あの日から二十年 ――追想 サイレンススズカ―― 作:さすらいガードマン
サイレンススズカが好きだった、あるいはアニメを見て好きになった方に読んでいただけたら嬉しいです。
僕が間近で見て感じたサイレンススズカの伝説のレース。
前半は毎日王冠の話です。
11月1日、1枠1番、1番人気――今年もまたあの日が廻ってくる。
あれから今年で丁度20年――あの悲劇の日、僕は東京府中のあの場所にいたのだ。
今年放送されたアニメ、「ウマ娘プリティーダービー」 最初はネタもの枠の擬人化アニメとも思われていたこれが、予想をいい意味で裏切ってくれた良アニメだったのだ。
特に僕たちのようにあの当時を知る競馬ファン達にとっては、僕らの琴線をくすぐるような細かいネタが数多くそれも丁寧に盛り込まれており……その上あの熱い展開。僕はこののアニメの魅力にすっかり引き込まれてしまった。
(実際どんな史実ネタが使われていたかについては数多のアニメ検証サイトやYouTube・ニコ動などに詳しいし、またなかなか面白いので興味を持った方はそちらも見てみると良いだろう)
僕はアニメを見ながら史実ネタを見つけてはニヤニヤし、そして……物語が進んでいくにつれ、はたして「あの日」のことをどう描くのつもりなのかと放送当時はずっと胃が痛むようなドキドキを味わってもいた。そして――――。
◇ ◇ ◇
福島市。競馬の町としての一面がある地方都市に生まれ育った僕。
福島には中央競馬の一場、「福島競馬場」があり、スポーツ紙ではない一般の地方新聞に競馬
当時の僕の家は福島競馬場から歩いて数分のところにあり、そもそも両親の馴れ初めが競馬場での出会いだというのだから、その英才教育?もあって僕は当たり前のように競馬というものを身近に感じながら成長していった。
福島で競馬が開催される時期、うちの家族はよく競馬場に遊びに行ったものだ。この「遊びに行く」というのは文字通りの意味で、福島競馬場は府中競馬場などと同じように地下道を通って馬場の内側に入ることができる。そこには広い芝生が広がり、ピクニック気分で競馬を楽しむことができるようになっている。(もちろんスタンドに比べれば競馬は見づらいが)
この馬場内には子供向けのアスレチックやらポニーに乗せてもらえるミニ馬場やらがあって、(僕が地元に住んでいた頃は今ほど豪華ではなかったと記憶しているが)近年はさらにトランポリンとかバラ園まで出来て、遊べる施設はますます充実しているらしい。
あ、もちろんこの内側にもちゃんと馬券売り場があって、子供を遊ばせながらのお父さん方にもちゃんと競馬を楽しんで貰えるように……お金を落としてもらえるシステムになっているわけだ。
競馬場に行けば毎回必ず馬場内に入るというわけでもなく、日によってはスタンドから競馬を見たり、他の競馬場の大レースを「でっかいテレビ」(当時はターフビジョンという言葉を覚えてなかった)で見たりというようなこともある。福島競馬場のコースは一周約1600メートルとそれほど大きなコースではないが、その分スタンドと馬場の距離が近く、間近で見る最後の直線では地響きやムチの音、馬の息遣いまでが伝わってきて……その迫力には子供ながらに圧倒されるばかりだった。
そんな環境で育った僕だから、成長し上京した後も「競馬」というものに対する関心が他の同世代の若者に比べて高かったとしてもそれは無理からぬことだろう。
だから、府中競馬場や中山競馬場……特に府中競馬場へは、それほど近かったわけでは無いものの沿線一本で行きやすかったこともあり、G1などの大レースがある時はよく足を運んだものだ。
ちなみに、競馬をやらない方は案外知らないみたいなのだが、競馬場というのはただ観戦するだけのつもりなら、入場料は驚くほど安い大人200円・子供は無料、(ローカル競馬場はさらに安い!)と往復の電車代のほうが高いくらいのリーズナブルな金額で雰囲気を楽しむことが出来る。VIP席などと呼ばれる各競馬場にある様々な指定席は別に席料がかかるけど、高い席でも一日数千円、最近はスマホを充電しながらそのスマホで投票(馬券を買うこと)が出来る席なんていうのもあって、あの当時とはずいぶん時代が変わったなあと変な感慨を覚えるほどだ。
まあその分馬券を買ってくださいということなのかもしれないけれど、「スポーツ観戦」という感覚なら、競馬観戦はコスパがとても高いレジャーと言えるだろう。
◇ ◇ ◇
さて、あの悲劇の主人公「サイレンススズカ」とはどんな馬だったのか。
伝説の大逃げ馬、異次元の逃亡者。中距離に限れば日本競馬史上最強馬ではないかと言うファンも多い、日本競馬史上に名を残す名馬。天皇賞(秋)の魔物に魅入られた悲劇の主人公。
だが、競走成績だけを見るなら16戦9勝、重賞5勝うちGⅠは僅かに1勝(宝塚記念)のみ。
サイレンススズカはようするにただの(と言っては失礼だが)GⅠ1勝馬であり、その他の伝説になるような名馬に比べれば見劣りする成績と言わざるを得ないだろう。
にもかかわらず、なぜ彼はここまで高く評価されているのか? そしてなぜ二十年を経てなお僕らファンの心に強く印象を残しているのか?
