古龍を描く狩人   作:ムラムリ

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ネルギガンテ 1

 三兄弟がマム・タロトに敗北してからまた暫くが経った頃。

 ヒノキは古代樹の森を散策していて、リオレウスとリオレイアの子の死体が幾つかあるのを見つけた。

 そこは丁度、高台の下。イビルジョーが死んだ場所。

「もう、飛ぶ訓練をする位には成長したのか……」

 上を眺めると丁度、リオ夫婦が飛んで行くのが見えた。後ろから未だ慣れない様子で、けれど精一杯に飛び立っていく子達が見える。

 ここに亡骸としてあるのは、飛ぶのに失敗した子供達だ。

 ……あのパオウルムーも、こんな個体だったんだろうな。

 そんな事を思った。良く見てみれば、首を切られた個体が幾つか。運悪く墜落しても生き延びてしまった個体に対する親の最期の慈悲だろう。

 少しだけスケッチを描いた。竜の子を観察する機会は、親の子に対する愛情が深ければ深い程にそう多いものではない。それが死体であれど。

 飛べなかった個体は肉体的に弱かったのか、精神的に弱かったのか、もしくは両方か。

 数多の竜を見て来たヒノキでも余り詳しい事は言えないが、どれもあり得るだろうと思う。

 ただそれでも結局、一生がどのように決まるかの最大の要素は、ヒノキは運だと思っていた。

 最高の肉体と最高の精神を兼ね備えていたとしても、幼少期、巣立った直後などにイビルジョーなどに遭ってしまえば逃げ切れる可能性は低いだろう。

 逆に肉体も精神も弱くてもあのパオウルムーのように今は幸福を享受している個体も居る。

 そしてそれは人も同じだ。

「……まあ、お疲れ様」

 スケッチを終えると、何とはなしにヒノキは呟いた。

 その場を去り、歩いていると程なくしてジャグラス達と遭遇した。威嚇してきたが、太刀に手を伸ばすとその時点で逃げて行った。

 今日中には、あの死体群もジャグラス達の腹に収まるだろう。

 

 リオ夫婦は海の見える広い平地で、アプノトスを仕留めて子供達に食べさせていた。

 空を飛べるようになったと言えどまだ、モンスターを狩れる程大きくもない。夫婦から見えない遠くで眺めるに留めて暫く観察する。

 リオレウスは今の古代樹の森では最も強い個体だが、それにかまけずにしっかりと辺りを警戒している。番のリオレイアはそれを信頼して子供達の世話をしていた。

 その子供達の中でも肉を食べるのにひたすら集中している個体から、リオレウスと同じように辺りの事を警戒している個体も居る。

 どちらが強くなるか、それが後者だと言いづらいのも面白い。

 一匹一匹を分別して細やかに観察出来たらそれはとても役に立つだろうに。リオレウス、リオレイア自体は各所でとても良く見られる竜ではあるが、亜種や希少種などへの変異がいつ起こるのかなど、未だ良く知られていない事柄も数多い。

 同じリオレウスでも通常種と亜種では共闘をする事など見られないと言うが、通常種の番の中で亜種や希少種が誕生したらどのように扱うのだろう?

 流石に殺しはしないと思うが、結局憶測に過ぎない。

 まあ、とヒノキは取り合えずそれらの個体に対してもスケッチをする事に決めた。

 頭を内蔵に突っ込んでまで肉を貪っているリオレウス。もう満腹なのか、骨を齧っているリオレウス。

 首を食い千切っているリオレイア。

 リオレウスの足元で親の真似をするように辺りを見回すリオレウス。母親にこびりついた血を舐め取って貰っているリオレイア。

 遠くからでは中々一匹一匹の区別は詳細まで分からないが、性格は徐々に分かってくる。

 五体なら、その内区別もちゃんと付くようになってくるだろう。

 スケッチもラフに出来たところで、もうちょっと書こうとしたところ、リオレウスが唐突に動いた。足元に居た子を咥えて放り投げ、背中に乗せる。内臓を貪っている子も骨も齧っている子も、首を千切っている子も急いで背中に乗せて、リオレイアにも呼び掛けた。まるで焦るように。強い脅威がやって来たかのように。

