あの日から二十年 ――追想 サイレンススズカ――   作:さすらいガードマン

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後編、天皇賞(秋)の話です。


天皇賞

 

 *  *  *

 

 

 強豪相手に完勝したスズカ陣営は、当初から最大の目標に定めていた「天皇賞・秋」を勝ち、その後未知なる距離への挑戦という意味も含めてジャパンカップを使ってみて、その後は海外遠征……というプランを描いていたという。

 

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 その頃機会があって、当時競馬記者をされていた方と、「サイレンススズカを負かすにはどうしたらいいのか」みたいな話をしたことがある。

彼によれば、

 

「サイレンススズカは逃げてるんじゃない。あれはあの馬にとってのマイペースなんだ。だからもしアレを負かそうとするなら、誰かが犠牲になって先頭を競って、サイレンススズカのペースを乱すしかない」

 

 とのこと。ただその後すぐ彼は言葉を付け加える。

 

「けどよ、そもそもサイレンススズカと先頭争い出来るような馬なら普通に重賞勝てちゃうよな……」

 

「そんな良い馬を生け贄にしようとする馬主なんている訳ない……やっぱり今のサイレンススズカに勝つのは無理か……」

 

「いっそスタートと同時にみんなで周りを取り囲んで……」

 

「いやそれ、普通に妨害で審議になるだろ……」

 

「そもそも囲む前に先に行っちまうよ」

 

 あとは喧々囂々。

 

 飲みの席での馬鹿話だが……競馬好きの間でそんな話が出るくらい、当時のサイレンススズカの強さは際立っていたのである。

 

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 そして、「天皇賞(秋)」

 

 この天皇賞は、スズカが参戦を表明すると、そのあまりの強さによってか有力馬の回避が相次ぎ、ライバルらしいライバルは不在。舞台はサイレンススズカの得意とする東京競馬場・2000メートル・左回りという条件。その上枠順は逃げ馬・先行馬が有利とされる最内枠「1枠1番」

 まさに「ウマ娘」そのまま、11月1日1枠1番1番人気。ここにはどう考えてもサイレンススズカが負ける要素は見当たらず、 僕らファンの興味はもう「どの馬が勝つか」ではなく「サイレンススズカが後続をどれくらい離して勝つか」に向いていたと思う。このレースはそれくらいスズカが勝って当たり前のレースと見られており、レース直前のオッズが、GⅠ最高峰のひとつ「天皇賞」としては異例とも言える、単勝一番人気が1.1倍~1.2倍(最終的には1.2倍)という数字もそれを物語っていた。

 

 ただひとつそれを阻むものがあるとすれば、それは「府中2000に潜む魔物」

 

 実は秋の天皇賞には「一番人気が勝てない」というジンクスがあったのだ。これは距離が2000メートルに短縮される前からの話なので「天皇賞(秋)に潜む魔物」というほうが正しいかもしれない。

 1965年にシンザンが勝って以降、一番人気馬が勝てたのは84年のミスターシービー・87年のニッポーテイオーの二頭のみ。いつしか競馬ファンには「秋の府中には魔物が住む」などとまことしやかにささやかれるようになったのだ。

 「ウマ娘」の中では、メジロマックイーン・トウカイテイオー・シンボリルドルフ・ナリタブライアン・オグリキャップ・ビワハヤヒデなど錚々たるメンバーがこの「魔物」に足元をすくわれている。オグリキャップなんか3年連続で一番人気になりながらもついに一度も勝てずに終わっているのだ。

 

 でも、ニッポーテイオーが勝って以降10年続いていたジンクスも、あのサイレンススズカなら、その規格外の速さで吹き飛ばしてくれるだろう、と皆が期待し確信していた。

 

 

 そして――いよいよレースがスタートする。

 

 少しもやがかかったような視界のあまり良くない中、好スタートを切ったサイレンススズカは、いつもと同じようにすすすっと先頭に出ると、前走の毎日王冠とは違い最初から積極的に後続との差を広げていく。二位を追走するサイレントハンターとの差は8馬身から9馬身。さらにそのサイレントハンターでさえ普通なら大逃げと言えるようなペースで後続をちぎり、2位と3位の差は5馬身以上。