◇ ◇ ◇
1998年の競馬の話題は当初、スズカたちの世代よりも、むしろその下の4歳(今の表記だと3歳)クラシック世代の方が中心だった。
史上最強世代とも言われる95年産駒――俗に98年組とも呼ばれるアニメウマ娘主要メンバーの世代。スペシャルウィーク・セイウンスカイ・キングヘイローという三強に加え、エルコンドルパサー・グラスワンダーという二頭の怪物外国産馬が同世代だというのだから……。同じ世代には他にも、ファレノプシス・アグネスワールド・エアジハード・ウイングアロー・マイネルラヴなどの強豪馬が揃い、この98年組は、単一世代で当時あったGⅠレースすべてを総嘗めにするという日本競馬史上ただ一度しか無い快挙を達成している。
もちろんサイレンススズカ世代にも世界のマイル王タイキシャトルをはじめとする強い馬はたくさん居たのだが、得意な距離、あるいは本格化する時期がずれていたり、はたまた皐月賞とダービーの二冠を制し、世代の中心になるかと目されていたサニーブライアンが早々と引退してしまった事などもあり、同世代間のライバル対決というような雰囲気には(先述した後輩組に比べると)あまりならなかったように思う。
98年になってからのサイレンススズカは結果としてとてつもない強さを発揮したわけだが、前年の同馬はそこまで強かった訳ではない。
成長は遅かったものの血統的に期待され、かつ調教でのタイムも非凡だったため評判馬となった彼は圧倒的一番人気で出走したデビュー戦で2着に7馬身差をつけ快勝し、周囲を大いに期待させる。
ところがその後は好走と凡走を繰り返し、重賞では今ひとつ勝ちきれない状態が続いてしまう。そう、最初から圧倒的に強い馬として注目を集めていたというわけではなかったのだ。
この98年にしたって、あくまでも、重賞を連勝し始めてから強さ「にも」注意が向いたというのが僕の受けた印象。
「にも」というのは、その前から人気自体は急上昇していたから。元々血統の評価は高かった上に、当時人気絶頂だった武豊を鞍上に迎えたのだから人気にならないほうがおかしい。さらに「見た目」というのもあるんじゃないかな、というのは僕の個人的な考え。
どういうことかといえば……先程僕が子供の頃から親と一緒に競馬を見ているという話をしたが、そういう時パドックで馬を見ながら「どの馬を応援する?」なんて親に聞かれることがあった。(実際子連れの競馬ファンが子供にそんなことを聞くのは珍しいことでも何でも無い。本命以外の大穴場券を買う参考にでもするのだろう)
で、そんなことを聞かれた僕らがどの馬を応援しようと思うかの決め手になったのは何だったか?
