並盛商店街のメイド喫茶「伊賀屋」にて、次郎長は席に座りながら携帯で通話していた。
「そうか……ご苦労さん。てめーらはまっすぐ帰って来い」
《いいんでっか、オジキ?》
「そっから先は
次郎長は古参の子分である杉村との通話を終えると、携帯を懐に仕舞い煙管の紫煙を燻らせる。
「……そういうこった。これで満足かい」
「うむ、かたじけない」
「いいってこった、目的が一緒なら手を組んでおいた方が効率的だしな」
頭を下げて礼を述べる百地に、次郎長は不敵な笑みを浮かべる。
次郎長は百地から隣町周辺で起き始めている新型薬物の流通の話を持ち掛けられ、一週間以内に潰すよう金を渡されて依頼を受けたのだ。彼自身もその件について気掛かりであったため、すぐに動いて勝男達に潰させたのは言うまでもない。
「あとは調査結果が風紀委員会を通して流されるのを待つだけ……それまでは気長に待つんだな」
「……この町の風紀委員会は、警察の代わりなのか?」
「ハァ? 何言ってやがる、オイラから見りゃ風紀委員会は半グレ集団だ。比べたらどっちがヤクザかわかんなくなるぞ」
風紀委員会を半グレと称する次郎長に、百地は思わず遠い目をする。
確かに彼らの活動はカタギの組織とは思えなかったりはする。さすがに振り込め詐欺や闇金融などといったヤバイ
「……そんなことをされて食っていけるのか?」
「オイラ達のシノギは的屋だけじゃねーよ。請負業や民事介入もやってるし、バイトしている奴もいる。最近じゃあ勝男が情報網の拡大の為に雀荘の運営もしてるそうだ」
裏社会で〝大侠客〟と呼ばれる次郎長も、所詮は無法者。ヤクザ稼業である以上は非合法な資金源も少なからず存在する。現に組の若頭である勝男が運営を始めた雀荘も、警察庁が「暴力団の伝統的な資金源活動」とされている四種類の犯罪の一つである「賭博」に該当する。
しかし次郎長は素の性格と愛郷心ゆえに、違法薬物の取引・売買や売春の斡旋といった一線を越えた経済活動はせず、みかじめ料の徴収もしない。世間一般においては暴力団であるのは変わらないが、彼なりのルールの下で自らも子分達も生きているのだ。
「……まァ、オイラの懐なんざてめーらには関係ねーだろうがな」
「ああ……もっともだ」
「それで……まだ知りてーこたァあるのかい」
次郎長は茶を啜りながら鋭い眼差しで百地を見据えると、彼女は無言で頷いた。
「……
「ならば五万で薬物の主な
「おうよ」
次郎長は百地の取引に応じ、日本における違法薬物の流れを説明した。
薬物の製造について厳しく管理している日本で乱用されている薬物のほとんどは、海外から密輸入されているものである。韓国ルートや台湾ルート、中国ルートに北朝鮮ルートで洋上取引を用い、コンテナの一部を改造して薬物を隠匿したり輸入貨物に薬物を隠匿・混入して密輸入する。航空機旅客による密輸もあり、その場合は一見犯罪組織とは無縁と思われる国籍の者を運び屋として利用する。
薬物の密輸は海外の密輸組織と結託して敢行されることが多く、当然マフィアやギャング、麻薬カルテルなどと裏で繋がっている。来日外国人を通じて接触し、取引する薬物の品質や取引価格、取引日時に代金支払方法など具体的な事項を事前に交渉しているという。そして交渉で特定された期日までに密輸入して引き渡すというカラクリだ。
「海外の密輸組織の多くは台湾や香港に拠点を置く犯罪組織……国内で捌いている連中を叩けば、芋づる式で密輸組織や関係者もパクれる」
「成程……しかしよく知っておるな」
「ウチの親戚縁組がクスリを捌いてる連中とよく揉めてるらしくてな、情報共有するうちに色んな知識が頭に
溝鼠組の唯一の親戚縁組である魔死呂威組が統治する姉古原町は、並盛と違って風紀委員会のような無法者も恐れる勢力が存在しないため、裏ではよく他勢力の介入・干渉が起こっている。当然縄張りの中で麻薬取引が行われれば魔死呂威組が総力を挙げて潰すため、その中で自然と情報を入手するようになる。
