この日次郎長は、登を連れて上機嫌に町を歩いていた。
「今時の
「オジキさんに言われると照れるな……」
登の今の格好は、ノーカラーシャツとジョガーパンツの上に丈の長い羽織に袖を通し着こなしている。昔気質の極道らしく着物姿であることが多い溝鼠組において、和洋折衷の登はかなり異質な部類に見えるだろう。
そんな他愛もない会話でヤクザ二人は盛り上がる。
「今月はガッポリ儲けたなァ」
「今のご時世を考えると信じられませんよね」
ヤクザへの取り締まりが年々強化されゆく中で、他勢力に吸収合併されることも潰されることもなく、力を維持し独立を守り貫く溝鼠組。縄張りとする並盛町の特殊性もあるが、風当たりが強いヤクザ者にとってはあるべき姿でいられるのはありがたいことである。
シノギも上々だ。売春の斡旋や薬物取引に一切手を出さず、その上みかじめ料の徴収もせず数千万という金を得ている。それはつまり、資金源を封圧されることなく
「シノギで大事なのは大金を得られるかどうかじゃねェ。
「人の心、ですか」
「そうでい……恐喝なんて紛い物の人心掌握じゃなく、
持論を唱える次郎長に耳を傾ける登。
次郎長も子分達に負けずシノギを稼いでいる。民事介入を主軸とし、カタギから尚弥を筆頭とした町の有力者まで、幅広い階層の顧客を相手取っている。特に同業者が絡んだ
そして何より、次郎長は分を弁える。高額の料金請求はせず、あくまでも客が最大限払える額の金銭を要求するのだ。
「コップの水を飲むんじゃなく、コップから溢れた水を飲む……それが稼業人の心得だ。カタギに迷惑をかけるなってのァそういうこった。この言葉の意味を理解できりゃあ、おめーも立派な
(コップから溢れた水……)
「……それにしても、今日でおめーが組に入ってもう5年経つよな」
「!」
話は、登の溝鼠組入門の思い出となる。
「オイラと最初にあった時、憶えてるか?」
「今でも忘れてませんよ……」
泥水次郎長と幸平登の出会いは、5年前にまで遡る。
*
幸平登は極道とは無縁の一般家庭で生まれ育ったが、複雑な家庭事情を抱えていた。
父親がギャンブルに依存しているせいで借金を抱えていたため、いつも力なく微笑んでいた母親は夜逃げ。当然父親に返す気などサラサラなく、
そんな生活を暮らしている中で、登は次郎長に会った。きっかけはヤミ金業者達に捕まって恐喝された時、偶然その場を通りかかった次郎長がいきなり突撃してきたのだ。華奢な体格から放たれるモノとは思えない規格外の剛腕であっという間にのしていき、たった数十秒でヤミ金業者達は全滅した。たった一人の男の徹底的に鍛え上げられ研ぎ澄まされた暴力を前に、半端な彼らは血を流して失神するしかなかった。
登は次郎長に助けられたが、その力を前に恐れ
「ひっ……ご、ごめんなさい! もう二度と
鬼か悪魔の類でも見るような、怯えた眼差しで謝罪した。
登も並盛で生まれ育った人間だ、相手が〝大侠客の泥水次郎長〟であることも理解していた。彼が愛する
拳の行き場が自分に向かうかもしれないという恐怖心に駆られる中、次郎長は悠然と近づき「身寄りはあるのか」と訊いた。何を考えてるかわからないが、良くも悪くも素直な登は答えた。
「と、父さんは捕まって……母さんは、知らない……」
その言葉を聞いた次郎長は、登に手を差し伸べた。
――坊主、身寄りがねーならオイラが面倒見てやらァ。オイラの脛をかじって出ていくのも、オイラの子として孝行するのもおめーの自由だ。
人の記憶とはいい加減なモノだ。まだ5年程しか経っていないのに、かつての同級生の顔も、実の両親の顔すらも今ではすっかり薄れてしまっている。
