ご了承ください。
「おい、バミューダ……これで満足か……?」
「そうだね、面倒事は粗方終えたところだし良しとしよう」
「おっしゃー……トライアスロンがやっと終わったか……!」
次郎長は床に寝っ転がり、大の字に体を広げる。疲弊しきっているのか疲れが目に見えており、かなりの数の仕事を寝る間も惜しんでこなしていたことが伝わる。
というのも、あのエストラーネオファミリーの件が終わった後も次郎長は仕事を続け、バミューダ達がマークしていた掟のグレーゾーンで悪逆の限りを尽くすマフィアを殲滅していたのだ。掟の対象外であるコーサ・ノストラをはじめ、アルバニアに拠点を置く犯罪組織「アルバニア・マフィア」と結託して掟を犯しているマフィアやコーサ・ノストラより閉鎖的で暴力的だとされる「ンドランゲタ」、ナポリを中心として根を張る「カモッラ」、プッリャ州を拠点としている「サクラ・コローナ・ウニータ」を相手取り、無傷とまではいかなかったが五体満足でどうにか帰ってこれたのだ。
これ程の組織をたった一人で蹂躙した次郎長は、さすがと言ったところだろう。
「ハァ……さすがにしんどかった……もう切り上げていいよな?」
「いいよ、これくらいやってくれれば僕達も動きやすくなるというものだ」
「ああ……やっと帰れらァ……!」
ついに
すると、ゆっくりと扉を開けて子供が三人寝っ転がる次郎長に近づいた。
「! ――おめーさん、ここにいたのか」
「また、会えましたね……」
起き上がれば、視線の先にはオッドアイのパイナップル――骸がいた。その後ろには見慣れない子供が二人いるが、おそらくあのファミリーの人体実験の被検体だった子だろう。
骸から説明でも受けたのか次郎長への敵意は無いが、やはり人体実験で虐げられたからか次郎長という
「
「そうかい……無理に口答えはしなくていい。大人に苦手意識持っちまったんでい、そう簡単に消えやしねェ」
「そう言ってくれると助かります」
次郎長の気遣いに感謝する骸。
初めて会った時よりは随分と表情が豊かになって口数も増えており、大人への不信感は二人と同じく残ってはいるだろうが、少なくとも次郎長は信用できる大人であると思ってはいるようだ。
「っつーか、随分と大人びてるよなおめェ……何歳だ?」
「……8歳、ですね」
「!? ウチの娘より
「娘……!?」
娘がいることに動揺する骸だが、次郎長は誤解を生まないように事情を付け足した。
次郎長の娘――ピラ子は血が繋がっている肉親ではなく、元々はマフィアに潰された極道組織「植木蜂一家」の組長の一人娘であり、縁あって元組員ごと彼女を受け入れたのだ。疑似家族の集団であるヤクザならではの内部事情と言える。
「……血は繋がってないのに、ですか……?」
「血より濃い絆を結んで互いに想い合えば立派な〝家族〟でい。オイラのようなヤクザ者だって、どんな奴でも盃交わせば親子なんだぜ? オイラはオジキなんだがな」
次郎長はニヤリと笑みを浮かべる。
早い内に肉親を失った次郎長にとって、子分である勝男達と義理の娘である平子は大切な家族であり、苦楽を共にした信頼関係には確かな家族愛が存在する。次郎長という
「さてと……やるべきこともやったし、そろそろ日本に
「……在るべき場所に、帰るのですか」
そう呟く骸に、次郎長は苦笑いする。
自分達を救ってくれた男が去ることに寂しさや悲しさを覚えたのだろうか、泣きそうな顔をしている。だが次郎長は帰らなければならない――海の果てにある、己が愛する並盛町で帰りを待つ
「骸、オイラにも護んなきゃならねーモンがあらァ。護るべきモン残したまんま野垂れ死ぬわけにゃいかねーんでい」
「もう、会えないんですか……?」
「縁があればまた面合わせぐれーできるさ。この世にいる限り会えないなんてこたァねェ、再会の時が早いか遅いかだけの話さ……だから泣くな。もっとも、ガキは泣いて甘えるのが仕事だろうが」
