父は娘に弱いというが、天下の次郎長親分も例外ではない。
植木蜂一家崩壊後に成り行きで残党達と溝鼠組に入門し「家族」となった椿平子もといピラ子には、大侠客次郎長もついつい甘やかしてしまう。次郎長自身も幼少期に両親を亡くしていることが拍車をかけ、尚弥みたいなドがつく程の親バカではないが若干の子煩悩も混じって接しているのだ。
「おいしー!」
「あそこのは中々買えねーからな」
並盛で屈指の人気を誇る洋菓子店「ラ・ナミモリーヌ」の目玉商品・ミルフィーユを楽しむ次郎長とピラ子。傍から見れば極道の親分とその義理の娘とは思えない呑気な光景である。
そんな中、次郎長はミルフィーユを先に食べ終えると、煙管を取り出しながらピラ子に話を振った。
「……ピラ子、おめーこれからどうする」
「オジキ……?」
「おめーはもうじき並中を卒業するわけだが、今後の進路について訊きてェ。カタギになるのもいいし、極道の女として生きるのもいい。オイラはおめーの
「……」
次郎長は並盛の王者を自負するに相応しい威厳ある鋭い眼差しではなく、一人の父親としての温かい眼差しで
対するピラ子も一度目を瞑ってから次郎長の目を見据え、微笑みながら口を開いた。
「オジキ……私はオジキの娘で家族です、娘である以上は親孝行しないと筋が通りませんよう。私はオジキを――溝鼠組を支えます。オジキが必死に護ってきた町を捨てるわけにはいかない」
「……オイラはできる限り避けさせたが、抗争で人を殺めることすらも日常の一部になるんだぞ?」
「百も承知です~、私が今更カタギになると思いますかァ? 生まれた頃から極道の世界にいたんです、甘く見ちゃ困りますよう」
ピラ子はまっすぐ次郎長を見据えて覚悟を示す。
実の父亡き後、潰された一家の残党諸共受け入れて養ってくれた次郎長に極道として恩返しをする――その強い意志をくみ取った次郎長は、「わかった」と一言告げて彼女の頭を優しく撫でた。
「ピラ子、おめーの覚悟はよくわかった。これからもよろしくな」
「こちらこそ~。それよりもオジキ、これ食べ終わったらいつものように水切りしましょうよゥ」
「あいよ」
*
夕方頃、河原でピラ子と水切りを楽しんでいる最中にそれは起こった。
「やあ、次郎長」
「……恭弥」
二人の前に現れたのは、雲雀尚弥の実子・恭弥。前に会った時よりは心身共に成長しているのか、父親譲りの凶暴な雰囲気を纏っている。その手には鈍く輝くトンファーが握られており、次郎長をまっすぐ見据えて殺気立っている。
恭弥が何をしに来たのかすぐに察した次郎長は呆れるも、とりあえず質した。
「――オイラの予想通りの答えだろうが、一応訊こう不良少年。何の用だ」
「君を咬み殺しに」
「ハァ……だろうな。殺気漏れた状態で談笑はねーとは思っちゃいたさ」
次郎長は頭を掻きながら溜め息を吐く。
ここ最近、恭弥の噂が町中に広まっている。その多くは喧嘩にまつわるものであり「少年期の次郎長のような暴れん坊」と言われることから、想像以上に凶暴であることは次郎長も承知しており、いつかは溝鼠組に喧嘩を売るだろうとは思っていた。
ただしいきなり大将首を狙いに来たのは想定外ではあった。並盛の王者たる次郎長を本気で倒す気ではあるだろうが、おそらく勝ち負けはどうでもよくて純粋に闘争を楽しみたいのだろう。
「……おめェ、オイラと戦いてー理由はあんのか」
次郎長の問いに、恭弥は「当然」と即答してトンファーを構える。
「草食動物のように群れておきながら、肉食動物のような獰猛さを併せ持っている。でも小動物にも似たしぶとさもある……そんな極上の獲物、狩りに行かない肉食動物なんていない」
