その夜、次郎長はレンガで作られた一軒家で暮らす古里家から歓迎を受けていた。
家主は
「いやァ、この度は世話になるねェ。イタリアでまさか日本人一家と会えるとはオイラも想定外だよう」
「いやいや、礼は結構だよ親分。しかし、まさかヤクザ者がイタリアに来るとは……それにホテルとかはどうしたんだい? 何かあったのかな?」
次郎長は遠い目をしながら自嘲気味に笑い、イタリア語も理解しないで旅行に行ってしまったことや泊まるはずのホテルで惨殺事件が起きて泊まれなくなったことを話した。
旅行の初日から災難が続いた次郎長に、真は複雑そうな顔をする。
「それは災難だったね……そうだ親分、よかったら泊まってくといい」
「っ! いいのか? 一週間も泊まることになるんだが」
「構わないよ、久しぶりの客人に
真は微笑みながらワインを口にすると、酒の肴に古里家の〝正体〟について話し始めた。
妻の真矢と息子の炎真、娘の
次郎長は古里家が由緒あるマフィアと知り、驚きを隠せなかった。
「マフィアだったのか……それも聞いた話だと大した名家だ。オイラの溝鼠組なんざ創設してまだ10年経ってねーんだぞ?」
「そう言ってくれると嬉しいよ。でも今はすっかり弱体化してね……長い間虐げられてきたんだ」
「! ……悪かったな、嫌なこと言わせちまったか」
「とんでもない。こちらから話したんだ、君は悪くないよ」
真は傍に置いていた日本酒の瓶のフタを開けると、グラスに注いで次郎長に渡した。
次郎長はそれを受け取り、ぐいっと煽る。
「オイラも仕事柄マフィアとも絡みやすくてな……大抵の連中はカタギにも手ェ出すから質が悪くていけねェ。その点おめーさん達ゃマフィアの割にはオイラと似た匂いを感じらァ、
「我々が?」
「まァ、そこは気にしなくてもいいさ。人間好きなことをやるのが一番だ」
次郎長は口角を上げ、再び酒を煽ると目を逸らして壁を見る。
レンガの壁には絵画や陶器が置かれており、かなり古い時代の美術品で飾られている。
「それにしても、古美術商が副業か。よかったら、明日見せてくれねーか? オイラの屋敷に飾れるいいモンがあるならぜひ買いてェ」
「そうかい? 実は昨日いい品が入ってね、保存状態もいいんだ。きっと欲しい品があると思うよ」
「そらァいい、可愛い子分達に自慢できる」
古美術のことで談笑していると、二階からバタバタと音を立てて二人の子供が階段を降りてきた。
鼻の上に絆創膏を貼ってるのが炎真で、もう一人の女の子が真美なのだろう。
「炎真、真美。ちょうどいい所に来たね、そろそろご飯が出来上がるところなんだ」
「おじさん、誰?」
「オイラはまだ二十代だからな? 似たようなことこの前も言われたけどよ……オイラは次郎長でい。おめーさんが真美か、いい名前じゃねーか」
真美の頭を撫でる次郎長。
名前が良いと褒められた真美は、嬉しそうな顔をする。
「ウチの娘と馬が合いそうな雰囲気してやがらァ、ウチに誘いてーもんだぜ」
「娘?」
「オイラにもピラ子って娘がいてな……ちと年は離れてるが可愛いモンよ」
懐からピラ子の写真を取り出し、真に渡す。顔つきから髪の色、瞳の色まで次郎長と全く似つかないが、年相応の可愛らしさに真は笑みを溢す。
日本のヤクザは家父長制を模した序列的・擬制的血縁関係を構築する。ピラ子もまた、次郎長や他の組員とは一切血縁が無いのだろう。
「可愛らしい
「元は別の極道組織の組長の一人娘だが、マフィアに潰されちまってな。巡り巡ってオイラが育て親になったんでい……カタギになるかヤクザ続けるかは、もう少し経ってから決めさせるさ」
「「……」」
次郎長の言葉に、真と真矢は複雑な気持ちになる。
マフィアの世界において、ファミリーのボスの座は世襲か
ただ炎真の人生は炎真のモノであり、真美の人生は真美のモノである。次郎長がいくら自分が育て親でも
「まァ、カタギになろうがヤクザの道を進もうが、娘の門出を祝うのがオイラの役目よ。それよりもこんなシケた話しするよりも、もっと楽しもうぜ」
「……そうだね」
次郎長の言葉に、真は頷く。
その直後、真矢は皿に盛りつけたアクアパッツァをテーブルに置いた。
「さあ、今日はアクアパッツアよ。親分さんも召し上がって下さい」
「アクアパッツアか! カルボナーラん時も然り、本場の味が
