結月くんが女装する展開っていいよねっていう話
自分の全身を映せるほどの大きな姿見の前に立つ。少し短めのスカートの裾が揺れ薄紫色の結わえた髪をいじり、鏡に向き合う。そこには絶世の美少女の姿があった。いや、ちょっと言いすぎたかもしれない。それでもアイドルを志せるくらいには可愛らしい容姿の少女だった。というか俺だった。
「これが、俺……いや、私」
初めは冗談のつもりだった。華奢な体つきに中性的な顔立ち故に、女の子に間違われることが多かった俺はいっそのこと完璧な女の子になってみるか、とふざけ半分で女装をしてみたのがきっかけだった。文化祭で使ったウィッグを被り、これまた文化祭で使い後処理を押し付けられたスカートにパーカーを羽織ればあら不思議、予想以上の仕上がりとなった。
「これはなかなか似合って……いますね」
この姿では粗暴な口調は合わず、ついおしとやかになってしまう。もともと女の子に間違わないよう反抗のための粗暴な口調だったのだが、今の口調がしっくりくる。スカートを少し持ち上げると、当然のように鏡に映った美少女もスカートを捲っているため、慌てて離す。
「なんだか、イケナイ趣味に目覚めてしまいそうですね」
既に女装だけでもグレーゾーンだが、そこには気づかないふりをする。そもそも可愛い容姿で生まれてしまったからしょうがないのだ。自己弁護ともつかない言い訳を終えると、改めてその顔をじっと見つめる。
「すっぴんでこれなら、メイクしたらパーフェクトな美少女に……? あ、メイク道具持ってませんでしたね」
正直すっぴんでも違和感はないが、見てみたい。もはや女装にはまってしまっているのは言い逃れもできない事実だが、誰にも迷惑をかけていないのだからまぁいいだろう。とりあえず、メイク道具を買って化粧の仕方でも覚えるか、とウィッグに手をかけたところではたと思い至る。
「さすがに男がメイク道具を買いに行ったらまずいですかね……」
化粧は男子禁制、という風潮も薄れつつあるが男一人で化粧品売り場に立つというのは外聞が悪いのも事実。というか高校の同級生に見られたら軽く死ねる。もっとも、絶賛ぼっちなので顔は知られていないとは思うがそれでも知られたくはない。そして鏡を見る。
「まごうことなき美少女……この姿のままなら問題ないのでは?」
女装のまま外出はかなりハードルが高いが、普段の自分の容姿とかけ離れ過ぎて別人のようにも思える女装姿なら、仮に見られたとしても俺だとバレないのではないか?なんならこの姿を不特定多数の誰かに見てもらいたいという仄暗い願望もある。
「では、行きますか……念のためパーカーは被っていきましょう」
外に出ると熱い日差しが照り付けるが、スカートのおかげで涼しく感じる。というか内ももがスースーする感覚が妙に落ち着かない。中身は当然のごとく男物のパンツなので捲れたらアウトである。
「これは、少し早まりましたかね。いえ、まぁ今回は今の姿に慣れるのが目的みたいなとこありますし、最悪の場合通販でコスメを揃えるという手もありますから、気楽にいきましょうか」
そう思うと気分がいくらか楽になる。しかし、道行く人たちからの視線を感じる。まぁちょっぴり野暮ったい格好をしている美少女に、ワンチャンあるかもと期待してついつい視線を向けてしまう男性がいるのはまだ理解ができる。しかし、女性にまで視線を向けられているのは何故だろうか。もしかして今の格好は女性的にはアウトだったのだろうか……服も買わないといけないのだろうか。
そんなことを考えていると、路地裏の方から声が聞こえてくる。
「あの、やめて下さい」
「いーじゃんいーじゃん! ぜってぇ退屈させないからさ! いい店知ってるって俺!」
嫌がる女の子にチャラそうなオトコがナンパをしている。というか女の子の方はクラスメイトである弦巻マキだった。明るい金色の髪にスタイルのいい体。そして、明るい性格の美少女であるためトップカーストに位置する少女である。そんな彼女がしつこいナンパに嫌がり、どこか怯えている。
「本当に困ります。それ以上近づかないでください!」
「だいじょーぶだって! あ、なんならお互いの友達呼んでパーティーしようぜパーティー!」