「……否定はしねーさ。おめーの言う通り、オイラァしぶとく図太く強かにしなやかに生きてきた。キレイな清水も
次郎長はたった一人で極道の世界に身を投じ、勝男を筆頭とした多くの子分を従え、数々の修羅場をくぐり抜け、〝大侠客〟という称号にも似た異名で並盛の裏社会の頂点に長く君臨している。そこに到達するまでの間には抗争や決闘を繰り広げており、当然手を汚すこともあったが、全ては並盛町を護るため・
「……まァ、そんなシケた話はどうでもいいか」
次郎長は腰に差していた刀をピラ子に渡した。恭弥とは素手で戦うつもりのようだ。
「オイラとしちゃガキを傷つけるのァ嫌なんだが、そっちが本気で
「そう言ってくれると思った、よっ!!」
恭弥は獰猛な笑みを浮かべ、トンファーを振るって次郎長に襲い掛かった。
日が沈む頃、河原にはたくさんの野次馬が集まっていた。彼らの視線の先にあるのは、傷だらけで倒れ伏している少年とそれを見つめるヤクザ者だ。
(……おっかねー〝後輩〟がいたもんだ)
鋭い眼差しで闘争に敗れた
勝負は次郎長の圧勝。並盛において最強の不良少年として名を馳せるようになった彼でも、並盛の裏社会を牛耳るならず者の王は倒せなかった。それも一方的な戦いだったのか、素手で応じたにもかかわらず目立った傷がほとんど無い次郎長に対し、トンファーを握って襲い掛かった恭弥は満身創痍。二人の間にはあまりにも大きな力の差が会ったことが伺える。
恭弥が次郎長に戦いを挑んだことを知り慌てて駆けつけた次郎長一家も風紀委員も、この状況には息を呑むことしかできなかった。そんな中、現在中国へ旅行中の尚弥に代わって風紀委員会を指揮する蘭丸は静かに次郎長に声を掛けた。
「……次郎長親分」
「蘭丸……おめェ、どう出る?」
「出るも何も……恭弥様が望んだ戦いに私は口を出さない」
「クク……そうかい」
蘭丸は、今回の件で対立はしないことを明言した。
恭弥は集団でいることや束縛を嫌う性格であると共に、プライドが高い性格でもある。真っ向勝負を挑んだ以上、勝とうが負けようが決して結果に口出しはしない。恭弥は普通の子供とは違う。子供だからと情けをかけられることは耐え難い屈辱なのである。
次郎長は恭弥がそういう性格であることを知ってるから容赦せず叩きのめし、蘭丸もそれについて彼を非難することはしないのだ。
「てめーら、
踵を返す次郎長。
「オジキ、大丈夫ですかいのう? あの親バカが黙ってるとは到底……」
勝男が心配するのは、尚弥が帰って来てからだ。
ドがつく程の親バカである尚弥がこの件を知ったら、黙ってるはずがないだろう。仕事の最中でも息子を終始気に掛けているらしいので、ちょっとしたことでも溝鼠組と緊張状態に陥るのではないかと勝男は心配したのだ。
しかし次郎長は「その心配はない」と告げる。
「向こうが売った喧嘩を買ったまでだ、んなことで一々抗争仕掛ける程バカじゃ――」
子分達を引き連れその場から去ろうとした次郎長だったが、何かを感じたのか足を止めた。
「……」
「オジキ、どないしました?」
「……闘争本能か虚勢かは知らねーが、
『えっ!?』
次郎長の言葉を聞き、信じられないとでも言うかのように恭弥を見る。傍から見れば気絶しているようにしか見えないにもかかわらず、次郎長は彼がまだ戦おうとしていると言っているのだ。
その言葉通り、恭弥はゆっくりと立ち上がった。しかし次郎長との戦いで蓄積されたダメージが相当響いているのか、足元がおぼつかない。