 これは携帯ラジオのアナウンサーが言っていたのを覚えていただけで、当日スタンドから遠目に見ていた僕には、全体があまりに開き過ぎていて正直もう何馬身離れているのかなんてわからない位の圧倒的な大差だった。1000メートルの通過タイムは毎日王冠を上回る57.4秒。この時点では後続に10馬身以上の差をつけていた。

 

 そしてサイレンススズカは第三コーナーを回って大欅の向こうへ――

 

 

 僕は ()()()()がいつだったのか、わからない。というのも、早々とサイレンススズカの勝利を確信した僕は、連勝馬券の2着に予想した馬が後方のどこに居るのか気になって、後続の方に目をやってしまっていたから。

 

 次に先頭のサイレンススズカに目を向けた時、彼は明らかにペースを落としていた。

 ああ、またいつものようにここで一度息を入れ、最後の直線のために脚を溜めているんだろう――この時、まだ僕はそんな風に勘違いをしていた。

 

 けれどターフビジョンに大きく映し出されたサイレンススズカは明らかに歩様をおかしくしており、カクン、カクンと左右のバランスを崩したような動きを見せてゆっくりと外へ離れて行き……一瞬の後、後続の馬達があっという間にその横を次から次へとすり抜けていく。

 東京競馬場は数瞬歓声が途絶え、異様に低い地鳴りのようなざわつきが広がる。近くに居た若い女性客が泣き出したのをきっかけにするように周りは騒然となり、僕はただ唖然として……唖然とすることしか出来なくて……ふと気がつくといつの間にかレースが終わっていたことを知った。

 レースを見ていてゴールの瞬間を全く見なかったのは後にも先にもこの一度だけだ。

 

 このサイレンススズカの悲劇はあまりにも衝撃的だった。

 

 競馬を長く見ていればレース中に故障を発生してレースを中止するシーンを目撃する機会も少なからずある。けれど多くの場合、馬群の中の一頭がズルズルと後退していくとか、あるいはスタートから調子がおかしくてそのまま中止とか、そういったものが多い。

 サイレンススズカのように圧倒的にトップを独走していた馬がまさかあんな形で競走を終えてしまうことなんて、おそらく競馬史上でも初めてのことだったろう。

 先頭にただ一頭だったからこそ、いつも気持ちよさそうにターフの上を駆けていたスズカの勇姿と、目の前の、びっこを引くようにしながらよろよろと馬場の外側に向かっていくスズカの痛々しい姿とがどうしても結びつかなくて――結びつけたくなくて。

 こんな風に思い、トラウマみたいになったファンも多かったようだ。

 

 アニメ「ウマ娘」の7話の天皇賞のシーンはこの時の衝撃を実によく再現していて……スズカがバランスを崩して走る様子とか場内の騒然とした雰囲気とかに、僕と同じように当時のトラウマを刺激され、胸が痛くなった競馬ファンも多かったのではないだろうか。

 

 

 

 競争を中止し、馬運車に乗せられてターフを去っていくサイレンススズカの様子に、僕は……あるいは僕らは、脳裏に最悪の事態をちらつかせながらも、「転倒したり落馬したりしたわけじゃない」「武騎手も馬をなだめていたし、座り込んだり倒れ込んだりしてたわけじゃない」「きっと大丈夫、そんなに大きな怪我じゃない」と無理やり信じ込もうとしていた。

 

 けれど……サイレンススズカの怪我は左前脚の手根骨粉砕骨折。手の施しようもなく、すぐに予後不良(回復が見込めない重度の怪我)の診断が下され――安楽死の処置が行われた。

――府中の魔物は最悪の形で牙を剥き、その年の一番人気馬は、4コーナーを回ることなく永遠に舞台を去ったのだ。

 

 

 

 後に武騎手やスズカ担当厩務員の加茂さんが、「激痛で転倒したり暴れまわったりしてもおかしくないほどの重傷だったのに、騎手を振り落とそうともせず、守るようにしてくれていた」といった内容のことを語っている。

 この夜、武豊騎手は泥酔するほどワインを飲んで泣いていたという。後に武騎手自身も

「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。夢であって欲しいな、って」

 と当時の事を振り返っているし、同レース他馬に騎乗していた福永騎手も

「あんな落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」

 と話したそうだ。

 

