浅蜊に食らいつく溝鼠   作:悪魔さん

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まさかの10000字突破。
今までで初めてですよ、こんな展開……。


標的32:殺しに来た男が子分(むすこ)になった件

 ある日の昼間のことだった。

「今月の収入、普通に5000万越えとるやんけ……」

 勝男は金勘定をしつつ震えるような声で呟いた。

 溝鼠組は的屋利権や請負業、民事介入、一部構成員がやっているバイトなどで収入を得ている。最近では勝男が雀荘の運営を始めたことで表裏問わず色々な客が利用するようになり、更に収入が増加した。他の組織と比べると一度に莫大な利益を得てはいないが、常に安定した収入を得られるのは大きな強みだ。

 近頃は暴対法や世論の影響で極道組織の資金源獲得は難しくなりつつあるが、溝鼠組は次郎長自身の人間関係に加え縄張りとする土地の〝特殊性〟のおかげでうまい具合で力を強めることに成功している。

「思えば、随分とデカイ家族になったもんや……」

 次郎長と最初に出会った日を思い返す。

 最初はたった四人で始まったあまりにも小さな組織が、時が流れて日本の裏社会でもっとも恐れられる勢力の一つに数えられた。当時は孤高の不良であった若き日の次郎長の部下に過ぎなかった自分が、今では次郎長の右腕として組を牽引するようになった。

 彼の背中を追い、苦楽を共にし、今がある。勝男は天井を見上げながら過去に思いを馳せた。

(わしも随分と出世したもんやなァ)

「あ、勝男兄さん!」

「!」

 割烹着姿の登が顔を出した。

 どうやら彼が食事を作っているようだ。

「何してたんですか?」

「いや、ちょっと昔のことを思い出してのう」

「へ~……ところで勝男兄さん、オジキさんは?」

「オジキなら杉村達連れて町内会に出席しとるで。何か地上げ屋の件で話あるゆーて」

「地上げ屋? 何ですかそれ?」

「……そっか、中卒やからよう知らんか……」

 地上げ屋とは、地主や借地・借家人に立ち退いてもらう交渉をすることで土地を買収する人及び企業を指す。土地の利用価値を上げる地上げは、土地・建物の買収だけでなく、権利関係の整理・家屋の撤去・借家人の立ち退き交渉など広範囲に渡っており、地道な活動によるトラブルの回避や有効的な事業展開を行うために高度で専門的な知識や交渉力が必要とされる。

 一方で地上げは大きな金が動く不動産業であるため、ヤクザ勢力が威力をフル活用して独占すれば巨額の資金を獲得できることから、シノギとして重宝しているケースも少なくない。

「噂じゃオジキが溝鼠組設立当初に潰した桃巨会の残党が関与しとるとも聞くがのう」

「そ、それってオジキさんに復讐するつもりじゃ……」

「いや、どの道この並盛町を荒そうとする時点で連中は終了やで。そんなマネしてみィ、オジキ以外の町の顔役達も黙っとらんで」

 並盛町は次郎長以外の有力者達もおり、それぞれの分野で町を統治している。

 町の裏社会は極道の次郎長が牛耳り、町の風紀は風紀委員会会長の尚弥が支配している。最近台頭してきた百地に至っては、メイド喫茶を運営しつつ商店街の管理責任者を務め、自治権を行使して両者と対等に渡り合っている。

「その内この並盛(まち)で四天王勢力ができるかもしれへんなァ」

「本当にそうなりそうなのでやめて下さい」

 二人で談笑していると、一家の面々が慌てて駆けつけてきた。

「アニキ! 何や正門の方で黒スーツの男が騒いどるんで助けてくだせェ!!」

「ハァ? 何をしとんねん、ヤクザのお家の前で騒ぐなゆーことぐらいわしが出張らずともできるやろ」

「いや、それがカタギやないようなんですわ……!」

「んん?」

 

 

 屋敷の正門に響く子分達の怒号。彼らと相対するのは、勝男が報告を受けた件の男。

「何しとんじゃおどれら」

 崩れた七三分けを整えながら現場へ向かう勝男と、心配そうな顔を浮かべる登。

「アニキ、何や黒スーツのゴッツイ兄ちゃんがオジキを呼べって」

「……マル暴のガサ入れ、やないな」

 どう考えてもカタギや警察には見えない男を目にし、勝男は眉間にしわを寄せる。

 顔に刻まれた二本の傷、鋭い眼差し、そして携えた鎖付きの巨大鉄球――どう考えても只者ではない。しかし鉄球を携えた〝同業者〟の話はおろか噂すら聞いたことがないので、目の前の男は海外勢力の刺客である可能性が高い。

