堕ちた歌姫   作:舞花恋

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第6話

 子猫を見た。学園の帰り道、夕日に照らされた道で猫を見つけた。俺に背を向け、目の前を歩いていた。

 真っ黒な子猫。きっと今の時間帯が夜だったら、目の前にいても気づかなかったかもしれない。

 

 ぼーっと後ろから子猫を眺めていると、そいつがこちらを向いて、俺と目が合った。

 見つめ合う。しばらくお互い動かず、静寂が訪れた。まあ、もとから静かだったけど。

 

 不思議なことに、今ここには、俺ら以外の生き物がいない。いや正しくは、虫とかそういう奴らはいるだろうけど、人間とか動物とか、そういうのは全くいなかった。

 俺たちの立つ、ガードレールすら無い歩道の隣は、当然ながら車道だった。けれど、車は全く通らない。静かなものだ。

 

 そして唯一の生き物である俺たちは、お互い微動だにしない。なんだか、自分たちが置物にでもなった気がする。

 

 

 ──そういえば、友希那は猫が好きだったっけ。

 

 静寂の中、黒猫と見つめ合ってると、そんなことを思い出した。

 友希那は確かに、猫が好きだった。最近は猫と一緒にいる友希那なんて見てないから、今はどうだかわからないけど。

 

 

 今も好きなんだろうか? だったら、この猫を見せてやったら喜ぶかな?

 友希那も学園から帰るときはこの道を通るはず。そろそろ帰ってくるだろうし、しばらくこのまま待ってみようか。

 

 

 そんな俺らしくない思考に駆られ、もう少し猫と見つめ合っていようとする。

 

 何故だろう。この黒猫を見ていると、妙に友希那の笑顔が見たくなった。あいつの笑みなんて、毎日のように見ているのに。

 

「笑み、か」

 

 ポツリと呟く。小さく呟いたつもりなのに、辺りが静かすぎて、予想以上に俺の声が響いた。けれど、それでも猫は動じない。

 

 多分。きっと。俺は、純粋に笑う友希那を見たいのだろう。

 もう俺では、彼女を笑顔にすることなんてできないから。彼女が俺に向ける笑みは、いつも女らしく、妖艶な雰囲気を感じさせるだけだから。

 

 だからこそ、もう一度見てみたいんだ。彼女の、無邪気な笑みを。俺は、この小さな子猫にそれを期待しているんだろう。

 

 

 

 そうやって見つめ合う刹那。

 後ろから、車の音が聞こえた。振り返ると、トラックが向こうから走ってくる。ずっと静かだったから、その音がやたらと大きく聞こえた。

 

 そうして一瞬だけ子猫から目を離して、もう一度目を向けたとき。猫はいなかった。

 目を離した一瞬に、何処かに行ったんだろう。俺との見つめ合いが終わり、静寂も破られ、置物のような子猫は何処かへ行ってしまった。

 友希那に見せることができなくて、少し残念だ。けれどもまあ、これでようやく俺も動くことができる。

 

 

 家に帰ろうと、足を動かす。それと同時に、トラックが隣を通り過ぎる。

 

「────」

 

 その瞬間、鳴き声のようなものが聞こえた。トラックの音にかき消されそうだったけど、それでも確かに聞こえた。

 動き出しそうな足がまた止まり、鳴き声の聞こえた方向に目を向ける。

 

「あ」

 

 車道だ。すぐ隣の車道に、猫がいた。真っ黒な子猫だ。きっと今の時間帯が夜だったら、目の前にあっても気づかなかったかもしれない。

 下半身が潰された猫だ。

 トラックを避けようとして、間に合わず。結果的に下半身だけ潰されてしまった、小さな子猫だ。

 

 辺りには、誰もいない。人も通らなければ、車すらも通らない。静かなものだった。聞こえてくるのは、せいぜい猫の死にそうなくらい小さな鳴き声だけ。

 

 

 ──そういえば、友希那は猫が好きだったっけ。

 

 静寂の中、死にかけの()()を見ているとそんなことを思い出した。

 

 今も好きなんだろうか? だったら、()()を見せたら悲しむかな?

