洞窟の更に奥にはもう反射を含めても日光は入ってこない。ただ、その代わりに流れ出る溶岩の赤熱が薄暗くも全体を照らしていた。
クーラードリンクを飲まなければ一時間と経たない内に脱水症状まで陥ってしまうようなその熱が籠る場所でマム・タロトとの闘いは再開した。
マム・タロトはもう、油断をしていない。その巨体を生かした攻撃を相変わらず仕掛けるが、もう三兄弟とライチはそれに慣れ始めていた。
相手の挙動の見極めが早くなり、振り払おうとした尻尾が振り切った瞬間に大剣が叩き付けられ、黄金が塊でばりりと剥がれ落ちた。
つい出た歓声に強く苛立ちそのまま転がって潰そうとしたが、その後に自身の頭があるであろう位置に正確にイチジクが構えようとしている事に気付く。最初の大剣による一撃からのシールドバッシュ。両方とも全体重に筋力を加えて正鵠に叩きこまれたものだ。
それが最終的に自身の自慢の角を折るのに繋がる程の威力を持っている事はマム・タロトも理解していた。
だからこそ、行動に躊躇いが出た。その隙にニワトコが槍を胸に突き刺す。すぐさまに体を動かして深くまで貫かれる事を回避するが、大剣と槍で傷つけられた胸の痛みからか、軽く呻き声が聞こえた。
チャンスが近付いている、と思ったその直後に前脚が持ち上げられる。ニワトコは、今度はバックステップで避けて目の前に叩き付けられただけの前脚に槍を突き出した。ただ、突き出した時にはまた前脚が持ち上げられていて空いた空間を突いただけだった。
いや、と頭上を見上げた時には両方の腕が持ち上げられていた。持ち上げている上体そのものが落ちて来た。
「やべ……」
躱せる時間は無かった。突き出した槍を上に持ち上げる時間も。
盾を頭上に構えて身を低くし、全身に力を込めた。その直後に胸が落ちて来た。
腕の筋肉が潰れ、骨に皹が入る感覚がした。息が自分の肺から勝手に飛び出していった。
けれども、全身は潰れなかった。狩人として鍛えた肉体はその重量に寸でのところで耐えていた。
かひゅーっ、ひゅーっ、圧迫される全身で膨らめない肺で精一杯の呼吸をする、その間にマム・タロトが体を少し持ち上げて楽になる。
……?
マム・タロトの動きが直に伝わってきて、腕が動いている感覚も分かる。ただ、それに違和感に近いものを強く覚えた。
起き上がろうとしてない……?
その直後だった。その腕がニワトコの胴体を掴んだ。
「あ?」
防具が思いきり軋んだ。上体が持ち上がると同時にマム・タロトの顔が眼前に見えた。
「うっ、ぐっ!!」
胴体と同時に槍を持っている左腕も掴まれていた。当然、スリンガーもそこに。
息を吸い込むマム・タロト、と思ったら唐突に目を閉じた。閃光が一瞬遅れて弾けた。
不発だった。直後にライチの援護が加わりマム・タロトの腕にスリンガーが着弾したが、それではマム・タロトの力は微塵たりとも緩まなかった。
盾を装備している右腕だけは幸い自由だった。マム・タロトが目を閉じたままなのもあって盾は構えて居られる。ただ、気休めにしかならない気がした。これ程までに死が近付いた時は無かった。心臓が嫌に響いている。時間が過ぎるのが遅い。目の前の盾の先ではマム・タロトがいよいよブレスを吐こうとしているだろう。
「うああああああっ!!」
サンショウの声が聞こえた。マム・タロトの背中から聞こえたそれはサンショウがそこを駆けあがって頭へと大剣を叩きこもうとしているのだろう。けれど、それよりもマム・タロトはニワトコを仕留める事を優先した。
盾にブレスの圧が届いた。漏れた熱が頭を焦がした。
ニワトコが盾でガードしている事に気付いたのか、マム・タロトは腕を回して背中を焼こうとし始めた。
