堕ちた歌姫 作:舞花恋
「私は音楽にしか興味がない」
彼女のその言葉は、必要以上に重く俺の心に響き渡った。俺がなにかをしたわけではないのに、罪悪感が心を支配する。
彼女のその瞳はこちらを見ているのに、どこか違うところを見ている。その様子はまるで音楽という形のないものに囚われているようだった。
彼女の言う音楽とは一体なんなのだろうか。自分の奏でたい音? どこかの誰かに聴かせたい音? 特定の誰かに届けたい音? 誰かに認めてもらうための音? 誰かを貶すための音? 誰かに求められた音? 誰かに対する……憎しみを込めた音? そんなもの俺にはわからない。
だけど、これだけは言える。少女が囚われた音楽という存在は、彼女に『孤高の歌姫』などという冷めた異名を与えてしまった。そんなもの、彼女には不似合いだというのに。
「私には音楽しか無いの」
今の彼女には支えが必要だ。音楽などという下らない存在に囚われていては、いつか必ず壊れてしまう。一人で居ては音楽に潰されてしまう。
だからこそ、彼女には支えが……暖かな陽だまりが必要なんだ。
「アタシは見守るしかないから……」
だけど陽だまりは彼女には寄り添わず、ただ近くで見守るだけ。冷たい歌姫の心は、いつまで経っても溶けやしない。
音楽とは、どうしてこうも醜いものなのだろうか。都合の良い時は芸術といい、都合の悪い時はただの趣味という。そんな曖昧で下らない存在に、どうして彼女たちは遊ばれなくてはならないのだろうか。
ああ、もういいさ。陽だまりの少女が寄り添わないのであれば、俺が干渉しよう。彼女を音楽という呪縛から解放してやろう。それが俺のたったひとつの存在意義だ。
「もういいよ。そんな下らないもの全部、ここで捨ててしまおう」
俺のその言葉を聞いて彼女は当然ながら激怒した。けれど、それでも。これは彼女が背負うべきものではない。音楽なんて醜いもの、彼女には必要ない。
下らない茶番はこれで終わりにしよう。
◆◇◆◇
それは日曜日の正午過ぎ。昼食にカップラーメンでも食べようかと思ってお湯を沸かしていると、突然インターホンが鳴った。
最初は面倒だから居留守を使おうとしたのだが、怖いくらいにインターホンを連打されたので、仕方なく玄関のドアを開けたのだが……。
「迎えに来たわ、
「何しに来やがったお前……」
「……?約束の時間なのだけどまだ準備出来ていないの?」
ドアを開けるとそこには、ひとりの少女が立っていた。そしてありもしない約束がどうこうと言っている。
「いや、約束ってなんだよ
湊友希那。それが彼女の名前。
「昨日メッセージを送ったのだけど?」
「え、どんな?」
「明日のお昼、一緒に食べたいって言ったわよ」
「……マジで?」
友希那からはかなりの頻度でメッセージが送られてくる。たとえ俺が授業中であろうが睡眠中であろうが、友希那の目に届かない場所にいると頻繁にメッセージが送られてくる。そうやってあまりにもメッセージが来るから、友希那からの通知を切ってしまっていたのだ。故に、友希那が送ったと言っている約束のメッセージに気付くことが出来なかったみたいだ。
「悪い、気付かなかった……」
「いえ……送った時間が悪かったわ、ごめんなさい」
一体何時頃にそのメッセージを送って来たのだろうか。まあ、通知を切ってるから何時に送ってきても俺は気付かないのだが。
「それで奏はもうお昼はとったの?」
そう言った友希那の瞳は少し寂しそうだった。おそらく、まだなら一緒に食べたいと言いたいのだろう。
だがしかし、俺はこれからカップラーメンを食べなくてはならない。お湯を沸かしてしまった以上、これは義務なのだ。友希那には悪いが、ここは断らせてもらおう。
「これから食べるところなんだけど」
「そ、そう……」
「……な、なんだけど!まだ作ってすらいないし何処か食べに行くか?」
「……ええ、行くわ」
俺の意思はなんと脆いものなのだろうか。だけどこうもあからさまに悲しそうな目をされると、カップラーメンを食べる義務とかどうでもよくなってくる。いや、そもそもなんなんだよその義務は。そんなの聞いたこともねぇよ
「ありがとう、奏」
「……ああ」
友希那は嬉しそうな声でそう言った。その表情を見ると、自然と頬が緩んでしまう。相変わらず俺は、この子のその表情に弱いみたいだ。
「それじゃあ準備してくるから、ちょっとだけ待っててくれ。すぐ終わる」
「ええ」
せっかく沸かしたお湯が無駄になってしまったと、そんなどうでもいいことを考えながら急いで支度をした。
◆◇◆◇
「それで、何処でなにを食べるんだ?」
家を出て数分。俺と友希那は肩を並べ、行くあてもなくゆっくりと歩いていた。
考えてみれば何処かで昼食をとるという目的はあるが、何処で食べるかまでは決まっていない。友希那は少し考える素ぶりをしてから口を開いた。
「……私の家でなにか食べるのはどうかしら?」
「それってお前の手料理だろ……?」
「不服、なの?」
俺が少し不服そうに答えると、友希那は威圧感のある声で答えた。
「い、いや、それならリサも居た方がいいんじゃないかなーっと」
「でもそれじゃあリサの料理になってしまうわ」
「いや、そもそもお前料理好きじゃないだろ……」
俺がそう言うと、友希那は明らかに不満そうな顔をした。
いや、そんな顔をされても困る。友希那にひとりで料理をさせるとか、色々と不安な要素しか感じないからな。
「味気ないけど、ファミレスとかでいいんじゃないか?金もそんなに持ってるわけではないし」
「奏がそれでいいなら私は構わないわ」
「そっか。それじゃあ行こうぜ」
そう言って俺たちはファミレスの方へと、さっきよりも少し速めのペースで歩く。目的地が決まればゆっくりと歩く必要もない。腹も減ってるし、さっさと向かってしまおう。
「ねえ、奏」
「なんだ?」
歩きながら友希那が口を開いた。俺は友希那の方を見ることなく返事をする。
「今日はなにをしていたの?」
「……っ」
深い意味はないのであろうその言葉に、少し動揺を示してしまう。
「……別に。特になにも」
「……音楽」
「え?」
「音楽、よね」
音楽。突然のその言葉に思わず足が止まった。ゆっくりと、隣の友希那へと視線を向ける。
「……ああ、まあ」
俺自身のその声は自分でも驚くほどに小さかった。
「まだ
孤高の歌姫。かつてそう呼ばれた少女とは思えない言葉を、彼女は悪びれる様子もなく発する。もしこれを彼女のファンが見ればどう思うのだろうか。
「音楽なんて下らないじゃない」
「友希那、それは……」
それはいつかの俺の言葉。その罪悪感が、俺の心に語りかける。
「そんなもの捨ててしまえばいいのに」
俺は彼女を救ったのではない。奪ったのだ。もしかしたら、彼女は救われたと思ってくれているかもしれない。けれど、それでも俺は奪ってしまった。
「音楽も、父さんも、リサもなにもかも。私は興味ないわ」
淡々と、彼女はただ悲しいだけの言葉を吐いた。その罪悪感が俺の心を支配する。
「私は貴方にしか興味がない」
彼女のその言葉が、重く俺の身体に響き渡る。その罪が俺の身体を支配する。
続くか、続かないか
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