タラの切り身とアサリ、ニンニクとパセリを使ったシンプルかつ古典的なアクアパッツァに、次郎長は目を輝かせる。炎真と真美はすでにお腹が空いているのか、すでに皿に盛りつけ始めている。二人の様子を次郎長が「若いねェ」と一言呟けば、真と真矢は顔を綻ばせる。
マフィア界で長い間虐げられてきた古里家にとって、その苦しい日々を忘れてしまう程に楽しいのか、笑顔を絶やさないでいる。
「そうだ……せっかくだし、明後日以降に皆で出かけないか?」
「真美、さんせー!」
「いいと思うわ、せっかくのお客さんもいることだし」
次郎長という日本人の客が久しぶりに来たこともあって、イタリアを楽しんでもらおうと家族ぐるみで出かけることを提案する真。すでに一家はそのムードであり、次郎長もまた悪くないと考え無言で了承する。
その時だった。
ピンポーン
「こんな時間に……お客さんかな? ちょっと見てくるよ」
これから夕食を食べようという時に、まさかの来客。
真は席を立ち、玄関をゆっくりと開けた。
「お待たせしました……あれ? あなたは……」
真は目を見開く。
そこに立っていたのは、次郎長もよく知る人物でありマフィア界でも広く名が知られるボンゴレファミリー現門外顧問――家光であった。
「こんばんは、古里真さん……早速ですが死んでください」
無慈悲な死刑宣告と共に、真の額に銃口が向けられた。
*
男は――
初代ボンゴレ守護者でありながら、己が理想の為にボスであり仲間であったボンゴレ
全てはボンゴレを強く在り続けるために。ボンゴレを自らが思い描いた「理想のファミリー」にするために。
そんな彼は、ボンゴレを自分の理想通りにさせるべく古里家の襲撃計画を練った。沢田家光の姿で炎真以外の古里家の人間を皆殺しにし、炎真にボンゴレに対する憎しみを植え付けるためだ。次期シモンファミリーのボスと言える炎真にボンゴレへの憎しみを植え付けられれば、近い将来にボンゴレとの対立・武力抗争は現実となり、その機に乗じて自分にとっての危険因子を排除すれば思うがままのボンゴレを創れる――そう考えたのだ。
まずは立て続けにボンゴレと関わりのあるファミリーに古里真の所持する銃で銃弾を撃ち込み、沢田家光率いる門外顧問機関
そう考えながらデイモンは古里家を監視していたが、思わぬ事態が起こった。古里家に日本から旅行で訪れたヤクザ者が接触したからだ。
ヤクザ者の名は泥水次郎長――本名は吉田辰巳。
だが、手に入れた情報の限りでは恐れるに足らない男だ。コヨーテ・ヌガーの件は並大抵のマフィアなら信じ難いだろうが、彼は全盛期を過ぎている。極東の平和ボケした島国の無法者だからと油断したのだと思えば、次郎長の実力など高が知れる。実際に刃を交わせた事が無い分その真の実力は不明だが、誰よりも長い時を生きてボンゴレを監視しつつ自らの力を確実に高めてきた自分の敵ではない――そう思っていた。
しかし、彼はその認識は計画の実行により大きな間違いであったことを思い知ることになる。
デイモンは家光に化け、古里家に忍び寄る。彼は「術士」という幻術――相手の脳に作用して幻覚を見せ、現実には起きていないことを起きていると思い込ませる術――の使い手であり、他人に化けることもできるのだ。
一歩、また一歩と、片手に大鎌を携え歩み寄るその姿はまさに死神。獲物は決して豊かではないが暖かい一つの家庭――彼らの平和な日常を破壊して、息子に破壊者への憎悪を植え付ければ、自らの理想が現実となる。
(ヌフフフ……これでようやくですね)
デイモンはこれから起こる惨劇と
すると扉が開き、標的である真が現れた。
「お待たせしました……あれ? あなたは……」
「こんばんは、古里真さん……早速ですが死んでください」
デイモンは拳銃を取り出して構え、引き金を引こうとした。
古里炎真の前で自分以外の家族を殺し、復讐心を植え付ければ準備は万全。後は機が熟すのを待つのみ――デイモンはそう考えていた。
だが、それを許さない者が彼よりも先に行動を起こした。
ビュッ!
「っ!?」
次郎長がデイモンの顔面を狙ってグラスを投げつけた。
真に意識を向けていたデイモンは完全に油断していたが、顔面に当たる寸前に驚異的な反射速度で躱した。その隙に次郎長は真の右腕を掴んで引き寄せる。
すかさず狙いを変え、次郎長に銃口を向けて発砲しようとしたが――
ドガァッ!