 

 

 

 

 アニメウマ娘7話ラストでは、スズカは骨折して重傷を負ったものの、幸い命に別状はなく、復帰してもう一度走るのを目指すんだ! という明るい未来を予感させる締めくくりになっている。

 僕はスズカがもう一度走れそうだということに心底ホッとして……そして、20年前のサイレンススズカもこうだったらどんなに良かっただろう、と改めて当時に思いを馳せたものだった。

 

 その7話の特殊エンディングでバックに流れるのは「ウマ娘サイレンススズカ」のソロ曲「Silent Star」その歌声も、歌詞も切なくて優しくて……。機会があればぜひ歌詞全文を読んでみてほしい。

 

 まるで星になったサイレンススズカが、自分の死を悼んで泣いてくれている誰かに、彼方の世界からそっと優しく語りかけてくれているような歌……そんな風に聴こえるのはきっと僕だけではないはず。

 

 

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 

 そして――サイレンススズカの悲劇から一年後。武豊騎手は再び天皇賞(秋)の舞台に立った。

 

 前のレースで惨敗し、直前まで調子を落としていた武騎手騎乗の馬は後方でレースを進め……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()一気に加速して、セイウンスカイらのライバルをまとめて交わして激戦を制した。掲示板にはレコードタイムを示す赤い文字が点滅し、観客の勝者を称える声援はさらに大きくなる……。

 

 一年越しでの秋天皇賞勝利。武豊騎手は勝利騎手インタビューで、「最後はサイレンススズカが背中を押してくれたのかな」と語った。

 

 この馬こそ、「スペシャルウイーク」

 

 スズカを誰よりも慕う、アニメ「ウマ娘」の主人公である。

 

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 あまりにも速くターフを駆け抜けそのまま永遠に走り去ってしまったサイレンススズカ。

 

 今でも、もし彼が生きていたら、あの第四コーナーを無事に抜けていたなら……と想像することがある。

 

 天皇賞は果たして何馬身差がついただろうか?

 その後どんな素晴らしい成績を残しただろうか? ジャパンカップの2400メートルは距離的にどうだったんだろう。府中だし()()()気がする。有馬記念の中山2500&急坂は厳しいかな?

 海外でも中距離ならきっとどんな強豪にも勝ってくれただろう。凱旋門賞よりブリーダーズカップ・ターフのほうが合ってるかな……。

 

 そして、種牡馬としてはどんな仔を出してくれただろう? やっぱり強い逃げ馬が多いのかな? ついでに気性難も多いのかな(笑)

 

 そんな……叶わぬ夢を見る。

 

 

 

 アニメでは、スズカは様々な困難を乗り越え、11話で見事にレース復帰を果たした。その上エピローグ的なエピソードである13話では、海外進出の夢も叶えたという未来が描かれている。

 僕はこの放送を見て、まるで叶わなかった夢に届いたような気持ちになって……特に11話のレース――復帰戦に勝ったシーンでは、もちろんアニメなんだとわかっているのに感動が抑えられず、なんだか無性に泣けてきて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 サイレンススズカは武騎手の心にもずっと残る特別な馬だったようで、後年、

 

「もう一度乗れるならどの馬に乗りたいですが?」

 

 との質問には、

 

「また乗りたい馬と思う馬はたくさん居るけど、1頭だけ選ぶとしたらサイレンススズカ」

 

 と答え、

 

 ディープインパクトが最強を誇っていた時代、

 

「武さんがもしディープインパクト+武豊と対戦するとしたら過去のお手馬の中でどの馬を選びますか?」

 

 という記者の質問にも、やはり迷わずサイレンススズカを挙げ、「サイレンススズカは最も勝ちやすい馬、逆にディープインパクトは勝ちにくい馬」といった話をしている。

 ディープインパクトのような追い込み馬は、他の馬の作ったペースに合わせて追い出すタイミングを合わせる必要があるのに対して、サイレンススズカは常に先頭に立つことで自分でペースを作り、そのまま最後までレースを思い通りにコントロール出来る馬だった、とか。

 

 

 

 ◇  ◇   ◇

 