それでも、初めて次郎長と出会った時は鮮明に憶えていた。何十年経っても忘れない、立ち塞がる障壁を全て破壊してしまうような怪物極道の、子供のような純粋な笑顔を。
この人なら信じられる。自分を変え、幸せにしてくれるのかもしれない。世間のはみ出し者に淡い期待を抱いて、彼は溝鼠組に入門し盃を交わした。
血は繋がってなくても、この男は自分を慈しみ護り、そして導いてくれるだろう。たとえ自分も世間のはみ出し者として蔑まれても、次郎長だけは――
*
「オジキさんのおかげです、こうして生きていられるのは」
「バイトしてたくせにオイラの金パクっていけしゃあしゃあと学校外活動費払ってたけどな」
「!? な、何でそれ……」
「子分の隠し事の一つや二つは見抜けなきゃ親分廃業しなきゃならねーだろ?」
シリアスな場面を一撃で粉砕した次郎長に、登は真っ青になる。
そう、登は次郎長の目を盗み学校外活動費を彼のポケットマネーで支払っていたのだ。今まで追及されるどころか話題にすらならなかったので登はずっと隠してきたのだが、実は次郎長にはすでにバレていたようだ。
「まあバイトで稼いだ金を上納金として収めてたし
「は、はい……」
次郎長の拳骨の威力を知る登は震え上がる。
剛腕から放たれる殺人的なパワーを秘めた拳では、登など漫画のように吹っ飛ばされてしまうだろう。
「ハッハッハ、心配すんな。おめーがそういう
愉快そうに笑う次郎長に、登は「お人が悪いですよ」と困った笑みを浮かべ安堵する。
業界の内外から恐れられ続けている溝鼠組の組長でありながら、理屈や損得勘定にこだわらず権力を追求しない、己が定めた
親分の支配や集団の一体性を乱す行為が起きやすいのが極道組織というものだが、次郎長のこういう人柄が溝鼠組に鉄の一体性をもたらすのだろう。
「さて、今日は
そう呟いた途端、次郎長は歩みを止めて目を細めた。怪訝に思った登だが、次郎長の視線の先を見て目を見開いた。
眼前に立ち塞がるのは、柄の悪い男達。金属バットや木刀、日本刀など多様な得物を手にしており、次郎長に対する殺意が嫌でもわかる程に殺気立っていた。
(あの目……間違いなくオジキさんを狙ってる……!)
どこの勢力の者達かはともかく、次郎長の狙う刺客であるのは間違いない。
疑似血縁制度を基軸とする極道組織である以上、〝親孝行〟として上納金を納め抗争では親の為に命を張るのが若衆の務め――登は次郎長の子分の一人として、常に隠し持っている得物の
「お前は周りの人間の避難を優先しろ。連中の狙いはオイラ一人でい」
「でも……」
「子を護るのも親の務めってもんでい。それに
悠然と前へ出る次郎長に、登は住民にその場から遠ざかるよう呼びかける。
それと共に、男達の口から出た怨嗟にも似た言葉が一斉に次郎長に向けられた。
「次郎長……てめーに組を潰された恨み、ここで晴らす!!」
「てめーさえ、てめーさえいなけりゃ……!!」
「お前ら溝鼠組のせいで……!!」
「てめーだけは何度殺しても足りねェ!! 許さねーからな!!」
圧倒的強者に対する憎悪と、その裏に見え隠れする恐怖心。
並盛の王者の怒りに触れて組を潰された半端者達は、よってたかって復讐に来た。組ごと巻き込んだ抗争では勝ち目が無いと判断し、全戦力で次郎長一人を殺しに来たのだろう。
次郎長は怒りと憎しみに満ちた視線を、バカバカしいと言わんばかりに鼻で笑った。
「……ハッ、反吐が出るぜ。裏社会は弱肉強食だ、強さなくして
「っ……ざけんなーーーー!!」
「死ねェ!!