次郎長の拳骨が叩き込まれる方が速かった。
浅黒い鉄拳がデイモンの頬を抉り、彼は叫び声すら上げられずに吹き飛ばされ、轟音を立てながら反対側の空き家のレンガの壁を突き破っていった。常識外れな拳骨の威力とそれを食らって漫画のように吹っ飛んでいったデイモンに、撃たれそうになった真は勿論のこと、その惨劇を目に焼き付けることになりかけた真矢や炎真・真美兄妹も唖然とする。
対する次郎長は刀を腰に差して外に出て、殺気を放つ。
「……
警戒心と怒りを孕んだ声色で
「ぐっ………じ、次郎長か! イタリアに来てたのは知ってたが、こんな所で会うなんて奇遇だな……それより俺は古里家の人間に用があるんだ、退いてくれ」
次郎長に疑いの目を向けられても、あくまでも沢田家光として接する。
最強の術士と言っても過言ではない凄腕でもあるデイモンのそれは、普通の人間はおろか並大抵のマフィアでも見破ることはほぼ不可能な程の技量。彼が操る幻覚の前では、ほとんどの人間は無力なのだ。
だが、次郎長の一言にデイモンは衝撃を受けることになる。
「……おめェ、誰だ? 家光じゃねーだろ」
その一言に絶句するデイモン。次郎長は偽者の家光であると見抜いているような発言をしたのだ。
入手した情報では、次郎長は現ボスである
「お、おい……何だいきなり? 次郎長、俺は――」
「別に
言葉を遮られたデイモンは次郎長の言葉から家光の振りをするのは無駄と悟り、家光の姿のままではあるが本性を露わにした。
「……ヌフフフフ。まさか私が沢田家光ではないことを見破ったとは驚きです。なぜわかったのですか? 姿はおろか気配すら彼と同じだったはずですよ?」
デイモンが質すと、次郎長は鋭い眼差しで彼を見据えながら口を開いた。
「ああ、確かに姿は勿論のこと殺気すら感じなかった。正直に言うと銃口向けても家光だと思ってた。だが……」
「だが?」
「おめーさん、オイラの顔見て「こんな所で会うなんて奇遇だな」っつったろ? オイラはアイツにイタリア旅行のことは一言も喋っちゃいねェ……たとえ知ったとしても第一声は「何でここにいる」だろうしな」
次郎長の指摘にデイモンは瞠目すると、大きな声で笑った。
「ヌフフ……ヌハハハハハッ!! これはお見逸れしました!! 成程、沢田家光が知りもしない情報を口にしたことと第一声で私の完璧な変装を見抜いたのですか」
デイモンは家光に完璧に成りすましていたが、次郎長と言葉を交わした際に本来家光が知ってない情報を口にしたことが勘付かれる原因になってしまったようだ。それに第一声も次郎長の不信感を煽ることに繋がっていたようで、どちらにしろ怪しまれることになるようだった。
その洞察力の高さに、デイモンは舌を巻いた。〝大侠客〟の名は伊達ではないようだ。もっとも、次郎長を騙せたとしても戦闘自体は免れなかったようだが。
「ヌフフフ、あなたの洞察力には恐れ入りますよ。それに古里家を護るために顔見知りが相手でも一切容赦しない一面、中々私好みですよ? 利用価値も高そうだ……ボンゴレの血筋でないのが実に残念です」
「そうかい。じゃあその気色
「………奇遇ですね、私も彼に化け続けるのは嫌なんですよ」
こめかみをひくつかせながらデイモンがそう言うと、突如として霧が発生して彼を覆った。
次郎長は一切動じずにそれを見届けると、霧が晴れてデイモンが柄の先端にも刃がある大鎌を片手に本来の姿を現した。
「……それにしても、随分と彼を嫌ってるようですね。彼の奥方とは親交があるでしょうに」
「
とりあえず家光だったら攻撃するつもりであったと暴露した半ギレ気味の次郎長に、デイモンは顔を引きつらせた。有能ではあるが家庭事情を知る彼からの人望の低いようで、はっきり言えば家光の自業自得だろう。
デイモンは彼の部下に憑依して乗っ取ったことがあるが、仕事中にも見せるいい加減さや部下達に間違った日本文化を教える奇行には心の底から呆れたものだった。彼も内心では次郎長に共感しているのだ。
「親分……」
「真……野郎はオイラがボコっとくから家族を護れ。どうやら久しぶりに覚悟決めなきゃいけねー相手らしい」
古里家を潰したい男と古里家を護りたい男……互いの殺気が徐々に充満し、まるで戦場の真っ只中にいるかのような緊張状態となる。
鋭い眼差しながらも穏やかな雰囲気であった次郎長が殺気と威圧感を放ったことで、真と真矢は息を呑み、炎真と真美は怯え始めた。
「正露丸風情が……この私を相手に五流ファミリーのシモンを護り切れるとでも?」
「おめーさんの目は節穴かボケナス。少なくともコイツらはてめーよりずっと強いモンを持ってらァ」
「「……」」
大鎌を構えるデイモンと、居合の構えを取る次郎長。
暫しの静寂の後、二人は同時に駆けた。
「誰が目が節穴のボケナスですか、愚か者が!!」
「人を正露丸呼ばわりする奴に言われたかねーんだよ!!」
互いに青筋を浮かべ、怒りと刃をぶつけた。
今回登場した真矢は、古里真の奥さんです。
改めて原作を読んだんですが、どうも炎真君の家族は母親の名前だけ不明らしいので、勝手に想像して古里真矢さんとしました。
そしてナス(一部ではスイカ呼び)のD・スペードが登場しました。
この話以降、次郎長とデイモンの知恵比べが展開されるかもしれません。なお、次回は次郎長とデイモンの一騎打ちです。
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