の緊迫の後、ナナ・テスカトリは堂々とディアブロスに背中を見せてどこかへと歩き去って行った。

 ゆっくりと遠くへと、そして見えなくなるまで待ってから、ディアブロスの番は警戒を解き、そして雌が雄を小突いてからまたどこかへと去って行った。

 雄は、雌が見えなくなってから疲れ果てたかのようにその場で崩れ落ちた。

 恐る恐る近付いて見れば、狩人の存在にも気付かない程に深く、また元来の暴虐性など全く見えない程に安堵した寝顔をしていた。




持ち上げられて怒り心頭なディアブロス亜種の前に置かれる=>正面から突進を受ける=>壁に叩き付けられる=>頭蓋に皹が入る=>尾甲で叩き付けられる=>胴体に角を突き刺される=>そのまま持ち上げられて叩き付けられる=>突進を喰らう=>壁に叩き付けられる=>......
Q. 何かボルボロスに恨みあるの?
A. 別に。

気に入った部分

  • キャラ
  • 展開
  • 雰囲気
  • 設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。