「いい加減にしろ鈴木!」
「も、申し訳ございません……」
やらかした。最近ミスが少ないから、新田先輩にも褒められたからと調子に乗った自分が馬鹿だった。
今日提出の重要書類に不備が見つかり、その担当はいわずもがな私であった。課長は憤り、その手前新田先輩も私に声をかけるのは控えてくれていた。その代わり課長に何度も頭を下げてデスクに戻っても、新田先輩がくれるいつもの慰めの缶コーヒーはなかった。
(……少し自信を持てたのに、やっぱり私は能無しだな)
失敗をしても、仕事はある。普段よりも少ない同僚たちとの会話に、肩が重く感じた。やはり周りから少し距離を置かれているようだ。
(早く、ミカンに会いたい……)
おかえり、と出迎えてくれるミカンの笑顔が脳裏に浮かび、私は気を取り直して仕事にとりかかった。
◆
ミカンに『今から帰るね』とメッセージを送り、私はオフィスを出た。早く帰って、ゆっくり休んで、明日からまたミスがないように気を引き締めなければ。そう自分に喝を入れ、エントランスを通ろうとしたその時、新田先輩の姿が見えた。声をかけようとして、出掛けた声を私はひっこめた。
「最近は調子がいいと思ってたが、やっぱりあいつはダメだな」
課長だった。私は足を止め、身をひそめる。上司がエントランスから居なくなるまで帰りづらい。仕方なく、私は近場のトイレに引き返そうとしたが、次いで聞こえた声に身体が硬直した。
「……そうですね、私からもきつく叱っておきます」
「……っ!」
気づけは涙が頬を伝っていた。上司の前だから仕方ないが、新田先輩にまでそう言われて心が折れた私は、思わずエントランスを走り抜けて会社を飛び出していた。
「あいつ……反省してるのか本当に! いっそ上に取り合って――」
「まぁまぁ課長。それより、今日私と飲みに行きませんか? 私と二人っきりで……」
「え……」
◆
「おかえり……っておい」
私はミカンの出迎えも無視して、自室に飛び込んだ。ベッドに顔を埋めて、声をあげて泣いた。自分のふがいなさが、仕事のできなさが、新田先輩の上司への肯定が、どんどん涙を溢れさせた。
ミカンははじめ、どうしたと困ったように問いかけてきたけど、暫くすると黙って私の傍らに座り込んで背中をさすってくれた。その優しさに、また嗚咽が漏れた。
「……落ち着いたか」
「うん……ごめん」
「気にするな。先に風呂入ってきな」
「……うん」
くしゃくしゃとミカンに髪を撫でられ、私は漸く泣き止んで風呂場に向かった。鏡に映る自分の目の周りは赤く腫れていた。湯船に浸かって深く息を吐くと、少し気持ちが落ち着いた。
帰ってきていきなり部屋で泣き出すなんて、ミカンもびっくりしただろう。悪いことをしてしまった。折角のおかえりも無視してしまったし。
風呂を上がり、夕飯の支度をしていたミカンに謝罪の言葉を述べる。
「ミカンごめんね」
そんな私を見て、柔らかく微笑んだミカンはまた、私の頭を力強く撫でた。
「だから気にするな。仕事で何があったかは分からないが、私は林檎の味方だし、ずっと傍に居るよ」
「……ありがとう」
「あぁもう、また泣くなよ」
ミカンに抱きしめられ、私はまた涙を流してしまった。こんなに愛されているのに、私は何も返せていない。私に出来るのは、稼ぐことだけだ。せめて、せめて仕事だけはしっかりしなければ。
そうだ、今私が働いているのは自分の為だけではない。ミカンの為にも、私はたとえ心が折れても働かなければ。
それが、私がミカンにできる唯一の恩返しだ。
◆
「おはよう鈴木さん」
「お、おはようございます……」
新田先輩に朝早くから声をかけられたが、昨日のことが頭をよぎり、少し尻すぼみの挨拶になってしまう。そんな私を気にする様子もなく、新田先輩は嬉しそうに話してくれた。
「昨日のことだけど。課長もね、きつく言い過ぎたかもって。次からまた気を付ければいいって言ってたわ」
「ほ、ほんとですか?」
「えぇ、本当よ」
そう微笑む新田先輩に、また涙が零れそうになった。
もう一度課長にも謝りに行き、私はデスクに向かうとよしと意気込んだ。
愛するミカンの為に、私は今日も働く。