 友希那も学園から帰るときはこの道を通るはず。そろそろ帰ってくるだろうし、しばらくこのまま待ってみようか。

 

「……あれ」

 

 なんだか、違和感。俺は一体なぜ、()()を友希那に見せようとしているんだろう。悲しむだろうに。わかんないけど。

 見ればもう、()()は死にそうな音すら出さない。静かに死んでいった。再び、静寂が訪れる。

 

 

「──奏?」

 

 

 静かになったと思えば、今度は聞き覚えのある声に呼ばれた。

 

「……リサ、友希那」

 

 振り返ると、そこには二人の女の子。リサと友希那。

 

「どうしたの? そんなところで突っ立って」

「ああ、いや」

 

 そう聞かれて、慌てて()()から視線を外す。

 見せてはいけない。見せるときっと、後悔する。よくわからないけど、そんな気がした。

 

「二人は今帰りか?」

「うん、ちょっと遅くなっちゃてさー」

「そうか」

 

 俺の質問に、リサが答える。

 この二人と会話しているときは、基本的にリサばかり喋る。友希那は、二人きりじゃないとあまり喋らない。

 だから俺も、この二人といるときは友希那にはそこまで話しかけたりしない。別にこいつと何か話をしたいわけでもないから。

 

 

「…………」

 

 

 そして、沈黙。会話が終わる。再び訪れた静寂。

 どういうわけか、こいつらといるとすぐに会話が終わってしまう。なんとなく、気まずい雰囲気になる。

 

「……そういえば、友希那は猫が好きだったっけ?」

 

 なにか話さないと。

 そう思ってつい口から出てきたのは、そんな言葉。それを聞いて、どうするつもりだ、俺は。

 

「え、あ、うん。好きだよね、友希那」

 

 俺は友希那に聞いたのに、何故かリサが答える。邪魔だな、こいつ。

 

「そっか。……()()()()

 

 良かった。良かった? 何が? わからない。

 

「じゃあさ、あれ見てくれよ友希那」

 

 そう言って俺は、車道に転がる()()を指差す。友希那たちも、俺が指差す方向に目を向ける。

 ……それ? それってなんだろう? 知らないけど。

 

「あれさ、猫なんだ。真っ黒な子猫」

「え?」

 

 そうだ。猫だ。猫だったものだ。

 

「さっきまで動いてたんだ。ついさっき、トラックに潰されたけど」

「え、嘘──」

 

 絶句。……したのはリサだけだった。

 俺が友希那に期待していた反応を、隣の女がした。けれど、友希那は動じない。それがなんだか気に食わない

 

「……そう」

 

 ようやく友希那が口を開く。けれど、出てきた言葉は簡潔に二文字だけ。あまりにも寂しい反応だ。

 

「ドライだな、おい」

 

 苛立ちを込めてそう吐き捨てる。期待していた反応をしてくれなかったから、妙に腹が立つ。

 ──期待していた反応ってなんだよ。というか、なんで俺はこんなこと口にしてるんだっけ。

 

 

「興味がないもの」

 

 

 興味がない。いつからか、彼女の口からよく耳にする言葉だった。

 

「そうか」

 

 興味がないのか。彼女はもう、猫が好きではなくなっていたようだ。

 

 子猫だった()()を見つめる。結局()()は生きていようが死んでいようが、友希那の何かにはなれなかったのだ。酷く、惨めだった。

 

「……帰るか」

「そうね」

 

 俺たちは歩き出す。動揺している女は無視して。車道のそれには、もう完全に興味がなかった。

 

「なあ」

 

 当たり前のように隣を歩く少女に、小さく声をかけた。

 けれどそれは、俺ですら聞き取れないほどの小ささ。ほら、友希那も気づいていない。

 

 

「お前は誰なんだよ」

 

 

 なあ、おい。いい加減気付けよ、お前ら。

 音楽も、バンドも、猫も、幼馴染も。それら全てに興味を失ったこいつは、本当に湊友希那だといえるのか。これじゃもはや、湊友希那の皮を被った赤の他人じゃないか。

 

 

 誰が悪い? 俺が悪い。本当に? 本当に。

 

 

「奏」

「ん?」

 

 突然友希那が足を止める。釣られて、俺も止まる。

 

「何度も言うようだけれど、私は──」

 

 何を言いたいのかなんて、そんなの言わなくてもわかる。こいつは、湊友希那だった女は。

 

 

「私は貴方にしか興味がない」

 

 

 そうさ。彼女は、堕ちた歌姫だ。湊友希那ではなく、堕ちた歌姫だ。

 だって(お前ら)の知る湊友希那(歌姫)は、ここまで堕ちるような女ではないはずだから。

 

 




これは、湊友希那じゃないんだから。
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