明確な拒絶を示しているのに一歩も引かない男。今あそこに割って入っていく勇気もないし、クラスメイトに自分が女装しているとバレても困る。彼女には悪いが見なかったことにしよう。幸い、男の方も直接触るなどの手荒な真似はしていないようだし。
「嫌っ、助けて!」
「だーかーらー、行けば気も変わる……って……?」
「彼女、嫌がってますから。やめていただけませんか」
彼女の前に庇うように立ち、手を伸ばした男の手を掴む。2人とも驚いたように目を見開いているが、すぐに気を取り直したのか、声を上げる。
「おー? なになに君が相手してくれんの? あ、なんなら2人一緒に」
「警察呼びますね」
「おたっしゃでー!」
110を入力したスマートフォンの画面を見せると手のひらを返して男は逃げていく。なんだろう、この何となく締まらない終わりは。まぁ丸く収まったならなんでもいいか。
「あ、あの……」
「災難でしたね、それでは私はここで」
「ま、待って!」
なるべく視線を合わせないようにしてパーカーで顔を隠しつつ、早々に立ち去ろうとするが腕を掴まれてしまう。
「助けてくれてありがとうございました。私、男の人が苦手で、どうしていいかわからなくなっちゃって」
よく見ると体が震えていて、余程怖かったらしい。そういえば教室でも女の子と常に一緒にいて、男と話している姿はあまり見ない気がする。そんな子の手を振り払うのはさすがに酷だろう。
「あの、名前。教えてもらえませんか?」
「えっ、あー。名前、名前ね。えーっと……ゆ」
「ゆ?」
危うく苗字の結月と言いかけてすんでのところで堪える。今のは迂闊だった、期待するようにこちらを見る弦巻さんの視線を受けながら、脳をフル回転させる。
「ゆ、ゆかりです」
「ゆかりさん……私弦巻マキって言います! マキって呼んでください!」
咄嗟の嘘にしては上出来な名前になった。というか弦巻さんが思いのほかグイグイくる。女の子同士の距離感ってこんなものなのだろうか?
「では、マキさんと」
「はい! それで、もしよかったらお礼をしたいんですけど」
「いえ、お気持ちだけ受け取っておきます。私も用事があるのでこれで失礼しますね」
これ以上一緒にいるとボロが出そうだし、距離を詰めてくる弦巻さんからいい匂いがしてクラクラするので退散しようとする。
「また! ……会えますか?」
「……えぇ、きっと」
おそらくもう会う機会はないだろう。それでも彼女の期待に応えるために優しい嘘をついた。最後まで頬を赤らめた顔でこちらを見ていた彼女に背を向け歩き出す。
「はぁ、疲れました……ろくに買い物できませんでしたが今日のところは帰りますか」
家を出てから大して時間が経っていないのにドッと疲れが出た。やはり慣れないことをするべきではない。……しかし、何故私は弦巻さんを庇ったのだろう。面倒事だし、メリットなんて一切ないのに。
「……」
ただ、あの時の弦巻さんの泣きそうな顔を見てなんとなく、彼女が悲しむのは嫌だと思ったのだ。
そんな柄にもないことをした翌日の月曜日。退屈な授業を終えた昼休みになると、運動をしに行く人、学食へ行く人が多く、教室には十数人しか残っていない。教室の端、後ろから二番目という目立たないポジションに座る俺は、早々に昼食を食べ終わると机に突っ伏して目をつむる。別に寝るわけではないが、することもないのでただの暇つぶしだ。
「マキちゃん! 例の助けてくれた王子様とは連絡先交換しなかったん?」
「王子さまって……可愛い女の子だよ。それに急いでたみたいだったから聞けなかったんだ」
「かぁ~これが男だったら運命の人だったのにねぇ!」
惣菜パンを抱えながらクラスのトップカーストに位置する女子集団が学食帰ってきた。もちろんその中心にいるのは弦巻マキである。横目でちらりと様子をうかがうと、昨日のことがトラウマになっていないようで安心した。だがしかし、話している内容は俺、もとい「ゆかり」のことだろうか。
「う~ん、女の子でも運命の人になると思うけど……」
「えっ、マキちゃんってそっち系?」
「いや、変な意味じゃないよ! 友達! 友達になれるかなって!」
きゃいきゃいと盛り上がる彼女たちをよそにこちらのテンションはダダ下がりである。残念ながら「ゆかり」は自宅限定公開なのでお友達にはなれませんよ、と心の中で呟くと一人教室を後にする。さすがにあの空気の中で寝たふりが出来るほど図太くはない。さて、昼休みが終わるまでどこで時間を潰そうか、と悩みながら人通りのない廊下を歩いていると、後ろから声をかけられる。