次郎長に煽られて激情に駆られた巨漢二人が、長ドスを手に斬りかかる。
冷静さを欠いた敵は、どんなに強力な武器を手にしていても思いの外倒しやすいモノだ。次郎長は何の躊躇も無く手を伸ばした。
「成程……極道の風上に置けねーチンピラ共のリベンジマッチって訳か!!」
襲い掛かってきた巨漢二人の顔を掴み、地面にヒビが入る程の威力で沈める次郎長。相変わらずどころか人外ぶりに拍車がかかった剛腕に、男達は改めてとんでもない化け物に喧嘩を売ったのだと思い知る。
一方の次郎長は……
「面白い……敗北者共が半グレとタッグを組んで泥水次郎長の
日本の裏の世界で〝ならず者の王〟と恐れられている最強のヤクザ者は、徒党を組んだ半端者達の最後の反撃に悠然と構える。大侠客次郎長親分は、子分の力を頼らずたった一人で迎え撃つ腹積もりだ。
「……どうした、オイラの
次郎長は得物を構えている男達が体を震わせていることに気づいた。圧倒的強者に対する本能的な恐れ……口では何とでも言えても、彼らの体は絶対に勝てない相手だということに気づいてしまっている。
腕っ節も覚悟も半端な相手など恐れるに足らない――次郎長はニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
「来ねーならこっちから行くぞ」
闘争本能と殺気を剥き出しに近づく修羅に、男達は金縛りにあったように動けなくなった。額には汗を、瞳には恐怖を浮かばせた彼らに、手を出しても出されてもいないのに次郎長への復讐心はへし折られかけていた。
まさに、蛇に睨まれた蛙のごとく。完全に気を持っていかれた刺客達の無様を通り越した哀れな姿に、登は驚きを隠せない。
「裏社会は負けりゃあ命まで取られても致し方なし。覚悟はできて――っ……!?」
その直後、ふと次郎長はなぜか
(……オジキさん?)
「クフフ……やっと会えました」
「!?」
緊迫する中に響く独特な笑い声。
声のした方向へ目を向けると、右目は赤、左目は青のオッドアイの少年が表情を綻ばせていた。その手には身の丈を超える鉄の棒が握られており、棒術を心得ていることが伺える。
「おめェ……骸か?」
「ええ……お久しぶりですね」
「オジキさん、知り合いで……?」
「六道骸……6年前のイタリア旅行で知り合った身寄りのねーガキだ」
少年・六道骸が6年前にイタリアで出会った顔見知りだとわかり、登は驚きを隠せない。
対する次郎長は、自分の命を狙ってきた男達をそっちのけで骸と軽く挨拶する。
「来てるなら来てるって連絡すりゃあいいものを」
「並盛という町にいるのは把握できましたが、多忙なもので。ですがこうして手間を省けた」
「連れの二人はどうしてェ? 漬物石みてーなウンコでもしにいったか」
「親分、あなたの辞書に自重という言葉はありますか?」
ニヤニヤ笑いながら品の無い言葉を放った次郎長に、骸は素でツッコミを炸裂。その様子は血縁が本当にあるのではと錯覚するような親密ぶりで、ツナとの関係を彷彿させた。
しかし、次郎長に無視されて黙っていない連中がいた。件の男達だ。
「て、てめーら!! 無視してんじゃねェ!!」
「クソが……ぜ、全員
骸ごと次郎長を葬ることにしたのか、一斉に襲い掛かった。次郎長は一切臆することなく、むしろ余裕に満ちた態度で腰に差した刀の柄を握る。
――が、次郎長よりも先に骸が動いた。彼は男達の間を駆け抜けた瞬間、彼等の体中に切り傷が刻まれ血が飛び散った。
『ぎゃああああああ!!』
「おや……? どうかしましたか」
「……すれ違いざまの連続攻撃、か。想像以上に
「ほう、
次郎長の洞察力に、骸は感心する。
(得物は棒……高速で振った時に生じた鎌鼬で切ったか? それにあの右目……「六」から「四」になってらァ)
骸の攻撃を見抜いた次郎長は、彼の右目が鈍く光っているのに気づいた。よく見れば瞳の中に映っていた六の字はいつの間にか「四」に変わっており、右目自体も紫の炎が揺らいでいる。
しかしそれも一瞬の内。瞬きした途端に炎は消え瞳も六の字に戻った。
「……その右目の能力か」
「クフフフ」
(どうもあのボケナスに似てて困る……)
独特な笑い方があの
次郎長は笑みを浮かべ、腰に差していた刀を登へと放り投げ預からせて拳を鳴らした。