過去の成績なんて分かるはずもない僕らは、「わかりやすい」馬を選ぶ事が多かった。他の馬とはちょっと違って見える――芦毛馬とか栗毛馬とか、それからメンコを付けてる、脚に目立つ色のバンデージをしてる――。
理由は遠くから見ても分かるから。馬群の中にいる馬を遠くから見分けるというのは案外難しいものだ。レース中の競走馬はゼッケン・勝負服・帽子で見分けることは出来る……とはいえ、単純に毛色が違うとわかりやすいし、メンコの色に特徴があれば間違えにくい。
そんな視点でサイレンススズカを見ると、「栗毛」で「鮮やかな緑のメンコ」と実にわかりやすい。
さらに「大逃げ」という後続を大きく引き離して一頭だけ気持ちよさそうに先頭を突き進むというレースのスタイルは他の馬と紛れようもないし、第一見ていて気持ちがいい。
サイレンススズカは子供やライトなファンでも競馬場で声援を送りやすい馬だったのだ。
さて、このサイレンススズカの強さについては、競馬ファンの間でも結構意見が分かれるところで、あの「悲劇」があったから変に美化され持ち上げられてるだけで、そこまで強い馬じゃ無かったと言う人もいる。
けれど、あの年のサイレンススズカを、2つの伝説のレースを競馬場で生で見た僕の印象だけで言うなら……やはり彼は伝説として語られるに足るとてつもない馬だったのである。
ここで少し話題を変えよう。「日本歴代最強馬」と言われたら、あなたはどんな馬を思い浮かべるだろうか?
有名なところでディープインパクトとかテイエムオペラオー? もっと最近ならオルフェーヴルにキタサンブラック、オールドファンならシンボリルドルフやナリタブライアンあたりか。さすがにこれを読んでいる世代でクリフジやシンザンを上げる人はいらっしゃらないと思うが……。
なんにしても、世代の離れたこの名馬たちが直接対戦できるわけでもなし、競馬ファン一人ひとり答えが違って良い質問だろう。
ただ、国際的に
エルコンドルパサーの生涯戦績は11戦8勝2着3回。3着以下はただの一度もなく、海外GⅠ「サンクルー大賞」を勝ち、世界最高峰芝レース「凱旋門賞」では僅か半馬身差の二着に入っている。それも三着以下の馬を6馬身と大きくちぎっての完全なマッチレースで、現地でも「このレースには二頭の勝者がいた」と報じられ高く評価されたという、日本競馬史に名を残す名馬。
そのエルコンドルパサーが生涯ただ一度「完敗」を喫したのがサイレンススズカなのである。
何言ってんのこいつ。お前がたった今2着3回とか凱旋門賞で敗けたとか言ったばかりだろう、というツッコミが聞こえてきそうだが……。
その2着3回、つまり敗戦3レースの映像を見比べていただければ僕の言いたいことが伝わるのではないかと思う。
イスパーン賞では欧州の芝の感触を掴みきれていなかったのか仕掛けがやや早く、直線クロコルージュにわずかにかわされて3/4馬身差。(ちなみにこのクロコルージュにはその後対戦したGⅡフォア賞できっちり借りを返している)
凱旋門賞ではアニメそのままの展開。エルコンドルパサーは後続を離さず先頭を進む、いわゆる先行逃げの形から直線後続を突き放すも、最後の最後でモンジュー(当初ヨーロッパ最強馬の一角、アニメのブロワイエにあたる馬)に捕まって1/2馬身差での惜敗。
史実ではエルコンドルパサーはこの凱旋門賞を最後に引退しているが、このように海外での二敗については、「惜しかった」「展開によっては勝てたかも」と思えるようなレースだったのだ。
そしてエルコンドルパサーもう一つの、国内ただ一度だけの敗戦、いまだに史上最高のGⅡと評される「毎日王冠」
サイレンススズカの強さを証明したとも言われるある意味伝説のレースだ。
あの日の府中競馬場はざわざわと異様な雰囲気だったのを覚えている。実はその日は競馬ファンにとってGⅠ並に要注目のGⅡが
一方こちら、東京府中競馬場。この日の入場者数はなんと約13万人。ちなみにこれは昨年(2017年)の全てのGⅠ開催日各競馬場の入場者数より多い数字。(一位ダービー/東京:レイデオロ/123000人 ・ 二位有馬記念/中山:キタサンブラック/102000人など)
毎日王冠は元々GⅡとしては豪華メンバーになりやすく、入場者数も多い傾向ではあったものの、それでも通年なら4~6万人位であることを考えれば、この年の毎日王冠がどれほど注目を集めていたかが分かるだろう。