「あの、結月くん……だよね?」
「っ!」
その声に体が固まり、錆びたブリキのロボットのように首をゆっくりと回す。そこにはこちらをまっすぐ見つめる弦巻マキの姿があった。
「……あぁ、うん。そうだけど何か用?」
「結月くんに聞きたいことがあって」
冷静を装ってはいるが冷や汗が止まらない。まさか、バレたか? いやあり得ない。今は目を覆うまで長く伸ばした前髪で顔は分からないし、声だって当然「ゆかり」とは違って低い。もしや別の要件か?いや、それならば教室で話しかけるだろう。こんな人気のない廊下まで追いかけてきて、改まって話すようなことじゃない。
「あのさ、結月くんって……」
どうする? なんて言って誤魔化す? 選択肢をミスれば今日から俺は女装して街に繰り出す男として周知されてしまう! なにか、なにか言い訳を……。
「お姉ちゃんか妹さんっている?」
「へっ?」
いろいろ身構えていた分彼女の発言に拍子抜けしてしまう。だがまぁ、うん、考えれば当たり前だった。普通疑うとしたらその線だよな。しかし、彼女は俺の間抜けた返事が疑念だと受け取ったようで、慌てて弁明する。
「あっ、いや、そうじゃなくて! 昨日結月くんに似た人がいて、もしかしたら知り合いかなぁって思って! ゆかりさんっていうんだけど」
手を胸の前でワタワタと振りながら必死に説明する彼女だが、まったくかかわりのないクラスメートと一度会っただけの人を結び付けられる彼女の観察力に末恐ろしいものを感じざるを得ない。しかし、彼女な発言こそが追いつめられたこの状況の突破口となった。なるほど、「ゆかり」を血縁者にすればいいのだ、と。そうすることで俺=「ゆかり」ということがバレず、疑いをもたれなくなる。
「あぁ、それなら俺のいとこだね。最近こっちに遊びに来ていたらしいんだ」
「やっぱりそうだったんだ! ゆかりさんの連絡先とか知らない?」
「知ってはいるけど、教えることは少し難しいね。彼女は秘密主義だから」
「そっかぁ……じゃあ結月くんが連絡を取ってゆかりさんに合わせてほしいの!」
やはりそうくるか。半ば未来予知のごとくこの展開は予想できた。ここで彼女の要求を突っぱねることは容易だろう。しかし、ここまでの会話で彼女は押しが強いことが分かった。食い下がらず何度もお願いしてくるだろう。今はまだいいがそれを取り巻きや片思いしている男連中に知られたら、俺の安寧な日々は終了する。つまりここは、あえて「ゆかり」としてもう一度会い、しっかりと後腐れなく距離を取ればいい。素晴らしい、完璧だ。
「それだったら俺に任せてよ。ゆかりさんに伝えておくからさ」
「ほんとっ!? ありがとう! じゃあこれ、私の連絡先だからゆかりさんに渡しておいて!」
そう言うと彼女はスカートを翻して走り去っていく。受け取った連絡先が書かれたメモをポケットに仕舞い、ゆっくりと彼女とは反対方向へ歩いていく。自業自得ではあるが、これでこの面倒な事態に収拾がつくと思った。……この時は本当にそう思っていたんだ。
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「はっ、はっ」
人気のない廊下を息を切らしながら走る。久しぶりに男の子と自発的にしゃべったが思った以上に緊張した。そしてなにより、ゆかりさんと会う約束を取り付けられたことが何よりも嬉しかった。手掛かりは名前と容姿だけだったのでもう二度と会えないと思っていたが、今朝教室に入ると驚いた。
「まさか、ゆかりさんに似た男の子の親戚だったなんて。偶然、いや……運命なのかな?」
はやる心臓を押さえつけるようにスピードを緩め、歩く。先ほど友達と話していた運命の人と言う言葉を思い出して独り言ちる。
「女の子が運命の人でも、変じゃないかな?」
これが好きっていう気持ちなのかは分からない。けど、彼女のことをもっと知りたいという自分がいる。そこでふと、熱に浮かされた気持ちの中で気が付いたことがある。
「……結月くんと話してても嫌な気持ちにならなかったの、なんでだろ?」
周りの男の子みたいに体をじろじろ見てこなかったから? それともゆかりさんに似ていたから?
「まぁ、いっか。あ~あ、早くゆかりさんに会いたいなぁ」