次郎長は優しく骸の頭を撫でる。
他人の温もりに未だ慣れてないのか、骸は動揺しつつも次郎長を見上げる。
「骸……泣きてー時は涙一杯流して泣きゃあいいし、笑いてー時は思いっきり笑えばいい。もうおめーを縛る奴ァいねェ、思うがままに趣いたままに生きろ」
「……思うがままに、趣いたままに……」
「そうだ――人間ってのァ、しぶとく図太く強かにしなやかに生きてナンボだからな」
泣きじゃくる子供を宥めるような声色で言葉を並べ、相変わらずの鋭い眼光ながらもどこか優しく感じる眼差しで次郎長は骸を見据える。
すると骸は涙を浮かべて、次郎長と約束をした。
「いつか必ず、
「そんな愉快な髪型、忘れたくても忘れられねーけどな」
さりげなく吐かれた毒に、骸は顔を赤くしてムスッとした。
次郎長は「悪かったって」と苦笑いしながらポンポンと頭を軽く叩くと、フック状に曲げた小指を眼前へ差し出した。
「オイラの母国じゃ、約束を
「ゆ、指を切り落とそうとか言わないですよね?」
「そりゃ「
思わず後退る骸に呆れる次郎長だが、骸の考えを否定はしなかった。
そもそも日本人の大半は知っている指切りげんまんのルーツは江戸時代の吉原にあり、遊女が客に心中立てとして小指の第一関節を切って渡したこと――ただし大半の小指は偽物――が起源だという。これは次郎長が生きる極道世界において反省・抗議・謝罪などの意思表示として用いられる指詰めの由来でもあるという説もあり、また指を切ることによって責任をとらせるといった行為自体は中世初期から日本にあったという。
歴史は長くとも、全くもって物騒な風習である。
「約束だ、骸。この次郎長、お前との再会を心待ちにするとすらァ」
「……ええ」
二人はフック状に曲げた小指を互いに引っ掛け合う。
この骸と次郎長の約束が果たされるのは、少し遠い未来の話――
骸と別れてから3時間後、
刀を持ち運ぶために空港警察に申請して持込み許可証を発行してもらった上、わざわざ航空券まで用意してくれたことに次郎長は礼を述べて空港へ入った時、「奇跡」は起こった。
「親分、ケガは大丈夫なんだね」
「真!!」
空港で古里家との再会を果たす次郎長。
「おめーさん達が無事でよかった……オイラァ体張ったってェのにこれでくたばったら死んでも死にきれねーや」
「僕達も親分のケガが心配でね……本当によかった」
うっすらと涙を浮かべる真に、次郎長は「あの程度で死なねーよ」と笑いながら言う。
あの日――ボンゴレ関係者の襲撃で次郎長は真達の盾となり、命懸けで戦い抜いた。未知の能力で翻弄する相手を前に、逃げたっていいのにもかかわらず奮戦してくれた。その時の次郎長の鬼気迫る表情と目付きは鮮明に脳裏に焼きついている。
真は改めて古里家として、シモンファミリーの当主として、次郎長に頭を下げた。
「あなたはシモンファミリーの恩人だ。僕達を――シモンを護ってくれて、どうもありがとう」
「礼を言われるようなことじゃねェ。オイラはただ
次郎長は気にも留めてないが、真達にとっては彼は大恩ある人物だ。
あの時、もし次郎長が間に合わなかったら――それ以前にもし次郎長と会えなかったら、今頃家族全員が例の刺客の手によって葬られ、古里家どころかシモンファミリーはこの世から完全に抹消されていたことだろう。
図らずも次郎長と出会えたことで、大切な家族を失わずに済んだ。ヤクザという似て非なる存在によって、本来なら残酷で非情な未来であったのが変わったのはまさしく僥倖であった。
「そうだった、おめーさん達にコイツを……」
次郎長は懐から一枚の名刺を取り出す。名刺には次郎長の名と肩書きが、裏には住所と連絡先が達筆で記載されていた。
「これは……」
「良縁は切らず結び続けたままの方が互いに利があるってモンさ……気が向いたらオイラの