「登、下がっときィ。わしらが相手する」

「勝男兄さん……」

 勝男は堂々とした振る舞いで子分達の前に出て、男を問い詰めた。

「わしゃ溝鼠組若頭の黒駒勝男。何か用でもあるんか?」

「次郎長を探してる。安心しろ、お前達を殺すつもりはない……邪魔するのなら話は別だが」

 遠回しに次郎長の殺害が目的であることを語った男に、勝男達は一斉に殺気立つ。

「ほ~……ええ度胸やないかァ。ほな、この並盛(まち)でわしら溝鼠組を敵に回すちゅーことがどんだけ無謀か、この〝並盛町の暴君〟黒駒勝男が教えたるで」

「なら、お前を先に潰そう。〝(せん)(じゃ)(れっ)()〟!!」

「っ!?」

 男は鎖を引っ張って鉄球を持ち上げ振り回すと、掌底で打ち出して勝男にぶつけた。

『アニキっ!?』

 突然放たれた攻撃を避けることもできない勝男は、立ったままピクリとも動かない。それと共に口から咥えていた楊枝が落ち、周囲に絶望感が広まる。

「これでわかったはずだ。貴様らでは俺に勝て――」

「待たんかいワレ。そこらのヤクザと溝鼠組(わしら)はちゃうで?」

「っ!?」

 勝男は鉄球の強烈な一撃を受け止めていた。ほぼ避けることは困難である近距離の不意打ちを防がれたことに、男は目を見開いて動揺を隠せない。

 一方の勝男はニヤリと笑みを浮かべており、彼の溝鼠組の若頭に恥じぬ実力を垣間見た登達は安堵の息を漏らす。

「この町は平和で治安がいい割に凄腕やならず者が多いんじゃ。当然わしらも腕が立つで。オジキ以外はカカシやと思ったら、そらァお門違いっちゅーこっちゃ」

「……どうやら俺は貴様の力を見誤ってたようだ。だが俺はまだ五割の力も出していない」

「お前がそうなら、わしゃ三割も出しとらんで」

 勝男は含み笑いを浮かべ、黒スーツの男は目を細め、互いに睨み合う。

 しかし内心余裕が無いのは、勝男の方であった。

(それにしてもどういうこっちゃ、何か得体の知れん力に引っ張られたぞ……!?)

 勝男はチラリと背後を見る。視線の先には、自分の両足が引きずられた跡がくっきりと残っていた。

 目の前の男は、何かの超能力を使っているとは思えない。得物は至る所に蛇の形をした溝が彫られてある鉄球だけであり、暗殺者のような仕込み武器を隠し持っている可能性は否定できないが、人間の体を触れることもなく動かすのはあり得ない。

(何かタネはあるはずや……)

「さっきの不意打ちを防ぐとは大したものだ。〝(ごう)(じゃ)(れっ)()〟!!」

 男は再び鎖を引っ張って鉄球を持ち上げ振り回し、今度は両拳で押し出した。放たれた鉄球は凄まじい速さで迫り、それを避けようと勝男が右に逸れようとした。

 しかし――

 

 ゴッ!!

 

「がっ!?」

 右に逸れたはずの体は鉄球の方へと引っ張られ、モロに直撃した。勝男はそのまま屋敷の奥まで吹き飛ばされてしまう。

「アニキィィィィ!!」

「お前達では俺には勝てん……命が惜しくば次郎長の首を差し出せ」

「つ、強い……何者だアイツは……!!」

 規格外な強さに戦慄する一同。

 そこへ先程鉄球の一撃を喰らった勝男が新しい楊枝を咥えて戻って来た。

「いや~、死ぬかと思うたわ」

「アニキ!!」

「無事でっか!?」

「コイツを盾にしなきゃ危なかったわ」

 そう呟く勝男の手には愛用している長ドスが握られており、よく見てみると刀身の一部に刃こぼれが生じている。どうやら当たる直前に長ドスを抜いて盾にし、威力を軽減したようだ。