「し、信じられん……まだ立てるんかいな……」
勝男は恭弥のタフさに、感嘆を通り越して戦慄する。
「恭弥様、これ以上次郎長親分と戦ったら身体がもちません! 退いて下さい」
蘭丸は身を案じて説得するが、恭弥はそれを意にも介さずトンファーを構える。満身創痍でいつ気絶してもおかしくないボロボロの状態であるのにもかかわらず、戦う前よりも闘志を燃やしている。
そんな恭弥に呆れているのか、次郎長は背を向けたまま口を開いた。
「……まだ終わってねェ、とでも言いたそうじゃねーか」
「このまま……ハァ……咬みつくことすらできないのは、嫌だからね……」
「恭弥……今のおめーに
「……何だい」
「動物図鑑を持ってるなら調べてみな。ドブネズミってバカにできねーぞ?」
「――!」
次郎長は不敵に笑うと「せいぜい頑張るこったな」と激励にも似た言葉を投げ掛け、子分達と共に去っていった。
その背中を数秒程見つめた後、恭弥の意識はブラックアウトした。
*
その夜。
ここは川平不動産がある並盛町5丁目に設けられた、町内初にして唯一の雀荘「七三」。溝鼠組の若頭である〝並盛町の暴君〟黒駒勝男が経営するこの雀荘は、町外からヤクザからカタギまで多くの人間が訪れるため、その分様々な情報が飛び交う。時には情報取引の現場にもなるので、溝鼠組の貴重な資産である。
「いやァ、恭弥は手強かったな」
『白々しいですぜ、オジキ……』
のんびりと席で寛ぐ次郎長に、雀荘の従業員として働く子分達は呆れる。
子分達が次郎長と恭弥の喧嘩を見たのは、佳境に入ってから。その時点で子分達は次郎長の勝利を確信していた。町中の無法者の、並盛の裏社会の頂点に君臨する男・泥水次郎長に敵うわけが無いと。
実際に恭弥の完敗で喧嘩は終わったが、次郎長は――
「本気で思ってるぜ、俺ァ」
『!!』
「アイツ、力の差がどんだけ大きいのかわかっても咬みついてきやがった。迷いの無い奴は力量問わず厄介者でい、アレはデカくなる」
窓から月を仰ぎながら、恭弥との戦いを思い出す。
次郎長に戦いを挑んだ恭弥は、彼のケモノどころかバケモノの領域に達した戦闘力の前に成す術もなく屈した。しかし敗北してなお闘志は消えておらず、その時の目つきは肉食動物というよりも喧嘩に明け暮れた学生時代の次郎長を彷彿させた。
「ああいう時期も、俺にはあったのさ……」
「?」
次郎長が懐かしそうな声色で語った、その時だった。
カランカラン――
「!」
雀荘の入り口のドアを開けて、一人のヤクザが入店した。
赤い着流し姿で腰に日本刀を差した、左の額から頬にかけての縦一文字の切り傷が特徴の男。彼こそ魔死呂威組の若頭〝狛犬の京次郎〟こと中村京次郎である。
「待たせてすまんのう親分、ウチのシマで銃の密売しとるバカタレ共にヤキ入れたばっかでな」
畳に上がって腰を下ろす京次郎。
次郎長は子分達に冷酒を持ってくるよう指示すると、煙管を取り出して刻み煙草を詰めて火を点ける。
「そらァご苦労なこって……だが苦労してるのァお互い様でい。尚弥の奴が中国旅行に生きやがってな、
「尚弥……尚弥って、あの〝
「〝
「裏の世界じゃあ鬼みたいに強いカタギだって有名じゃぞ」
「アレはカタギっつーより半グレだ、やってることはヤクザと変わんねーぞ。勝男だって「どっちがヤクザかわからん」っつってたし」
紫煙と共に溜め息を吐く次郎長。その言葉の意味を理解したのか、京次郎も「確かにのう……」と呟きながら目を逸らす。カタギとは到底思えない尚弥に関する噂で共感したのだろう。
