堕ちた歌姫 作:舞花恋
子猫を見た。学園の帰り道、夕日に照らされた道で猫を見つけた。俺に背を向け、目の前を歩いていた。
真っ黒な子猫。きっと今の時間帯が夜だったら、目の前にいても気づかなかったかもしれない。
ぼーっと後ろから子猫を眺めていると、そいつがこちらを向いて、俺と目が合った。
見つめ合う。しばらくお互い動かず、静寂が訪れた。まあ、もとから静かだったけど。
不思議なことに、今ここには、俺ら以外の生き物がいない。いや正しくは、虫とかそういう奴らはいるだろうけど、人間とか動物とか、そういうのは全くいなかった。
俺たちの立つ、ガードレールすら無い歩道の隣は、当然ながら車道だった。けれど、車は全く通らない。静かなものだ。
そして唯一の生き物である俺たちは、お互い微動だにしない。なんだか、自分たちが置物にでもなった気がする。
──そういえば、友希那は猫が好きだったっけ。
静寂の中、黒猫と見つめ合ってると、そんなことを思い出した。
友希那は確かに、猫が好きだった。最近は猫と一緒にいる友希那なんて見てないから、今はどうだかわからないけど。
今も好きなんだろうか? だったら、この猫を見せてやったら喜ぶかな?
友希那も学園から帰るときはこの道を通るはず。そろそろ帰ってくるだろうし、しばらくこのまま待ってみようか。
そんな俺らしくない思考に駆られ、もう少し猫と見つめ合っていようとする。
何故だろう。この黒猫を見ていると、妙に友希那の笑顔が見たくなった。あいつの笑みなんて、毎日のように見ているのに。
「笑み、か」
ポツリと呟く。小さく呟いたつもりなのに、辺りが静かすぎて、予想以上に俺の声が響いた。けれど、それでも猫は動じない。
多分。きっと。俺は、純粋に笑う友希那を見たいのだろう。
もう俺では、彼女を笑顔にすることなんてできないから。彼女が俺に向ける笑みは、いつも女らしく、妖艶な雰囲気を感じさせるだけだから。
だからこそ、もう一度見てみたいんだ。彼女の、無邪気な笑みを。俺は、この小さな子猫にそれを期待しているんだろう。
そうやって見つめ合う刹那。
後ろから、車の音が聞こえた。振り返ると、トラックが向こうから走ってくる。ずっと静かだったから、その音がやたらと大きく聞こえた。
そうして一瞬だけ子猫から目を離して、もう一度目を向けたとき。猫はいなかった。
目を離した一瞬に、何処かに行ったんだろう。俺との見つめ合いが終わり、静寂も破られ、置物のような子猫は何処かへ行ってしまった。
友希那に見せることができなくて、少し残念だ。けれどもまあ、これでようやく俺も動くことができる。
家に帰ろうと、足を動かす。それと同時に、トラックが隣を通り過ぎる。
「────」
その瞬間、鳴き声のようなものが聞こえた。トラックの音にかき消されそうだったけど、それでも確かに聞こえた。
動き出しそうな足がまた止まり、鳴き声の聞こえた方向に目を向ける。
「あ」
車道だ。すぐ隣の車道に、猫がいた。真っ黒な子猫だ。きっと今の時間帯が夜だったら、目の前にあっても気づかなかったかもしれない。
下半身が潰された猫だ。
トラックを避けようとして、間に合わず。結果的に下半身だけ潰されてしまった、小さな子猫だ。
辺りには、誰もいない。人も通らなければ、車すらも通らない。静かなものだった。聞こえてくるのは、せいぜい猫の死にそうなくらい小さな鳴き声だけ。
──そういえば、友希那は猫が好きだったっけ。
静寂の中、死にかけの
今も好きなんだろうか? だったら、
友希那も学園から帰るときはこの道を通るはず。そろそろ帰ってくるだろうし、しばらくこのまま待ってみようか。
「……あれ」
なんだか、違和感。俺は一体なぜ、
見ればもう、
「──奏?」
静かになったと思えば、今度は聞き覚えのある声に呼ばれた。
「……リサ、友希那」
振り返ると、そこには二人の女の子。リサと友希那。
「どうしたの? そんなところで突っ立って」
「ああ、いや」
そう聞かれて、慌てて
見せてはいけない。見せるときっと、後悔する。よくわからないけど、そんな気がした。
「二人は今帰りか?」
「うん、ちょっと遅くなっちゃてさー」
「そうか」
俺の質問に、リサが答える。
この二人と会話しているときは、基本的にリサばかり喋る。友希那は、二人きりじゃないとあまり喋らない。
だから俺も、この二人といるときは友希那にはそこまで話しかけたりしない。別にこいつと何か話をしたいわけでもないから。
「…………」
そして、沈黙。会話が終わる。再び訪れた静寂。
どういうわけか、こいつらといるとすぐに会話が終わってしまう。なんとなく、気まずい雰囲気になる。
「……そういえば、友希那は猫が好きだったっけ?」
なにか話さないと。
そう思ってつい口から出てきたのは、そんな言葉。それを聞いて、どうするつもりだ、俺は。
「え、あ、うん。好きだよね、友希那」
俺は友希那に聞いたのに、何故かリサが答える。邪魔だな、こいつ。
「そっか。……
良かった。良かった? 何が? わからない。
「じゃあさ、あれ見てくれよ友希那」
そう言って俺は、車道に転がる
……それ? それってなんだろう? 知らないけど。
「あれさ、猫なんだ。真っ黒な子猫」
「え?」
そうだ。猫だ。猫だったものだ。
「さっきまで動いてたんだ。ついさっき、トラックに潰されたけど」
「え、嘘──」
絶句。……したのはリサだけだった。
俺が友希那に期待していた反応を、隣の女がした。けれど、友希那は動じない。それがなんだか気に食わない
「……そう」
ようやく友希那が口を開く。けれど、出てきた言葉は簡潔に二文字だけ。あまりにも寂しい反応だ。
「ドライだな、おい」
苛立ちを込めてそう吐き捨てる。期待していた反応をしてくれなかったから、妙に腹が立つ。
──期待していた反応ってなんだよ。というか、なんで俺はこんなこと口にしてるんだっけ。
「興味がないもの」
興味がない。いつからか、彼女の口からよく耳にする言葉だった。
「そうか」
興味がないのか。彼女はもう、猫が好きではなくなっていたようだ。
子猫だった
「……帰るか」
「そうね」
俺たちは歩き出す。動揺している女は無視して。車道のそれには、もう完全に興味がなかった。
「なあ」
当たり前のように隣を歩く少女に、小さく声をかけた。
けれどそれは、俺ですら聞き取れないほどの小ささ。ほら、友希那も気づいていない。
「お前は誰なんだよ」
なあ、おい。いい加減気付けよ、お前ら。
音楽も、バンドも、猫も、幼馴染も。それら全てに興味を失ったこいつは、本当に湊友希那だといえるのか。これじゃもはや、湊友希那の皮を被った赤の他人じゃないか。
誰が悪い? 俺が悪い。本当に? 本当に。
「奏」
「ん?」
突然友希那が足を止める。釣られて、俺も止まる。
「何度も言うようだけれど、私は──」
何を言いたいのかなんて、そんなの言わなくてもわかる。こいつは、湊友希那だった女は。
「私は貴方にしか興味がない」
そうさ。彼女は、堕ちた歌姫だ。湊友希那ではなく、堕ちた歌姫だ。
だって
これは、湊友希那じゃないんだから。