古龍を描く狩人   作:ムラムリ

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マム・タロト 5

 じゃり、ばぎゅぅ、べぎぃ、ぶちゃっ。

 イチジクの全てを執拗に磨り潰していくマム・タロトの丁度頭上には石筍があった。黄金を纏っていない今だったらより強いダメージを与える事も可能かもしれない。

 サンショウの位置は遥か遠く。一見するとやや分かりづらい位置に居る。

 けれど、それでも。

 カシワは息を潜めて何もしなかった。

 激しい罪悪感に苛まれながらも、必死に訴えかけてくる正義感に苦しみながらも、何もしなかった。

 石筍をスリンガーで落とせばマム・タロトの頭上に落ちるかもしれない。マム・タロトに対してサンショウを助けに行けるだけの時間を稼げるかもしれない。ただそれは、断定ではなかった。石筍を落としても少し怯んだだけだったマム・タロトのその耐久性は黄金を身に纏っていたからより、あの強靭な肉体の為に耐えたと考える方が理に叶っていた。いや、そう考えたいだけなのかもしれない。カシワには分からない。

 それに、サンショウの位置は表に近い位置に居るマム・タロトからもカシワ自身からも離れていた。

 助けに行く限り、石筍を落としてマム・タロトが昏倒したとしてもその近くを通って逃げなければいけない。

 そしてサンショウを見捨ててしまえば、マム・タロトがサンショウに止めを刺しに行くのならば、カシワは安全に逃げられる。

 ……そうニャ。ボクは、ボクだけは帰らなきゃいけないのニャ。サンショウを見捨ててでも帰らなきゃいけないのニャ。ここで起きた事を全部伝えなきゃいけないのニャ。

 ……だからって助かる可能性のあるサンショウを見殺しにするのニャ?

 ……もう死んでるニャ! あんな尻尾で思いきり叩かれて、生きてるはずがないニャ!

 ……そう思いたいだけじゃないのニャ?

 …………そうだとしてもボクは、ボクは、死にたくないのニャ。助かる強い可能性を捨ててでも、生きているかも怪しいサンショウを助けたいなんて思わないのニャ。

 だから、だから、ごめん。

 この体の震えはどの位が恐怖から来るものなのか、どの位が罪悪感から来るものなのか、分からなかった。

 自分がサンショウを助けようと思うに至らなかったその可能性の低さが本当に正しいものなのかも分からなかった。分かりたくなかった。

 イチジクを磨り潰す音が聞こえなくなると暫しの間、静寂が訪れた。

 自分の鼓動が今までの何よりも激しくなった。自分の意志とは無関係に呼吸を強くしなければいけないその怯えに先程の分からなかった事の一つが分かった。

 全部恐怖だった。サンショウへの罪悪感も、恐怖を薄める為のものに過ぎなかった。

 その一番の恐怖をカシワは無意識の内に無視していた。マム・タロトが自分に気付いているか否か。

 基本的に隠れて絵を描いていたが、その場所からマム・タロトの姿を見る為に身を乗り出した事は頻繁にあった。

 マム・タロトの視界に一度でも入らなかったか、その問いは限りなく否、に近かった。

 隠れているこの場所もマム・タロトが今居る場所から見えないだけで、気紛れに確かめに来られれば逃げるより先に見つかる。

 ざりっじゃりっ。地面に手を擦り付ける乾いた音がした。こびりついた骨や肉を落としているのだろう。

 続けてずん、ずん、と歩く音が聞こえる。

 幸い自分の方ではない。サンショウの方へ歩く足音だ。今の内なら、けれどそう思っても体は動いてくれなかった。今でもがくがくと震え続けるこの体で物音一つも立てず、マム・タロトに気付かれずに確実にこの場所から脱出する自信がカシワには無かった。

 マム・タロトが自分に気付いていて敢えて放置しているのかも分からない。サンショウを潰した後に気付いていたぞと自分の方に歩いてくる可能性だってある気がした。それも十分に。