そうしている内に、次郎長の子分が冷酒とおつまみを持ってちゃぶ台に置いた。
「さてと、まずは極道の世界の先輩として若頭就任を祝ってやる。一杯飲もう」
「……そりゃすまんのう、親分」
互いの盃に酒を注いで一気に煽ると、次郎長は早速切り出した。
「で、本題は何なんだ」
「さっき言うとった銃の密売じゃ。ちと面倒になってのう」
京次郎はおつまみを口に運びながら事の経緯を語りだす。
魔死呂威組が牛耳る姉古原町だけでなく、近頃東日本を中心に銃の密売が活発化しており、あちこちで小競り合いやカチコミが相次いでしまい極道の世界全体が緊張状態になっているという。これで抗争となれば民間人への危険度は甚大なものとなり、カタギもヤクザも関係なしに血を流しかねない。
これに危機感を覚えた京次郎は早速動き出し、情報収集の末に
「それで、本当の元締めは?」
「イタリアじゃ」
京次郎の口から出た国名に、次郎長は眉をひそめる。
イタリアといえば、マフィアの起源であり本場でもある国。そこから銃が流されているということは、元締めがイタリアのマフィアである可能性が極めて高い。犯罪組織において密輸は重要な資金源となるので、たとえ元締めでなくとも関与そのものは確定だろう。
「……根拠はあるのか? 供述証拠だけじゃ決定打に欠けるだろ」
「わしらが潰した連中が密輸しとった銃のメーカーは、ベレッタ・タンフォリオ・フランキの三社――全部イタリアじゃ。フィリピンかロシア、中国のいずれかのルートで日本に持ち込んだんじゃろう」
「拳銃っつーとトカレフかマカロフのイメージなんだが」
「今時は違うぞ。同じ価格でより新しく性能が優れた代物が出回っとるんじゃ、わしの〝レンコン〟のようなモンがな」
京次郎はそういうや否や、懐から一丁の
「1969年製のコルト・トルーパー……80年代の刑事ドラマでよう使われとったから知名度は高い方じゃ」
「そんでソイツより強力な代物が日本でも流される……いや、すでに流されてるかもな」
「そういうこっちゃ。そうなったらヤクザの戦争は手に負えなくなる上に海外勢力に隙を突かれてしまう。連中から見れば、流すだけでヤクザの利権を奪うことも可能な楽な謀略じゃからのう……そして親父はそれを見抜いとった」
下愚蔵は元締めの目的が大規模な抗争を起こして全国のヤクザ勢力の力を消耗させ弱り切ったところを潰して利権を独占することだと悟った。しかし新体制に移行しようとしている魔死呂威組にとって、今の時期は思うように動けない。
そこで親戚縁組にして頼みの綱と言える次郎長率いる溝鼠組に、この事件の元締めの殲滅を依頼したというわけである。
「次郎長親分、どうにか手を打ってくれんか」
「何言ってやがんでい、親戚の頼みなんざ聞き入れるに決まってらァ。今シノギもうなぎ上りだし、金も別にいいぜ」
次郎長は親戚縁組だからという理由で報酬を払う必要も無いことも付け加えて依頼をあっさりと了承。京次郎はその器量に唖然としつつ「かたじけない」と頭を下げる。
「その件の情報、調べられた分を全部教えてくれ。知り合いのメイド喫茶の店長に掛け合ってみる。うまくいけば全面的にサポートしてくれるはずだ」
「メイド喫茶? 何でそんなわしらの業界と無縁な連中に」
「それが全く正反対なんだよなァ……むしろズブズブでい」
こうして次郎長は新たな敵――兵器密輸の元締めとの戦いに動き出すことになった。それは図らずも因縁のマフィアとの第二ラウンドの幕開けでもあったのだが、当の本人は知る由も無い。
次回、襲撃に遭います。(笑)
誰に襲撃されるのか、お楽しみに。