 だがピンチであるのは変わらない。まるで引力のような力がはたらくあの鉄球の謎を解かねば、事態は打開できないままだ。

「無駄な足掻きは惨死を招くぞ」

「それはわしが決めるこっちゃ。お前なんぞに自分の生死決められとうないがな」

「愚かだな」

 男は鉄球を投げてくるが、勝男は咄嗟に懐から袋を取り出して中身をぶちまけた。袋の中身は、鯉の餌だった。

 すると餌の粒が突如鉄球の方へと吹かれていき、周りに渦を巻くように吸い込まれていくではないか。

「な、何だありゃあ!?」

「何が起こっとるんじゃ!?」

 子分達が混乱する中、勝男は迫る鉄球へと突進し、間一髪のところでスライディングをして躱した。

 隙が生まれた男は顔色を変えて防ごうとしたが勝男が懐へ潜り込む方が早く、モロに殴られて倒れ込んだ。

「っしゃあ!! 予想通りや、やっぱり溝やったか!!」

 鉄球が発する力の源が予想通りだったことに歓喜する勝男。そう、鉄球が発する謎の力の正体は溝なのだ。

 実は男の武器である鉄球の溝には空気の流れを捻じ曲げる効果があり、溝を通って生まれた気流は複雑に絡み合うことで威力を何倍にも増幅させ烈風を生み出すのである。そして生み出された烈風は鉄球に向かって流れるため、鉄球へと吸い込まれてしまうのだ。

「タネの知れた手品にはもう騙されへんで……勝負アリや」

「……理解したところで攻略にはならん」

 再び投げられた剛球。

 勝男は避け、投げた直後を狙おうとしたのだが――

(回転やと!?)

 何と球自体が回転し、巨大な風の渦を作り出した。

 その風に巻き込まれた勝男の体は吸い込まれていき、鉄球をまともに喰らってしまった。

「アニキ!!」

「おんどりゃあ!!」

「いねやァァ!!」

 若頭(かつお)がやられてさすがに我慢できなくなったのか、子分達がドスを片手に男に襲い掛かった。

 男は雑魚は引っ込んでいろと言わんばかりに無慈悲に鉄球を振り回し薙いでいくが、そこは天下の次郎長一家――一撃食らっただけでは倒れず、血を流しつつも立ち上がる。

「……しぶとい奴らだ、貴様らに万に一つの勝機も無いというのにもかかわらず」

「そらそうやろ、こんなんでくだばったら日本人廃業しなきゃならんがな」

 相変わらず鋭い眼差しの男と、血を流しつつも口角を上げる勝男達。

 双方睨み合う中、一人遠くへ退避していた登は男に対し違和感を抱いていた。

(何だろう、あの人……本当に殺しに来たのかな……)

 登は遠くで男の様子を伺っている中で、引っかかる点を見つけていた。勝男に鉄球をぶつける時も、子分達を薙ぎ払う時も、攻撃する際は必ず目を閉じているのだ。

(もしかしたら……)

 根拠も無ければ確証も無い。だからこそ、訊く価値がある。

 登は男の前に立ちはだかり、足を震えさせながらもしっかりと見つめて向き合った。

「登……!?」

「今度はお前が相手か」

「……あなたは、そんなことする人じゃないですよね?」

「……!」

 登が言った言葉に動きを止める男。その言葉に勝男達も怪訝そうな表情を浮かべた。

「貴様……何を言っている」

「あなたは本当は悪い人じゃない! だって――」

「お前に俺の何がわかる!!」

「わからないよ!! ……でも、あなたの心は迷ってるように見えるんだ。勝男兄さんを攻撃した時も……」

「迷いだと……? 俺のことをわかったような口を利くな!!」

 激昂した男は丸腰の登に鉄球を投げつけたが――

 

 ズドォン!!

 

『!?』

 登に直撃する寸前に、猛スピードで飛んできた何かが鉄球に深く突き刺さり、何と突き刺した衝撃で砕き割った。鉄球を砕き割ったのは、一振りの日本刀だった。

 いきなり飛んできた日本刀に登は尻餅をつくも、見覚えのある鍔に目を見開いた。

「この刀……まさか……」

「おいおい、何やってんだ(あん)ちゃん。親分の前で家族を手ェ掛けようなんざどういう神経してんでい」

 どこか気怠げながらも威圧的な声が響き渡った。

 男と勝男達が一斉に同じ方向を見る。彼らの視線の先にいるのは、刀を投げた張本人にして鉄球の男の標的――次郎長だった。その後ろには町内会に同行していた杉村や景谷といった古参の子分達が鉄球の男を睨んでいる。