 今飛び出した方が良いのかサンショウが殺された後この場所からマム・タロトが去ってからの方が良いのか、カシワにはとにかく分からなかった。けれども時間は無かった、一つの選択肢は今、確実に消え去ろうとしている。

 頭を働かせる時間すらも無かった。利用出来そうなのは石筍ただ一本。今逃げようとして、もしばれたとして石筍をスリンガーで落として? マム・タロトは、それを角でいとも容易く叩き壊してそのまま追って来る気がした。もう、一度石筍を利用した攻撃はしていたのだ。眼前に飛び込んでいったライチは咥えられて首を擦り千切られて死んだのだ。それだけの反応速度がある。

 駄目だった。良いイメージは湧かなかった。確固とした知見がそうさせた。

 そして、マム・タロトはサンショウの前に着いたのか歩みを止めた。

 カシワは耳を手で降り塞いで、けれど開けた。隠れているだけでもそれをしてしまったらいけない気がした。この五感で感じる全てを、今はただ隠れているしか出来なくとも拾い集めなければいけないと直感していた。

 その直後。

「い゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 竜の咆哮に近しい程の激しい悲鳴が、鳴り響いた。

 それ以外の音はしなかった。聞こえなかった。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 何をされているのかも分からないし分かりたくもない。体ががくがくがくがくとより一層強く震える。自分の体を強く抱き固めてもそれは全く収まらない。

 古龍を怒らせるという事はこういう事なのだと魂まで刻み込まれていくようだった。それは自分が死のうが消えない気がした。来世というものがあるのならばその生まれた瞬間から死ぬまでさえも、その来世、その更に来世までずっとずっと消えない気がした。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ーーーー!!!!!!!! ーーーー!!!! っ、い゛う゛う゛……ああ゛あ゛う゛っ……小兄ぢゃん……大兄ちゃん……僕がぁあぁっ…………僕のせいでぇっ……」

 どぢゃあっ!

 その叩き付ける音で、もうそれきりサンショウの声も聞こえなくなった。

 イチジクと同じくきっと原型がなくなろうとも叩き付けられ続け、そしてブレスを吐いた音も聞こえた。

 その後にまた叩き付ける音。

 三兄弟を文字通り塵にしても、怒りは微塵たりとも収まっていなかった。

 そして、ずんずんずんずんと強い足音で歩いて行く音。その足音が幸い自分の方では無かった事に心の底から安堵した。

 ほぅ、と息を吐こうとしたその時、しかしそれはぴたりと止まった。心臓が口から飛び出しそうになるとは比喩表現では無かった事を知った。

 もう、どどどどどどどどと言う程に激し過ぎる程に心臓が鳴っている。じゃり、と方向を変える音が聞こえる。息を吸う音が聞こえる。死ぬのか分からないでも、けれど、けれど、それが自分の方ではない可能性は十分にあった。ここで叫んでしまったら、生を諦めてしまったら駄目な気がした。

 ゴオオオオッ!

 ブレスが吐かれた。それは、カシワには来ていなかった。三兄弟が居た位置に、とても長く長くブレスを吐き続けていた。

 終わればまた吐いた。二度も三度も、四度も五度も。

 それでもカシワは自らの口を押えていた。恐怖の分だけ安堵も激しく、口を開いてしまえばその分だけの息が強く大きく出てしまいそうだった。

 そしてマム・タロトは数えるのが億劫になる程にブレスを何度も吐き続けた後、今度こそ洞窟から去って行った。

 けれどカシワはそれから暫く、その場所から動けなかった。

 口を押えていた手を放す事さえも強靭な意思がなければ出来なかった。息を大きく吸う事も怖くて仕方がなかった。体の息が乾ききって喉が切れても良いからこの場所から離れたくなかった。

 でも、マム・タロトの歩き去った音はちゃんと耳が聞いていた。今が絶好のチャンスである事は間違いない。絶対に。……絶対に?

 疑問は浮かんだ。自分が出たタイミングでやっぱりもっと叩き潰さなければ気が済まないと思って戻るのと鉢合わせるのでは?