 リオレウスは低空飛行で、リオレイアは地を駆けて。家族はヒノキの居る方へと向かってきた。

「だから何でこっちに!?」

 リオレウスがその鋭い目でヒノキが居る事に気付いたような素振りを見せたが、そのまま飛んで来る。

 ヒノキはさっさと退散する事にした。

 ただ……ヒノキが居てもこちらの方向に避難するのを止めなかったという事は、それ以上の脅威があったという事に他ならない。

 リオレウスが直前に見ていた方向はどちらだったか。子を描く事に集中していたから余り覚えていないが、逃げて来た方向からある程度の察しは付く。

 見晴らしの良い場所に行って、そしてその方向――海の方を見た。

 見えたのは二つの点。灼熱のような輝かしい赤と蒼炎のような深い青。

「…………まさか」

 嫌な予感しかしなかった。

 

*****

 

 思い出す度に、三兄弟とライチの死に様が正確に浮かんで来る。

 首を擦り千切られたライチ。身動きが取れないまま灰燼にされたニワトコ。全身を握り潰され頭から叩きつけられたイチジク。前脚で叩き潰されたサンショウ。

 悲鳴が、強烈な音が、その時抱いていた一生の中でもうこれを超える事は無いだろうと思えるような恐怖の感情が、同時にカシワの体を駆け抜ける。

 幸いにもマム・タロトはアステラに、狩人達の拠点にまで攻撃を仕掛けて来る事は無かった。ただ、だからと言ってマム・タロトの記録を残さない事は、それへの対策を怠る事は周りの人達以上にカシワ自身が許せなかった。

 それはせめてもの弔いだった。せめてもの贖罪だった。サンショウを助けずに自分の命を優先した事は、例えそれが周りからどれだけ正しい行いだったと言われても、自分の中に後ろ暗いものとして残るだろう。

 そう、確信していた。

 それ程に恐ろしくて堪らないマム・タロトの事を、顔を歪めながらも、時に過呼吸になりながらもカシワは丁寧に描いた。

 どのような攻撃をしてくるのか、その時どこに隙が生まれるか。ブレスを吐く時の姿は如何様で、そしてその速度と範囲は、致死を避ける為にはどのように動いたら良いのか。

 思い出せる限りの事をひたすらに描いた。

 がんがんと頭痛がしても、食事が喉を通らなくても、カシワは描くのを止めなかった。そうしなければいけないとカシワ自身が感じていた。せめて今はそうしなければ、自分自身をも壊れてしまうと信じて止まなかった。

 そうして何日も何十日もひたすらに描き続け、やっと描くスピードが落ちてくる頃にはそれを見ていたヒノキもマム・タロトの姿を何も見ずとも正確に描けるようになっていた。

 様々な角度から、様々なポーズで描かれた数多くのマム・タロトのスケッチは、その古龍に実際に相対せずともどのような攻撃をして来るか、どのように動けば良いのかを十二分に予習出来る程だった。

 ただ、それでも黄金を脱いだ時のネルギガンテを越える程の純粋な暴力には、生半可な狩人では束になっても敵わない。マハワと言えども一人では負けると断言出来る程に。

 二の舞を起こしてはいけないという思いも強かったのだろう。特に黄金を脱いだマム・タロトのスケッチは見る者に対して怯えを抱かせる程だった。

 

 そんな思い出せる限りの事柄を描き切って、漸くカシワは自分を少しずつ赦せるようになっていった。

 体も心も休ませて、栄養もつけて。ヒノキと共に古代樹の森をゆっくりと歩き、大蟻塚の荒地を慎重に歩き。色々なものを描いた。

 川に顔を突っ込んで水ごと魚をごくごくと飲み干すプケプケ。日向でぐっすり眠るトビカガチがリオレウスの気配に勘付いて慌てて逃げていく様。アンジャナフからぎりぎり逃げ延びたドスジャグラス。

 産卵を終えて徐々に原種へと戻っていくディアブロスの雌。荒れ地と森林地帯の境目で距離を取って睨み合うリオレウスの亜種とディアブロスの雄。そんな事を全く気にせず沼地で泳いでいるジュラトドス。

 そんな様を描いている内に、また陸珊瑚の台地に行きたくなるのを止められなくなってきた。

 うずうずとしながらも、楽しんで良いのだろうかと思い悩むカシワにヒノキは行ってこいと背中を押した。

「うじうじ悩んでいて、何か良い事があるのか? せめて何かやって来い」

「……それもそうニャ」

 

 陸珊瑚の台地は相変わらずの静けさを保っていた。パオウルムーとキリン以外のモンスターは殆ど姿を現さない。生態系を乱していないとは言え、ここら一帯を縄張りとするような立ち振る舞いは中々に狩人を困らせている。

 討伐するにせよ、キリンはネルギガンテを退ける程の実力を備えている。一筋縄でいかないどころか、こちらに犠牲が出る可能性はかなり高い。更に加えるとするならば、討伐出来たとしても少なからず憂鬱な気持ちにもなるだろう。

