堕ちた歌姫   作:舞花恋

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第5話

 変わりたかった。

 

 家族という役割、幼馴染という役割、友人という役割、恋人という役割。そんな役割を演じ続けるだけの日常に、酷く嫌気が差していた。

 

 だからこそ変化を、下らない日常を壊す『非日常』を欲しがった。この名前から、役割から抜け出したかったんだ。ただ、それだけのこと。

 

 それはちょっとした出来心。この程度で変わるとは思っていなかった。自分自身を見誤っていた。

 自分の存在は、役割は、彼女にとってあまりにも大きくなりすぎたらしい。

 

 

「──だったら私は、もう……」

 

 

 予想外? 想定外? こんなはずじゃなかった? 

 だから、俺は悪くない。悪いのは、この程度で壊れるその信念だ。

 

 

「……あなただけいれば、それでいい」

 

 

 ──違う。

 

 そうさ、全部わかっていた。こうなることくらい。

 わかっていたけど、それでも彼女を壊した。俺のために、彼女のために。

 

 

 俺たちは、病んでいる。だからこそ、変化(クスリ)を欲しがった。

 

 俺にとって、湊友希那の()()は。

 

 

 まるで麻薬のようだった。

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

「さっきから難しい顔をしているけれど、そんなに悩むくらいなら辞めればいいじゃない」

 

 月曜日の午後。平日にもかかわらず、俺は自分の部屋にこもってパソコンの画面とにらめっこしていた。

 

「……悩むくらいなら辞めろってのは、よくわからない理屈だな」

 

 耳に当てていたヘッドフォンを外し、首にかける。その動作とともに、ベッドの上に座る友希那に目を向けた。

 

「私は悩んでる奏も好きだから、別にいいのだけど」

 

 そう言って彼女はベッドから降りて、俺の手元に腰を下ろした。そこは正しく机の上なのだが、その割には品のある座り方をする。

 

「奏に夢を見ている人たちは、あなたが悩んでる姿なんて見たくないでしょうに」

「一体何をしに来たかと思えば、嫌味を言いにきたのか、お前は」

 

 その言葉に、若干の苛立ちが湧いてくる。

 ただでさえイライラしているというのに、いきなり家に来た友希那にこんな嫌味を言われると、流石に苛立ちを覚えてしまう。

 

「それにしたって、珍しい。奏が音楽で悩むだなんて」

「……まあ、な」

「いつもみたいに、感覚に任せて適当にやればいいのに」

「そんな感覚だけで曲なんか作れるなら、音楽理論なんてこの世に必要ないだろ」

 

 なるべく嫌味ったらしく言ってみせるが、友希那は「そうね」とだけ言って微笑む。

 友希那のその表情は、音楽そのものをバカにしたような、もはやあの孤高の歌姫とは思えないものだった。

 それを見てると、苛立っている自分がなんだかバカらしく思えてくる。

 

「てかお前、学園はどうした? さっきから当たり前のようにここにいるけど、学園には行ってないのか?」

 

 間違いなく今日は月曜日だ。休日は終わって、友希那たち学生には学園があるはずだ。

 それなのに彼女がどうしてここにいるのか。

 そんなの聞かなくてもわかってはいるのだが、敢えて友希那の口から聞き出してみる。

 

「それは奏だって一緒。奏も学園をサボっているじゃない」

「俺は別にいいんだよ。それより、お前もサボったのか」

 

 その質問に、友希那はなんでもないかのように沈黙で返す。

 

「……まあいいけどよ」

 

 俺たちが学園をサボるのは、今に始まったことじゃない。

 だからいちいち詮索する必要なんてないくらいには、俺たちはお互いのことを理解しているはずだ。

 

「それで、今日はどうしたんだ」

 

 そう言ってパソコンの電源を落とす。友希那がウチに来るときは俺に用がある──というよりは、俺と何かをしたいときだ。

 だから今日も学園をサボって、俺といつもみたいに遊びでもしたいんだろう。

 そう思って友希那を見つめる。だがしかし、友希那の口から出た言葉は予想とは少し離れたものだった。

 

「昨日、リサに言われたわ。奏が随分と疲れてる様子だって」

「……リサに、か?」

 

 リサが友希那に俺のことを話すなんて珍しことだ。昨日久しぶりに甘えたからだろうか。

 

「それで、どうなのかしら?」

「いや、まあ……。確かに疲れてるっちゃ疲れてるけど、別に心配するほどじゃないさ」

 

 なんだかんだ言っても、疲れてるのは事実だ。

 リサの行動か珍しいとはいえ、心配してくれてるだけなら別に問題はない。

 

「違う」

「は?」

 

 強く、そしてハッキリと否定される。どうも友希那は、俺の答えが不服みたいだった。

 違うって、いったいなにが違うのだろう。

 

「私は別に身体のことなんて気にしていない。どうして奏がリサに心配されているのかが気にしているのよ」

「……ああ、そういう」

 

 その言葉で、どうして今日友希那がウチに来たのかがわかった。

 今日はなんだか友希那の態度にイライラとしていたが、どうやら友希那のほうがずっとイライラしていたらしい。

 

「……そんなこと、俺に聞かれたって知らないな」

 

 答え方次第では、友希那をさらに不機嫌にしてしまう。だからしらばっくれてみる。

 

「疲れてるだなんて、そんなのリサが勝手に心配しただけだ。俺には関係ないな」

 

 なんて言って、責任をリサに押し付ける。

 全部リサが勝手に思って、勝手に心配したことだ。それでどうして心配されているかなんて、俺の知ったことではない。

 

「……質問の答えになっていないのだけれど……まあいいわ」

 

 どうやら、俺の答えに満足したらしい。不機嫌そうなその表情は、すぐに元どおりになった。

 

「──どのみち、リサの心配は全く必要ないものだったわね」

「……?」

 

 言いながら友希那は、俺の頬へとその手を伸ばして触れる。そうして俺の目を覗き込むようにじっと見つめ、妖しく笑った。

 

「だって奏は、こんなにもいつも通りなのだから」

 

 さっきの俺の答えで、リサに対する冷たさを感じ取ったのか、そんなことを言ってきた。

 

「……そうだな。俺はいつも通りだ」

 

 いつも通り友希那の機嫌を損なわないよう、俺の欲求を満たしながら、友希那の欲求も満たして生きている。

 

 彼女は病んでいる。だからそれを悪化させないよう、薬を与え続けるのだ。

 そしてこの場合の薬は、俺自身だ。俺自身が友希那を常に想い、友希那のために身を削る。

 

 そんなことを一年も続けてきた。だからきっと、俺も病んでしまったんだろう。

 だから今井リサなんて麻酔で、痛みを溶かして生きている。俺は、病気だった。

 だけどその事実は、友希那にとって毒となってしまう。だから、隠す。やましいことはなにもないけど。

 

 

 それが俺の日常。病気みたいな日々。いつも通り。

 

 

 そうだ。日常だって病気じゃないか。

 誰にも治せない、ただ生きているだけで心が侵される。

 その日常に侵されながら、クスリを求めて生きている俺たちは、なにもおかしくなんてない。

 

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