溝鼠組の屋敷にて。
「291……292……293……!」
並盛最強として君臨する男は、類稀なる戦闘勘と身体能力を持つが、その能力を底上げするのは日々の鍛錬である。華奢な体格に反した規格外の強さを維持するには、強さに見合った鍛錬が求められるのだ。
町一帯を仕切る極道の若き組長である彼は、世間一般が思う組長とは少し違う。元々一般家庭の出から組織を立ち上げた男であり、豪邸を構え豪奢な生活を送るというよりも日本家屋の中での穏やかな生活を好む。上納金を組織の運営費や活動資金に充てるという点では他の組織の首領と共通しているが、やはり生い立ちが生い立ちなのか、カネの使い方は割とケチな方だったりする。
「298……299……300!!」
スクワット300回を終え、蛇鋼球を下ろして汗を拭う。
浅黒い肉体は無数の傷が刻まれており、くぐり抜けた修羅場の数と対峙した敵の強さを物語っていた。
その時、子分の一人が鍛錬を終えた次郎長の元へ現れた。
「オジキ! 失礼しやす!」
「何だ、これから風呂入ってスッキリしてーんだが」
「オジキ、隣町のガキ共が来やしたぜ」
「……! わかった、通せ」
次郎長の返事に子分は頭を下げると、隣町のガキ共――六道骸とその仲間を連れてきた。
「クフフ……こちらから来るのは久しぶりですね」
「お連れも一緒に来たのは賢明だな。――とりあえず知りてーのァ、お前の隣の女子についてなんだが」
「それは後々話します」
城島と千種を差し置いて次郎長の視界に飛び込んだのは、骸と似通った容姿の少女。
しかし醸し出す雰囲気は、父親に挨拶に来た新婚夫婦か何か。
どうもそれなりの事情があるようだが、次郎長はひとまず――
「先風呂入らせてくれ。汗くせー三十路過ぎは御免だろ」
ひとっ風呂浴びた次郎長は、改めて骸達と会合した。
ちなみに緑茶と和菓子オンリーである。
「洋菓子は無いのですか」
「他人様の家に上がって文句言うなら
ボヤいた骸の頭を愛刀の鞘で叩く次郎長。
その地味な痛さに、骸は悶絶した。
「で、そこの骸二号は誰だ」
「……クローム。クローム髑髏」
次郎長に骸二号と呼ばれた少女――クローム髑髏は名乗る。
しかし彼としては本名を訊いていたので、改めて尋ねると小さな声で「……
「んな骸のアナグラムで名乗らずともいいだろうに」
「でもおじさま……骸様が与えてくれたから……」
「おじさまって、オイラが?」
「骸様の恩人だから……」
次郎長を「おじさま」と呼ぶのは、彼女なりの敬意らしい。
ツナからおじさん呼ばわりされてるため抵抗感はないが、少女におじさまと呼ばれるのは多少こそばゆく感じてしまう。
「まあ、オイラは凪と呼ぶわ。そっちの方が個人的にしっくりくる。よろしくな」
「……よろしく、お願いします」
「……で、凪との馴れ初め聞かせてもらおうか」
「僕らは新婚夫婦じゃないんですけど!!」
次郎長にキレのいいツッコミを炸裂させた後、骸は語った。
凪もといクロームとの出会いは、骸がかつて次郎長に対して行った精神世界への干渉の最中。当時のクロームは家族や他人との関係が希薄で、事故に遭って右目と内臓を失ってしまう重症を負っていたにもかかわらず両親にそのまま見捨てられていた身――そんな彼女と精神世界で会話する最中で、強制的な憑依や洗脳の必要なく精神の器になれる特異体質であることを悟り、幻覚でクロームの内臓を補い助けたという。
「ただ失われた内臓は、強い攻撃を受け戦闘不能になったり幻術の核である槍を破壊されると解除されてしまうので――」
「てめー何やってんだ。ああ?」
グリグリグリグリグリグリ
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「む、骸様……」
「凪。あの人、敵に回したら終わりだからね」
「骸しゃん……」
次郎長に頭をグリグリ攻撃される骸を、何とも言えない眼差しで見守る三人。
鍛え抜いた肉体から繰り出されるそれは言語に絶する痛みで、柄にもなく涙目で制止を訴えている骸は実にシュールだ。
「お前指詰めてーの? 拾ったんならちゃんと治療代出せよ。おめー頭いいだろーが。世の中金にキレイも汚いもありゃしねーよ」
「で、ですが僕達は保険が……!」
「おじさま、それ以上傷つけないで……!」
骸の保険関係の事情とクロームの説得に、次郎長は渋々グリグリ攻撃をやめた。
「あ、頭が割れるかと……」
「仕送りしてるとはいえ、おめーらは自立できるから生活費と授業料だけ負担したってのに……何を学生ぶってんだてめェ」
次郎長の呟きに返す言葉も無いのか、クローム以外は一斉に目を逸らした。
ツナと違い、骸達は若年ながらもバリバリの裏社会の住人だ。
「……わかった。治療代はオイラがやっから、おめーは凪をしっかり育てろ。オイラよりも骸の方がいいんだろ?」
「――はいっ!」
(今の返事……内気な奴だと思ってたが、芯は太いんだな)
多くの人間を見てきた次郎長は、クロームの力強い返事に彼女の性格を垣間見た。
「……そうだ、骸。さっき治療代のこと言ったが」