 

 

 アニメ「ウマ娘プリティーダービー」が放送され98年当時の記憶が鮮やかに蘇ってきた今年、物語の主人公だったスペシャルウィークや、テイエムオペラオーといった名馬たちが相次いでこの世を去った。

 僕は寂しさを覚えながら彼らの冥福を祈り、そして10年前のことを思い出す。

 

 

 

 10年前――サイレンススズカが亡くなって10年程が経とうとする頃、北海道の稲原牧場にあるサイレンススズカのお墓に墓参りに行ったことがある。

 

 牧場は新千歳空港から車でだいたい一時間位の所にあった。

 その日、道南での仕事が予定していたより1日早く終わり、帰りの飛行機(フライト)まで丸1日時間が出来てしまったのだ。すると、僕が競馬ファンだと知っていた知人が、空港へと送ってくれる途中でわざわざ遠回りしてそこまで連れて行ってくれたのだ。

 

 お墓は牧場の中心から少し離れた開けた小高い丘の上にあり、僕たちの前に訪れたファンによるだろう花が幾つか供えられていた。

 低い柵で囲われたそこには数本の木が植えられている。この木は(いちい)という木で、これは「1位」に通じるとして関係者の方が6本植えたのだと案内してくれた人が教えてくれた。なんでも98年の6連勝になぞらえたらしい。

 正面は開けていて牧場の様子がよく見える。これも「サイレンススズカが寂しくないように」この場所が選ばれたのだということを後に知った。

 

 

 

 墓碑には「サイレンススズカ」の銘が大きく刻まれ、それから1994ー1998の生没年や馬主さんの名前などか小さく刻まれている。正面にあるお線香を供えるための台が大きな蹄鉄の形をしていてオシャレだ。

 

 墓碑の向かって右にはスズカが勝った重賞五つのレース名が刻まれた石のプレートが、左にはサイレンススズカのカラー写真をはめ込んだモニュメントが設置されている。このスズカの写真がメンコを着けていない素顔のもので……僕が知ってる強くなってからのスズカは常にあの緑のメンコを着けていたからか、改めて素顔を見ると、「こんな顔してたんだな」と、なんだか不思議な感じがして少し笑ってしまった。真正面からの、耳をピンとたてている顔のアップ。流星(顔の白い模様の部分)が結構大きくて、口許には鮮やかな緑の手綱。目元は涼しげにカメラ目線、さらっと自然に流した(たてがみ)がイケメン風(笑)

 

 うん、いい写真だ。関係者の方たちがこの写真を選んだのもよく分かる。

 

 

 

 写真の隣にはこんな言葉が添えられている。

 

 その瞳にはドリームロード

 稀代の快速馬

「サイレンススズカ号」

 

 

 

 

 

 




 
 素人が昔を懐かしむだけの話をお読みいただきありがとうございました。

 この話は全てが私の体験というわけではありません。だいたい八割位が私自身の話、細かいエピソードについては当時の競馬ファン仲間の話を使わせてもらったものもありますし、レースについては当時の記憶と後にレース映像を見た記憶がごっちゃになってしまっているのもあるかもしれません。

 20年前の事ですので若干の記憶違いはご容赦を。また、明らかに違うだろ、という事がありましたらぜひご指摘いただければと思います。
 

*語りきれなかったコト:


 天皇賞の魔物は翌年も居座っていた。一番人気はセイウンスカイだったのだがゲート入りを極端に嫌がり、入るまで5分以上もかかってしまいその影響があったのか結局5着に敗れている。ちなみに勝ったスペは4番人気だった。
 魔物の呪縛を打ち破るのは翌年古馬中長距離王道路線を8戦8勝と完全制覇した「世紀末覇王・テイエムオペラオー」魔物も覇王には勝てなかったらしく、これ以降は秋の天皇賞でも一番人気が普通に勝てるようになっている。


 「サイレンススズカ」は、「スズカ」ではなく「ススズ」と略されることが多い。これは彼の半弟「ラスカルスズカ」と区別するためで、その場合ラスカルスズカのほうは「ルスズ」
 ただ今回はアニメ「ウマ娘」に絡めたお話なのであえて「スズカ」と使っている。
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