「――てめーら、よく頑張った。あとはオイラに任せな」

『オジキっ!!!』

 次郎長の帰参に、子分達は引き下がる。それに気づいた男は次郎長を睨む。

(じゃ)(こう)(きゅう)を………そうか、貴様が泥水次郎長か」

「それ以外に何者に見えるんだよ……っつーかそういうおめーさんは何者でい。マル暴にしちゃアクセサリーがちとゴツ過ぎやしねーかい?」

「貴様に名乗る義理は無い」

「行儀の(わり)ィこって。裏の世界にも礼儀はあんだぜ?」

 鋭い眼差しで男を睨む次郎長は、一度砕けた鉄球を一瞥する。

「おめーの鉄球(デカタマ)はこれで御役御免……ここらで大人しく引き下がるってんなら、おめーの有り金全部慰謝料で勘弁してやってもいいぜ」

「俺の目的は貴様の命だ、その為にここへ来た。それと一つ言っておく……俺が真に得意としてるのは肉弾戦だ」

「驕るなよ。素手喧嘩(ステゴロ)でオイラに勝とうなんざ百年(はえ)ェ」

「オジキさん、気をつけてください!! あの鉄球を掌底で飛ばした男です、相当の怪力ですよ!!」

 登の言葉に反応した次郎長は、拳を鳴らしながら笑みを深める。

「へェ……上等じゃねーか。かかって来いよ、オイラの首を貰いにわざわざ来たんだろ?」

「……潰す」

 次郎長と黒スーツの男は同時に駆け、右腕を振り上げて互いの顔面めがけて叩き込んだ。そして片方が吹き飛ばされ庭の池に落ちた。

 落ちたのは……黒スーツの男だった。

「おいおい、どうした? いきなり押し負けてるじゃねーかい……あと池の鯉食うなよ」

『……!?』

 登の忠告が無意味と化す光景に、一同は唖然とする。

 裏社会で〝並盛町の暴君〟と恐れられる勝男と互角以上の実力を有し、腕の立つ多くの子分達を薙ぎ倒した男が、次郎長の拳骨一発で圧倒された。天下の次郎長親分の実力に感動すると共に「あの人、人間じゃないんじゃないかな?」という謎の不安感を抱いてしまう。

「ぐっ……!!」

 拳を振り上げる男だが、次郎長は笑みを浮かべて彼の拳を片手で受け止め、蹴りを見舞って怯ませたところで力任せに拳を振るい、次々に衝撃を叩き込んでいく。

 次郎長は我流の喧嘩殺法であり、古今東西の様々な武術を習得しているわけではない。最近こそ己をさらに強くするべくバミューダ達〝復讐者(ヴィンディチェ)〟に鍛え上げられているが、武闘家から見れば戦い方自体はその辺の喧嘩好きとあまり変わらないだろう。だが一撃に込められた「威力」と一瞬の隙も確実に突く「速さ」は脅威であり、並の腕自慢では歯が立たないのだ。

「くっ……うおおおお!!」

 次郎長の猛攻で窮地に追い込まれた男は、渾身の一撃を放ち彼の顔を穿った。

 鉄球を軽々と振り回す怪力で振るわれた豪拳は見事に直撃したが……次郎長は耐えてみせた。

「っ………本気でオイラと一対一(サシ)でやり合いたきゃ、まずはその目を閉じる癖を治すんだな!!」

 

 ドゴッ!!

 

「ガハァッ!!」

 男の豪拳を耐えた次郎長は止めのアッパーを炸裂。モロに受けた男は血を吐いて倒れた。 

「バ、バカな……俺が負けた、だと……」

「だから言ったろ。素手喧嘩(ステゴロ)でオイラに勝とうなんざ百年(はえ)ェって」

 次郎長の余裕に満ちた笑みを最後に、男は意識を失った。

「さてと……てめーら、もう事は済んだんだ。早く病院に行け」

『え……』

「え、じゃねーよ。ケガっつーのァ見えねーところがヤバいんだ、治療費はオイラが払うからとっとと行きやがれ。オイラァ顔ぶん殴られただけだからな」

 シッシッと手を振る次郎長に、勝男は「お言葉に甘えて」と一言告げてから頭を下げた。

 勝男に続くように子分達一同が頭を下げ、次郎長に感謝の意を示す。

「……で、おめーはどうなんだ登」

「っ!」

「おめェ、オイラに何か言いたそうな表情してたぞ。どうせあそこで伸びてる野郎のことだろうが」

 未だ気絶したままの男を指差しながら質す次郎長に、登は「親分には敵いませんね」と言いながら心中を吐露した。

 戦闘中に男が攻撃する際にいつも目を閉じていたこと。そこから導き出された、男の心の迷い。もしかしたら、男は次郎長を殺すと言っておきながら実際は次郎長(ひょうてき)どころか溝鼠組に危害を加えること自体躊躇しており、何か訳があるのかもしれない。