 キリンの庇護を失ったパオウルムーがオドガロンやレイギエナに仕留められる事は容易に想像出来た。

 結論としては、迷惑ではあるが、討伐を決定させるような強い理由は幾ら時間が経とうとも見出せてはいなかった。

 久々に躍り出ても、そんな変わらない風景がある。

 それはカシワにとって日常に戻って来たのだと言う感覚が湧き出し始めるものだった。

 罪悪感が脳裏を過る。まるでねっとりとした液体を強く含んだ着物を引き摺って歩くように。

 また、そんな心苦しい気持ちと同時に、あの地脈の黄金郷で起きた出来事は過ぎ去ったものなのだという物寂しさも覚えた。

 ボクは……。

 何となく思ったその先は、出てこなかった。

「…………ニャァ」

 ……うじうじ悩んでいても何も良い事は無いニャ。

 本当に何も変わっていないかは、実際見てみないと分からないニャ。

 そう自分に言い聞かせて、カシワは動き始めた。

 

 それから数日後。

 久々に雨が降り始めていたが、カシワはその日も探索に出掛けた。

 散策を数日続けても、やはりと言うべきか変わっているところは無かった。強いて言えば、狩人による採集がめっきり減ったからか中々に大きく成長したツボアワビやキノコの類が目立っていた。それらを好む狩人やら研究者やらに渡せば喜ばれた。

 しとしとと柔らかに雨が降る。前日からその予兆があったのもあり、この雨はキリンが呼び寄せたものでは無いだろうと思えた。

 それにキリンが呼び寄せる雨雲はこんな柔らかな雰囲気を伴っていないし、その当のキリンとパオウルムーは雨を凌げる場所でゆっくりとしていた。

 そのキリンの角は折れたままなのは変わらないが、弱った様子でもなかった。心なしかまた伸び始めている気もした。

 また変わった事が無いにせよ、観察を続けるべき事柄は幾らでもある。一つ一つの環境生物の生態は調べ切れていないし、台地のかなで族から学べる事も多い。瘴気の谷からの湧昇風が陸珊瑚の台地にどのような影響を及ぼすのかも分かり切った事ではない。

 瘴気の谷は、カシワは余り好きでは無かったが、陸珊瑚の台地の事をより詳しく知る為にはその内そちらにも深く浸からなければいけないだろうと思っていた。

「でもニャァ……。臭いものは臭いのニャァ……」

 瘴気の谷で暮らすオドガロンでさえも、肥やし玉には逃げていくのだから。

 その内深く浸るのだろうけれど、まだカシワにはそれを決断させるような強い疑問などは浮かんでいなかった。

 雨に極力濡れないように移動していたものの、体が湿る事は避けられない。

 今日は早めに引き上げようかと戻り始めたところ、ゴロゴロと雷が鳴る音が聞こえて来た。

「……?」

 これは、どちらかニャァ?

 自ずと起きたものなのか、キリンが引き起こしたものか。

 ゴロゴロ……、サァァァ……。

 雨は先程と比べて弱くなっていた。雷の音の頻度は時が経つに連れて増えて行っている。

 柔らかな雨は失せていた。

 間違いなく、キリンが引き起こしたものだった。それは即ち、外敵が現れたという事だった。それも、キリンが本気を出すに値する強さの。

 そう言えば、とネルギガンテが活動を落ち着かせてからどの位の時が経っただろうと思う。

 半年に近い時間だ。

 ネルギガンテの生態は未だ以て不明な部分ばかりだが、子を為し終えていてもおかしくない時間ではある。

「…………」

 それに気付いて、カシワはひっそりと動いた。

 ネルギガンテがリベンジしに来たという可能性は十分にある。と言うよりかは、それ以外でキリンが本気を出す事など余り考えられなかった。

 強いて言えばマハワがキリンを討伐しに来た位だが、それは討伐対象にもなっていないキリンに対しては有り得ない。

 キリンはどこを戦いの場所として選ぶだろう? 前と同じ場所か、それとももっと入り組んだ複雑な場所か?