次郎長も違法薬物や売春の類を心底嫌うため、その点の情報収集の為に「盃を交わした間柄」として彼らからも情報を提供させてもらっている。その提供された情報に加えて風紀委員会が流してくれた公安の資料を参考にして違法薬物の流通ルートを炙り出し、元締めを潰して並盛に違法薬物が出回らないように動いているという訳だ。
「それに尚弥は公安と繋がってるからな、その縁で俺はそのデータを貰うこともあるんでい。おかげでうまく事が運んでいるぜ」
「公安委員会か?」
「ああ……だが実際は公安調査庁とも繋がってるだろうよ。それもズブズブにな」
尚弥の影響力について、次郎長は彼自身がまだ語っていないコネがあるはずだと推測する。
並盛町風紀委員会のトップに君臨する尚弥は――次郎長自身が訊く気が無いのもあるが――未だ謎の部分がある。おそらくそれが並盛町一帯を超えた権力を有せるようになった理由なのだろう。
「――そう考えると、並盛は異質な地方都市なんだろうな」
「貴様がそれを言ってどうする……」
次郎長の呟きに呆れる百地だが、彼の一言には反論できない。
暴対法の影響でヤクザ勢力への取り締まりが強化される中、そのヤクザが腰に日本刀を差した状態で表を出歩いといて逮捕されないなど、地方都市どころか日本とは思えない治外法権である。その原因は間違いなく町の秩序である雲雀家と風紀委員会だ。おそらく表向きは次郎長率いる溝鼠組は監視対象だが、実際は持ちつ持たれつでそれなりの関係があるのだろう。
もっとも、百地も人のことを言えないのだが。
「……そういうこった、オイラァここらで失礼するぜ。これァ店の代金だ、釣りはいらねーよ」
次郎長は席を立ち、お釣りを受け取らないことを告げて金を払って店を出た。
その背中を一瞥した百地は、次郎長に聞こえない程度の声量で「これから頼むぞ」と呟くのだった。
*
並盛のある通りで、少年・持田剣介は男達に囲まれていた。
暴力を振るわれたのか、頬は腫れて所々に擦り傷がある。
「だから俺じゃねーって……!!」
「おめー以外に誰がいるんだよ?」
「あんまり大人をナメてんじゃねーぞ! 金盗んだのおめーなんだろ?」
ゲスい笑みを浮かべて剣介を脅迫する大人達。勿論剣介は金を盗んでなどいない。
だが剣介は悪童としても知られていたため、彼が疑われることに関しては仕方がない。それでも少年一人に大人が複数で取り囲むのは卑劣の極みである。
そこへ――
「ガキ相手に何人がかりでい、みっともねェ」
低く鋭い声が響く。
男達は声がした方向へ一斉に振り向くと、その先には着流し姿の色黒の男がいた。
「……お、おい、アイツは泥水次郎長じゃねーか!?」
「泥水次郎長っていやあ、この町一帯を牛耳るヤクザの
男達は震え上がり、動揺を隠せない。日本の裏社会において唯一〝大侠客〟と呼ばれる超大物の極道・泥水次郎長こと吉田辰巳が現れたことで、空気は一変した。
だが、この町で名を上げる最大のチャンスでもあると考えたのか、男達は段々といやらしい笑みを浮かべ始める。
「ビ、ビビるこたァねェ……次郎長とはいえ相手は一人だ……!!」
「こっちは三人もいんだ、勝てねー訳でもねェ……!!」
「そうかい……じゃあかかって来な。一人でも束になっても大歓迎――」
次郎長が言い切る前に、男の拳が彼の顔面に迫った。
不意打ちを仕掛けられた次郎長は避けることすらできず、そのままモロに食らってしまうのだが……。
「……
「なっ――」
全力で殴ったはずなのに微動だにしない次郎長に男は呆然とする。
「一発には一発……歯ァ食いしばれ」
次の瞬間、次郎長は右腕を振り上げて男に拳骨を叩き込んだ。男は文字通り宙を舞って吹っ飛び、地面に体を叩きつけて気絶した。
ギャグマンガでしか見ないような光景を目の当たりにし、一同は言葉を失くした。
「……何でい、根性ねーなァ」
『ひっ……ひえええええ!!』
次郎長の化け物染みた力に恐れをなしたか、剣介に絡んでいた男達は一斉に逃げだした。喧嘩すれば敵無しとされる並盛の王者を相手取るのはさすがに無謀と判断したように見えるが、傍から見れば本能的に「全力でもアイツに勝てない」と勘づいたようにも見える逃げっぷりであった。