盾が回らない。後数瞬の内に焼かれる。殺される。けれど「時間切れだ」とニワトコは言った。格好つけて言いたかったが、声は震えていた。
マム・タロトの頭上にサンショウが辿り着いていた。そしてイチジクも飛び上がり、腕を強く切り付けようとしていた。マム・タロトは頭を振ったが、サンショウは落ちなかった。纏われる黄金の段差に足を引っかけて力を溜めていた。
そしてイチジクが腕を強く切り付けた。
ニワトコを強く握っている筋肉が深く刃を食い込ませるのを阻んだが、それでも力を込めた一撃はニワトコを握っている腕の力を弱めた。
ニワトコがそれに気付いて暴れて腕から離れた、その下に出来ていたブレスの熱溜まりに落ちる。
「あっ、ぎあああっ?!」
全身が焼け焦げながらも転がって逃げ、震える体で秘薬を取り出して噛み砕いた。
そして前を向いた時、サンショウが大剣をまた角に叩きこんでいた。
「ガアアッ!」
マム・タロトが頭を壁にぶつけてサンショウを弾き飛ばし、そして距離を取った。
着地したサンショウは確かな手応えを感じていた。角を折る事は十分可能だと。今回で出来るかもしれない、と。
「大丈夫か!?」
イチジクがニワトコに駆け寄った。
「何とか、な……」
秘薬の影響で体が急激に治されていく。新しい皮が急速に作られ、ぼろぼろと焦げた皮が顔から剥がれ落ちた。皹の入った腕からはびしびしと音が聞こえる。
予め持ってきて置いた素材で秘薬を新しく補充しておき、ゆっくりと立ち上がる。
「兄ちゃん!」
サンショウが叫んだ、と同時にマム・タロトの咆哮。
「ゴオオオッ!!」
マム・タロトの全身が内側から赤く輝いていた。
「なん、だ?」
一瞬遅れて、マム・タロトの全身からずるりと黄金が剥がれ落ちた。
「え?」
予想外のその行動に全員の体が固まる。
露になったその全身はしなやかさと強靭さを兼ね備えていた。優美さは失われないままに、先程までの姿形は造形美というべきものが先んじていたのに対し、今は機能美というものが表に出されていた。
黄金に輝いていた角は全く別の金属の色であるかのような深い蒼を見せていた。隠されていた胴体は黒い鱗に覆われ、また引き締まったそれは大量の黄金を纏っている膂力に説得力を与えていた。
同じく黄金に纏われていた幅広の尾は太く長く、それで叩かれたらクシャルダオラの比ではないダメージを負う事が容易に想像出来た。
そしてその顔は、怒りに染まっていた。
その表情のまま身を伏せ、口を開いた。
黄金を纏っていた時よりも遥かに滑らかで素早いその動き、そこから放たれたより一層強力なブレスは一番前に立っていたサンショウを何もさせないままに吹き飛ばした。
吹き飛ばされたサンショウは、ぴくりとも動かない。
……ニャんだ、これは??
遠くから見て、描いていたカシワは唐突に強く体の震えを覚え始めていた。
角を地面に叩き付け、そのままイチジクとニワトコに向かって地面を削りながら疾走するその姿には鈍重さなど微塵も感じさせない。
そしてカシワは、マム・タロトにネルギガンテや、それに対等に立ち向かったキリン以上の強さを感じていた。
イチジクとニワトコが横に跳んで躱し、ニワトコが叫んだ。
「俺が耐える! サンショウを頼む!」
「分かった! ライチ! 援護しろ!」
「ニャッ!」
角をかち上げたマム・タロト。もし当たっていたらそのまま壁か天井にまで吹き飛ばされていただろう。
そこにニワトコが槍を腕に突き刺した。
ぎろりとマム・タロトがニワトコを睨みつけ、直後に角を叩きつけて来る。
ガァン!
「ぐぅ!」
失われた重さ以上に、速さが段違いに増していた。先ほどよりも威力が高い!
ガァンッ!
更に二度目の叩き付けが間髪入れずに振り下ろされた。
「や、べぇ」
ガァンッ! ガァンッ! ガァンッッ!!