 登は男を見て思ったことを、全て伝えた。

「……で、オイラにどうしろってんだ?」

「この人を……助けてくれませんか……」

「……」

 次郎長は目を細め、呆れたような表情を浮かべる。次郎長の命を狙った刺客を助けてほしいと言ってるようなものなのだから、当然の反応と言えよう。

「バカなこと言ってるのはわかってます……でも、僕はこの人を――」

「んだよ、そんなことか。別にいいぞ」

『……ハァ!?』

 次郎長はあっさりと承諾した。

 一蹴されて怒りを買うと思っていた登はおろか、勝男達すら呆然とした。

「オイラとしてもコイツにゃ訊きて―ことがあらァ。訳アリなのは薄々勘づいちゃいたしな」

「オジキさん……!」

「だが落とし前はつけさせる」

「っ――」

「オイラもコイツの過去に同情はするが、それでも今回の責任(ケツ)は持たせるぞ。オイラ一人を狙ったならばともかく、家族(てめーら)を傷つけといてそのまんまなんざ許せねーんだよ」

 次郎長の提示した条件に、登は複雑な表情を浮かべながら首を縦に振る。

 たとえ洗脳され操られたとしても自分の家族に殺意を向けケガを負わせたことは許し難く、いかなる理由があろうと子分達に手を出したことに対する責任を果たしてもらわないと真の解決にならない――それが次郎長の主張だった。

「コイツの処分に関しちゃオイラが決める。それについての異論は一切認めねェ……てめーが何回反論してもそこばっかりは譲らねーぞオイラ」

 次郎長の気迫に押され、子分達は何も言えなくなる。溝鼠組は次郎長と勝男の統率力によって規律が乱れていないため見せしめも実行していないが、今回ばかりは制裁を科す腹積もりのようだ。

 極道組織の制裁は多岐に渡り、指詰めや私刑(リンチ)、破門などがある。命まで取るつもりは無いとはいえ、指を何本詰められるかどれ程痛めつけられるかは皆目見当もつかない。それ程の怒りを、次郎長は男に向けているのだ。

「何してやがる、とっとと病院だ。さすがに入院は必要だろコイツは」

『へ、へいっ!!』

 次郎長に命令され、子分達は男を運び出す。

「……」

「登、オジキに任せい。もうわしらが出る幕やない」

 男の安否を心配する登に、勝男はそう声を掛けるしかできなかった。

 

 

           *

 

 

 翌日、並盛中央病院にて。

「アンタの息子(ガキ)共は大して酷くなかったしピンピンしてたから即刻退院(かえ)させたけど、このお兄さんは一週間ぐらい様子見だよ」

(わり)ィな婦長」

「全く、殺しに来た男を助けるなんて随分なお人好しじゃないか。それともとんだ大バカかい?」

「多分両方かもしれねーな」

「奇遇だね、あたしはそう思ってた」

 呆れた笑みを浮かべながら、婦長は次郎長と談笑する。

「オジキさん、婦長さんとは知り合いですか……?」

「ああ。ここの病室は並盛で有名な猛者共専用の部屋なんだが、その担当をしてるのがこの内野婦長……「()()(ドッ)()」の元女番長(スケバン)だ」

「ええ!? 暴走族の総長だったんですか!?」

「「()()(ドッ)()」の元総長やったんか……こりゃ驚いた……!!」

「何十年も昔の話さ、今は足を洗って並盛中央病院のベテラン婦長として生きてる」

 婦長が元暴走族の総長というとんでもない経歴を持ってることを知り、勝男達は顔を引きつらせた。

 おそらくこの病室を担当させてる理由は、入院が必要な容体なのにいざこざを起こす暴れん坊共を物理的に(・・・・)抑え込むためだろう。事実、婦長はかなり腕っ節が強いらしく若い頃は恐ろしく強かったらしい。