「共闘と行こうぜ、骸。話はそれからでい」
「無論、ですよ」
言葉は武力に変わり、暴力となる。
次郎長と骸は男達に襲い掛かり、彼らの体と心をズタズタに破壊し始めた。
数分後、次郎長と骸の周囲には血塗れの姿で返り討ちにされた男達が地面に倒れていた。二人の圧倒的な力を前に成す術も無く、復讐劇は呆気なく幕を下ろしたようだ。
そもそも地力が桁外れの差があったのが運のツキだ。その証拠に、数十人の武装した男達を相手取ったのにもかかわらず、二人は全くの無傷で余力を十二分に残している。
「オイラ達のステージには及ばねーが、強くなったじゃねーか。
「6年も経ってるんでしょう? 成長してるに決まってるじゃないですか」
「
登の至極もっともな意見に、次郎長は不敵に笑いながら肯定する。しかしその顔はどこか困惑しているようでもあり、本来は再会を喜ぶべきはずなのだが少し参っているようにも見える。
「んなことより骸、おめーそれ……黒曜の制服だろ?」
「ええ、黒曜中のこの制服がいいので。何か問題でも?」
「部外者同士の乱闘になると〝アイツら〟がうるせーんだよ」
「〝アイツら〟……?」
次郎長は並盛のパワーバランスについて語った。
並盛町は泥水次郎長率いる溝鼠組が町一帯の裏社会を牛耳り、雲雀家の現当主である雲雀尚弥率いる風紀委員会が町全体の警察機構として秩序の維持を担っている。町の有力者は他にも何名かいるが、とりあえず裏のトップが次郎長で表のトップが尚弥といったところだ。
次郎長と尚弥――二人の傑物は町を護らんとする志を共有する〝同志〟である。持ちつ持たれつの関係を続けて互いに町の守護者となり、並盛の住民達を護り続けてきた。しかしそのやり方は大きく異なり、次郎長が仁義を重んじた統治を敷くのであれば、尚弥は力による恐怖政治である。最近では尚弥が並盛町の町長に就任する話が持ち上がり、さらに巨大な力を手に入れることになるので、正直な話厄介なのはヤクザの次郎長よりもカタギの尚弥ということである。
尚弥は次郎長と同様に並盛に手を出す人間には容赦しないが、これがかなりえげつない。次郎長は圧倒的な武力で相手を組織ごと叩き潰して団体消滅に追い込むが、尚弥の場合は武力制圧に加えて権力を用いて社会的制裁――尚弥の独断が多い――を課し、迫害のレベルで一兵卒に至るまで生かさず殺さずをモットーに締め上げる。〝鬼雲雀〟と呼ばれ恐れられるのは、この飼い殺しのように相手の力を搾取することにもあるのは次郎長以外誰も知らない。
「……こんなどこにでもありそうな地方都市が」
「それがこの
「こちらこそ。僕は六道骸です」
登とも軽く挨拶をする骸。
すると次郎長が「随分と早かったじゃねーか」と言って振り向いた。視線の先にはリボーンがおり、どうやら騒動を聞きつけて様子を見に来たようだ。
「リボーン君……」
「おや、呪われた赤ん坊のアルコバレーノではないですか」
リボーンのそれは、殺し屋としての殺気。
次郎長一人に向けられてるが、異様な気配を察知した骸は身構える。
「次郎長、おめーは何が目的だ」
「何でい、藪から棒に」
「とぼけるな、六道骸はマフィア狩りで恐れられてる男だゾ。マフィア界で有名な危険人物と仲良しなんざ、冗談じゃねェ」
六道骸は、マフィア界にとっては恐るべき存在である。掟の番人である〝
そんな輩と繋がっているとなれば、業界は違えど怪しまれるのは当然だ。ましてや次郎長はツナの件でボンゴレ側と対立しており、全面戦争も辞さない覚悟。先日の戦闘でその実力を把握しているリボーンにとって、次郎長は同じ業界の敵対勢力よりも脅威に見えるのだ。
「……オイラが何をどうしようが勝手だ。わざわざ
「…………俺達が、ボンゴレが許せないのか」
その一言で、その場がまるで時が止まったかのように静まり返る。
リボーンの問いに次郎長は答えず、踵を返して骸の肩をポンポンと優しく叩く。
「――話はまた今度ゆっくり聞くとすらァ。おめーもそうだろ?」
「……ええ、日本に来てまだ準備が整っていないので。それでは、
次郎長は登を連れて帰路へ着き、骸はリボーンを一瞥してから姿を消した。
その場に残されたリボーンは帽子を深く被り直し、真剣な表情を浮かべるのだった。