「?」
「その見返りに今、オイラの修行に付き合ってくれねーかい」
*
その日の夜。
「あ~~……何か体が
夜の並盛を歩く次郎長は、どこかダルそうに母校の並中へ向かっていた。
優れた術師である骸の幻術を長時間見るという「精神的鍛錬」をした次郎長は、頭痛に悩まされていた。というのも、脳に直接作用する幻覚は、慣れもしない状態で立て続けに食らうと頭痛や吐き気といった「幻覚汚染」に襲われる。
その幻覚汚染に次郎長は見事にかかったわけなのだが、そこは並盛最強と謳われる男――その度合いは規格外で、本人はダルい様子だが実際は骸の本気の幻術を見せられており、本来なら意識不明の重体に陥ってもおかしくないレベルなのだ。それほどの幻術を見せられてなお倦怠感で済ました次郎長は、さすがと言えよう。ちなみに骸曰く「僕の本気の幻術をあんなに見せられて耐え切るなんて、彼人間やめてますよ」とのこと。
そんな次郎長の今の衣装は……なぜか学ラン姿だった。
「迂闊だったな……着物が替えも全部乾ききってねーたァ」
なぜ学ラン姿なのかというのは、至極単純な話――着れる状況でなかったからだ。
次郎長にとって着物は、個人的に気に入っているのも一因だが極道の風格を見せつける重要アイテムの一面があるため、外出時は欠かせない。愛用している黒地の着流しはいくつか替えがあり、それを毎日着替えているのだが、ここ最近の妨害行為が想像以上に汚れやすくなったため、染み抜きが間に合わなかったのだ。そこで仕方なく、自室に仕舞っていた中学生時代の学ラン一式を着て並中へ向かったのだ。
とはいえ、約二十年ぶりの学ラン。高校卒業後は極道一家を仕切るようになり、洋服より和服を着る頻度の方が圧倒的に増えた。感覚としては余裕のある着物と違ってピチピチ感が否めない。
「並中はどうなってんだか……ん?」
校門を通ると、目の前には黒い男達が倒れ伏していた。
文字通りの死屍累々だ。
「……恭弥の奴、ご立腹だな」
次郎長は察した。
おそらく、理由はどうであれ自分よりも先に恭弥が並中に入り、
「アイツはヤクザもカタギもお構いなしだからな……」
次郎長は校舎の外壁に近づくと、そのまま真上に跳んだ。
「ねえ、君達。僕の並中で何してるの」
同時刻。
校舎三階全域を使った「嵐のリング戦」終了後、並中の絶対的支配者・雲雀恭弥が乱入し、一触即発の状況になっていた。
「校内への不法侵入及び校舎の破損。連帯責任でここにいる全員咬み殺す」
「この人校舎壊されたことに怒ってるだけだ!」
――ダンダン! ガンッ!
「ほいっと! ……何だ、取り込み中か?」
その時、割れた窓の枠に誰かが乗り、一同は注目した。
学ランで身を包み、刀を片手に携えた浅黒い男……並中時代の制服を身に纏った次郎長だ。
「おじさん、何で学ランなの!?」
「着物の替えが無かったんだからしゃーねーだろ。……それに並中は、奈々と初めて出会った場所だしな」
その言葉に、ツナはハッとした。
――そうだ。この校舎で母さんとおじさんは出会ったんだ。
当時の次郎長……吉田辰巳は〝バラガキ〟であり、その規格外の強さゆえに中一の時点で「
並中は、次郎長の運命を大きく変えた人間と出会った場所なのだ。そういう意味では、次郎長が並中に愛着を持つのは必然と言えよう。
だが、それ以前に言いたいことが。
「って、待って待って! おじさん窓から来たよね!? どうやって!?」
「どうやってって……跳んで外壁登っただけだぜ」
「マジか、ここ三階だぜ……?」
「極限素晴らしい身体能力だ!!」
顔を引きつらせる山本と興奮する了平に、次郎長は「昔やってたダイナミック入校だ」と語る。
当然校則違反だが、当時から暴れん坊の次郎長を止められる人間が皆無に等しかったため、誰も注意できなかったのは言うまでもない。
「その制服……並中がまだ学ランを支給していた頃のだね」
「それがどうした?」
次郎長が並盛中学校の制服を着ていることに、恭弥は微笑んだ。
彼が並盛を心から愛し、並中への想いが消えてないことを確認できたからだろうか。
「……じゃあ次郎長。このまま〝決闘〟だ」
「いきなり場外乱闘かよ!?」
「何でおじさんからなのぉーー!?」
まさかの斜め上な展開にツナは頭を抱え、リボーン達やヴァリアーも思わず困惑する。
非常に好戦的な性格である恭弥は、圧倒的強者である次郎長に対し強いこだわりを持つ。幾度となく決闘を仕掛けたが、その度に次郎長に打ち負かされてきたからである。一矢報いることもあるが、それでも次郎長の地力に叩きのめされてしまうため、恭弥にとって次郎長は「超えるべき強者」として一方的にライバル視していたりする。
凶暴なれど冷静な恭弥は次郎長の前では、負けっぱなしでいられないというプライドと、並盛最強と称される男を倒したいという戦闘欲を剥き出しにするのだ。
「咬み殺す!!」
「……懲りねー奴だな」
恭弥は満面の笑みで次郎長に襲い掛かるが……。
「オジキの首取ろうなんざ百年早いでェェェェェェェェェ!!」
ズドゴォ!