次郎長はそう言って踵を返した時だった。
「……どうしてェ」
次郎長はゆっくりと振り向く。
視線の先には、炎真と真美が涙目でマントの端を掴んでいた。
「おじさん、僕……おじさんみたいに強くなるから!」
「私も……おじさん助けるから!」
炎真と真美の宣誓に、次郎長はニヤリと笑みを浮かべて二人の頭を撫でた。
「天下の次郎長親分を相手に大見得切ってくれるじゃねーか。だがお前らは
「「タイキ?」」
「そうだ。どんな人間にも必ず〝出番〟が訪れる――今はその時じゃない。然るべき時が来るまで待つんだな」
次郎長の言葉の意味がわからず、首を傾げる炎真と真美。
だが両親である真と真矢は次郎長の言葉が持つ意味を察したのか、目を見開いている。
「じゃあな、いつか並盛で会おうや。アリヴェデルチ」
「……親分、無理にイタリア語使わなくていいんだよ?」
「やかましい」
*
翌日の夜、並盛町。
「たでーま」
『オジキ!!!』
屋敷の玄関の戸を開けると、帰りを待っていた子分達が一斉に頭を下げる。
次郎長の一人旅が相当心配だったのか、子分達の中には涙ぐんでしまっていたり次郎長に縋ってきている者もいる。次郎長自身も子分達に心配をかけたことを申し訳なく思っているのか、うっとうしがらずに放置している。
「思ったより長かったのう」
「ああ、色々あった」
「オジキ、土産のことは聞いたで!!」
「イタリアの古美術商からええ代物届くんやって! さすがオジキじゃ」
「あ? 土産?」
次郎長は眉間にしわを寄せる。
ホテルで惨殺事件は起こるわ、その犯人と殺し合うわ、バミューダ達の依頼――というよりも逆らいようがない命令――を受けて掟破りの連中を潰すわ、はっきり言って散々な旅行だった。それゆえに次郎長はお土産を買うことをすっかり忘れていたのだ。
「おいおい、勝男。オイラァ今回のゴタゴタで――」
ふと次郎長は思い出した。
確か空港で再会を果たした古里家に、名刺を渡して溝鼠組の住所や電話番号を教えた。古里家の当主・古里真は古美術商を営んでいたのだから、もしかしたら勝男達に電話を掛けて感謝の印として何か送ってくれるかもしれない。
「……そういやあおめェ、何か話したいことあったよな」
「そ、そうやった!」
勝男は言われて思い出し、次郎長に伝えたかった並盛での出来事を話した。
実は次郎長がイタリアへと向かっている間に、並盛商店街にメイド喫茶ができたのだ。メイド喫茶ができることはどうでもいいが問題なのは店主であり、何と全身を包帯で覆われ車イスに乗った和装の女性という非常に怪しい人物なのだ。
並盛町は尚弥と次郎長がそれぞれ表と裏を牛耳っているが、商店街のような一般人の関わりが深い所は基本的には並盛の表の秩序たる風紀委員会の管轄ゆえ、溝鼠組が干渉することは滅多にない。だが今回のようなカタギなのか裏社会の人間なのか判断できないような、いわゆる得体の知れない人物が相手だと勝男達も動かなければならない。
だからといって次郎長不在の最中に抗争となれば事態の収拾もつかなくなる。商店街はカタギの出入りが多い上に例のメイド喫茶は随分と人気なので、白昼堂々ヤクザがメイド相手に大暴れするのはマズイとして、勝男は組長代理として次郎長に報告したのだ。
「……メイド喫茶ねェ」
「それと家光の件……あん時は奈々の姐さんと一緒やったけど」
次郎長は勝男の報告を耳にし、目を細める。やはり家光は古里家の一件は無関係だったようだ。
「それで……メイドの件はどないしますか」
「別に放っといても問題はねーように聞こえらァ、なるようになるだろ。オイラァ疲れてっから風呂入って寝るとするぜい」
『へ、へェ……』
こうして次郎長は、波乱万丈のイタリア一人旅を無事に終えた。
この旅行で出会った古里家と少年・六道骸、そして刃を交えた