まあかく言う僕もその中の一人だったわけだけど。
この頃の僕はそこそこ忙しい時期だったため、競馬ファンを自認しつつも実際に競馬場に来るのは、東京競馬場と中山競馬場で注目のGⅠ(この98年なら、皐月賞/中山/セイウンスカイ ・ ダービー/東京/スペシャルウィーク ・ 安田記念/東京/タイキシャトルとか)が開催され、かつ時間の都合かつく時ぐらいのもので、あとはもっぱらテレビで観戦するだけだった。
そんなあまり熱心じゃないファンの僕でさえも、この毎日王冠の「世紀の対決」「最強決定戦」といったどこかミーハーな雰囲気にも煽られて府中競馬場に足を運んでいたわけだ。
この時買った馬券は、確かスズカ=グラスを中心に後は穴に流して三点だったかな。あとはいつものようにスズカの単勝馬券を百円だけ買った。これは当たっても換金するつもりのない馬券で、なぜそんなのをわざわざ買うかというと、競馬ファンならわかってくれると思うけど応援馬券とか記念馬券とかいうやつだ。単勝馬券には「1998年10月11日東京11レース(GⅡ)第49回毎日王冠 単勝②サイレンススズカ」みたいに馬名が大きく印刷されるから記念になるんだよね。そういえばスペシャルウィークのダービーのときの単勝馬券も買ったはず(セイウンスカイのも勝ったけど)。あれどこにしまったかな? 探してみて見つけたら、スズカとスペちゃんの馬券を写真立てに並べて飾ってあげようか。
だいぶ話がそれてしまったけれど、そんなこんなで「毎日王冠」レース発走!
メンバーのあまりの豪華さに出走を回避した馬も多かったため、GⅡとしては少ない9頭立てのレース。
各馬ややバラけてスタートを切り、そこからすうっとサイレンススズカが流れるように前に出た。そのまま2馬身、3馬身と後続との差を広げていく。
サイレンススズカはスタートから独走体制に入るまでが本当にスムーズだ。他の大逃げをする馬のスタートは、ゲートを出ると同時に騎手がグイグイ首を押して全力ダッシュ! みたいな感じが多い。けれどサイレンススズカの場合は、騎手が無理に追わなくてもゆったりと加速して、一つ目のハロン棒(200メートルぐらい)を越える頃にはちゃんと先頭を走っているのだ。
この日もスズカは、白いバンデージの前脚を弾むように跳ねさせ、実に気持ちよさそうにターフを駈けて行く。後続との差はあっという間に4馬身、5馬身と広がった。
ただ…… 「思ったほど差がつかないな」というのがその時の僕の感想。
さすがは最強メンバーと言われるだけのことはありスズカの逃げをきっちりマークしている。結果相当早いペースなのに金鯱賞(スズカの前々走:GⅡで11馬身の大差勝ち。平地重賞ではこのレース以降2018年までいまだにこの着差の記録は破られてはいない。それ以前には数例あり)のときのような圧倒的な逃げにはなってない。それでも1000メートル57.7秒とかなりのハイペースだ。(1000メートルの平均ペースが60秒=時速60キロと言われているので、そこから計算すると、サイレンススズカは平均ペースで走る馬を38メートル以上、約16馬身突き放すペースで走っていることになる)
第三コーナーを回ったところでサイレンススズカのペースが落ち着き、後続馬との差が徐々に詰まって来る。
そして第4コーナー手前、グラスワンダーら後続の馬が早めに仕掛けていく。エルコンドルパサーも大外に持ち出し、スタンドの前の方で見ていた僕からは、角度の関係もあってサイレンススズカが完全に馬群に飲み込まれたように見えた。ああ、やっぱりサイレンススズカでもエルコンとグラスには勝てないのかぁ……今年の外国産馬強すぎる……。一瞬だけそんなことを考えた。(後から録画を見てみたら別に追いつかれてはいなかったようだが)
だが、そこからサイレンススズカは直線再度加速する。一度はスズカを捉えようとしていた後続を再びぐんぐんと引き離し、最後は鞍上武豊が追うのを緩めながらも二着エルコンドルパサーに2馬身半差を付けての完勝。3着以下はさらに大きく離され、グラスワンダーは5着に敗れた。
今でも映像を検索すれば簡単に見ることが出来る有名な伝説のレース。青島アナの「グランプリホースの貫禄っ! どこまで行っても逃げてやる!!」は今聞いても名実況だと思う。