右腕が折れた。胴体で押し付けて耐えようとしたらその次の一撃で肋骨が折れた。その次の一撃で体が転んだ。
「あっ、ううっ」
死ぬ。ただそれだけが頭を占める。
「僕も居るニャッ!」
その叩き付けのリズムを読んだライチが飛び上がり、的確にマム・タロトの顔面に一撃を加えようとした。目玉が来るであろう位置に武器が吸い込まれていく。
しかし、先程の鈍重さが失われたマム・タロトの目の前に飛ぶ行為は、余りにも危険過ぎた。
武器が届く前にマム・タロトが口を開けて、ライチの方を向いた。
「ニャッ!?」
首から先がマム・タロトの口の中へ入ったところで口が閉じる。
暴れられるよりも前に口が動いた。
ごりっ、ぼりゅっ、ずちっ。
ぺっ、ぼとり。
「……え」
秘薬をどうにか取り出し、口に入れようとしたその目の前に落ちて来たのはライチの頭だった。胴体は別の場所にあった。
そしてコオオオッ、と息が吸い込まれる音を聞き、思わずその音の鳴る方を見上げた。
「……ああ」
それは悟りだった。
もう、どう足掻いても助かる事は無いと言う。
何度も直に受ける事だけは回避して来た熱そのものを吐き出すブレスが、動けないニワトコに向けて繰り出された。
「ああぁぁ……」
幸い気絶していただけのサンショウを起こしたイチジクは、武器も防具も含めて遺体が微塵も残らず燃え尽きていくその最期を見た。
「……ッ、逃げるぞ」
「えっ、あっ、あっ」
「ニワトコもライチも死んだんだよ! 今、この場で!!」
「ううううっ、ああっ、畜生!」
カシワの事など二人の脳裏からは完全に忘れ去られていた。そして、カシワも身を潜めるしか出来なかった。
また、マム・タロトもカシワに気付いているかどうかは分からないまま、角を傷つけた残りの二人を始末しようと動いた。
体はネルギガンテよりも大きく、そしてまた膂力もネルギガンテよりも強いかもしれない。そんな肉体の脚力は勿論、どの竜や古龍種よりも素早く、イチジクとニワトコに追いついた。
イチジクが閃光弾をマム・タロトに向けた。マム・タロトが反射的に目を閉じ、そして開く。
それを読んだイチジクがそのタイミングで閃光弾を放った。
キィン! と響くと同時に「ガァッ!」とマム・タロトが怯んだ。しかし次の瞬間、マム・タロトは体を回転させてその尻尾を二人に向けて払った。
咄嗟にイチジクは身を伏せた。サンショウがまともに受けて、洞窟の遙か遠くまで何度もバウンドしながら転がって行った。
「サンショウッ!」
咄嗟に悲鳴に近い声でイチジクは叫んでしまった。マム・タロトはその位置を掴み、正面を向き直して前脚を振り下ろした。
矢継早の出来事に、それを咄嗟に盾で受けてしまった。
ボッ。
「あ、あ? ああああああああ?!」
結果、腕が千切れていた。どばどばと血が噴き出し、何が起きたのか理解を拒絶し叫び続けるイチジクをマム・タロトが両前脚で掴んだ。
「あ、あ、あ、あがああああああああああっ!!!!」
ぎりぎりと握られ、ぼぎゅ、べぎゅぅと装備ごと全身の骨が砕かれていく。マム・タロトの顔が眼前にあった。怒りで剥き出しにした歯にはライチを磨り潰した跡。
そして後ろ脚二本で立ち上がると、イチジクの頭を下に持ち替え、そして思いきり地面に叩き付けた。
「いやだ」
ぐちゃっ。
上半身は弾けて原型を留めなかった。そして地面に投げつけて、バウンドしたところを前脚で地面に叩き潰した。そのまま前脚でぐり、ぐり、と怒りのままに念入りに磨り潰していく。
……カシワには、二つの選択肢があった。
洞窟の隅でぴくりともしていないが、まだきっとサンショウは生きている。サンショウだけは生きている。
これからマム・タロトはサンショウも殺しに行くだろう。ゆっくりと残酷に、怒りを込めて。
それに乗じればここから簡単に帰れる。目撃者は自分しか居なくなるのだ。騙す事も容易い。
でも、今からでも助けられるかもしれない。途轍もない危険を伴うが、サンショウを連れて逃げられるかもしれない。
カシワは僅かな時間逡巡し、そして決めた。
気に入った部分
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キャラ
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展開
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雰囲気
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設定
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他