「アレ? そういやあアンタ下の名前ってなんだったっけ?」

(いく)()だよ。内野育美が本当の名前だよ」

「今までずっと触れなかったけど、結構ありきたりだな」

「余計なお世話だよ」

 次郎長が婦長の名前を知って本音を漏らした、その時――

「う……」

「オジキ! 野郎が起きやした!」

「そうか……世話になったな婦長」

「はいはい、お大事にね」

 ゆっくりを瞼を開けた男に、次郎長は近寄り傍のイスに腰を下ろす。

 男は昨日よりは穏やかな目つきで次郎長を見据え、第一声を発した。

「次郎長……なぜだ……なぜ助けた」

「目ェ覚めてからの第一声がいきなりそれかよ。――登が言ったんだよ、助けてやってくれねーかって。俺もおめーにゃ訊きてーことがあったのも理由だがよう」

 次郎長は登を指差し、登は頭を掻きながら笑う。

「そういやあ訊いてなかったな。名前は?」

「……ランチア」

「ランチアか……ランチアってフィアットの傘下だったよな?」

「オジキ、話逸れてるで」

 勝男にツッコまれた次郎長は「すまん」と詫びつつ話を元に戻す。

「おめーは色々引っ掛かんだよ。殺し屋の割にゃ人間(くせ)ェっつーか、罪悪感丸出しっつーか……とにかく殺し屋に向かねーように見えんだわ」

「っ!!」

「天下の次郎長親分もナメられたもんだぜ、お宅のボスに本職送るまでもねーって見られたのかねェ」

「……さすがだ、(デイモン)・スペードがお前を警戒するのも頷ける……」

「――おい、今何つった」

 ランチアの口から聞き捨てならない人名が飛び出た。

 (デイモン)・スペード。かつてイタリアにて古里家を巡って殺し合いを繰り広げ、喧嘩すれば敵無しの次郎長親分を強力な幻術で惑わし圧倒した因縁深き「ヌフフのナス太郎」。アレから随分と年月が流れたが、どうやら続いていた(・・・・・)ようだ。

(野郎……)

(デイモン)・スペード……アイツは……俺の全てを奪った男だっ……!!」

 悲痛な声を上げるランチアに、次郎長は事情を説明するよう促す。彼はそれに応じ、重々しげに話し出した。

 ランチアは元々北イタリアにあるマフィアの一員であり、北イタリア最強と呼ばれる用心棒でもあった。孤児だった自分を拾って育ててくれたボスやファミリーのメンバー達と楽しく過ごしており、時々ボスが引き取って来た孤児達の面倒を見ていたという。

「あの程度で北イタリア最強とか、拍子抜けも甚だしいなマフィア業界」

「オジキ、死体蹴りはやめたげてくだせェ」

 次郎長の死体蹴りに顔を引きつらせつつも、ランチアは話を続ける。

「俺はボスやファミリーへの恩義に報いるべく力を振るっていたが、事件が起きた。俺がカードをしにアジトに戻ると……ファミリーが全員殺されていたんだ……」

『!』

「俺は犯人への怒りに燃えた。だが、その後の調査で意外な犯人がわかった」

「意外な犯人……?」

「……俺だ、俺が()ったんだ……!」

『!?』

 次郎長を除いた溝鼠組一同は絶句した。意外すぎる犯人とは、ランチア自身だったのだ。

 だがそれが本当ならば、ランチアが下手人となると彼が最初に言っていた「(デイモン)・スペードに全てを奪われた」という発言と矛盾する。しかし彼が自分の過去を明かすのにわざわざウソを言う必要があるとも思えない。

 するとその矛盾を解消するかのように、次郎長は衝撃的な言葉を口にした。

「成程……マインドコントロールを施されたんだな? それもかなり強力な」

「ああ……俺は操られていたんだ……!!」

「んなっ――」

「そんな……!」

 次郎長の言葉に息を呑む子分達。

 ランチアは黒幕(デイモン)に操られた状態で大切なファミリーを皆殺しにしてしまい、しかも己が狂気に呑まれたと思い自殺を決意した罪の意識すら利用して心を奪い忠実な奴隷にされた。