次郎長はそんな彼らを一瞥して「ただのカカシか」と嘲笑う。
「さてと……坊主、大丈夫か」
「え? あ、うん……」
「おいおい、「うん」じゃねーだろ。ケガしてるじゃねーか」
次郎長はそう言うや否や、剣介を担ぎ上げた。
「うわっ!?」
「手当てしてやらァ。オイラァ生憎、ケガしたガキ放っとけるような男じゃねーんでな」
剣介を担いだ次郎長は溝鼠組の屋敷へと辿り着いた。
組の表札が取り付けられた門をくぐり、ガラガラと無遠慮に玄関を開ければ柄の悪そうな
だが彼らは親分たる次郎長の姿を目にした瞬間、一斉に頭を下げた。
『オジキ!! お帰りなさいやせ!!』
「おう」
傍から見れば他人に従うとは思えない見た目の大人達が、自分を担いでいる男に一斉に頭を下げる光景。それを目の当たりにした剣介は、次郎長の人望の厚さと器量に驚愕する。
「オジキ、そのガキは?」
「チンピラに絡まれたところを縁あって助けてな。ケガしてっから濡れたタオルと絆創膏を頼む」
「オジキ、申し訳ねーですが絆創膏の方は……」
「切れてんのか? じゃあガーゼ持って来い、包帯はオイラのサラシを代用すらァ」
次郎長は赤い襟巻をとり着物の上半身の部分を脱いでサラシを解き始める。それと共に程よく引き締まり鍛え上げられた褐色の肉体に刻まれる生々しい傷痕が露わになり、剣介は息を呑んだ。
「? ――ああ、これか? ヤンチャが過ぎただけだ、気にすんな」
「……」
次郎長はそう言ってサラシを解いていると、子分の一人が救急箱と濡れたタオルを持ってきた。
救急箱を開けてガーゼを取り出し、ある程度解いたサラシを切り取り、次郎長は剣介の手当を始めた。
「そうだ、情報の取引で五万受け取った。ボーナスだ、好きに使え」
「お、おっす!」
手当てしながら子分に軽く五万円を受け取らせると、次郎長はふと何かを思い出したような表情を浮かべて剣介に尋ねた。
「そういやあ坊主、名前は?」
「……剣介。持田剣介」
「持田剣介……今時のいい名前じゃねーか。オイラァ知っての通り泥水次郎長だ……っつっても、そりゃあ渡世名の方だから本名は吉田辰巳っつーんだけどなァ」
会話しながら手際よく手当を進める次郎長。
数分もすれば手当は終わり、擦り傷が目立った箇所はガーゼと包帯代わりのサラシで保護され、腫れていた頬は湿布が貼られていた。
「うっし、もういいぞ。お家に帰んな、ヤクザの屋敷に長居しちゃあ両親も心配すらァ」
「あ、ありがと……」
「礼なんざいらねーさ、オイラが勝手にやったんでい」
次郎長は袖を通して赤い襟巻を巻きながら破顔する。
その笑顔は、町の裏社会を牛耳るヤクザの親分とは思えない純粋なものであった。
*
一方の雲雀家では、尚弥が並盛の勢力図を作成していた。
(最大勢力は風紀委員会と溝鼠組……町内で出てくる不良や首を突っ込んでくる他勢力の対応はできている。一方で商店街に根を張った百地乱破の一味は、力を増して商店街の元締めになっている)
尚弥が生まれる前から存在していた風紀委員会。かつて存在した桃巨会を潰し、町中のならず者を率いるようになった次郎長率いる溝鼠組。そしてつい最近、何の前兆も無く台頭して商店街の顔役となった百地の一味。
新勢力の台頭を許してしまったが、並盛の治安・風紀そのものは乱れていないことから手を掛けてはいないため、監視程度で済ましている。しかし調べを進めたところ部下から「殺気を出せるメイドが混ざっている」と報告を受けたので、ある程度の注意は必要だろう。
(問題はこの男だ……)
尚弥は一枚の書類を手にする。そこには「羽柴藤之介」なる人物についての情報が記されていた。
羽柴藤之介は日本の裏の世界で暗躍する謎の男で、日本人であること以外は経歴も何もかもが不明だという。ある女性と二人で行動しているらしいが、実態も証拠も掴めていないので真偽は不明だ。しかし目撃談だけはあり、目撃者は皆口を揃えて「化け物みたいに強い」という。
(……ま、僕の
尚弥は獰猛な笑みを浮かべて書類を握り潰すのだった。
羽柴藤之介……勘の鋭い方は何となく察しているでしょう。(笑)