 多少考えたが、前と同じ高台の下の広場を選ぶだろうと確信に近い形で思った。ネルギガンテに地形とかそんな程度の搦め手は逆効果にしかならない。

 陸珊瑚が聳え立つ場所やらを選んでも、片っ端からへし折られるだけでそれはキリンの動きの邪魔になるだけだろう。また高低差のある場所も、ネルギガンテの運動量には敵わない。

 カシワは、前と同じ場所を観察する場所に選んだ。丁度高台に居た所でもあったし、その場所はすぐ近くだった。

 音なく走る。遠くの空からネルギガンテが飛んで来る姿が見えた。雨は降り止み、雷の音は更に激しくなっている。

 一直線にネルギガンテは飛んでくる。カシワが観察に適した位置に到着する。

 雷雲がキリンの力によってより一層強く鳴り響く。キリンは前回と全く同じ位置に立っていた。同じ戦法が通じると思っているのかどうかそれは分からないが、一直線に突っ込んでくるのならば再び特大の雷を浴びさせてやるつもりのようだった。

 しかし、ネルギガンテも止まらなかった。前と同様に突っ込んでくる。姿が鮮明に見える程の近さになって高度をやや調整し、そして体を捩じりながら自身の最大の攻撃、破棘滅尽旋・天でキリンに向かって突っ込んでいく。

 前回と変わった点と言えば、ネルギガンテが高度を上げて突っ込んだ位置が前よりもやや遠くである事。最初の攻撃がネルギガンテ最大の攻撃である事。

 キリンはそれでも動かなかった。最大の雷が落ちた。一瞬、その場所が眩い光と轟音で包まれる。

 ドジャアッ!!

 次にカシワが目にしたのは、崩れて血を吐き出すネルギガンテと、そしてどこかへと消えてしまったキリンだった。

 まさか、と思い自分の居る高台から見えない真下を覗いた。

 キリンが倒れていた。ネルギガンテの攻撃も当たり、そしてそれはキリンを壁にまで弾き飛ばしていた。

「ゲボォッ、ガフッ」

 ネルギガンテは何度か血を吐き出すものの、それでも難なく立ち上がった。それに対してキリンは何が起こったのか分からない様子のまま四肢をばたつかせるだけ。

 体重が軽いのも幸いしてか、体が抉られたりだとかそんな目に見える致命傷は負っていない。ただ、それはバゼルギウスの下敷きになった時よりも遥かに重いダメージだった。

 その証拠に雷雲から鳴り響く雷の音が収まっていた。キリンの纏っていた雷が弱弱しくなっていた。

 ネルギガンテは今この地に二体居るが、このネルギガンテはやはりキリンと戦った個体だろう。密度濃く古龍と戦い、そして受けて来た数多の傷から再生してきたその肉体は、より強くなっているように見えた。

 キリンの雷もまた、最大の攻撃だった。それを受けた前回は攻撃を中断させられ、反撃も苦し紛れながらのものだった。しかし今回はすぐに立ち上がって悠々と歩いていく。

「ビイイイッ!」

 そんな所にパオウルムーが泣きながら飛び出してきた。

「ニャァ…………」

 カシワは思わず声を出していた。

 ネルギガンテはいきなり現れた、ただのか弱い竜に一度足を止めた。

 パオウルムーはキリンに駆け寄った。起きてと鳴き、揺さぶって動かすが、キリンはそれでも立ち上がれなかった。

 ネルギガンテがまた歩みを再開し、振り向いたパオウルムーが恐怖に染まる。

 その前脚で首を掴まれるのに、パオウルムーは何も出来なかった。そのまま地面に叩きつけられて捩じられ、ベギィと首の骨が折れる音が鳴った。そして投げ捨てられた。食べられる事も無く。

 その後、ネルギガンテは後ろ脚で立ち上がった。

 腹面をキリンに見せびらかすように立つネルギガンテは、ぐ、ぐぐっ、と右前脚を高く掲げた。それに対してキリンは、もう動かなかった。動けないのではなく、動かなかった。

 ドバギィッ!!

 全力で叩きつけられた滅尽掌。それを受けたキリンの体は四肢が跳びはね、そして胴体は半ば潰れた。

 僅かな間の後、その叩きつけた右前脚をどけて絶命したのを確認する。確認出来ると、ネルギガンテは空に向かって猛々しく吼えた。

「ガアアアアアアッッ!! ガアアアアアアッッッッ!!!!」

 完全なる勝利の雄叫びだった。

 一度撤退せざるを得なかった相手への勝利。それは目に見える程に喜びに満ちており、満足いくまで何度も吼えると上機嫌のままにキリンの首を咥えて住処へと帰って行った。

 

 そして残ったのは首を折られたパオウルムーだけだった。

 元に戻った柔らかい雨がまた、しとしとと降り始め、そのパオウルムーを濡らし始める。

 カシワがそれに近付くと、まだ微妙に生きていた。涙を流し、体をびく、びくと震わせて。

「…………」

 カシワが出来る事はただ一つ、楽にする事。即ち、止めを刺す事。ただそれだけだった。




そんな訳で最終章始まります。

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