 一同がデイモンのあまりにも非道な行いに憤りを感じる一方で、次郎長は頭を掻きながら溜め息を吐いた。

「……あの変態、オイラのこと相当根に持ってやがるな」

「……?」

「オジキさんのことを根に持ってるって……一体どういうことですか?」

「ああ……少し前にイタリアへ旅行に行った時にな」

 次郎長はイタリア旅行の一件を語り始める。

 気分転換で一人イタリアへ向かった次郎長は、宿泊先のホテルが突然起こった惨殺事件の調査でチェックインどころか利用すらできなくなってしまった。仕方なくホームステイさせてくれる親切な住人を探そうとしたところ、偶然にも古美術商の日本人一家・古里家に世話になることになった。

 だが古里家はシモンファミリーという規模は小さいが歴史の長いマフィアであり、その古里家を皆殺しにしようとデイモンが襲撃してきたのだ。次郎長は古里家への恩義に報いるべくデイモンと壮絶な戦闘を繰り広げ、劣勢に立たされ深手を負いつつもどうにか撤退させることに成功した。

「そんなことが……」

「どっちにしろ、あの場で野郎を仕留めるこたァできなかった。――すまねーなランチア、柄にもなくいらねーツケを押し付けちまったようだ」

「バカな……アレ(・・)と戦って生き延びたどころか撤退させたのか……!? 信じられん……」

 心身共に成す術も無く支配されたランチアは、デイモンと真っ向から戦って勝つことはできずとも撤退させた次郎長の凄まじさに言葉を失くす。

「で、でも、これでランチアさんが逆に殺されるなんてこと……」

「あり得るな。ましてや事の経緯を全部言っちまった以上はな。そこでだ、コイツは今回の件のケジメに繋がるんだが……」

 次郎長はランチアにとんでもない制裁を科した。

「お前を正式にこの次郎長の息子に迎えようと思う。要はマフィア辞めてヤクザになれってこった。それが今回の件のケジメだ」

『何ィィィ!?』

 まさかのランチア溝鼠組入門。

 一同は「何を考えているんだあの人は」とでも言いたげな顔で次郎長を見た。

「オジキ、それ制裁やないですやん!!」

「何だよ、不服か?」

「そらそうですわ!! 殺しに来た男を迎え入れて大丈夫なんですか!?」

 きょとんとした表情の次郎長に迫る勝男。敬慕する次郎長の身を案じてるからこそ、強く反対しているのだ。

 しかし次郎長は「やかましい」と一刀両断して理由を述べた。

「考えてみろ、指詰めるなり何なりして帰したところで何になる。少し経ちゃあ似たようなことが起こるのァ火を見るよりも明らか……下手すりゃもっと(きたね)ェマネしてくるぞ。だったらコイツをオイラの子分にした方が目が届くだろ?」

「うっ――」

「それにマフィア連中は掟に忠実だ。ランチアがヤクザに転身したとなれば、向こうの掟に縛られなくなる。マフィア界の情報が少ないオイラ達にとっちゃ、迎え入れた方がメリットの方が大きい。家光の野郎(バカ)はイマイチ信用できねーし」

 マフィア界の掟――〝沈黙の掟(オメルタ) 〟はマフィアの構成員ならば絶対に守らなければならない掟だ。しかし言い方を変えれば、マフィアをやめた者には必ず適用されるとは限らないとも解釈できる。ましてや守らねばならない組織の秘密が組織ごと消えた以上、バラしたところで何にもできない。

 それでも掟を破ったからには制裁を科すと言っても、マフィアは掟が通じない勢力と逐一問題起こすのは避けたがるはずだ。現に掟の番人たる〝復讐者(ヴィンディチェ)〟も、掟が通じない連中には次郎長の力を借りたりしていた。

「それ以前にここまで手ェ差し伸べといて、あの野郎(ボケナス)が関わってるからバイバイって極道どころか人間としてどうよ?」

「そ、それは確かに……」

「だろ? それにいらねーツケ押し付けた責任(ケツ)も持たねーと面子も立たねーんだよ」

 次郎長の言い分に勝男達は一理あると思ったのか、それ以上は何も言わなかった。

 もっとも、家父長主義的なヤクザ組織は親分が白と言えば白、黒と言えば黒なのだが。

「そういう訳だ。勝男、登、オイラァちと知り合いに用事ができたから世話係頼まァ」

「へ!?」

「あ、はい!」

 次郎長は立ち上がると、ランチアの肩に手を添えて口角を上げた。

「溝鼠組へようこそ、ランチア君」




そろそろ原作開始が近いので、ちょくちょくアンケートを実施します。

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