 そこでカシワはやっと、体を動かして三兄弟とライチが戦っていた場所を振り向いた。

 カシワの見た光景には、マム・タロトが暴れた痕跡しか残っていなかった。ニワトコとライチが焼かれた場所、イチジクが叩き潰された場所、サンショウが叩き潰された場所、どこも黒ずみしか残っていなかった。

「――――」

 声を上げてしまった気がした。でも何も声を出していなかった。絶句するとはこの事なのだとはたまた思った。ただ、心臓が飛び出すという表現を体感した事も絶句した事も、そんな経験は全く嬉しくなかった。

 とにかく、とにかく。今は逃げなきゃニャ…………。

 カシワは立ち上がって、未だがくがくと震える全身を何度も深呼吸して整えて、けれど震えは完全には止まらずそれを諦めて一歩一歩慎重に歩き出した。

 

 直接でないにせよ、日光が届くところまで戻ると、遠くからガァン、ガァンと何かを破壊する音が聞こえた。

 大砲も、テントもベースキャンプも、全てを徹底的に破壊して回っているのだろう。そしてそれが終わってもマム・タロトの怒りはきっと消えないだろう。

 でも、ここまで来れば逃げ切ったも同然だった。

 今居る場所の近くにはベースキャンプに直接繋がる通路が、ここから遥か高くに位置してはいるが、ある。

 天井裏を通るようなものだが、狩人ならともかく、アイルーとしてのカシワの身体能力ならばそこまで登る事も強い問題ではない。

 壁に手を掛けて、登っていく。体ががくがくとし続けていて、気を僅かにでも抜けば落ちてしまいそうだった。

 爪を僅かな突起に引っ掛けて、腕に力を入れて持ち上げて、後ろ足を手があった場所において。

 半分程まで登ったところで一旦一息。何度も何度も呼吸を落ち着けて、震えがもう少し収まら、なかった。

 ドドドドドドドドッ!!

 マム・タロトが全速力で走って来る音が唐突に聞こえた。

 マム・タロトは自分の存在は幸運にも忘れていただけだった、今思い出した、思い出された!

「ニャッ、ニャッ、ニャアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 手足は唐突に最適な動きをし始めた。

「ガアアアアアッ!!」

 マム・タロトの咆哮がすぐ近くから聞こえた、後少し、後少し!

 ドォン! とマム・タロトが壁に体を打ち付けてカシワを落とそうとした、カシワは咄嗟に爪を深く壁に引っ掛けて耐えた、この揺れが自分の震えも入っているか分からない。でも、とにかく、重要なのは一つだけ、耐えられている!

 そして次の体当たりの前にベースキャンプへと最短で続く道へとカシワは登り切った。体をごろりと地面に乗せて、仰向けになる。

「や、や、やっと」

 コォォォッ、と息を吸う音が聞こえた。

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 起き上がってまた逃げ始めたその直後、仰向けになった場所にまでブレスが届いてきた。

 カシワは、走り続けた。後ろからはマム・タロトの怒声が鳴り響いていた。

 ベースキャンプまで戻っても太陽を直に浴びられる場所にまで戻っても、見覚えのある場所に着いても、とにかく一心不乱に走り続けた。

 マム・タロトの怒声が、いつまでも耳に鳴り響いていた。




マム・タロト編、もう一話だけ続きます。多分もう一話だけ。

因みに強さとしてはこんな感じ。
―――――
歴戦王クシャルダオラ >
マム・タロト >
マハワ >
歴戦キリン、ネルギガンテ >
イチジク・ニワトコ・サンショウ >
ただの古龍 >
ソードマスター >
イチジク単騎、ヒノキ、歴戦竜、イビルジョー
―――――
マハワが単騎でマム・タロトに挑んでも、知見がある状態でも死ぬ。
いや、単純にあの黄金を脱いだマム・タロト、ネルギガンテより遥かに強いと思うの。
ネルギガンテと対峙してもネルギガンテの大角を頭突き一発で壊して怯んだ所に顎を掴んで何もさせないままレジェゴジがムートー仕留めるときのような事やるようなそこまでの実力差がありそうな気がするの。

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