「ぎゃああああっ!?」
次郎長が無茶をしないか心配で後を追ってきた勝男が乱入。
跳び膝蹴りを見舞ったが、恭弥はあっさりと躱してしまい、不幸にも傍にいたレヴィに直撃。キレイに窓をくぐってそのまま三階から落ちてしまった。
『…………』
これにはツナ達も唖然とし、恭弥もきょとんとした顔を浮かべていた。
「アカン、うっかりどうでもええ奴蹴ってもうた」
「気にすんな、ありゃあ避けねェアイツがいけねェ」
「ワオ……相変わらずの〝暴君〟だね、黒駒勝男」
(あなたにだけは言われたくないと思いますけど!!)
窓から落ちたレヴィを一切気遣わない二人に加え、ブーメラン発言をかます恭弥。
並盛に来てから不憫な目に遭ってるレヴィに、同情すらしてしまう。
「っつーか勝男、オイラァおめー呼んだ憶えねーんだが」
「すまんのう、オジキ。煙草買いに行ってたらあんまりにもうるさいもんで」
含み笑いを浮かべる勝男に、次郎長は「そういうことにしといてやるよ」と微笑んだ。
「う゛お゛お゛ぃ!!
スクアーロは額に青筋を浮かべ、次郎長に斬りかかった。来日してから次郎長にコケにされまくっているヴァリアーだ、これ以上次郎長に辛酸を嘗められては面子が立たないのだろう。
突然の凶行にツナ達は驚くが、スクアーロの動きを大胆にも真っ正面から勝男が制止させた。
――ビュッ
「っ!」
「そううまく行かんで世の中」
咥え楊枝を右目に刺さるまであと数センチのところで突きつけられ、牽制されたスクアーロは舌打ちする。
すると勝男の懐から電子音が鳴った。携帯電話だ。
「ん? メールかいな……………あーーーーーっ!?」
「……?」
「オジキ! 見てみいこれ!!」
勝男は携帯電話の画面を次郎長に見せた。
それはメールの文面だが、内容を理解した次郎長は驚愕の表情を浮かべた。
「……! マジか?」
「〝
この時ツナ達とヴァリアー、チェルベッロ機関からは見えなかったが、メールに書いてあったのはボンゴレ9代目が行方不明であるという情報だった。
その衝撃の事実が発覚したことにより、次郎長は確信した。
(ってなると、あのモスカの中身はクソジジイだな)
ヴァリアーの守護者として、なぜかカウントされていたモスカ。最初は数合わせかと思ったが、ピラ子が仕留めた別の個体を源外が分解した際、〝死ぬ気の炎〟が動力源である可能性が示唆された。
このタイミングでボンゴレ現当主の失踪となれば、モスカの動力源にされたと勘繰って当然。その意味を考えれば、
(ツナを悪役に陥れてからの敵討ちか。ツナの性格を読んでやがらァ。だが……)
――こっちとしちゃ好都合だ、バーカ。
次郎長は
(オイラ達の狙いまでは読めなかったか。オイラと尚弥の狙いは
次郎長と尚弥は、誰よりも並盛を好いている。
自分の縄張りを、生まれた町を土足で踏み荒らす外敵を許すつもりなど毛頭ない。今回の一件でボンゴレファミリーに対する怒りは凄まじく、そこまでの接点や因縁の無い尚弥も心の内で激昂している。
事態収束と己自身の怒りを鎮めるため、二人は水面下で「9代目の身柄を拘束し、それを利用した上層部との交渉を行う」ことを目論んでいた。この計画は双方共に一部の人間にしか知らされていない。その計画に一枚噛んでるのが、勝男である。
「オジキ、ここは……」
「……だな。おい、校舎の破損はどうするつもりでい」
「我々チェルベッロが責任を持って直します」
「完璧に直せよ。でねーとオイラとタメを張る
そうなったらオイラでも止められねェ、と念を押すように忠告する次郎長。
顔を見合わせたチェルベッロ機関は「了解しました」と頭を下げた。
「……気が変わった。今回はこれで手ェ引いてやる。――勝男」
「へい!」
あっさりと手を引いた次郎長は、勝男を連れて去った。
それに続くように、「気が変わった」と恭弥も去っていった。
「……スクアーロ、レヴィをあとで回収しないと」
「ほっとけ。自力で戻ってくるだろぉ」
(何だろう、この台風が通り過ぎた後みたいな感じ……)
――これ本当に、終わったらいつもの日常に戻れるのかな?
なぜか無性に悲しくなったツナだった。