エルコンドルパサーを応援する側の視点でこのレースを見れば、レース展開は理想的だったと思う。好位から第4コーナーで外に持ち出し、大外から馬群をまとめて交わし、前半ハイペースだつたにも関わらず上がり3ハロン最速35.0秒の末脚で後続を5馬身ぶっちぎって、という文句なしのレース……だったはず。前にスズカがいなければ。
実際スズカは最後流してなお上がり35.1秒と出走馬中エルコンドルパサーに次ぐタイムで最後をまとめており、グラスワンダーのように早く仕掛ければ二の足で突き放され失速する、エルコンドルパサーのように直線真っ向勝負では間に合わない…………。
まさに「逃げて差す」他馬がどんなことをしたとしてもサイレンススズカの背中に届くビジョンが思い浮かばないような完勝だった。
エルコンドルパサー鞍上蝦名騎手の「影さえ踏めなかった」は有名なセリフ。
宝塚記念とこの毎日王冠を勝った事により、サイレンススズカは中距離最強馬としての地位をファンに証明したのだった。
実際この時代生で競馬を見ていた世代には、少なくとも
けれど後年、映像やら資料やらをつまみ食いするように見ているファンの中には、この毎日王冠の勝利をそこまで高く評価することに疑問を投げかける人達もいるようだ。
曰く「エルコンドルパサーもグラスワンダーもまだ馬が若かっただけでは」
曰く「休み明けで調子が悪かったのだろう」
曰く「ステップレースのG2だから本気を出していない」
といった主張である。確かに当時もそういう評価が全く無かったわけじゃない。
前年のサイレンススズカは、開く前のゲートを無理にくぐって騎手を振り落としたり、騎手が抑えているのをガン無視して突っ走った挙げ句最後失速したり、抑えても行きたがってスタミナを使い、結局最後全然伸びなかったり……と、サンデーサイレンス産駒らしい、なかなかやんちゃなところを見せている部分もあった。
だから当時を知らないファンが、例えば「サイレンススズカ レース動画」みたいな検索をして、GⅠレースを中心に動画を見たとしたなら、「良い時と悪い時が極端な馬だな」といった感想を持ったとしても理解は出来る。
しかし、二歳からコースレコードでGⅠを勝つようなグラスワンダーや、すでに馬体が本格化してきていて、この二ヶ月後には毎日王冠より600メートルも長いジャパンカップを完勝するエルコンドルパサーが、成長が遅く5歳(当時表記)になってようやく馬体が出来てきたと言われるサイレンススズカに「まだ馬が若かった」という言い訳するのは……しかも馬齢や勝ち鞍の関係もあって、サイレンススズカはエルコンドルパサーより2キロ、グラスワンダーより4キロも重い59キロの斤量を背負っていたのだ。(芝の中距離なら斤量1キロあたり約1馬身程度の影響が出ると言われる)
次の、休み明けだったという条件はスズカも同じ。しかもこの時彼の調子は上がらず、スズカ陣営は毎日王冠の回避も考えていたという。そこにエルコンドルパサーとグラスワンダーが挑戦状を叩きつけるように参戦を表明したため、ここで回避したら直接対決から逃げたと思われるかもしれないと出走を決めたのだ。
そして、確かに毎日王冠はGⅠじゃなくGⅡだ。けれど、外国産馬が出場できるレースが限られていたこの時代(当時は日本国内の馬生産者保護のため、外国産馬はクラシックや天皇賞には出走出来なかった。エルコンドルパサーがダービーや天皇賞に出ているのはアニメオリジナル)、当時最強と言われていたサイレンススズカ相手のレースに全力で挑まないことなどありえないのだ。なぜなら競馬はよく言われるように
レースで自らの強さを証明し、勝った者、強い者だけがその血を次世代に受け継がれていくのがサラブレッド。大きなレースの結果はその後の
外国産馬にとって貴重な強敵との直接対決の機会……当然全力で勝ちに行くべき状況だし、なによりあの「最強決定戦」みたいな雰囲気の中で手を抜こうとする陣営などあるはずもなかったのだ。
そして――その勝者となったサイレンススズカ。この時、彼は競走馬としてはもちろん、その種牡馬としての未来にも益々大きな期待を寄せられる存在になっていったのである。
後編に続く
後半は……天皇賞(秋)そして……。
5月4日 誤字修正 Ruin様報告ありがとうございます。